血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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04300128 | [PR] |
12062317 | Day22 -火花- |
-0-
焚き火を前にして、恭平が自然の椅子に腰掛けていた。
風が削りだした天然の腰掛。硬く、すわり心地は良くない。今は逆に、それが心地良い。
鮮やかな赤に、くすんだ金髪がきらめいている。
夜闇の中、踊る炎と金の輝きに誘われた羽虫が、その身を焔に舐められた。
消失。
抗いがたい誘惑。それは時として、身の破滅を招く。
「……。」
恭平は無言。ただ、ジッと岩に背をもたれかけて、時が過ぎるのを待っている。
身体を休めているのとは、違う。時の経過、ただそれだけを求めた行動の発露。
時間への抗い。
まるで、岩と一体化したかのように、目を閉じ、息さえも殺して。
時が過ぎ去ることを祈るその姿は、黙祷する僧侶にも似ている。
「……。」
火にくべられた枯れ木の爆ぜる音。
小うるさい虫たちの鳴き声。
谷の合間を吹き過ぎてゆく風の囁き。
偽りの空には星のドーム。藍色と空色の合間をぬって、星が流れた。
それさえも、偽り。本物とそう大して差のない。
手を伸ばそうと届くことはない偽りの空。触れもせず真偽を確かめることは、可能か。
――ここが地下であるという、証左はどこにあるのか?
意識下での自問自答。
答えを知りたがっている。その為に必要なもの。情報。触れられる真実。
いまだ、確証的な手がかりはない。
広大な遺跡の探索。砂漠に落ちた針を探すのに等しい行為。
冒険者の間でまことしやかに囁かれる噂。宝玉の存在。
手に入れたものに力を与える。エデンの園の禁断の実。
力を求める者たちにとって、抗いがたい誘惑。
「……時間、か。」
思考を打ち切って、恭平は目蓋を上げた。
焦げ茶色の瞳が、炎の赤を吸い取って深紅に燃えている。
頬に二条の古傷。恭平の生きた証。人生の証左。
革の手袋をはめた右手で、傷跡を撫でる。
岩に触れていた手は冷たい。心地よい感触。火の熱に火照った身体。
冷たい夜から、身を守る術。炎。人類の英知。
猿と人間の境。火の克服。恐怖を押さえつける理性。
それを教えてくれたもの。神にも等しい。
彼女が残した傷跡。
「……。」
静かに指先を離す。
恭平の冷ややかな眼差しの奥に、何かが揺れて、消えた。
「……行こう。」
傍らのナップサックから一欠けらのレーションを取り出して口に放り込む。
時間をかけず咀嚼して、嚥下する。
次いで、取り出した水筒から、キャップ一杯分の水分を補充。
全てをリュックサックに押し込んで、準備完了。
地図も荷物とともに中へ。周囲の地形は全て頭に叩き込んである。
目的地への経路も、また。
岩から腰をあげる。時との戦いを共にした同志との別れ。
砂を蹴り、焚き火に被せて消す。辺りが闇に閉ざされる。自然にあるべき姿。
それに抗う光――火の灯されたランタンを右手に、肩をリュックに背負った。
そして、恭平は歩き出す。
手にしたランタンだけが寄る辺となる、冒険者たちの荒れ野へと。
-1-
短剣が一閃。絡みあう蔦の断線――切れ切れとなって森の緑に呑まれる。
道がひらける。恭平だけの道、獣も他の冒険者も通っていない。
それだけに、越え難い道のり。
荒れ野の果て。谷の出口。入り口と同じように広がった森。
冒険者さえも呑みこもうかという森のただなか。
恭平は独り、侵攻する。
張り出した木々の枝。天然のバリケードを短剣で薙ぎ払う。
同様の行為を繰り返しながら先へ。
蹴り破り、掻い潜り、断ち切り、跳躍する。
自然との戦い。進んだ距離に比例する時間の経過。
迫る夕闇。夜の森――危険な場所。
視界の悪化。空を覆い隠す木々の屋根。月明かりが差し込む隙間もない。
