血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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12062321 | Day24 -紳士- |
-0-
「おのれ……」 怒りのあまり、彼はギリギリと歯を噛み締めた。
うららかな午後――平原の昼下がり。
彼と下僕と歩行雑草は、ゆったりとした時間を過ごしていた。
そこへ、その男は土足であがりこんできたのだ。
――なんという、無粋な行為。
至福のひと時。歩行雑草ちゃんとの甘く濃密なスウィートタイム。
それを邪魔されたのだという思いで、はらわたが煮えくり返り、ボルテージばかりが上昇する。
「おのれ……!!」 とうとう彼は怒号を発した。
「よくも私の楽しみを――!!」
眼前の男に指を突きつけて、言葉を吐き出した。
自分を見つけるその男の冷ややかな眼差しが、よりいっそう彼をイラつかせる。
――すかした頬の傷跡が気に食わない。
――自分よりも背が高いのも気に食わない。
――美的センスのない衣服も気に食わない。
とにかく、全てが気に食わない――これ程に、相性の悪い相手がいるものか。
「……遊んでいる暇はないんだ」
さらに、その男の発言――まさに、火に油を注ぐ、その行為。
「ゆ、ゆ、ゆ、許せん!!」
彼の顔が怒りで赤く染まった。頬がピクピクと動き、それにあわせて髭が揺れる。
体中が熱を発して熱くなる。もはや、体が動き出すことを止められない。
「勝負だ……!!」
体から発せられた気の裂帛が、周囲の草を根こそぎなぎ倒す。
木の陰で彼の奴隷がハッと身をすくませたが、ついぞ彼は気付かなかった。
「おのれ……」 怒りのあまり、彼はギリギリと歯を噛み締めた。
うららかな午後――平原の昼下がり。
彼と下僕と歩行雑草は、ゆったりとした時間を過ごしていた。
そこへ、その男は土足であがりこんできたのだ。
――なんという、無粋な行為。
至福のひと時。歩行雑草ちゃんとの甘く濃密なスウィートタイム。
それを邪魔されたのだという思いで、はらわたが煮えくり返り、ボルテージばかりが上昇する。
「おのれ……!!」 とうとう彼は怒号を発した。
「よくも私の楽しみを――!!」
眼前の男に指を突きつけて、言葉を吐き出した。
自分を見つけるその男の冷ややかな眼差しが、よりいっそう彼をイラつかせる。
――すかした頬の傷跡が気に食わない。
――自分よりも背が高いのも気に食わない。
――美的センスのない衣服も気に食わない。
とにかく、全てが気に食わない――これ程に、相性の悪い相手がいるものか。
「……遊んでいる暇はないんだ」
さらに、その男の発言――まさに、火に油を注ぐ、その行為。
「ゆ、ゆ、ゆ、許せん!!」
彼の顔が怒りで赤く染まった。頬がピクピクと動き、それにあわせて髭が揺れる。
体中が熱を発して熱くなる。もはや、体が動き出すことを止められない。
「勝負だ……!!」
体から発せられた気の裂帛が、周囲の草を根こそぎなぎ倒す。
木の陰で彼の奴隷がハッと身をすくませたが、ついぞ彼は気付かなかった。
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12062320 | Day23 -勇者- |
-0-
水飛沫。
水上を傭兵が走る。それに追随する影。小柄な獣の姿。
互いに全身傷だらけ。歴戦の古強者の一人と一匹が併走するようにひた走る。
森の果て。荒野へと通じる谷の出入り口。一人と一匹の邂逅の場所。
瞬転――獣が水を蹴って加速。
傭兵は身を捻る。かわす。
かわしきれず、肌に血の線が浮く――鋭利な、獣の爪。
ビーバーと恭平。戦う二人の名。
「悪党が!!」
ビーバーの叫び。水上を転がり、そのままの勢いで、再び水上を走る。
恭平へと向かって転じながら、血に濡れた爪を振り払った。澄んだ水に赤が混じる。
燃える瞳が恭平に向けられる。敵意と、正義感と。
「……誤解、と言っても聞きはしない、な。」
正面から、恭平。電光石火の動き。さらに、加速した。
ビーバーが迫る。その牙と、爪。鋭利な凶器。
恭平が短剣を構える。磨き抜かれた、その凶器。
「俺の自慢の歯だぁ!」
ビーバーが飛び掛る。――噛み付き。
短剣を盾に、一撃を防ぐ。歯と刃の間で火花が散る。押し合う、へし合う。
恭平の蹴り。そのつま先を蹴って、ビーバーが跳んだ。空へ。
「これがかつて谷を救った奥義だ!」
空襲。急降下するビーバー。その狙い――恭平の肩口。
恭平が空を仰ぐ。太陽を背に迫るもの――大口をあけたビーバー。
咄嗟に身を前に投げ出した。水上を転がり、そのままの勢いで陸地へ。
ビーバーの一撃――空を切る。
盛大な水飛沫。水の壁を突き破って、ビーバーの姿が水中に消えた。
「……やるな。」
鋭く光る恭平の眼光。その先に、水中を泳ぐビーバーの影。
巧みな泳ぎ。すぐさま、湖の端へ。飛び出すようにして陸地へあがる。
「やるじゃねぇか。」
水をはき捨てる、ビーバー。恭平と似通った感想。
二人の間で通じ合うもの――相手が強敵であるという認識。
「……。」
互いに無言。大地を蹴った。
空中の激突。短剣と爪―-せめぎあう。
「……ッ!!」
恭平の呼気。爪が、断ち切られた。鋭い爪が宙を舞い、遥か後方の土に突き刺さる。
「俺のっ、爪がっ!!」
ビーバーが跳び退る。驚愕に彩られた、その表情。
より強い戦意に瞳を燃やして、ふたたび、大地を蹴った。
