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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :05/08/06:02

10022317 Day18 -雪国-

時は遡る


   -0-


 息を切らせながら、男は月明かりも差さない森の中を、西へ西へと急いでいた。

 暗いため判然としないが、その全身は血に赤黒く濡れている。
 その大半が、男の体から流れ出したものだ。

 狡猾な彼らは、男に反撃する余力があると見て取ると、即座に身を翻した。
 一人にこそ重傷を負わせたものお、ほとんどがかすり傷のようなものだ。

 背中と、右の太もも、左の頬に、大きく生々しい傷跡が露となっている。
 幾度かの乱戦により、衣服は乱れ、もはや衣類としての機能を果たしていない。

 雪の積もる季節には厳しい格好だった。
 流れ出る血液が、吹き付ける寒風が、男から体力と体温を奪い去っていく。

 足をもつれさせ、倒れそうになりながら、それでも男は走り続けていた。
 だが、無常にも追っての足音は着かず離れず、彼の後を影のように追いかけてくる。

 狡猾な彼らは、ときおり距離を詰め男に襲い掛かった。
 そして、その度にまだ反撃する余力があると見てとると、すぐにその身を翻したのだ。

 かろうじて一人の男に深手を負わせたが、ほとんどがかすり傷のようなものだ。
 いったい何人が追ってきているのか、それすらも分からない。

「……くそ……はぁはぁ……まだ、ダメなんだ……。
 いま、死ぬわけには……ダメだ……今は、まだ……」

 追っ手の影に怯え、唇を紫に色に変色させながら、男は熱病に侵された患者のように、
 死ねない、死ねないとだけ繰り返し呟いていた。

 その腕には大事そうに一通の封筒を抱いている。
 これを奪われれば終わりだ。男の決断も何もかもが、水泡に帰してしまう。

 男を送り出すために命を落とした仲間たちにも顔向けができない。

「あ……ぐぅっ……」

 男の足が、雪に埋もれていた木の根を引っ掛けた。

 傾ぐ上体を保つこともできず雪の上に倒れこみ、そのままの勢いでごろごろと雪の絨毯の上を転がる。
 同時に、追っ手たちの足音も止まった。男が力尽きたかどうか、見定めようとしているのだろう。

 幸か不幸か、柔らかな雪がクッションとなって倒れたことそのもののダメージはない。
 しかし、疲れきった身体が一度止まってしまった。立ち上がろうと手を突っ張って力を込めようとするが、まるで自分の身体ではないようにふにゃふにゃとして力が入らない。

 そうこうしている間に、運動によって保たれていた体温が、山脈から吹き降ろす雪混じりの風によって奪われていく。

 もはや、限界だった。心より先に、肉体が限界を迎えてしまったのだ。

「……う……あぁ……」

 歯の根をガチガチと震わせ、言葉にならない呻きをあげて、それでも男は立ち上がろうと雪を掻いた。
 柔らかな雪はシャリシャリと音を立てて削れるが、それだけだ。

 一瞬の後には、その跡も新しい雪に覆われて消える。

 男の上にも、すでに雪が積もり始めていた。

 寒い――頭の中がはっきりとしない。考えが像を結ばない。
 男は、行かなければならないのに。

 どこへ――?

