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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :07/20/08:27

06240157 Day06 -夢片-

   -0-


 夢を見ている。何度となく、繰り返し見る夢。
 青さの残る青年であった頃の記憶。忘れたくて、忘れられない思い出。

 それは――彼女との決別の時。


 色鮮やかな原生林の姿が、ありありと浮かびあがる。
 恭平はまだ二十歳にもなっていなかった。

 風切り音を残して、短剣は恭平の左頬を掠めて過ぎ去っていった。
 傷は深く、生涯、消えることはないだろう。しかし、致命傷ではない。

 恭平は、この戦いを生き残ってしまった。

 これから半年に渡って、恭平は己の罪に悩まされることとなるのだ。

「……何故だ」

 問いかけに彼女は微笑んでみせる。

 その急所に、恭平の放った投擲剣が突き立っていた。

 彼女に遅れて投じた、最後の一本。かわせない一撃ではなかったはずだ。

 しかし、彼女は避けなかった。

 恭平に余力はない。避けていれば、彼女の勝ちだった。

 それなのに――。

「何故、だ!!」

 言葉を荒らげ、恭平は再度問いかける。

 もはや自力で立つこともままならず、彼女は背を木立に預け、荒い息をついていた。
 恭平が与えた傷は、即座に命を落とすようなものではない。

 しかし、傭兵としての経験が告げている。

 彼女はもう、助からない。

「……本当に、強くなりましたわねぇ」

 彼女はいつもと変わらない言葉で、恭平に声をかけた。

 いつものように請け負った任務。
 密林へ逃亡した諜報員を、探し出して消すだけの容易い任務。

 そのはずだった。

 だが、諜報員を追い詰めた恭平の前に立ちはだかったのは、
 彼にそれを命じた彼女に他ならない。

 同じ技を使い、同じ癖を持つ、二人。自然、その戦いは激しいものとなった。

「……早く、手当てを」

 無駄と知りながらも、恭平はそうせずにはいられない。

 彼がこの世界に足を踏み入れて七年。ずっと共にあった彼女だ。

 郷里に残してきた実の家族を別として、世界で唯一人、心を許せる家族と思っていた。

 その彼女が、死ぬ。

「ふふ、やめなさい。……分かって、いるんでしょう?」

 歩み寄る恭平を手で制して、彼女は続ける。

「……そろそろ、その甘さは、捨てなくては、ねぇ」

 微笑みながら、手を伸ばして恭平の左頬に、触れた。

 自らがつけた傷跡を、愛おしげにそっと撫でる。

「何故だ……」

 頬に触れる彼女の手の平が、徐々に熱を失っていくのを肌に感じながら、恭平は言葉を搾り出す。

 その言葉は、勝利者にしては力ない。

 まるで、今にも泣き出しそうな子供の声だ。

「私を、倒した男が……そんな、顔を、するものでは、ありませんよぅ」

 失血からか顔は色を失って、精彩を欠いている。

 しかし、その表情は誇りと充足感に満ち満ちていた。

「……勝手な女で、ごめんなさいね」

 苦しげにたどたどしく言葉を紡ぐ彼女を、恭平は見ているしかない。

 死神の足音は、着実に彼女の元へと忍び寄っていた
 
 もはや、逃れる術はない。己の無力さに、恭平は歯噛みする。

「だけれど……今ならば、子を思う母の気持ちが、私にも、分かる……」

 頬に触れていた手を恭平の首に回して、そっと抱き寄せる。
 まるで子を抱く母のように。

 彼女はかつてないほどに溢れる、暖かな感情を胸に感じていた。