恭平を残して、水上へと。
「罠か? ……逃がさん。」
激震――電光石火。円状の煙を残し、恭平が加速する。ビーバーの後を追い、水上へ。
追うものと追われるものの水上劇。立場を逆転しての再現。
水を蹴る。飛沫があがる。沈み込むよりも早く、前へ。
「負けらんねぇ」
ビーバーの姿が消える。――水中へ。
「……くっ。」
足元から、水を割っての襲撃。
恭平――逃れるように空中へ。
ビーバー――水中から宙へ。
「くらいやがれ!」
「……いけ。」
ビーバー――残された爪を突き出し、錐揉み飛行。
恭平――迎え撃つように銀光を放つ。鈍色のワイヤー。
「ぐあぁぁぁぁ。」
激突。
高速で放たれたワイヤー――ビーバーの爪を弾き、無防備な身体を襲撃。
切り裂かれ、力なく落下する。水面に叩きつけられる。
あがる水飛沫。水面に四散する赤。ビーバーの血。
「……やったか?」
月面宙返り。湖上を越えて、陸地に恭平は降り立った。
湖面が赤く染められている。獣の小さな体から溢れたとは思えないほど。
「まだだ!! 俺には、まだ、この歯がある!!」
怒りの声。全身を赤に染めて、ビーバーが水中から現れる。
両の爪は断ち切られ、満身創痍。
爛々と眼だけが燃えている。
「……。」
無言。その意志だけを汲み取る。飽くなき闘争心――戦わなければならない理由。
「勝負だ。」
ビーバーが走る。血が噴出す。身体の限界を越えたその速度。
恭平が走る。大地を二度蹴って、加速。空気の壁を突き破り、ビーバーへ迫る。
二人が、交錯する。銀光が奔る。
ビーバー――行過ぎて、倒れる。
恭平――胸元に大きな傷跡。ビーバーの歯が抉りとっていった。
「俺も、引き際は理解して……。」
喘ぐような断末魔。ビーバーの声。溢れ出る力が身体を修復――それさえも、追いつかない。
身体が崩れる。塵と化す。その内側から、白い光。宙へ昇り、溶けるように消えた。
「……なん、だった、んだ。」
恭平。荒い息をつきながら、ビーバーの倒れた場所へ。
何もない空間。失われた強敵の姿――まるで、最初から存在しなかったかのように。
周囲――抉られた地面。一部の湖面が赤く染まった湖。断ち切られた、鋭い爪。
確かな残滓。
「……疲れた。」
荷物と、鋭い爪を拾い上げ、谷へ。
その体が、傾いだ。限界を越えた肉体の酷使――超スピードの濫用。身体への負担。
突如、意識が、黒に断ち切られた。
水飛沫。
水上を傭兵が走る。それに追随する影。小柄な獣の姿。
互いに全身傷だらけ。歴戦の古強者の一人と一匹が併走するようにひた走る。
森の果て。荒野へと通じる谷の出入り口。一人と一匹の邂逅の場所。
瞬転――獣が水を蹴って加速。
傭兵は身を捻る。かわす。
かわしきれず、肌に血の線が浮く――鋭利な、獣の爪。
ビーバーと恭平。戦う二人の名。
「悪党が!!」
ビーバーの叫び。水上を転がり、そのままの勢いで、再び水上を走る。
恭平へと向かって転じながら、血に濡れた爪を振り払った。澄んだ水に赤が混じる。
燃える瞳が恭平に向けられる。敵意と、正義感と。
「……誤解、と言っても聞きはしない、な。」
正面から、恭平。電光石火の動き。さらに、加速した。
ビーバーが迫る。その牙と、爪。鋭利な凶器。
恭平が短剣を構える。磨き抜かれた、その凶器。
「俺の自慢の歯だぁ!」
ビーバーが飛び掛る。――噛み付き。
短剣を盾に、一撃を防ぐ。歯と刃の間で火花が散る。押し合う、へし合う。
恭平の蹴り。そのつま先を蹴って、ビーバーが跳んだ。空へ。
「これがかつて谷を救った奥義だ!」
空襲。急降下するビーバー。その狙い――恭平の肩口。
恭平が空を仰ぐ。太陽を背に迫るもの――大口をあけたビーバー。
咄嗟に身を前に投げ出した。水上を転がり、そのままの勢いで陸地へ。
ビーバーの一撃――空を切る。
盛大な水飛沫。水の壁を突き破って、ビーバーの姿が水中に消えた。
「……やるな。」
鋭く光る恭平の眼光。その先に、水中を泳ぐビーバーの影。
巧みな泳ぎ。すぐさま、湖の端へ。飛び出すようにして陸地へあがる。
「やるじゃねぇか。」
水をはき捨てる、ビーバー。恭平と似通った感想。
二人の間で通じ合うもの――相手が強敵であるという認識。
「……。」
互いに無言。大地を蹴った。
空中の激突。短剣と爪―-せめぎあう。
「……ッ!!」
恭平の呼気。爪が、断ち切られた。鋭い爪が宙を舞い、遥か後方の土に突き刺さる。
「俺のっ、爪がっ!!」
ビーバーが跳び退る。驚愕に彩られた、その表情。
より強い戦意に瞳を燃やして、ふたたび、大地を蹴った。
恭平を残して、水上へと。
「罠か? ……逃がさん。」
激震――電光石火。円状の煙を残し、恭平が加速する。ビーバーの後を追い、水上へ。
追うものと追われるものの水上劇。立場を逆転しての再現。
水を蹴る。飛沫があがる。沈み込むよりも早く、前へ。
「負けらんねぇ」
ビーバーの姿が消える。――水中へ。
「……くっ。」
足元から、水を割っての襲撃。
恭平――逃れるように空中へ。
ビーバー――水中から宙へ。
「くらいやがれ!」
「……いけ。」
ビーバー――残された爪を突き出し、錐揉み飛行。
恭平――迎え撃つように銀光を放つ。鈍色のワイヤー。
「ぐあぁぁぁぁ。」
激突。
高速で放たれたワイヤー――ビーバーの爪を弾き、無防備な身体を襲撃。
切り裂かれ、力なく落下する。水面に叩きつけられる。
あがる水飛沫。水面に四散する赤。ビーバーの血。
「……やったか?」
月面宙返り。湖上を越えて、陸地に恭平は降り立った。
