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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :07/16/04:05

10022323 Day20 -残影-

   -0-


 鍛錬を欠かすことはできない。
 そして、最も有効な鍛錬とは実戦だ。恭平は常々、そう思っている。

 戦場の風を肌で感じ、自分の力量を見極めてこそ、次に目指すところが見えてくる。
 何が足りていないか、自分の強みは何なのか、それを知らなくてはならない。

 だからこそ、恭平は戦いを求めていた。
 実戦の回数は限られている。冒険者を相手とした練習試合が必要だった。

 同様の考えを持つものは多く、この島のいたる場所にそんな冒険者の集まる場所が合った。
 遺跡へと続く山道の中腹にある、少し開けた森の広場もその一つだ。

 かつて何らかの建物があったのだろう、地面は綺麗にならされところどころから煉瓦が露出している。
 動きやすく、戦いやすい場所だった。

「……誰もいない、か。」

 恭平は戦いを求めてそこへやって来た。

 しかし、運の悪いことに誰もいないらしい。日に何度となく、誰かしらが訪れていると聞いたのだが。

「待とう……。」

 時間はたっぷりある。そのうちに誰かやってくるだろう。
 そう考えて、恭平は待つことにした。

 おあつらえ向きに、かつての建物の外壁が腰掛けるのに丁度いい高さとなって残っている。
 まだ時刻は昼過ぎ、人が本格的に行動を開始するのはこれからかもしれない。

「……。」

 風が吹いている。木々の擦れ合う音や、動物達の足音、鳥の囀りを聞きながら、恭平は時間を過ごしていた。
 どれぐらいたったのだろう。さほど、時間は経っていなかったかも知れない。