「……」

 言葉もなく、恭平はされるがままとなっている。
 恭平が目標とし、愛した彼女が、死ぬ。

 その現実は、恭平を打ちのめしていた。

 後に戦場の死神と恐れられる恭平だが、この時ばかりは年齢相応の若者だった。

「……あなたは、私の、最高の、教え子。
 ああ……もう、目も、掠れて、見えない……」

 彼女の言葉が弱まっていく。
 その視線が焦点を失い、うまく定まることができていない。

 ただ、漠然と恭平を見ている。

「……確かめ、たかったの。私の……生きてきた、意味を……。
 ……お願い、よく……顔を見せて……私の、息子……」

 もう、死が近い。

 まだまだ、たくさんのことを伝えたかった。

 薄れゆく意識の中で、彼女は思う。

「……ありがとう。私の、全ては……いつもの、場所に……」

 それが彼女の最後の言葉だった。


 これは夢。忘れたくて、けして、忘れられない記憶。

 彼が愛した彼女の、思い出――。


   -1-


「くそ……」

 目覚めて恭平は、その頬を伝う涙を拭い払った。
 彼が流す唯一の涙。もはや、涙など枯れ果てたと思っていたのに。

 この身体も、ときおり、その機能を思い出すらしい。

 部屋の片隅の水桶からすくった水で顔を洗い、外階段を伝って下へと降りる。

 二階は寝るためだけの空間らしく、ほとんど何の設備もない。
 かつて、アトリエとして使われていたらしい一階部分には、様々な設備が整っていた。

 鐘の取り付けられた扉を押し開け、島へ来た日からまったく変化のない室内へと入る。

 奥の厨房には、調理器具などがそのままとなっており、
 見つけたインスタントコーヒーを沸かしたお湯で適当に溶かして、テーブルに付いた。

 地図を広げて、これからの一進一退を考える。

「……今の俺では、侵攻速度をあげるわけにもいかない、か」

 コーヒーを一啜り。

 安物のコーヒーは、泥水のようなと表現されるが、
 文字通り泥水を啜ってきた恭平にとって、それは上質な部類に含まれる。

 疲れた身体に、コーヒーの苦味が嬉しかった。

「……ん?」

 ふと、外に何者かの気配を感じて、恭平は顔をあげた。

 次の瞬間――。

「恭子さんっ!!」

 扉を バァン と撥ね開けて、一人の少女が室内へと飛び込んできた。

 赤味がかった髪をした、活発そうな少女。

 かつて、登録所で恭平に視線を送っていた少女だ。
 冒険者だろう。

「あ……、恭平、さん……」

 思い人とは違う恭平の姿を認め、少女は呆然と呟く。
 笑顔が引っ込み、おどおどとした居心地の悪さが表面上に現れた。

 どちらかといえば、この場所はこの少女に似つかわしいのだが。

 じっと見つめていると、俯きがちだった顔をあげて、セリーズは話しだした。

「……すみませんでした。急に飛び込んできてしまって……。
 ここが、前に島に探索に着ていた時、親しくしてくれた人が使っていたアトリエだったので……。
 その人を探していたんですが、どこにもいなくて……。
 それで、此処に来た時人影が見えたもので、つい……」

 よほど、その人物のことを慕っていたのだろう。
 恭子といったか――彼女がこの場所にいないことの哀しみが、その視線に見てとれる。

 ズキリ と、恭平の中の何かが傷んだ。

 彼女は、この場所にはいない。

「私はセリーズって言います。ここにいた、恭子さんと呼ばれていた、鳴尾恭平という人。
 多分恭平さんは何度か誰かに尋ねられたんじゃないかと……、恭平さんとその人、雰囲気が似てますから」