湖面が赤く染められている。獣の小さな体から溢れたとは思えないほど。
「まだだ!! 俺には、まだ、この歯がある!!」
怒りの声。全身を赤に染めて、ビーバーが水中から現れる。
両の爪は断ち切られ、満身創痍。
爛々と眼だけが燃えている。
「……。」
無言。その意志だけを汲み取る。飽くなき闘争心――戦わなければならない理由。
「勝負だ。」
ビーバーが走る。血が噴出す。身体の限界を越えたその速度。
恭平が走る。大地を二度蹴って、加速。空気の壁を突き破り、ビーバーへ迫る。
二人が、交錯する。銀光が奔る。
ビーバー――行過ぎて、倒れる。
恭平――胸元に大きな傷跡。ビーバーの歯が抉りとっていった。
「俺も、引き際は理解して……。」
喘ぐような断末魔。ビーバーの声。溢れ出る力が身体を修復――それさえも、追いつかない。
身体が崩れる。塵と化す。その内側から、白い光。宙へ昇り、溶けるように消えた。
「……なん、だった、んだ。」
恭平。荒い息をつきながら、ビーバーの倒れた場所へ。
何もない空間。失われた強敵の姿――まるで、最初から存在しなかったかのように。
周囲――抉られた地面。一部の湖面が赤く染まった湖。断ち切られた、鋭い爪。
確かな残滓。
「……疲れた。」
荷物と、鋭い爪を拾い上げ、谷へ。
その体が、傾いだ。限界を越えた肉体の酷使――超スピードの濫用。身体への負担。
突如、意識が、黒に断ち切られた。
12062317 | Day22 -火花- |
-0-
焚き火を前にして、恭平が自然の椅子に腰掛けていた。
風が削りだした天然の腰掛。硬く、すわり心地は良くない。今は逆に、それが心地良い。
鮮やかな赤に、くすんだ金髪がきらめいている。
夜闇の中、踊る炎と金の輝きに誘われた羽虫が、その身を焔に舐められた。
消失。
抗いがたい誘惑。それは時として、身の破滅を招く。
「……。」
恭平は無言。ただ、ジッと岩に背をもたれかけて、時が過ぎるのを待っている。
身体を休めているのとは、違う。時の経過、ただそれだけを求めた行動の発露。
時間への抗い。
まるで、岩と一体化したかのように、目を閉じ、息さえも殺して。
時が過ぎ去ることを祈るその姿は、黙祷する僧侶にも似ている。
「……。」
火にくべられた枯れ木の爆ぜる音。
小うるさい虫たちの鳴き声。
谷の合間を吹き過ぎてゆく風の囁き。
偽りの空には星のドーム。藍色と空色の合間をぬって、星が流れた。
それさえも、偽り。本物とそう大して差のない。
手を伸ばそうと届くことはない偽りの空。触れもせず真偽を確かめることは、可能か。
――ここが地下であるという、証左はどこにあるのか?
意識下での自問自答。
答えを知りたがっている。その為に必要なもの。情報。触れられる真実。
いまだ、確証的な手がかりはない。
広大な遺跡の探索。砂漠に落ちた針を探すのに等しい行為。
冒険者の間でまことしやかに囁かれる噂。宝玉の存在。
手に入れたものに力を与える。エデンの園の禁断の実。
力を求める者たちにとって、抗いがたい誘惑。
「……時間、か。」
思考を打ち切って、恭平は目蓋を上げた。
焦げ茶色の瞳が、炎の赤を吸い取って深紅に燃えている。
頬に二条の古傷。恭平の生きた証。人生の証左。
革の手袋をはめた右手で、傷跡を撫でる。
岩に触れていた手は冷たい。心地よい感触。火の熱に火照った身体。
冷たい夜から、身を守る術。炎。人類の英知。
猿と人間の境。火の克服。恐怖を押さえつける理性。
それを教えてくれたもの。神にも等しい。
彼女が残した傷跡。
「……。」
静かに指先を離す。
恭平の冷ややかな眼差しの奥に、何かが揺れて、消えた。
「……行こう。」
傍らのナップサックから一欠けらのレーションを取り出して口に放り込む。
時間をかけず咀嚼して、嚥下する。
次いで、取り出した水筒から、キャップ一杯分の水分を補充。
全てをリュックサックに押し込んで、準備完了。
地図も荷物とともに中へ。周囲の地形は全て頭に叩き込んである。
目的地への経路も、また。
岩から腰をあげる。時との戦いを共にした同志との別れ。
砂を蹴り、焚き火に被せて消す。辺りが闇に閉ざされる。自然にあるべき姿。
それに抗う光――火の灯されたランタンを右手に、肩をリュックに背負った。
そして、恭平は歩き出す。
手にしたランタンだけが寄る辺となる、冒険者たちの荒れ野へと。
焚き火を前にして、恭平が自然の椅子に腰掛けていた。
風が削りだした天然の腰掛。硬く、すわり心地は良くない。今は逆に、それが心地良い。
鮮やかな赤に、くすんだ金髪がきらめいている。
夜闇の中、踊る炎と金の輝きに誘われた羽虫が、その身を焔に舐められた。
消失。
抗いがたい誘惑。それは時として、身の破滅を招く。
「……。」
恭平は無言。ただ、ジッと岩に背をもたれかけて、時が過ぎるのを待っている。
身体を休めているのとは、違う。時の経過、ただそれだけを求めた行動の発露。
時間への抗い。
まるで、岩と一体化したかのように、目を閉じ、息さえも殺して。
時が過ぎ去ることを祈るその姿は、黙祷する僧侶にも似ている。
「……。」
火にくべられた枯れ木の爆ぜる音。
小うるさい虫たちの鳴き声。
谷の合間を吹き過ぎてゆく風の囁き。
偽りの空には星のドーム。藍色と空色の合間をぬって、星が流れた。
それさえも、偽り。本物とそう大して差のない。
手を伸ばそうと届くことはない偽りの空。触れもせず真偽を確かめることは、可能か。
――ここが地下であるという、証左はどこにあるのか?