 何者かの気配が、近づきつつあった。

「……きたか。」

 足音は軽い。体重をまるで感じさせない。気配も希薄だ。
 だが、何か秘めたるものを感じる。

 それに、ここへ用があるような人間など冒険者以外にはいない。

 島の住民には忘れ去られたような場所なのだ。

「……誰か、いますか?」

 ほどなくして、姿を現したのは若い男だった。年の頃、二十代後半。
 年齢の割には老練さを臭わせる落ち着きをもっている。

 制服に身を包む様は整っており、挙動からは訓練された人間のそれが見受けられる。

 軍属か――。その外的要因から、恭平はそう判断した。
 見た目は人間。しかし、これだけ近くに立っているというのに人らしい気配がない。

 むしろ、シャルロットや以前戦った少女のように、この世にあらざる者に近しい。

 彼はすぐに恭平の存在に気付いたようだった。

「あなたも練習試合の方でしょうか?」

「……ああ。」

 男の問いかけに答えながら、恭平は立ち上がった。
 軽いストレッチで筋肉をほぐしながら、男へと歩み寄り向かい合う。

「僕はカルハ。準備は……よいみたいですね」

「……さっさと始めよう。恭平だ。」

 簡単な自己紹介を最後に、二人の男はバッと距離を置いた。

 場の空気が入れ替わり、周囲から動物達が逃げていく。

 そこは戦場と化した――。


   -1-

「よろしくお願いします!」

 声を張り上げ、カルハは相手の男を見た。

 軍属か、傭兵か。かつて、戦場で生きたカルハの良く知る人種を思わせる屈強な男。
 印象だけで判断するなら、手練のようだった。

 気を引き締めてかからなければ――。

「っとりあえず!!」

 自分の体の在り方を意識して、周囲との融和を高める。
 実体化を保ったまま存在を揺らがせることは難しいが、少しはコントロールが可能だ。

 相手の目には、突然、カルハの身体が揺らめきだしたかのように映るだろう。
 技術や魔術の類ではないため、そう簡単に看破できるものではない。

 続いて、気を集中させて身体の霊的な力を引き出しにかかる。
 現実の肉体を持たないカルハだが、実体化している間は物理法則に影響される。

 その実体を構成する零体を気で強化したのだ。
 これで、普段よりも激しい攻防に耐えられるはずだった。

 普段の練習どおりに、ここまでを瞬間でやってのける。

 あとは最後の総仕上げだ。

 強化によってバランスの崩れた自己を捉え、集中力を高めることで引き絞っていく。
 人としての輪郭が整い。カルハははっきりと実体化した。

 大地を強く踏みしめ、相手を見る。

「……いくぞ。」

 恭平が地面を蹴った。目を見張るような加速。

 慌ててカルハもその場を飛びのいた。

「……ついてこい。」

 恭平がさらに大地を蹴る。その強さに、土が弾け飛んだ。
 カルハの横を通り抜け、その前に立つ。

 速かった。およそ、カルハの知る中でも群を抜いて。

 単純な身体能力によるものではない。なんらかの技術がそこに介在しているのは明らかだ。
 自分自身が体得していない以上、それがなんであるかははっきりとしない。

 そういえば、仙人は一歩で千里を駆けると聞いたことがあるな。ふとそんな考えが脳裏に浮かんだ。