 恭平と同姓同名の別人。

 いったいどのような人物であったのか、少し興味を惹かれた。
 同じ場所に暮らすのも奇縁だろう。

 その女は、何を思い、この島へとやって来たのだろうか。

「遺跡に入る前……、恭平さんのことを一度見かけたんです。
 それで仲間とも気になるって話をしていて……」

 恭平と出会った一部の冒険者は、似たようなことを言った。

 ここでもまた、自分ではない誰かへ向けられた視線。
 むず痒くも、嫌ではない。

「悪いが……人違いだ」

 それだけを言って、恭平は再び作業に戻る。

「あ……」

 所在なげに、セリーズは室内に取り残された。
 どうしていいのか分からずに、どぎまぎとしている。

「……何をしてる?」

 そんなセリーズに、再び恭平は振り向いて問いかけた。

「え、あ……その……」

 ここにいてはいけないのだろうか。

 恭平の態度に、拒絶されたような気がして、セリーズはうろたえた。
 元来、人からのそういった態度には慣れていないのだ。

「適当に座れ。……飲み物は、自分で勝手に用意しろ」

 だが、恭平の言葉はつっけんどんではあるが、拒絶とは違ったニュアンスのものだった。

 それは、彼なりの優しさなのだろうか。

 出て行けとは言わず、ただ好きにしろと言っている。。

「は、はい!」

 慌てて、セリーズは厨房に飛び込んだ。

 勝手知ったる場所だ。あの人と、一緒に料理をしたり、ケーキを焼いたりした。
 思い出が溢れ出て泣きそうになる。

 一緒に買い物に出かけて買った、オレンジペコ―。

 みんなとお揃いのカップに、サッと煮出したものを注ぎいれる。

 香りたつ紅茶を手に室内へと戻ると、恭平は地図に視線を落としたまま同じ場所に腰掛けていた。

「あの……私、ここに居ても、いいんですか?」

 紅茶を淹れて来て、いまさらこの質問もないだろうとは思ったが、
 つい、口から言葉が零れ落ちてしまう。

「思い出の場所なのだろう? ……好きに過ごしていくといいさ。」

 眉のひとつも動かさず、背中を向けたままの恭平から返答があった。

 そう言われたセリーズは心なしかほっとする。

 そして、お邪魔しますと改めて断った後、リゼットと二人でよく座った窓際の席に腰を落ち着けた。
 そこにいる人物は違うが、ここは何も変わらない。

 セリーズのうちに、一度、島を去るまでに此処で過ごした思い出が溢れだしていた。
 どうしてだろう、恭子のことを思い出せば思い出すほど、恭平が彼女と重なって見えるのだ。

 不思議に思いながら、セリーズはカップに唇を近づけた――。
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06140008 Day06 -外道-