意識下での自問自答。
答えを知りたがっている。その為に必要なもの。情報。触れられる真実。
いまだ、確証的な手がかりはない。
広大な遺跡の探索。砂漠に落ちた針を探すのに等しい行為。
冒険者の間でまことしやかに囁かれる噂。宝玉の存在。
手に入れたものに力を与える。エデンの園の禁断の実。
力を求める者たちにとって、抗いがたい誘惑。
「……時間、か。」
思考を打ち切って、恭平は目蓋を上げた。
焦げ茶色の瞳が、炎の赤を吸い取って深紅に燃えている。
頬に二条の古傷。恭平の生きた証。人生の証左。
革の手袋をはめた右手で、傷跡を撫でる。
岩に触れていた手は冷たい。心地よい感触。火の熱に火照った身体。
冷たい夜から、身を守る術。炎。人類の英知。
猿と人間の境。火の克服。恐怖を押さえつける理性。
それを教えてくれたもの。神にも等しい。
彼女が残した傷跡。
「……。」
静かに指先を離す。
恭平の冷ややかな眼差しの奥に、何かが揺れて、消えた。
「……行こう。」
傍らのナップサックから一欠けらのレーションを取り出して口に放り込む。
時間をかけず咀嚼して、嚥下する。
次いで、取り出した水筒から、キャップ一杯分の水分を補充。
全てをリュックサックに押し込んで、準備完了。
地図も荷物とともに中へ。周囲の地形は全て頭に叩き込んである。
目的地への経路も、また。
岩から腰をあげる。時との戦いを共にした同志との別れ。
砂を蹴り、焚き火に被せて消す。辺りが闇に閉ざされる。自然にあるべき姿。
それに抗う光――火の灯されたランタンを右手に、肩をリュックに背負った。
そして、恭平は歩き出す。
手にしたランタンだけが寄る辺となる、冒険者たちの荒れ野へと。
10090105 | Day21 -渡河- |
-0-
満天の星空。澄み渡った偽りの空を仰ぐのは、氷の精が舞い踊る砂漠の夜だ。
傭兵は死の道を歩んでいる。それとして、生を受けた時から、ずっと。
彼が歩んできた道は、この砂漠の夜にも似て、冷たい。
それを苦に思ったことはない。
すがりついた腕を、けして離さなかった彼女が、同じくして歩んだ道だから。
風が吹く、どことなく紛い物じみた風。
ともすればここが遺跡の中であることを忘れそうになるが、全てに、違和感があった。
整列する星座の並びさえも、空に再現して見せている。
それは技術力の表れか、それとも、遺跡を創造した者の狂気の表れか。
――ここは、何の為に作られた。
空に投げかけられた問いかけに、答えるものはいない。
血に冷えた身体を、外套でより強く覆い隠して、恭平は砂漠を渡っていた。
身に着けた短剣のうち、三本が先の戦いで喪失している。
今頃は、遺跡に巣食う怪物の亡骸とともに、砂の底に眠っていることだろう。
先の戦いは、恭平に大きな損耗と、色濃い疲弊とを残していた。
巨大蟹の鋏は恭平の肌を裂き、虹色貝の息吹は恭平の肌を凍てつかせた。
傷はまだ癒えず、なかば凍傷に陥った左の指先はまだ動かないままだ。
早く治療しなければ、永遠に失いかねない。
もっとも、遺跡の外に戻れば、それさえも再生されるのだろう。
自分の想像に、恭平は顔をしかめた。
そんな、恭平のすぐ横に、少女が舞い降りたことに、恭平は気付かない。
――眠れば、楽になるわ。
少女――氷の精が空を泳いで、恭平の耳朶に囁きかけた。
零下の住人。冒険者を惑わせる存在として描かれる彼女たち。
それはけして間違いではない。
彼女達はなによりも、死を好んだ。その、より冷たく、より儚いものを。
消えかけた生命の灯火は、ダイヤモンドのように彼女達を惹きつける。
恭平の周囲を好んで舞うスノー・フラウたちの姿が、次第に数を増していた。
恭平が与えた死の残り香が、彼女達の嗅覚を刺激したのかもしれない。
――おいで、安らぎを、与えてあげる。
彼女達の声は、恭平には聞こえない。
しかし、その声は、心に直接、語りかけるのだ。
周囲の気温が急激に下がるのを、恭平は肌で感じ取っていた。
いくら冷える夜の砂漠とはいっても、異常な冷え込みようだった。
先ほどから、ちらりほらりと雪までが、舞っている。
しかし、恭平は立ち止まらない。
泰然とした足取りで、積もりつつある雪と、そこにある砂とを掻き分けて進む。
――ねぇ、一緒に、眠りましょう。
氷の娘達の一人が、その冷たい手で恭平の腕にそっと触れる。
外套と、その下に着込んだ野戦服をすり抜けて、傷だらけの恭平の肌へと。
凍傷を負った恭平の指先を愛おしそうに撫で、氷の掌で包み込む。
――ここは、とても、素晴らしいところなのよ。
別の一人が、恭平の首に手を回して、その頬に口付けをした。
数多の旅人を氷に閉ざしてきた口付けも、恭平の身体を止めるには至らない。
恭平の吐く息は白く、睫までもが凍り付いていたが。
吹雪の砂漠で、ただ前をじっと睨みつけながら、恭平は先を目指していた。
その心の奥底では、青白い炎が轟々と音をたてながら、燃えている。
――ツレナイ、人。
その言葉を境に、雪乙女達は抱擁をほどいていった。
氷精たちは一人、また一人と、恭平のそばを名残惜しそうに離れていく。
けして男が、自分たちのものにはならないのだと、気付いたのだ。
やがて、最後の一人が恭平の髪を撫で、離れて行った。
それと同時に、雪が吹き止み、夜の砂漠は本来の姿を取り戻す。
「……ここ、か。」
白い息を吐いて、恭平は呟いた。
晴れた視界の先に、鬱蒼と茂る密林。
そこは、砂漠の中に取り残されたオアシス。
強さに取り込まれ、道を誤った一匹の雄が、そこには居ると聞く。
頭からすっぽりと被っていた外套を脱ぎ、凍りついた髪の霜を払うと、恭平はその中へと立ち入っていった。
そう、伝説の眠る、太古の森の腕へと――。
-1-
「……ッ。」
思わず、声が漏れた。
木々の合間から流れ出す清流に手先を沈めて、凍傷に陥った指先をほぐしていく。
そこはすでに森の中。