 狭い空間だが、恭平はそこを自由自在に動き回っていた。
 視線で追うのがやっとだ。下手に動き回るよりも、恭平の動きに合わせた方が得策かもしれない。

 恭平は一定の速度で動きながら、既に得物を抜き放っている。
 ときおり、その姿が霞んで見えるのはどうしてか。

 カルハは警戒心を強くしながら、拳を軽く握り締めた。


   -2-


「……こちらからいくぞ。」

 恭平の姿が掻き消えた。

 いや、煉瓦の床を蹴り、さらに石壁を蹴ったところまでは知覚できていた。
 ただカルハの身体が、その動きに反応ができなかっただけだ。

 まるで極限まで引き絞られた弓弦から放たれた矢のように、恭平は襲い掛かった。
 狙いは違わず、その手にした短剣はカルハの肩を貫いた。

 貫いたその手に感じた妙な感触に、恭平は一瞬外したのかと思ったが。
 短剣は確かにカルハの肉を貫いている。

 短剣からカルハの生命力と魔力とが、恭平の体へと吸い込まれていった。

 一瞬の消失感と、肩を焼く痛みとに顔をしかめながら、カルハは眼前の恭平を蹴り飛ばした。
 その一撃を空いた右腕でガードしながら、勢いは殺しきれず恭平は後ろに跳んだ。カルハの右肩から短剣が引き抜かれる。引き抜き様に振りぬかれた切っ先がカルハの頬に傷をつけた。

 確かにぱっくりと開いた傷口から血が流れないのを恭平ははっきりと見た。
 

 恭平が体勢を崩しているうちに追撃を仕掛けようとしてカルハは強引に踏み込んだ。

「くぅ……。」

 後ろ足で強く地面を蹴り、弧を描くように中空で蹴りを放つ。そのままの勢いで、反転し地面に着地した。ムーンサルトと呼ばれる大技だ。

 しかし、痛みから踏み込みが浅く、見切られてしまった。

 本来ならば顎を打ち抜き、その脳さえも揺さぶったであろう一撃だが。
 ほんの少し、恭平の顎を掠めるに止まっている。

「シッ」

 着地の瞬間が、逆にチャンスを与えてしまっていた。

 鋭い踏み込みと同時に、短剣が二度、つきこまれる。
 咄嗟に腕を前に出し、刃先を逸らすことに成功した。だが、短剣の刃はカルハの腕に傷を増やす。それとは別の、熱さがカルハの体に襲い掛かってきた。

 毒だ。短剣に塗り込められた毒が、カルハの体へと侵入しようとしている。

「え?!」

 体内に侵入した異物を取り除こうとして、カルハは軽度のパニックに襲われた。
 考えがまとまらず、いたずらに気力だけを消耗してしまう。

 落ち着こうとすればするほど、妙な焦燥感に駆られてしまった。

 咄嗟に、腕の先にあるであろう恭平の身体めがけて全力でぶつかっていった。
 重い衝撃。カルハの右肩は恭平の右胸に突き当たった。

 ヒュウ、と音を立てて恭平の肺から息が吐き出される。それだけの衝撃が恭平の胸元を襲ったのだ。

 無理やり息を吐き出されて、恭平も意識の集中を断ち切られた。
 
 お互いが喘ぐように息をしながら、攻撃の応酬を繰り返す。

 カルハが突き出した拳をはじき、恭平が短剣を繰り出すと、カルハがそれを蹴り上げた。
 宙を舞った短剣をカルハは掴み、恭平へと投擲する。飛来した短剣を指先で挟みとめ、再びその柄を恭平は握り締めた。