   -0-

 恭平は夜を待って動き出した。

 島の人々も寝静まるころ。

 帰還したばかりの冒険者たちは酒場に集い、冒険話に華を咲かせている。

 しかし、そのような賑わいは一角のこと。

 闇の中を行く恭平の姿を、月明かりと一羽のフクロウだけが見ていた。

 目指すは遺跡へと通じる魔法陣。

 遺跡に侵入するためには、誰しもがそこを経由しなければならない。

「……誰だ」

 拠点から歩いて四半時、遺跡へと続く緩やかな坂道に、何者かの影があった。

 チリン

 鈴の音が、恭平の言葉に呼応するように鳴る。

「……今宵は……良い月です」

 男であった。

 恭平には意をはらわず、赤いバスタオルを肩にかけて月をみあげている。

 その身にまとう気には修験者の厳があり、だがしかしどこか濁ってもいた。

 その男が手にするのは錫杖ではなく、子供の頭も一度で割れそうな大鉈である。

「良い月は、宵月。……こんな、良い夜は殺し合いをしたくなる。……違いますか?」

 紅く煌く月を背に、振り向いた男は言う。

 その瞳は、どぶのように濁っていた。

「……道を、踏み外したか」

 ときおり、いるのだ。

 自然の中に眠る神秘的な存在を信じ、それに近づこうと打ち込む者の中に、

 艱難辛苦の果て、望もうと望むまいと、別の世界を覗いてしまう者が。

 輪廻の六道。

 この男が覗いたのは、どのような世界であるのか。

「……あなたは、よさそうだ」

 男が嗤う。

 その笑みは、獣にも似て、飢えに、飢えている。

「いざ、尋常に……参ります」

 大鉈を振りかざして、男は跳躍した。


   -1-


 振り下ろされる大鉈の刃を、恭平は飛びずさってかわした。

 足場の悪い坂道だ。

 下手に動けば、すぐそこには崖がある。

「……いくぞ」

 このときには、恭平も短剣を引き抜いている。

 視線に力を混め、放つのは殺意。

 殺意に飲み込まれた獲物は、蛇に睨まれた蛙も同然。

「……ふふ」

 だが、その強烈な圧迫感を前に、男は微笑んで見せた。

 狂気に飲まれた人間には、効果が薄いらしい。

「憤然たれば必勝なりぃぃぃぃぃ」

 どこにそんな力があるのか、大鉈は縦横無尽に振るわれる。

 恭平の短剣同様、十分な厚みと重さを兼ね揃えた刃だ。

 切れ味を犠牲にして、破壊力を増してある。

 一撃をまともに受ければ、肉が割れ、骨は砕ける。

「……ちぃ」

 その猛撃を避けるように、恭平は藪の中へと突っ込んだ。

 肌を切る葉を歯牙にもかけず、木々を蹴って跳躍する。

 右から左へ、左から右へ。

 ガサガサと揺れる草葉だけが、恭平の居場所を知っている。

「……逃げますか、いいでしょう」

 狂人もまた、藪の中へと足を踏み入れた。

 大鉈を振るい、道を切り開く。

 ガサリ と、その頭上で葉が揺れた。
 それとともに感じる殺意。

「そこですか!」

 しかし、振り上げられた必殺の刃は宙を切った。

 断ち切られた枝葉が虚しく宙を舞う。

「……どこを見ている」

 音は誘い。

 引っ掛けたワイヤーを用いて、枝葉を揺らして見せたに過ぎない。

 放たれた殺意は、恭平の放った残気だ。

 男の死角から、恭平は音もなく現れた。

「……ぐ」

 閃いた刃が、大鉈を握る男の右腕を切り裂いた。

 深々と切り裂かれた血管から滴る血が、腕を伝って大地におちる。

「狂瀾怒涛に翳り無しぃぃぃぃ」

「……!!」

 次の瞬間、大きく振るわれた大鉈の柄に恭平は叩きつけられていた。

 咄嗟にブロックした両腕に、大きな衝撃。

 男はたったいま切り裂かれた腕で、大鉈を振るってみせたのだ。

「薬物か……?」

 興奮状態にある兵士が、ときおりこのようなことをしてみせる。

 折れた足で歩き、砕けた腕で殴りかかってくるのだ。

 常人ならばその痛みだけで心が折れるはず、狂気に染まった男の心はそれに耐え得る。

「……やっかいな相手だ」

 こちらを見ている男を見返して、恭平はひとりごちた。

 男は人間ではない。

 獣である。

 手負いの獣ほど、手強いものはない。

「……」

 狂気にあてられてか、たぎる血をおさえて、勤めて冷静に男の様相をうかがう。

 切り裂いた右腕には確かな手ごたえがあった。

 出血は軽くない。時間が経てば、いかな男といえども動きは鈍る。

 だが、それを待つ時間があるかどうか。

「怒涛!」

 男が動いた。直線的な動きだ。

 鉈を逆袈裟に振り上げる。

 右にステップして、恭平はそれをかわした。

 全力で振り上げた男の動きは、大鉈の引き起こす遠心力によってとどめられている。

 この一瞬を逃す恭平ではない。

「シ!」

 呼気を吐いて、獣の牙のように両の短剣を振るった。

 狙いは男の足。

 まずは、その動きを止めなければならない。

 上と下から、恭平の短剣は男の足にガッチリと喰らいついている。

「……ぐっ」

 その右足に蹴り上げられ、恭平は男と距離をとった。

 神経を断たれて、なお、動くというのか。

 恭平の頬に、一滴の汗がつたう。



   -2-


 身体を切断されながらも動いた兵士の話。

 首だけとなっても戦い続けた将軍。

 そういった話は、傭兵の間ではポピュラーなものだ。

 よりリアリストでなければならない傭兵だが、ジンクスやこの手の話しを好むものも少なくない。

 だが、話しは話し、実際に首を断たれた人間が動けるものではない。

 それは、残された神経が痙攣しているだけだ。

(……だが、これは現実だ)