手にしたランタンと、自身の夜目を頼りにして進む。
兵の潜む薄野を進むように、一歩一歩、慎重に。
次の瞬間、命がここにある確証はどこにもない。
指先で世界を感覚しながら進む。同時に、全方位に向けられた聴覚。
野生さながらの超感覚。恭平たちが持たなければ、生き延びられなかったもの。
世界と彼らを取り結ぶ、唯一の武器。
「……この、匂い。」
反応したのは、嗅覚。
思わず、呟いていた。
花の香り、人の香り、甘い――菓子の香り。
はるか遠方から漂っている。この森に立ち入って初めての気配。
ココヤシの実が放つ、独特の匂い。
わずかに混じる、水の香り。
「……あれ、は。」
香りを辿り、木々の合間を抜けて、恭平は先を目指した。
闇の中に、進むべき道が描かれている。
――幻視。
踏みしめられた大地。張り巡らされたテント。賑やかな男たちの哄笑。
女たちの高い笑い声。男たちは傭兵として戦場に出。女たちはキャンプを守る。
別々の戦場に生きる人々。
すでに過ぎ去った彼らの横を通り抜け、恭平はそれを見つけた。
「……また、ここか。」
かがり火と花。敷き詰められた花々の合間に集う人々。その影。
幻視と現実とが溶け合い、混ざり合う。
屈強な男たちが、逞しい女たちが、影の人々と重なり消えた。
甘い香りが漂う。
「……ありがとう、だいじょぶよ。」
少年の声。ゆらりと炎が揺れて、小さな少年の姿を浮かび上がらせる――その声の、持ち主。
手首や肩に残った擦り傷。人為的な損傷。
ジェスチャーをまじえながらそれらをさすり、何者かに大したことはないとアピールをしている。
「……あの子は。」
恭平のつぶやき。
既視感。この空間の中心にあの子供がいるのだという、錯覚。あながち、間違いではない。
急速に浮かび上がる人々。薄れゆく影。退く、闇。
強まる花の香り。人々は手に手に、花を掴んでいる。
あるものは愛おしそうに、またあるものは違う感情を込めて。
空間を包む空気。祭り前の、そのムード。
炎から人々に火種が配られる。さらに空間を明るく照らし出す、カンテラの群れ。
集う人々にも似て多種多様。世界中のあらゆる形を集めたかのような。
「……久しぶり、か。」
境界に立ち、周囲を見渡す。映り込む見知った顔たち。
「いよいよお祭りだねえ。灯りと花の用意はだいじょぶかしら?」
その中を行き来する少年。
恭平も見知った娘と、穏やかな顔の老婆に傷の手当を受ける。
くすぐったそうなその笑顔。
灯りに惹かれるようにして、次々と心配そうに少年のもとへ訪れる人々。
――その逆も、また。
準備に勤しむ人々の手元を覗き込む少年。――好奇心の塊。
ティカティカ。少年の名。不思議な響き。
「それすてきねえ! 中の……。」
風に運ばれてくるティカの驚いた声。
向き合って微笑む女傭兵の姿。フォーマルハウト・S・レギオン。
一時共闘した仲。恭平と同じ匂いの女。
真面目すぎるその切れ長の眼が、少年に対して細められている。
傭兵らしからぬ優しい表情。女の一面性。
「……仲間たちが作ってくれたのです。」
珍しがる冒険者たちに対しての、女傭兵の説明。
少年に向けられるものとは、また別種の慈しみ。仲間。その価値。
「虚構のものかもわかりませんが、水は水……。」
その手の中で揺れるホルダー。そのさらにうちで、ゆらゆらとゆれる立方体。
風の噂――宝玉。その正体。場に混じる、水の香り。
恭平の眼が、鋭く細められる。思案気な、戦略家の面持ち。
一瞬で消失する戦士の顔。ここには無粋な、望まれざる一面。
境界は、既に越えている。
「……少し、邪魔をするとしよう。」
恭平は、ふっと口元を緩める。身に纏った空気が、和らぐ。
周囲との同化。
影と光が交錯する世界の中へ踏み出す。右手にはランタン。
恭平の手にに、まだ花はない。
音楽がかき鳴らされている。冒険者たちの即興歌。