 恭平は握り締めた柄からワイヤーを引き放つ。

「……いくぞ。」

 銀糸が閃いた。編み上げられた鋼線の束が、カルハの身体に打ち付けられる。
 最も重く鋭い最初の一撃は、胸元から袈裟懸けに衣服を弾けさせ、その下の肌にも裂傷を残していった。

 恭平が短剣の柄を振るう。

 一度通り過ぎていったワイヤーが唸りを上げて再びカルハへと襲い掛かる。
 咄嗟に半身になったカルハの目の前をワイヤーは通り過ぎた。地面にぶつかって跳ね上がってきたワイヤーを同様にしてかわす。

 よくよく見れば避けることができないほどの技ではない。

 三度目の一撃も寸前でかわそうとカルハは動いた。

 その瞬間、恭平はワイヤーを操作してその軌道を捻じ曲げた。

「くっ。」

 より軌道が複雑になったワイヤーがカルハの周囲をうねり飛ぶ。

 その全てを回避することは不可能だった。

「流石です……!」

 全身を傷だらけにして、カルハはどうにかその包囲網から抜け出した。
 すでに恭平はワイヤーを柄の中に巻き取っている。

 負けじとカルハは恭平に襲い掛かった。


   -3-


「……うーむ、成仏しそう……。」

 すでに技を繰り出すほどの気力は残っていない。

 冗談交じりにカルハは目を細めながら、恭平を見た。
 相手も満身創痍だが、まだ何かを繰り出してきそうな予感がする。

 いつもならば、カルハとて戦闘中にある程度の気力を回復させることができるのだが。
 恭平から与えられた毒の為に、気が思うように体内を巡らずそれができずにいた。

 技を奪われた冒険者など、ただの力自慢でしかない。
 それを嫌というほど自覚させられている。

「単純な力なら、負けないはずなんだけどな。」

 呟いて、拳を開いて掌を前に構えた。

 恭平が大地を蹴った。すでに目は慣れたが、その速度は凄まじい。
 あっという間にカルハの前に到達する。恭平は短剣を振るった。

 まるで、魚を捌く料理人のように軽やかな動き。瞬間、三度も短剣は閃いた。

 それを真正面から打ち落として、合間を縫うようにカルハも一撃を繰り出した。
 移動力ではかなわずとも、手数でなら勝負ができるはずだった。

 互いに息も忘れて攻撃を繰り返す。

「……ハッ!」

 息を吐いて、恭平の一撃が放たれた。
 力のこもった鋭い一撃だ。

「……甘いです……ッ!!」

 それだけに、読みやすい一撃だった。
 砂の中の黄金が煌いているように、良い一撃であるだけに目立ってしまった。

 下からすくい上げるようにして腕の軌道をそらし、反対の肘を恭平の頭にたたきつけた。
 こめかみが裂け、噴出した血が恭平の顔を赤く染めあげる。

「……やるじゃないか。」

 視線を戻してカルハを見やりながら、恭平はニィッと笑みをうかべた。

 怖い。

 自分でやったことながら、相手の表情に怯えがはしった。

「……お返しだ。」

 隙を突いて、短剣の柄がカルハの頬に叩きつけられた。
 足が宙に浮き、地面へと体が叩きつけられる。全身が痺れるような一撃だった。

「……傷は浅くない。もう、それ以上。動くな。」

 短剣を鞘に収めて、顔の血を拭いながら恭平が言う。

 言われなくても、カルハは動けないのだが。もはや実体を維持することも難しい。

「ま、不味い、このままだと消え……。」

 保てなかった。言葉も最後まで発することができず、カルハの姿が溶けるように掻き消える。

「な……?」

 消えた対戦相手のいた辺りを見て、恭平は唖然とした。
 なるほど、気配が薄いわけだ。よもや、亡霊と戦っていたとは。

「……まったく、油断のならない島だ、な……。」

 苦笑して、血で固まった服を脱ぎ、恭平はその場を後にした。

 おそらく、まだそこらにいるであろうカルハに「またな。」と言い残して。
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10022321 Day20 -砂漠-