死の砂漠とは一転して、森の中は生命の気に満ち満ちていた。
外が吹雪いていたとは思えないほどに森の中は暖かく、恭平は外套も脱ぎ去っていた。
肌はうっすらと汗ばんでいる。湿度も高く、空気の密度も濃い。
溶けた雪に濡れて体に張り付く上着も脱いで、それらを袋の中へとしまい込んだ。
「……?」
その動作の最中、恭平の瞳に不思議なものが映った。。
肌のいたるところに残る、霜焼けとなった跡。
それらが、大人になりきらない少女の手の平のような形をなしている。
たまさか、そのように映っただけか。
気を止めたのは一瞬だけ。
恭平は、常温の清水に浸した布切れで、全身を拭っていった。
背中や頬までも冷気にやられていたらしく、痛みとも痒みともとれない感覚がはしる。
手の平を開閉して、指先がある程度の感覚を取り戻したことを確認する。
短剣の柄を握り、それを抜き放ってみて、恭平はようやくその場を後にした。
夜目だけを頼りに、暗い森の中を進む。
あらゆる方角に、動物の気配を感じたが、彼らが恭平の前に姿を現すことはなかった。
下生えの草を踏みしめて、覆い茂る羊歯植物を短剣で切り払い、恭平は黙々と進んだ。
水の流れる落ちる音。
森を抜けると、そこには滝があり、なみなみとした水をたたえている。
「……こんな場所があったとは、な。」
どうやら、ここが砂漠と荒野との境目でもあるのだろう。
滝の先には渓谷が広がり、赤茶けた地肌が日の目を浴びていた。
ところどころには木々も生え、草一つ生えない砂漠とは一線を画した姿を晒している。
「……しかし。」
目当ての人物は、どこにいるのだろうか。
噂など当てにならないもの。ここに、伝説の某が滞在していると聞いたのだが。
「おいぃぃいぃぃぃぃぃ!!」
水のほとりで周囲を探る恭平の耳に、何者かのくぐもった叫び声が響いた。
咄嗟に振り向いた恭平の視線の先――。
「おめー、なにしてやがんだぁ!!」
それは、水の中から姿を現した――。
満天の星空。澄み渡った偽りの空を仰ぐのは、氷の精が舞い踊る砂漠の夜だ。
傭兵は死の道を歩んでいる。それとして、生を受けた時から、ずっと。
彼が歩んできた道は、この砂漠の夜にも似て、冷たい。
それを苦に思ったことはない。
すがりついた腕を、けして離さなかった彼女が、同じくして歩んだ道だから。
風が吹く、どことなく紛い物じみた風。
ともすればここが遺跡の中であることを忘れそうになるが、全てに、違和感があった。
整列する星座の並びさえも、空に再現して見せている。
それは技術力の表れか、それとも、遺跡を創造した者の狂気の表れか。
――ここは、何の為に作られた。
空に投げかけられた問いかけに、答えるものはいない。
血に冷えた身体を、外套でより強く覆い隠して、恭平は砂漠を渡っていた。
身に着けた短剣のうち、三本が先の戦いで喪失している。
今頃は、遺跡に巣食う怪物の亡骸とともに、砂の底に眠っていることだろう。
先の戦いは、恭平に大きな損耗と、色濃い疲弊とを残していた。
巨大蟹の鋏は恭平の肌を裂き、虹色貝の息吹は恭平の肌を凍てつかせた。
傷はまだ癒えず、なかば凍傷に陥った左の指先はまだ動かないままだ。
早く治療しなければ、永遠に失いかねない。
もっとも、遺跡の外に戻れば、それさえも再生されるのだろう。
自分の想像に、恭平は顔をしかめた。
そんな、恭平のすぐ横に、少女が舞い降りたことに、恭平は気付かない。
――眠れば、楽になるわ。
少女――氷の精が空を泳いで、恭平の耳朶に囁きかけた。
零下の住人。冒険者を惑わせる存在として描かれる彼女たち。
それはけして間違いではない。
彼女達はなによりも、死を好んだ。その、より冷たく、より儚いものを。
消えかけた生命の灯火は、ダイヤモンドのように彼女達を惹きつける。
恭平の周囲を好んで舞うスノー・フラウたちの姿が、次第に数を増していた。
恭平が与えた死の残り香が、彼女達の嗅覚を刺激したのかもしれない。
――おいで、安らぎを、与えてあげる。
彼女達の声は、恭平には聞こえない。
しかし、その声は、心に直接、語りかけるのだ。
周囲の気温が急激に下がるのを、恭平は肌で感じ取っていた。
いくら冷える夜の砂漠とはいっても、異常な冷え込みようだった。
先ほどから、ちらりほらりと雪までが、舞っている。
しかし、恭平は立ち止まらない。
泰然とした足取りで、積もりつつある雪と、そこにある砂とを掻き分けて進む。
――ねぇ、一緒に、眠りましょう。
氷の娘達の一人が、その冷たい手で恭平の腕にそっと触れる。
外套と、その下に着込んだ野戦服をすり抜けて、傷だらけの恭平の肌へと。
凍傷を負った恭平の指先を愛おしそうに撫で、氷の掌で包み込む。
――ここは、とても、素晴らしいところなのよ。
別の一人が、恭平の首に手を回して、その頬に口付けをした。
数多の旅人を氷に閉ざしてきた口付けも、恭平の身体を止めるには至らない。
恭平の吐く息は白く、睫までもが凍り付いていたが。
吹雪の砂漠で、ただ前をじっと睨みつけながら、恭平は先を目指していた。
その心の奥底では、青白い炎が轟々と音をたてながら、燃えている。
――ツレナイ、人。
その言葉を境に、雪乙女達は抱擁をほどいていった。
氷精たちは一人、また一人と、恭平のそばを名残惜しそうに離れていく。
けして男が、自分たちのものにはならないのだと、気付いたのだ。
やがて、最後の一人が恭平の髪を撫で、離れて行った。
それと同時に、雪が吹き止み、夜の砂漠は本来の姿を取り戻す。
「……ここ、か。」
白い息を吐いて、恭平は呟いた。
晴れた視界の先に、鬱蒼と茂る密林。
そこは、砂漠の中に取り残されたオアシス。
強さに取り込まれ、道を誤った一匹の雄が、そこには居ると聞く。
頭からすっぽりと被っていた外套を脱ぎ、凍りついた髪の霜を払うと、恭平はその中へと立ち入っていった。
そう、伝説の眠る、太古の森の腕へと――。
-1-
「……ッ。」