 太ももに短剣を食い込ませて、男が恭平の前に立ちはだかっている。

 血をだらだらと垂れ流す右腕は、ぶらりと垂れてはいるがその先には大鉈がしっかりと握られていた。

「……」

 口中で何事かを呟きながら、男はフラフラと恭平へと近づいてきている。

 その足が、まもなくお互いの間合いを踏み越えようとしていた。

「……チッ」

 舌打ちして、恭平は予備の短剣を引き抜いた。

 この島には数多くの冒険者がいる。

 ノーマークではあったが、この男も冒険者では在るには違いない。

 昨日戦った化生もそうだ。

 この島には化け物が集っている。

 考えは日々、改めなければならない。

「……単独で、一個小隊並みの力量は、あるか」

 そう、値踏みする。

「その刃……」

 右足を引きずり、死線を踏み越えながら男がささやく。

「煌々となりて全てを映し出す」

 瞬間、垂れ下がっていた右腕が、糸を手繰られたかのように直立した。

 掲げられた大鉈の刃が、月の明りを受けて煌々と輝いている。

 いや、それ自体が光を帯びて、輝いていた。

「……ッ!!」

 光が爆散した。

 振り下ろされた光の煌きが、恭平を投げ払う。

 熱量を帯びた何かは、恭平の肌を焼き、通り過ぎていった。

「……ク……カハ……」

 身の内側から焼かれた衝撃に、息ができない。

 かろうじて、無様に倒れこむようなことはせずに、恭平はそこに踏みとどまった。

 男はいまだ、大鉈を振りかざしている。


   -3-


「……なにを、した」

 かろうじて、言葉を搾り出す。

 何をされたのか、まったく視ることができなかった。

 月の明りが大鉈を照らし、大鉈自体が光輝いて――。

 そして、どうなった。

「……」

 その問いかけに、男は答えない。

 今も大鉈を頭上に掲げている。

「快刀……乱麻を断つ」

 大鉈を持つ男の顔が、喜悦に染まった。

 再び、月明かりが大鉈へと集まっている。

 そして、光が――。

(……くる!!)