   -0-


 青白い月の澄ました横顔を見上げながら、恭平はよく冷えたウォッカを喉に流し込んだ。
 冷凍庫で冷やされた北方の酒は、液体でも固体でもない不思議なとろみをたたえ、食道をするりと潜り抜けていく。

 その感触を楽しんでいると、瞬間、空腹に近い胃がカーッと熱くなった。

「……ふん」

 場所は屋根の上。ビュウビュウと吹き付ける風は冷たく、季節の変わり目を恭平に知らせている。
 ほんの少し前まで汗ばむような陽気だったというのに、舞台は夏から秋へと移り変わろうとしていた。

 南方に位置する偽りの島に四季があるというのが、どことなく不思議に思える。

 大勢の冒険者の流入によって雑多な慣習の持ち込まれたこの島は、いまひとつの祭りで盛り上がっていた。

 それを、誰が伝えたのか恭平は知らない。

 それは、彼の祖母にあたる女性の祖国で行われていた行事にもよく似ている。

 なんでも、月を見上げながら酒を飲み、団子を食むのだという。
 残念なことに、恭平の手元に団子はなかったが。

「……なるほど。風流なものだ……」


 時として、そのようなよしなしごとを楽しむのも悪くはない。
 都合のよいことに、譲り受けた酒が冷凍庫の中に冷やされたままであった。

 そうして、月を見ている。

 確かに、魅入るほどに美しい澄んだ月だった。
 先日の嵐の影響か、空もまた澄んでいる。月を見るには良い日だろう。

 今頃、この島に息づく冒険者の多くが、恭平と同じように空を見上げているのだろう。
 その証拠に、いつもは閉じられている家々の窓が今日は大きく開け放たれている。

 月を見て、町を見て、また月を見て、恭平は残りの酒を一気に流し込んだ。
 火酒とも称されるウォッカだが、一杯程度で酩酊するほど恭平は酒に弱くない。

 登っていた屋根の上を澱みなく歩き、天窓から室内へと戻った。

 そこは恭平が寝床としているアトリエの二階にあるさして広くもない部屋だ。
 必要最低限の設備と、前の借主が残したやたらと乙女趣味な家具で埋め尽くされている。

 居心地は悪くないのだから、眠れさえすればいい。
 そんな、恭平の無頓着さがよくなかったのだろう。

 女性らしさと無骨な空気とが入り混じり、すっかり妙な空間になってしまっていた。

 その中で恭平の荷物はといえば、ほんの片隅に申し訳程度に積まれているものだけだ。
 その多くは、この島の遺跡で手に入れた拾得物だった。

 テーブルの上には短剣が用途別に並べられ、諸々の道具がその脇に整頓されている。

 無駄に大きい丸石が漬物石よろしくチェストの上に転がされ、
 入り口に程近い床の上に魔法樹の欠片や腐りかけの丸太が無造作に積み上げられていた。

「……」

 それらを一瞥して、恭平は椅子に引っ掛けてあったジャケットを手に取り、袖を通す。
 この島に来てこのジャケットに袖を通すのは久々だ。

 夏場は出番のなかった装備も、これからは必要となってくるだろう。

 無骨なバックルで腰を締め、鞘を吊り下げて短剣を納めた。
 その鉈にも似た大振りな短剣は覆い茂る植物を断ち切り道を作るためにも使用する。

 比較的小ぶりな投擲剣は、外からは見えないよう各所に携帯した。

「……行くか」

 食料と水の詰まったナップサックに地図を押し込め、それを肩に担いだ。

 扉を開け、階段を下って通りに出る。
 日付はすでに変わっているが、酒宴に興じる冒険者たちが静まるにはまだ早い時間だ。

 通りに面した酒場からは、陽気な歌声や吟遊詩人の歌うサーガが漏れ聞こえていた。

 それらに背を向けるようにして、遺跡へと向かう道を進む。

 狭い路地を抜けて山道に入り、かつて男装の女や外道の僧侶と戦った階段を登り、
 少しばかりの時間をかけて遺跡の入り口に辿り着いた。