思わず、声が漏れた。
木々の合間から流れ出す清流に手先を沈めて、凍傷に陥った指先をほぐしていく。
そこはすでに森の中。
死の砂漠とは一転して、森の中は生命の気に満ち満ちていた。
外が吹雪いていたとは思えないほどに森の中は暖かく、恭平は外套も脱ぎ去っていた。
肌はうっすらと汗ばんでいる。湿度も高く、空気の密度も濃い。
溶けた雪に濡れて体に張り付く上着も脱いで、それらを袋の中へとしまい込んだ。
「……?」
その動作の最中、恭平の瞳に不思議なものが映った。。
肌のいたるところに残る、霜焼けとなった跡。
それらが、大人になりきらない少女の手の平のような形をなしている。
たまさか、そのように映っただけか。
気を止めたのは一瞬だけ。
恭平は、常温の清水に浸した布切れで、全身を拭っていった。
背中や頬までも冷気にやられていたらしく、痛みとも痒みともとれない感覚がはしる。
手の平を開閉して、指先がある程度の感覚を取り戻したことを確認する。
短剣の柄を握り、それを抜き放ってみて、恭平はようやくその場を後にした。
夜目だけを頼りに、暗い森の中を進む。
あらゆる方角に、動物の気配を感じたが、彼らが恭平の前に姿を現すことはなかった。
下生えの草を踏みしめて、覆い茂る羊歯植物を短剣で切り払い、恭平は黙々と進んだ。
水の流れる落ちる音。
森を抜けると、そこには滝があり、なみなみとした水をたたえている。
「……こんな場所があったとは、な。」
どうやら、ここが砂漠と荒野との境目でもあるのだろう。
滝の先には渓谷が広がり、赤茶けた地肌が日の目を浴びていた。
ところどころには木々も生え、草一つ生えない砂漠とは一線を画した姿を晒している。
「……しかし。」
目当ての人物は、どこにいるのだろうか。
噂など当てにならないもの。ここに、伝説の某が滞在していると聞いたのだが。
「おいぃぃいぃぃぃぃぃ!!」
水のほとりで周囲を探る恭平の耳に、何者かのくぐもった叫び声が響いた。
咄嗟に振り向いた恭平の視線の先――。
「おめー、なにしてやがんだぁ!!」
それは、水の中から姿を現した――。
10041209 | Day18 -隠者- |
-0-
「……始めて、いいのか?」
なにやら揉めている様子の兵士達に、恭平は問いかけた。
派手な衣装を身に纏った隊長格の男は動かない。
少し奥まった場所の壁に背をもたれかけ、興味深そうにこちらの伺っている。
槍を手に、立ちはだかったのは男の部下であろう兵士達だ。
全身から緊張を漂わせ、穂先を油断なく恭平に向けて距離を詰めてくる。
あまり、練度は高くないようだ。
「ここを通すことはできません。」
兵士の一人が言った。できることならば、この言葉で立ち去って欲しい。
そういったニュアンスのこもった発言だ。
しかし、それに従うことはできない。彼らが知っているであろう情報をいただくまでは。
そして、隊長格の男の視線が物語っていた。
僕達は、君の敵だよ――と。
「……悪いが、その男に用があるんだ。」
兵士の肩越しに、男へと視線を投げやりながら恭平は答えた。
視線を受けた男は気だるそうな表情を崩すこともなく、その瞳の奥だけでニヤニヤと笑ってみせる。
それから、視線を外すと、手の平を振って兵士達に号令を下した。
「だぁぁ!!」
そういった指示に慣れているのだろう、茶髪の兵士が槍を突き出して恭平に突撃した。
直線的な攻撃を横の動きでかわして、恭平は先に立つ兵士に向かって走る。
短剣は既に抜かれていた。右手に短剣を、左手には白銀のワイヤーを掴んでいる。
正面に立つ黒髪が咄嗟に槍を突き出した。
穂先を紙一重で見切り、恭平はさらに肉薄する。
「うわっ!」
間合いに捉えた黒髪を、今まさに槍を繰り出そうとしていた青髪の兵士へと押しやった。
仲間を傷つけそうになった青髪は慌てて槍を引く、
天井の高い空間だったが、横にはさして広くもない回廊だ。
兵士達の手にする槍の性能を十二分に引き出すには向かない。
壁を蹴り、時には天井を伝い、ひたすらに動き続ける恭平を前に兵士達はかき乱されていた。
「このぉ!!」
力任せに突き出された黒髪の槍。
「なんだ?!」
それが、ピンと張り巡らされていたワイヤーを切断した。
薄暗い回廊の床に、壁に、天井に、恭平が動き回りながらもワイヤーを張っていたことに兵士達は気付いていない。
「うわぁ!!」
風切り音をあげて連鎖的に迸るワイヤーが兵士達を打った。
肌が裂けて闇の中に鮮血が舞う。
「く、くそ……!」
兵士達は反射的に顔を腕でかばっていた。その間に恭平は姿をくらましている。
天井近くにあいた横穴に身を隠したのだ。
男はその光景を安全な位置から一部始終見届けていたが、部下達に教えることはしなかった。
フェアではないからではない。面倒だったからだ。
ワイヤーの射程から逃れる為に、動かなければならなかった。部下達の不甲斐なさにため息をつく。
「……ど、どこに?」
背中合わせに槍の防衛陣を組みながら、兵士達は周囲を見回した。
薄明かりの中に浮かび上がるのは、ところどころ水に濡れて妖しく輝く石の壁。
恭平の姿はない。
「……。」
兵士の一人に向かって、恭平は石を投げつけた。
一度、壁に跳ねた石は、あらぬ方向から茶髪の兵士の額を打つ。
「そこか!」
額を押さえて蹲る茶髪の横で、青髪の兵士が槍を突き出した。
その足がワイヤーに絡め取られ、青髪はスッ転ぶ。
その青髪に引っ張られるようにして、さらなるワイヤーが兵士達の足に絡みついた。
「……。」
その光景を見届けて、恭平は音もなく横穴から飛び降りた。
闇に同化しながら、うろたえている兵士達に歩み寄る。
手には黒塗りの短剣。身体能力を奪う毒を塗りこめてあった。
もう一歩ほどで間合いに入るという距離で、兵士の一人がようやく鋼線の切断に成功した。
兵士達が立ち上がるのを、たっぷり時間をかけて待ち、恭平は彼らに向かい合った。