それに背を押されるようにして、積み上げられた花々の間へと歩みだしていた。
何の為に。
ただ一つ、自分だけの花を探して――。
焚き火を前にして、恭平が自然の椅子に腰掛けていた。
風が削りだした天然の腰掛。硬く、すわり心地は良くない。今は逆に、それが心地良い。
鮮やかな赤に、くすんだ金髪がきらめいている。
夜闇の中、踊る炎と金の輝きに誘われた羽虫が、その身を焔に舐められた。
消失。
抗いがたい誘惑。それは時として、身の破滅を招く。
「……。」
恭平は無言。ただ、ジッと岩に背をもたれかけて、時が過ぎるのを待っている。
身体を休めているのとは、違う。時の経過、ただそれだけを求めた行動の発露。
時間への抗い。
まるで、岩と一体化したかのように、目を閉じ、息さえも殺して。
時が過ぎ去ることを祈るその姿は、黙祷する僧侶にも似ている。
「……。」
火にくべられた枯れ木の爆ぜる音。
小うるさい虫たちの鳴き声。
谷の合間を吹き過ぎてゆく風の囁き。
偽りの空には星のドーム。藍色と空色の合間をぬって、星が流れた。
それさえも、偽り。本物とそう大して差のない。
手を伸ばそうと届くことはない偽りの空。触れもせず真偽を確かめることは、可能か。
――ここが地下であるという、証左はどこにあるのか?
意識下での自問自答。
答えを知りたがっている。その為に必要なもの。情報。触れられる真実。
いまだ、確証的な手がかりはない。
広大な遺跡の探索。砂漠に落ちた針を探すのに等しい行為。
冒険者の間でまことしやかに囁かれる噂。宝玉の存在。
手に入れたものに力を与える。エデンの園の禁断の実。
力を求める者たちにとって、抗いがたい誘惑。
「……時間、か。」
思考を打ち切って、恭平は目蓋を上げた。
焦げ茶色の瞳が、炎の赤を吸い取って深紅に燃えている。
頬に二条の古傷。恭平の生きた証。人生の証左。
革の手袋をはめた右手で、傷跡を撫でる。
岩に触れていた手は冷たい。心地よい感触。火の熱に火照った身体。
冷たい夜から、身を守る術。炎。人類の英知。
猿と人間の境。火の克服。恐怖を押さえつける理性。
それを教えてくれたもの。神にも等しい。
彼女が残した傷跡。
「……。」
静かに指先を離す。
恭平の冷ややかな眼差しの奥に、何かが揺れて、消えた。
「……行こう。」
傍らのナップサックから一欠けらのレーションを取り出して口に放り込む。
時間をかけず咀嚼して、嚥下する。
次いで、取り出した水筒から、キャップ一杯分の水分を補充。
全てをリュックサックに押し込んで、準備完了。
地図も荷物とともに中へ。周囲の地形は全て頭に叩き込んである。
目的地への経路も、また。
岩から腰をあげる。時との戦いを共にした同志との別れ。
砂を蹴り、焚き火に被せて消す。辺りが闇に閉ざされる。自然にあるべき姿。
それに抗う光――火の灯されたランタンを右手に、肩をリュックに背負った。
そして、恭平は歩き出す。
手にしたランタンだけが寄る辺となる、冒険者たちの荒れ野へと。
-1-
短剣が一閃。絡みあう蔦の断線――切れ切れとなって森の緑に呑まれる。
道がひらける。恭平だけの道、獣も他の冒険者も通っていない。
それだけに、越え難い道のり。
荒れ野の果て。谷の出口。入り口と同じように広がった森。
冒険者さえも呑みこもうかという森のただなか。
恭平は独り、侵攻する。
張り出した木々の枝。天然のバリケードを短剣で薙ぎ払う。
同様の行為を繰り返しながら先へ。
蹴り破り、掻い潜り、断ち切り、跳躍する。
自然との戦い。進んだ距離に比例する時間の経過。
迫る夕闇。夜の森――危険な場所。
視界の悪化。空を覆い隠す木々の屋根。月明かりが差し込む隙間もない。
手にしたランタンと、自身の夜目を頼りにして進む。
兵の潜む薄野を進むように、一歩一歩、慎重に。
次の瞬間、命がここにある確証はどこにもない。
指先で世界を感覚しながら進む。同時に、全方位に向けられた聴覚。