 島でも高い場所に位置する遺跡の入り口からは、街の灯り良く見えた。
 遠くに煌々と燃えている炎は、漁師たちの放つ漁火だろう。

「……次は、冬か」

 最後にもう一度、月をサッと見上げて、恭平は遺跡へと続く階段を下っていった。

 その先には、月にも似て妖しい輝きを放つ魔法陣がある。



   -1-


 砂漠には様々な顔がある。焦熱地獄と評するにふさわしい昼の顔。
 そして、死の砂漠と呼ぶべき夜の顔、と。

 ほんのわずかな樹種を除いて、ぺんぺん草も生えない砂の海は寒暖の差が激しい。

 ローブを頭からすっぽりと被り、吹き付ける砂に耐えながら恭平は足を進めていた。
 口の中で砂がじゃりじゃりと嫌な音をたてる。

 しかし、それを吐き出そうとすれば、より砂を含んでしまうことになるのだ。
 目と口元を隠しながら、風の向きに対抗するようにして進む。

 気温は零下。容赦ない冷気が、体温を奪おうと押し寄せる。

 いっぱしの術師が見れば、夜だけの天下を謳歌する氷の精たちが飛び交う光景でも見えるのだろうが、
 そのような技術も才能ももたない恭平にとってはただの自然現象だ。

 その為か、不思議と氷の精たちも恭平を避けて飛んだ。

 半端に彼女たちを見てしまった男たちが、寓話のように氷の口付けによって命を落としてしまうのだろう。

 恭平は静かに静かに歩を進める。不用意に砂漠の生き物を刺激しないためだ。

 砂漠の生き物たちは、気温の下がる夜を中心に活動する。
 寒さには耐えることができても、日中の高熱に耐えることのできるものは少ない。

 だから、彼らは日中を冷たい砂の下で過ごすのだ。
 表面は触れれば火傷を負うほどに熱せられる砂だが、その下層は意外なほどに涼しい。

 ここが通常の砂漠であるのならば、生き物の危険など自然の猛威に比べれば些細なものだったが、
 人を遥かに凌駕する巨大な生物が闊歩するこの遺跡では話しが別だ。

 いわゆる“砂走り”のように、地中から獲物を丸呑みにしてしまう地中生物が生息しているとも限らない。
 慎重になりすぎるということはないのだ。

 恭平が知る限りでも、蟹、ラクダ、クラゲ、貝と様々な怪物がここには息づいている。

 本来の住人は彼らであり、恭平は侵入者でしかない。

「……ちぃ」

 押し殺すようにして呼吸をしていた恭平が、砂地に入って初めて呻きを漏らした。

 シャラシャラと砂を鳴らす音。
 何かが砂を押しのけて、地上を目指す音だ。

 それが徐々に大きくなり、徐々に近づいてきている。

 その数、三つ。

 運悪く、彼らの寝床に踏み込んでしまったらしい。

 砂にかけられた僅かな荷重。それによって、獲物の到来を知ったのだろう。

「……」

 急ぎ口元を布で覆い、それを軽くしばることによって固定した。

 荷を放り、油断なく周囲を見渡しながら、指先は短剣の柄に触れさせる。

「……くる」

 布に遮られたくぐもった声をあげて、恭平は地面を蹴った。

 地面が崩れようとしている。

 砂を掻き分けて、恭平を取り囲むように3つの何かが姿を現そうとしていた。

10022320 Day19 -手記-

   -0-


 陽だまりのアトリエ。ガラス越しに差し込む太陽光で暖かに照らされたテラス席。
 籐編みの椅子に腰をかけて、男は本に視線を落としていた。

 ネイビーの色が濃いジーンズ。集中力を高めるためか、普段はかけないメガネをしている。
 普段着ではないホワイトシャツはパリッと洗濯され、石鹸の香りを漂わせていた。

 そこは戦場からは程遠い楽園に近い場所。
 ここに居るときは、戦場を忘れる。それが、彼女との約束だ。

 ガラス張りのテラスは温室にもなっていて、その周りを彩るように植栽がなされている。
 機械的ではない手作業の跡がうかがえ、それらを施した人間の愛情が伝わってくるかのようだ。