 爆散した。

 先ほどは分からなかったが、その瞬間に何かが放たれている。

 見ることはできない。

 しかし、その何かは確かに恭平の眼前に迫っていた。

 それも――さきよりも大きい。

「……ッ」

 恭平は咄嗟に身をかわした。

 髪を薙いで、短剣の一部を寸断し、それはその場を通り抜けていく。

 次いで、恭平の背後の木立が音をたてて分断された。

 光より生まれた不可視の刃は、全てを薙ぎ払う。

「……浄化の火を拒むとは」

 そんな恭平を見て、男が残念そうに呟いた。

 その、男の顔が青い。

 血を流しすぎたのだ。

「……やれやれ、背水の陣です」

 血まみれになった右腕と、大鉈を突き出して男が嗤う。

 身を焼く痛みから、恭平もようやく立ち直っていた。


   -4-


「……ここだ」

 男の死角から恭平は刃を振るう。

 新たな傷が刻まれ、血が流れた。

「ふふ」

 だが、男の動きに衰えはみられない。

 肌だけが、病人のように白くなっている。

 恭平が三度、斬りつける合間に、男は大鉈を一度振るってきた。

 だが、それで互角。

 恭平の刃は男の肌を切り裂くものの、痛覚から逃れた男にはさほどの意味もない。

 だが、男の重たい一撃は、半身を焼かれ身の内まで焦がされた恭平に響いていた。

 スピードは恭平が上だ。

 しかし、今の恭平では、男の攻撃を全て捌ききることができない。

 避けきれず受け止めた一撃が、確実に恭平の体力をそぎ落としていった。

「退き際が近づいてきました……が」

 顔面を蒼白にして、男が言った。

 どうみても、死の直前だ。

 血をあまりにも流しすぎている。

「……死ぬぞ」

 それは事実だ。恭平は、言った。

 このまま戦えば、どちらも無事では済まないだろ。

 そして、恭平が敗れたとしても、この男も死ぬ。

 それは確実。

 彼は、人として必要な血液のほとんどを失っている。

「笑止千万」

 しかし、男にそのような選択肢は無いのだ。

 邪な月の光に魅入られたその時から。

「……そうか」

 その言葉に、恭平も覚悟を決めた。

 恭平が助かる道はひとつ。

「……まいる」

 緩慢な動きで、男が駆けた。

 だらりとぶら下がった両腕を、身体を動かして生み出した遠心力だけで振るう。

「……次は、ない」

 その腕の下を掻い潜って、恭平もまた、駆けた。

 男の脇を通り抜け、林の中を突っ切る。

 その先には崖。

 恭平は、重力の中にその身を投げ出した。


 残されたのは、道を踏み外した修験者と――。

 ただ冷たい月明かりだけ……。


   -5-


「……愚かな」

 その男の呟きを、恭平は岸壁を這う蔓につかまって聞いていた。

 闇に目を凝らし、眼下に消えた傭兵の姿を追うようにたたずんで、男は再び闇に消える。

 その足音が遠ざかっていくのを聞いてから、恭平は崖の上へと這い戻った。

「……くそ」

 己の不甲斐なさに、腹が立つ。

 敵との実力は拮抗していた。

 なによりも恐ろしいのは、奇妙な術だ。

 彼らは炎や光、果ては水や闇まで、意のままに操る術を持っている。

 それも機械や技術に頼らずに、だ。

 そのような能力者はいないでもなかったが、恭平が知る限りではほんの一握り。

 この島は、そんな能力者で溢れている。

「……装備が、必要だな」

 恭平の技術だけでは、対処できない。

 この島にやって来ているものの中には、そういったものに対抗する装備を作る技術者もいるらしい。

 それを、手に入れなければ。

 恭平も生き残るのは、難しいだろう。

「……行くか」

 装備を作るには、素材が必要だ。

 次に、戻ってくるまでの間に、素材をそろえなければならない。

 目的のひとつに、そんな一項目を書き加えながら、恭平は遺跡への道を歩く。

 傷は、遺跡へと戻れば治るだろう。

 それには、もう、慣れた。

「……俺も化け物の仲間入りだな」

 まるでアニメのような自分の現状に、恭平はひとり失笑するのだった。

オマケ

06100139 Day05 outer -遺児-

   -0-


 恭平がその二人と顔を合わせたのは、闘技大会の当日のこと。

 酒場の一角に設けられた掲示板のそのまた一角、
 メンバー募集の張り紙に恭平は名乗りをあげたのだ。

 戦いの感覚を取り戻す為にも、現在の実力を確かめるためにも、
 闘技大会というイベントは好都合だった。

 しかし一人では参加することができない。そうして集まった三人だった。

「ふふ、よく集まってくれたね。」

 張り紙を張り出したのはこの少女なのだろう。

 踊り子のような肌の露出の多い衣装をまとった少女だ。