「……続けるのか?」
その言葉は、兵士達に向けられたものではない。
退屈そうに、鼻歌など口ずさんでいる隊長格の男に向けられたものだ。
その言葉にちらりと視線をこちらに向けて、男はまだ視線を外して作曲活動に戻った。
「……。」
肩をすくめて、恭平は再び短剣を構える。
「だぁぁ!!」
三人の兵士は同時に動いた。
下段、中段、上段からの連続攻撃。よく訓練された動きだった。
こんな時のために鍛錬に鍛錬を重ねていたのだろう。いままでで一番の動き。
それらの交錯する一点を見極めて、恭平は体をさばいた。
表皮を穂先が掠め、切り裂かれた肌から血が滲む。しかし、たいした傷ではない。
「……。」
槍の一本を掴み、茶髪の兵士を引き寄せた。
「ぐあぁ!!」
短剣を突き出し、その腹を抉る。臓器を避けて、痛みだけを与える刺し方だ。
茶髪の兵士は苦悶の呻きをあげて、腹を押さえながら床に倒れこんだ。
「くそっ!!」
倒された仲間を見て、青髪が怒りの雄たけびをあげた。
槍を捨てて、素手で殴りかかってくる。
恭平もまた短剣を茶髪の腹部に差し込んだままだった。
突き出される拳をさばきながら、青髪の足を払う。
掴まれた腕を支点に青髪の体が宙に浮いた。
「……お前は少し、眠ってろ。」
その無防備な青髪の胸に握り締めた拳を鉄槌の形に振り下ろす。
鈍い音をたてて、青髪の体が床に叩きつけられた。
衝撃に意識を刈り取られた青髪は、ぐったりと動くこともできず荒い息をついている。
「……あと、一人。」
予備の短剣を引き抜いて、恭平は黒髪に向き合った。
激しい運動のため、全身の傷が開き血が衣類を濡らしている。
昨日の戦いで負った傷が、まだ癒えていなかった。
「うわぁぁぁぁ!!」
自分を奮い立てる為の声を上げて、黒髪は槍を手に恭平へと飛び込んだ。
突き出された槍を短剣の背ではじき、次いで蹴り飛ばす。
手からはじかれた槍が宙を舞い、隊長格の男のすぐ横の壁へ突き立った。
「やるじゃん」
まだ震えるそれを見て、男は口笛を吹いた。
「くそっ!」
得物を失った黒髪は、最後の手段にと拳を振りかざす。
「ぐうぅッ!!」
それよりも早く、恭平の膝が黒髪の腹部に突き刺さった。
最初に倒された茶髪のように、黒髪も腹部を押さえて横になる。
「……さて、話しを聞かせてもらおうか。」
茶髪の兵士を、他の兵士の近くへと蹴り飛ばしながら、恭平は隊長格へと向き合った。
-1-
兵士を一掃されて、カリムは少し驚いた顔をした。
二十分そこそこの戦闘。一人の男に彼の部下達は倒されていた。
もう少しもつと思ったのだが、男の実力を計り損ねていたらしい。
部下達は致命傷を負わされず、力なくカリムの前に横たわっている。
一人だけ、腹部を刺し貫かれた兵士の出血がまずい具合だった。
毒の作用からか、傷口が緊張し出血が収まりつつあるので大丈夫とは思えるが。
「おぉすごいすごい、結構いい具合じゃん。」
壁を蹴って男の正面に立ち、先の道へと手を伸ばす。
男の問いかけに答える気は毛頭ない。
そんなに簡単に答えを教えては、面白くないから。
「行ってらっしゃいツワモノさん。」
カリムは嫌な笑顔を浮かべた。
本人はそれが最上の笑みだと思っているところが、なおさら性質が悪い。
男を祝福するように道の先を指し示し、左の道だよ、と正しい道を教える。
「頑張って宝玉集めてきてねー?」
その言葉を最後に、男に興味を失ったかのようにカリムは歩き始めた。
倒れている兵士達に歩み寄り、その衣類の端を手に掴む。
食い下がってくるかと思われた男だが、彼も疲れているらしい。
最初から手負いであることは分かっていた。
そんな状態の彼と戦ったところで、カリムにはなんの面白みもない。
それに兵士達との戦いで、男の実力は良く分かっていた。
つまらない相手だ。
どうせなら、もう少し美味しそうに育ってからいただきたい。
「それじゃ、僕はこの辺で♪」
荒い息をひた隠し平静を装っている傭兵の男を残し、
兵士達を引きずりながら、カリムは軽いステップで逆方向へと戻っていった。
「……始めて、いいのか?」
なにやら揉めている様子の兵士達に、恭平は問いかけた。
派手な衣装を身に纏った隊長格の男は動かない。
少し奥まった場所の壁に背をもたれかけ、興味深そうにこちらの伺っている。
槍を手に、立ちはだかったのは男の部下であろう兵士達だ。
全身から緊張を漂わせ、穂先を油断なく恭平に向けて距離を詰めてくる。
あまり、練度は高くないようだ。
「ここを通すことはできません。」
兵士の一人が言った。できることならば、この言葉で立ち去って欲しい。
そういったニュアンスのこもった発言だ。
しかし、それに従うことはできない。彼らが知っているであろう情報をいただくまでは。
そして、隊長格の男の視線が物語っていた。
僕達は、君の敵だよ――と。
「……悪いが、その男に用があるんだ。」
兵士の肩越しに、男へと視線を投げやりながら恭平は答えた。
視線を受けた男は気だるそうな表情を崩すこともなく、その瞳の奥だけでニヤニヤと笑ってみせる。
それから、視線を外すと、手の平を振って兵士達に号令を下した。
「だぁぁ!!」
そういった指示に慣れているのだろう、茶髪の兵士が槍を突き出して恭平に突撃した。
直線的な攻撃を横の動きでかわして、恭平は先に立つ兵士に向かって走る。
短剣は既に抜かれていた。右手に短剣を、左手には白銀のワイヤーを掴んでいる。
正面に立つ黒髪が咄嗟に槍を突き出した。
穂先を紙一重で見切り、恭平はさらに肉薄する。
「うわっ!」
間合いに捉えた黒髪を、今まさに槍を繰り出そうとしていた青髪の兵士へと押しやった。
仲間を傷つけそうになった青髪は慌てて槍を引く、
天井の高い空間だったが、横にはさして広くもない回廊だ。
兵士達の手にする槍の性能を十二分に引き出すには向かない。
壁を蹴り、時には天井を伝い、ひたすらに動き続ける恭平を前に兵士達はかき乱されていた。