 赤青黄色の色彩豊かな花々、青々と茂った緑葉樹。
 作業はまだ途中であるらしく、腐葉土の袋が隅に高々と積まれているのはご愛嬌だろうか。

 ハラリとまた1ページを読み進め、男は泥のようなコーヒーを啜った。
 朝からこうしてずっと、本を読んでいる。

『――この本を読んでみてよ!!』

 ふっと、本を男に押し付けた少女の言葉が脳裏に蘇った。

 本はもともと、このアトリエにあったもの。興味をもたない男には発見できなかったものだ。
 彼女はそれを、掃除の最中に見つけたらしい。

 著者は女。男はその女のことを、何も知らない。
 ただ、少女はよく知る人物であるようだ。

 男がここに戻ってきたとき、彼女は懐かしむようにその本を読んでいた。
 椅子にチョコンと腰掛けて、ジッと本を読む姿は普段の印象とは違って面白いものだったが。

 その後、顔を真っ赤にした少女に本を押し付けられて、
 その言葉に逆らうこともできず、男は今の今まで本を読み続けていたのだ。

 シャワーを浴び、泥と汗と血に塗れた服を着替えることを優先させたが、それからずっと、だ。

 本の内容は、男に理解のできるものではなかった。

 一人の女の探索日誌とでもいうのか。
 文章は淡々としており、その著者を想像させるようなものではない。

 女性自身に関わらないこと。他の冒険者に関する一文には、温かみが感じられた。
 その中には、少女のことも記されている。

 かつて、このアトリエに集った者たちの思い出だ。
 それを覗き見ることは、申し訳のないことのように思え、男はその部分は読み飛ばした。

 遺跡でのできごと。戦い方。
 ところどころには女とも思えない内容が記載されている。

 まるで兵法書だな……。

 そういった箇所の詳細さに男は舌を巻いた。

 また1ページ、読み進める。

『瞬速料理技法に関する考察と挑戦』

 そのページの表題には、そう記されていた。

 男の目がハッと見開かれる。

 少女には感謝しなければならないのかもしれない。
 男が求めるもの、それが、そこにあった。

「……試してみる価値は、ありそうだ」

 そこで栞を挟み、男は本を閉じた。

 椅子から立ち上がり、空を眩しそうに見上げる。
 
 どうやら、忙しい一日になりそうであった。

10022319 Day18 -迅雷-

10022317 Day18 -雪国-

時は遡る


   -0-


 息を切らせながら、男は月明かりも差さない森の中を、西へ西へと急いでいた。

 暗いため判然としないが、その全身は血に赤黒く濡れている。
 その大半が、男の体から流れ出したものだ。

 狡猾な彼らは、男に反撃する余力があると見て取ると、即座に身を翻した。
 一人にこそ重傷を負わせたものお、ほとんどがかすり傷のようなものだ。

 背中と、右の太もも、左の頬に、大きく生々しい傷跡が露となっている。
 幾度かの乱戦により、衣服は乱れ、もはや衣類としての機能を果たしていない。

 雪の積もる季節には厳しい格好だった。
 流れ出る血液が、吹き付ける寒風が、男から体力と体温を奪い去っていく。

 足をもつれさせ、倒れそうになりながら、それでも男は走り続けていた。
 だが、無常にも追っての足音は着かず離れず、彼の後を影のように追いかけてくる。

 狡猾な彼らは、ときおり距離を詰め男に襲い掛かった。
 そして、その度にまだ反撃する余力があると見てとると、すぐにその身を翻したのだ。

 かろうじて一人の男に深手を負わせたが、ほとんどがかすり傷のようなものだ。
 いったい何人が追ってきているのか、それすらも分からない。

「……くそ……はぁはぁ……まだ、ダメなんだ……。
 いま、死ぬわけには……ダメだ……今は、まだ……」

 追っ手の影に怯え、唇を紫に色に変色させながら、男は熱病に侵された患者のように、
 死ねない、死ねないとだけ繰り返し呟いていた。

 その腕には大事そうに一通の封筒を抱いている。
 これを奪われれば終わりだ。男の決断も何もかもが、水泡に帰してしまう。

 男を送り出すために命を落とした仲間たちにも顔向けができない。

「あ……ぐぅっ……」

 男の足が、雪に埋もれていた木の根を引っ掛けた。

 傾ぐ上体を保つこともできず雪の上に倒れこみ、そのままの勢いでごろごろと雪の絨毯の上を転がる。
 同時に、追っ手たちの足音も止まった。男が力尽きたかどうか、見定めようとしているのだろう。

 幸か不幸か、柔らかな雪がクッションとなって倒れたことそのもののダメージはない。
 しかし、疲れきった身体が一度止まってしまった。立ち上がろうと手を突っ張って力を込めようとするが、まるで自分の身体ではないようにふにゃふにゃとして力が入らない。

 そうこうしている間に、運動によって保たれていた体温が、山脈から吹き降ろす雪混じりの風によって奪われていく。

 もはや、限界だった。心より先に、肉体が限界を迎えてしまったのだ。

「……う……あぁ……」

 歯の根をガチガチと震わせ、言葉にならない呻きをあげて、それでも男は立ち上がろうと雪を掻いた。
 柔らかな雪はシャリシャリと音を立てて削れるが、それだけだ。

 一瞬の後には、その跡も新しい雪に覆われて消える。

 男の上にも、すでに雪が積もり始めていた。

 寒い――頭の中がはっきりとしない。考えが像を結ばない。
 男は、行かなければならないのに。

 どこへ――?