 その答えが分からない。焦燥と、寒さと、恐怖とが、男を蝕んでゆく。

「……頃合のようだな」

 かろうじて機能していた耳が、追っ手たちの囁きを拾った。
 しかし、それは男にとって死の宣告でしかない。

「……すま……ない……すま、ない……」

 約束を、果たせなかった。
 悔恨と、自分の不甲斐なさに流れる涙が、出る端から凍りつき、男の眦に張り付いた。

 もはや、痛みもない。凍傷を起こしているのだ。

 追っ手たちの足音が、迫る。

「……お前は、何だ?」

 そして、男から随分と離れた場所で止まった。

 視界の狭くなった男の眼前に、毛皮で覆われたブーツが映っている。
 誰かが、男のすぐ前に立っているのだ。

 追っ手ではない。彼らの装備は全て、雪上専用の真っ白なバトルスーツで統一されている。

「……あんたの花嫁は、チキン・ドリトルのスープを温めて待っている。
 ……済まないな。遅くなってしまった……」

 『何者か』は、追っ手たちの問いかけを無視してしゃがみ込み、男の耳元で呟いた。
 
 男と仲間が組織との間で定めた暗号だ。彼は、仲間なのだ。
 違う意味で涙が流れた。

「……」

 声は出ない。どうにか唇だけを震わせて、男は彼に伝えようとした。

「……分かった。必ず、届けよう」

 それを解したのか、彼は頷いてみせる。そして、封筒を受け取った。
 男は確かに渡した。役割を、果たしたのだ。

 その代償は余りにも大きかったが、最後の表情は穏やかだった。


   -1-


「それを、渡してもらおうか」

 追っ手の数は三人。どれも、正式な雪上訓練を受けた屈強な男たちだ。
 ゴーグルとマスクに覆われて表情は釈然としないが、張り詰めた緊張が伝わってくる。

 こちらを推し量っているのだ、と知れた。

「……断る、と言ったら?」

 受け取った封筒を、懐に収めながら恭平は立ち上がった。
 全身、真っ白な追っ手たちに対し、こちらは闇に溶け込むような黒。

 口元を覆うマスクだけが白い。

「その男と同じ、末路を辿ることになる」

 言いつつも、男たちは三方向に別れ、恭平を取り囲もうと動き出している。
 喋っているのは前に立つ男だけだ。

 こいつがリーダー格なのだろう。

「彼には、不幸なことをした。しかし、仕方のないことだ。
 裏切り者は処罰しなければならない」

「……」

「そうだろう? でなくては、規律は保たれない。
 本来、君には関係のない話しだ。それを渡せば、何もしない」

 口調は穏やかだが、その影には鋼の冷たさが隠されている。
 雪山の風ほどに研ぎ澄まされた、鋭利な殺意だ。

 職業的な殺し屋。単なる兵士ではない。

「……それもそうだな、俺には関係ない」

 フッと笑って、恭平は腕を広げてみせる。
 面倒に巻き込まれた、俺も苦労しているんだ。そういったジェスチャーだ。

 そして、懐に手を入れて封筒を取り出してみせる。

「もの分かりが良くて助かる。では、渡してもらおうか」

 拍子抜けしたのだろう、苦笑しつつリーダー格の男が一歩、恭平に近づいた。

 本人に自覚があったのかどうか。

「だが、断る」

 その胸に、短剣が突き立っていた。

「……がっ……ぼっ……」

 口元のマスクを血に汚して、リーダー格の男が反射的に喉を押さえる。

 短剣は臓器にまで達している。まずは、一人。

「貴様!!」

 同時に、左右に陣取っていた男たちが動き出した。
 瞬時に動けるだけの訓練を積んでいる。いい兵士たちだ。

「……」

 紋章の削り取られた短剣を引き抜き肉薄する左の男に対して、
 隊長格を手繰り寄せて、放り出す。

 正面から隊長格の重みを受けて、左の男はたたらを踏み後退した。

「くそっ!」

 右の男は、左のほど反応が良くなかった。
 この三人の中で最も経験が浅いのだろう。

 ベテランとひよっ子。小隊としてはよくある組み合わせだ。
 ひよっ子はベテランの背を見て育ち、いつしかひよ子どもの世話をするベテランとなる。

「……あ」

 突き出された短剣を握る手の甲をトンと叩き、狙いを逸らしざまに腹部へと拳を見舞う。
 対衝撃吸収剤で覆われた男たちの身にまとうスーツには効果的といえない一撃だ。

 しかし、動きやすさを求めた結果。脇腹の一部分にはまったく防御機構が備わっていない。
 それが弱点だ、ということを事前の資料によって恭平は学習していた。

「かひ……」

 溜まった息を強制的に搾り取られ、若い男は身体をくの字に折り曲げて悶絶した。
 空気の中でおぼれるのは想像以上に辛いものだ。

 流れるような動きで、予備の短剣を引き抜き、喉を切り裂いた。

 雪を鮮血に染め上げて横たわる彼が、ベテランになる日は永久にこない。

「く、くそ……!!」

 冷たくなりつつある隊長格の身体を押しのけて、最後の一人は恭平に背を向けた。

 勝てないと判断して、情報を持ち帰ることを優先したのだろう。
 悪くない判断だ。存在を知られるの、知られないのでは動きやすさが大きく違う。

 だからこそ、知られるわけにはいかない。

「逃げ出す前に仕留めなさいと、教えたでしょう?」

 一本の大木を横切ろうとした瞬間、にゅっと雪のように白い腕が伸びて逃げ出した男の顎を掴んだ。
 次の瞬間には、ゴキリと鈍い音とともに男の首はあらぬ方向を向いている。

 トサッと人が倒れたにしては軽い音を立てて、彼の身体は雪の上に横たえられた。

「戻ったら、反省ですからねぇ。さあ、帰りましょう」

 そう言って、彼女は雪上を軽やかに歩き始めた。

 恭平はその後に続く。

 男たちの亡骸は、春が来るまで見つかることもないだろう。

 そして、この国に春が来ることはもうないのだ。

 永遠に。
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