「このぉ!!」
力任せに突き出された黒髪の槍。
「なんだ?!」
それが、ピンと張り巡らされていたワイヤーを切断した。
薄暗い回廊の床に、壁に、天井に、恭平が動き回りながらもワイヤーを張っていたことに兵士達は気付いていない。
「うわぁ!!」
風切り音をあげて連鎖的に迸るワイヤーが兵士達を打った。
肌が裂けて闇の中に鮮血が舞う。
「く、くそ……!」
兵士達は反射的に顔を腕でかばっていた。その間に恭平は姿をくらましている。
天井近くにあいた横穴に身を隠したのだ。
男はその光景を安全な位置から一部始終見届けていたが、部下達に教えることはしなかった。
フェアではないからではない。面倒だったからだ。
ワイヤーの射程から逃れる為に、動かなければならなかった。部下達の不甲斐なさにため息をつく。
「……ど、どこに?」
背中合わせに槍の防衛陣を組みながら、兵士達は周囲を見回した。
薄明かりの中に浮かび上がるのは、ところどころ水に濡れて妖しく輝く石の壁。
恭平の姿はない。
「……。」
兵士の一人に向かって、恭平は石を投げつけた。
一度、壁に跳ねた石は、あらぬ方向から茶髪の兵士の額を打つ。
「そこか!」
額を押さえて蹲る茶髪の横で、青髪の兵士が槍を突き出した。
その足がワイヤーに絡め取られ、青髪はスッ転ぶ。
その青髪に引っ張られるようにして、さらなるワイヤーが兵士達の足に絡みついた。
「……。」
その光景を見届けて、恭平は音もなく横穴から飛び降りた。
闇に同化しながら、うろたえている兵士達に歩み寄る。
手には黒塗りの短剣。身体能力を奪う毒を塗りこめてあった。
もう一歩ほどで間合いに入るという距離で、兵士の一人がようやく鋼線の切断に成功した。
兵士達が立ち上がるのを、たっぷり時間をかけて待ち、恭平は彼らに向かい合った。
「……続けるのか?」
その言葉は、兵士達に向けられたものではない。
退屈そうに、鼻歌など口ずさんでいる隊長格の男に向けられたものだ。
その言葉にちらりと視線をこちらに向けて、男はまだ視線を外して作曲活動に戻った。
「……。」
肩をすくめて、恭平は再び短剣を構える。
「だぁぁ!!」
三人の兵士は同時に動いた。
下段、中段、上段からの連続攻撃。よく訓練された動きだった。
こんな時のために鍛錬に鍛錬を重ねていたのだろう。いままでで一番の動き。
それらの交錯する一点を見極めて、恭平は体をさばいた。
表皮を穂先が掠め、切り裂かれた肌から血が滲む。しかし、たいした傷ではない。
「……。」
槍の一本を掴み、茶髪の兵士を引き寄せた。
「ぐあぁ!!」
短剣を突き出し、その腹を抉る。臓器を避けて、痛みだけを与える刺し方だ。
茶髪の兵士は苦悶の呻きをあげて、腹を押さえながら床に倒れこんだ。
「くそっ!!」
倒された仲間を見て、青髪が怒りの雄たけびをあげた。
槍を捨てて、素手で殴りかかってくる。
恭平もまた短剣を茶髪の腹部に差し込んだままだった。
突き出される拳をさばきながら、青髪の足を払う。
掴まれた腕を支点に青髪の体が宙に浮いた。
「……お前は少し、眠ってろ。」
その無防備な青髪の胸に握り締めた拳を鉄槌の形に振り下ろす。
鈍い音をたてて、青髪の体が床に叩きつけられた。
衝撃に意識を刈り取られた青髪は、ぐったりと動くこともできず荒い息をついている。
「……あと、一人。」
予備の短剣を引き抜いて、恭平は黒髪に向き合った。
激しい運動のため、全身の傷が開き血が衣類を濡らしている。
昨日の戦いで負った傷が、まだ癒えていなかった。
「うわぁぁぁぁ!!」
自分を奮い立てる為の声を上げて、黒髪は槍を手に恭平へと飛び込んだ。
突き出された槍を短剣の背ではじき、次いで蹴り飛ばす。
手からはじかれた槍が宙を舞い、隊長格の男のすぐ横の壁へ突き立った。
「やるじゃん」
まだ震えるそれを見て、男は口笛を吹いた。
「くそっ!」
得物を失った黒髪は、最後の手段にと拳を振りかざす。
「ぐうぅッ!!」
それよりも早く、恭平の膝が黒髪の腹部に突き刺さった。
最初に倒された茶髪のように、黒髪も腹部を押さえて横になる。
「……さて、話しを聞かせてもらおうか。」
茶髪の兵士を、他の兵士の近くへと蹴り飛ばしながら、恭平は隊長格へと向き合った。
-1-
兵士を一掃されて、カリムは少し驚いた顔をした。
二十分そこそこの戦闘。一人の男に彼の部下達は倒されていた。
もう少しもつと思ったのだが、男の実力を計り損ねていたらしい。
部下達は致命傷を負わされず、力なくカリムの前に横たわっている。
一人だけ、腹部を刺し貫かれた兵士の出血がまずい具合だった。
毒の作用からか、傷口が緊張し出血が収まりつつあるので大丈夫とは思えるが。
「おぉすごいすごい、結構いい具合じゃん。」
壁を蹴って男の正面に立ち、先の道へと手を伸ばす。
男の問いかけに答える気は毛頭ない。
そんなに簡単に答えを教えては、面白くないから。
「行ってらっしゃいツワモノさん。」
カリムは嫌な笑顔を浮かべた。
本人はそれが最上の笑みだと思っているところが、なおさら性質が悪い。
男を祝福するように道の先を指し示し、左の道だよ、と正しい道を教える。
「頑張って宝玉集めてきてねー?」
その言葉を最後に、男に興味を失ったかのようにカリムは歩き始めた。
倒れている兵士達に歩み寄り、その衣類の端を手に掴む。
食い下がってくるかと思われた男だが、彼も疲れているらしい。
最初から手負いであることは分かっていた。
そんな状態の彼と戦ったところで、カリムにはなんの面白みもない。
それに兵士達との戦いで、男の実力は良く分かっていた。
つまらない相手だ。
どうせなら、もう少し美味しそうに育ってからいただきたい。
「それじゃ、僕はこの辺で♪」
荒い息をひた隠し平静を装っている傭兵の男を残し、
兵士達を引きずりながら、カリムは軽いステップで逆方向へと戻っていった。