 その答えが分からない。焦燥と、寒さと、恐怖とが、男を蝕んでゆく。

「……頃合のようだな」

 かろうじて機能していた耳が、追っ手たちの囁きを拾った。
 しかし、それは男にとって死の宣告でしかない。

「……すま……ない……すま、ない……」

 約束を、果たせなかった。
 悔恨と、自分の不甲斐なさに流れる涙が、出る端から凍りつき、男の眦に張り付いた。

 もはや、痛みもない。凍傷を起こしているのだ。

 追っ手たちの足音が、迫る。

「……お前は、何だ?」

 そして、男から随分と離れた場所で止まった。

 視界の狭くなった男の眼前に、毛皮で覆われたブーツが映っている。
 誰かが、男のすぐ前に立っているのだ。

 追っ手ではない。彼らの装備は全て、雪上専用の真っ白なバトルスーツで統一されている。

「……あんたの花嫁は、チキン・ドリトルのスープを温めて待っている。
 ……済まないな。遅くなってしまった……」

 『何者か』は、追っ手たちの問いかけを無視してしゃがみ込み、男の耳元で呟いた。
 
 男と仲間が組織との間で定めた暗号だ。彼は、仲間なのだ。
 違う意味で涙が流れた。

「……」

 声は出ない。どうにか唇だけを震わせて、男は彼に伝えようとした。

「……分かった。必ず、届けよう」

 それを解したのか、彼は頷いてみせる。そして、封筒を受け取った。
 男は確かに渡した。役割を、果たしたのだ。

 その代償は余りにも大きかったが、最後の表情は穏やかだった。


   -1-


「それを、渡してもらおうか」

 追っ手の数は三人。どれも、正式な雪上訓練を受けた屈強な男たちだ。
 ゴーグルとマスクに覆われて表情は釈然としないが、張り詰めた緊張が伝わってくる。

 こちらを推し量っているのだ、と知れた。

「……断る、と言ったら?」

 受け取った封筒を、懐に収めながら恭平は立ち上がった。
 全身、真っ白な追っ手たちに対し、こちらは闇に溶け込むような黒。

 口元を覆うマスクだけが白い。

「その男と同じ、末路を辿ることになる」

 言いつつも、男たちは三方向に別れ、恭平を取り囲もうと動き出している。
 喋っているのは前に立つ男だけだ。

 こいつがリーダー格なのだろう。

「彼には、不幸なことをした。しかし、仕方のないことだ。
 裏切り者は処罰しなければならない」

「……」

「そうだろう? でなくては、規律は保たれない。
 本来、君には関係のない話しだ。それを渡せば、何もしない」

 口調は穏やかだが、その影には鋼の冷たさが隠されている。
 雪山の風ほどに研ぎ澄まされた、鋭利な殺意だ。

 職業的な殺し屋。単なる兵士ではない。

「……それもそうだな、俺には関係ない」

 フッと笑って、恭平は腕を広げてみせる。
 面倒に巻き込まれた、俺も苦労しているんだ。そういったジェスチャーだ。

 そして、懐に手を入れて封筒を取り出してみせる。

「もの分かりが良くて助かる。では、渡してもらおうか」

 拍子抜けしたのだろう、苦笑しつつリーダー格の男が一歩、恭平に近づいた。

 本人に自覚があったのかどうか。

「だが、断る」

 その胸に、短剣が突き立っていた。

「……がっ……ぼっ……」

 口元のマスクを血に汚して、リーダー格の男が反射的に喉を押さえる。

 短剣は臓器にまで達している。まずは、一人。

「貴様!!」

 同時に、左右に陣取っていた男たちが動き出した。
 瞬時に動けるだけの訓練を積んでいる。いい兵士たちだ。

「……」

 紋章の削り取られた短剣を引き抜き肉薄する左の男に対して、
 隊長格を手繰り寄せて、放り出す。

 正面から隊長格の重みを受けて、左の男はたたらを踏み後退した。

「くそっ!」

 右の男は、左のほど反応が良くなかった。
 この三人の中で最も経験が浅いのだろう。

 ベテランとひよっ子。小隊としてはよくある組み合わせだ。
 ひよっ子はベテランの背を見て育ち、いつしかひよ子どもの世話をするベテランとなる。

「……あ」

 突き出された短剣を握る手の甲をトンと叩き、狙いを逸らしざまに腹部へと拳を見舞う。
 対衝撃吸収剤で覆われた男たちの身にまとうスーツには効果的といえない一撃だ。

 しかし、動きやすさを求めた結果。脇腹の一部分にはまったく防御機構が備わっていない。
 それが弱点だ、ということを事前の資料によって恭平は学習していた。

「かひ……」

 溜まった息を強制的に搾り取られ、若い男は身体をくの字に折り曲げて悶絶した。
 空気の中でおぼれるのは想像以上に辛いものだ。

 流れるような動きで、予備の短剣を引き抜き、喉を切り裂いた。

 雪を鮮血に染め上げて横たわる彼が、ベテランになる日は永久にこない。

「く、くそ……!!」

 冷たくなりつつある隊長格の身体を押しのけて、最後の一人は恭平に背を向けた。

 勝てないと判断して、情報を持ち帰ることを優先したのだろう。
 悪くない判断だ。存在を知られるの、知られないのでは動きやすさが大きく違う。

 だからこそ、知られるわけにはいかない。

「逃げ出す前に仕留めなさいと、教えたでしょう?」

 一本の大木を横切ろうとした瞬間、にゅっと雪のように白い腕が伸びて逃げ出した男の顎を掴んだ。
 次の瞬間には、ゴキリと鈍い音とともに男の首はあらぬ方向を向いている。

 トサッと人が倒れたにしては軽い音を立てて、彼の身体は雪の上に横たえられた。

「戻ったら、反省ですからねぇ。さあ、帰りましょう」

 そう言って、彼女は雪上を軽やかに歩き始めた。

 恭平はその後に続く。

 男たちの亡骸は、春が来るまで見つかることもないだろう。

 そして、この国に春が来ることはもうないのだ。

 永遠に。