 露店で売られているような安っぽい装飾品やガラス玉で、全身で飾り立てている。

 その中で、青味がかった水晶石だけが異彩を放っていた。

 自身をティノと名乗ったその少女は、恭平ともう一人から微妙な距離を置きながらも微笑んだ。

「頼もしそうな二人で、嬉しいなぁ!」

 拳を打ち付けて パン と鳴らしながら、ティノはウォーミングアップを始めている。

 やる気は十分だ。

「クカカカ」

 もう一人、恭平をも凌ぐ体躯の持ち主は、奇妙な笑いを浮かべている。

 その表情をうかがい知ることはできない。
 異様な木製の仮面によって、隠されているためだ。

 ただ、冒頭でリガちゃんとだけ、名乗っていた。

「……やれやれだぜ。」

 三者三様。てんでバラバラの三人が集まってしまった。

 一抹の不安を胸に秘めながら、恭平たち三人は闘技大会の会場へと乗り込んでいく。

つづきはこちら

06052216 Day05 -流水-

   -0-


 ぷかぷかと気持ちよさそうに浮かびながら、男が川に流されていた。

 頬に二条の傷を持つ、抜き身の短剣のような美しさを称えた男だ。
 眠っているのだろうか、その両の眼は閉じられている。

 しかし、その表情に安らぎはない。

 悪い夢にうなされているのか、眉間には幾重にもしわが寄っている。
 水に濡れた髪が額にぴったりと張り付いているが、それは河川のためだけではあるまい。

 険しい表情に反して脱力した身体は、容易く水に浮き、川の流れに身を任せるがままとなっている。

 ――珍しい、流れ人よな。

 男をみやって、彼女は呟いた。

 彼女の記憶のうちに、かような者はいない。

 おそらくは遺跡に足を踏み入れた、愚かな冒険者のひとりなのであろう。
 彼女は欠伸をかみ殺しながら、新しい玩具を見つけた幼子のような瞳で、その男を見下ろしていた。
 
 遺跡の魔力にあてられて、男の全身に刻まれた凄惨な傷跡は癒しの兆候をみせている。
 もともとの男自身の体力もそこに加味されているのだろう。 

 ――面白い。

 自慢の亜麻色の髪を風になびかせながら、彼女はゆったりと考える。
 
 まるで眠り姫のような男から感じるのは、新緑の若葉にも似たえもいわれぬ生命力。
 いかな遺跡の加護のもとであろうと、力ない者は死すべき運命。

 生きていることこそが、この男の実力の証明に他ならない。

 ――面白い。

 繰り返し呟いて、鍛え上げられた男の肉体を惚れ惚れと見た。
 
 彼女の瞳に、それは咲き誇る大輪の薔薇のようにも鮮やかに映る。
 ややもすれば、それは彼女を滅ぼす者となるかもしれない。

 あの男が、彼女を呼び寄せたときから、
 この退屈な世界に、縛り付けられざるを得なくなったその時から、

 彼女は滅びを望んでいた。

 滅びは終わりではない。
 それは彼女が在るべき世界への回帰に過ぎないのだから。

 ――拾おうか。拾うまいか。

 彼女にしてみれば、その思考は一瞬のこと。

 されど、悠久の時を生きる彼女の前に、この世界の時はせっかちに過ぎた。

 わずかな思考の間、彼女が手に入れようかと一考した男は、
 流水に押し流され、彼女の手が届かぬところまで行ってしまった。

 ――ああ、なんと勿体無い。

 彼女は残念そうに、甘い吐息を漏らす。
 それは、死の吐息。いかなる生命もが眠りに落ちる、甘い誘惑。

 ひらひらと舞う蝶がその息を受けて、永遠の眠りへとおちていった。

 その蝶は、美しい姿のまま、もう眼を覚ますことはない。

 これが、か弱き者の運命。

「お聞きなさい、水の精。あれは、私のもの……手出しはなりません。」

 厳しい視線をもって、男を運ぶ水に語りかける。

 その言葉に流水が自然ではありえないさざ波を引き起こした。
 水霊たちが彼女の言葉に恐怖し、混乱のさなかで散り散りに逃げ惑ったためだ。

 規則性のない乱れ波に、男の身体が翻弄される。

 ――惜しいことをした。次は、逃すまいぞ。

 その光景を見送りながら、彼女は艶やかな唇を一文字に引き結んだ。

 この遺跡に足を踏み入れた冒険者は彼の男だけではない。
 ならば、楽しみは尽きることもないだろう。

 水面にそっと降り立って、彼女はクスクスと笑みを漏らした。
 彼女の力の前に死した水は、流れるさだめから解き放たれてたゆたう。

 ――今は。

 仲間の死に悲鳴をあげる水霊を、さらに踏みにじって、彼女は暗い森へと姿を消した。

 ――待ちましょう。

 甘い囁きを残して。


   -1-


 川べりに男が倒れている。薄いタンクトップとカーキーの迷彩ズボンを見につけた若い男だ。
 全身を川の水にぐっしょりと濡らして、荒い息をつきながら天をみあげて横たわっている。