野生さながらの超感覚。恭平たちが持たなければ、生き延びられなかったもの。
世界と彼らを取り結ぶ、唯一の武器。
「……この、匂い。」
反応したのは、嗅覚。
思わず、呟いていた。
花の香り、人の香り、甘い――菓子の香り。
はるか遠方から漂っている。この森に立ち入って初めての気配。
ココヤシの実が放つ、独特の匂い。
わずかに混じる、水の香り。
「……あれ、は。」
香りを辿り、木々の合間を抜けて、恭平は先を目指した。
闇の中に、進むべき道が描かれている。
――幻視。
踏みしめられた大地。張り巡らされたテント。賑やかな男たちの哄笑。
女たちの高い笑い声。男たちは傭兵として戦場に出。女たちはキャンプを守る。
別々の戦場に生きる人々。
すでに過ぎ去った彼らの横を通り抜け、恭平はそれを見つけた。
「……また、ここか。」
かがり火と花。敷き詰められた花々の合間に集う人々。その影。
幻視と現実とが溶け合い、混ざり合う。
屈強な男たちが、逞しい女たちが、影の人々と重なり消えた。
甘い香りが漂う。
「……ありがとう、だいじょぶよ。」
少年の声。ゆらりと炎が揺れて、小さな少年の姿を浮かび上がらせる――その声の、持ち主。
手首や肩に残った擦り傷。人為的な損傷。
ジェスチャーをまじえながらそれらをさすり、何者かに大したことはないとアピールをしている。
「……あの子は。」
恭平のつぶやき。
既視感。この空間の中心にあの子供がいるのだという、錯覚。あながち、間違いではない。
急速に浮かび上がる人々。薄れゆく影。退く、闇。
強まる花の香り。人々は手に手に、花を掴んでいる。
あるものは愛おしそうに、またあるものは違う感情を込めて。
空間を包む空気。祭り前の、そのムード。
炎から人々に火種が配られる。さらに空間を明るく照らし出す、カンテラの群れ。
集う人々にも似て多種多様。世界中のあらゆる形を集めたかのような。
「……久しぶり、か。」
境界に立ち、周囲を見渡す。映り込む見知った顔たち。
「いよいよお祭りだねえ。灯りと花の用意はだいじょぶかしら?」
その中を行き来する少年。
恭平も見知った娘と、穏やかな顔の老婆に傷の手当を受ける。
くすぐったそうなその笑顔。
灯りに惹かれるようにして、次々と心配そうに少年のもとへ訪れる人々。
――その逆も、また。
準備に勤しむ人々の手元を覗き込む少年。――好奇心の塊。
ティカティカ。少年の名。不思議な響き。
「それすてきねえ! 中の……。」
風に運ばれてくるティカの驚いた声。
向き合って微笑む女傭兵の姿。フォーマルハウト・S・レギオン。
一時共闘した仲。恭平と同じ匂いの女。
真面目すぎるその切れ長の眼が、少年に対して細められている。
傭兵らしからぬ優しい表情。女の一面性。
「……仲間たちが作ってくれたのです。」
珍しがる冒険者たちに対しての、女傭兵の説明。
少年に向けられるものとは、また別種の慈しみ。仲間。その価値。
「虚構のものかもわかりませんが、水は水……。」
その手の中で揺れるホルダー。そのさらにうちで、ゆらゆらとゆれる立方体。
風の噂――宝玉。その正体。場に混じる、水の香り。
恭平の眼が、鋭く細められる。思案気な、戦略家の面持ち。
一瞬で消失する戦士の顔。ここには無粋な、望まれざる一面。
境界は、既に越えている。
「……少し、邪魔をするとしよう。」
恭平は、ふっと口元を緩める。身に纏った空気が、和らぐ。
周囲との同化。
影と光が交錯する世界の中へ踏み出す。右手にはランタン。
恭平の手にに、まだ花はない。
音楽がかき鳴らされている。冒険者たちの即興歌。
それに背を押されるようにして、積み上げられた花々の間へと歩みだしていた。
何の為に。
ただ一つ、自分だけの花を探して――。
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