 彼の名は恭平。かつて、死神と恐れられた傭兵だ。
 しかし、この島へと辿り着いてからというもの、まるで新兵時代並みに身体能力が低下してしまっていた。

 今の彼には、深々とわき腹に突き立った鹿角を引き抜く力さえもない。
 それ以外の傷は水に流されている間に治癒されたらしく、うっすらと跡を残すだけとなっている。

「か、は……くそ、生きてる、な……。」

 飲み込んだ水を吐き出しながら、恭平の意識は覚醒した。
 ごろりと寝返りをうって、地面に手を付きながら残りの水も吐き出してしまう。

「……ここは?」

 怒りに我を忘れた牡鹿との戦いから数時間。ずいぶんと流されてしまったらしい。
 知らぬ前に増えた擦り傷は、流されている間にこさえたものか。

 完全に意識を失っていた。命があるだけでも運が良いと考えるべきだろう。

「……荷物、は、無事か?」

 どうにか半身を起こし、装備品と荷物の確認を行う。
 いくつかの食料が流されてしまったようだが、武器や地図といった貴重品は無事だった。

 地図は水に濡れても崩れてはいなかった。素材は紙でないらしい。
 それを無造作に広げて、自分の居場所を確認する。

 J-22――鹿と遭遇したエリアから3ブロックも離れた場所だった。

 しかも、魔方陣がある。傷ついた恭平には、おあつらえ向きだ。
 一度新しい魔法陣を記憶に刻みさえすれば、次の侵入はそこから行うこともできる。

 情けのない話だが、休息が必要だった。

「……動けるか。」

 全身の状態をチェックし、ゆっくりと動かしてみせる。
 
 大丈夫。

 万全ではないが、移動に支障はない。
 だが全力をもってして、遺跡の怪物と戦うことは難しい。

「……ち、まずいな。」

 手の平を開閉させて、恭平は眉の根を寄せた。
 握力も低下している。常時の七割といったところだろうか。

 近場に落ちていた木の棒を引き寄せ、杖代わりによろよろと立ち上がった。
 歩くことも出来そうだ。やはり、いつも通りとはいかないが。

「う、ぐ……。」

 わずかながら回復した力で、わき腹に折れて突き立った鹿の角を引き抜いた。
 なかば凝固した血がどろりと流れ落ちる。

 流れる血。赤い、赤い。夜毎、訪れるかがり火のような、赤。

 それは、生命の赤だ。

「……俺は……生きている。」

 肌に付着した生命の証を指先でぐいと拭い取り、確かめるように舌先で味わって恭平は歩き出す。

 この命在る限り、任務を果たさなければならない。


   -2-


 はたして、そこに魔方陣はあった。

 水の満たされた小高い祭壇に、小さな魔方陣が刻まれている。
 その周囲には大勢の冒険者が集い、魔方陣をその記憶に刻みこもうとしていた。

 すでに記憶が終わったものたちは、ある者はその足でさらなる遺跡の奥へと進み、
 またある者は魔方陣を使用して外の世界へと戻っている。

 祭壇を見通せる草の茂みにその身を隠し、恭平は冒険者たちがその場から消え去るのを待った。

 魔方陣を眼と鼻の先にして、なぜ待たねばならないのか。

 それは、人狩りと称される一団の冒険者たちの存在が理由だ。
 戦いを恐れるものではない。しかし、傷つき、力果てた現況では、戦いを避けるのが利巧というものだろう。

 今も魔方陣へと通じる小道で、二人組みの狩人と、こちらも二人組みの冒険者が相争っていた。
 敵は遺跡の守護者だけではない。真に恐ろしいのは、遺跡探索という同様の目的を掲げた冒険者たちだ。

 なれば、冒険者からはこの身を隠さねばならない。

 気配を断っている以上、こちらが見つかる危険性はないが、しかし万全を期すにこしたことはなかった。

「……いったか。」

 人狩りと冒険者の戦いが終わり、祭壇の周囲には静けさがただよっている。
 感覚の糸を伸ばし周囲を探ってみるが、人の気配はない。

 気配を断ち、己の存在を空気と化しながら、茂みを抜け出して恭平は祭壇へと歩み寄った。

 十三段の階段を登って祭壇に立つと、そこに記された魔方陣をじっくりと脳裏に焼き付けた。

 これで、いついかなるときでも、遺跡外からこの場所へと戻ってくることができる。

 ひとつの目的は果たした。

「……準備を整えよう。」

 次からは、また新たな場所を探索することができる。しかし、現状では難しい。
 より遺跡のことを知り、装備などの準備を行わなければならない。

「……戻るか。」

 ささやき、遺跡の外を思う。

 次の瞬間、世界が暗転し、侵入時と同じ不快感を感じた。

「……う、ぐ。」

 頭痛に苛まされ、気づけば恭平は島を見渡す高台に立っている。

 恭平が居を構える丘から程近い町のはずれだ。すぐに坂を下って、部屋へと戻った。

 カランカランと取り付けられた鐘の音が響く。

 恐ろしく乙女チックな部屋は相変わらずで、ただうっすらと埃が積もっていた。
 どかっ、と遺跡の中で手に入れた荷物や装備の入った袋を投げ出して、恭平はベッドへと倒れこんだ。

 身体の汚れを気にしている余裕もない。それほどに、恭平は疲れていた。

 いつの間にやら身体の傷は消えていた。治るというよりも、もとからそうであったかのように。
 しかし、疲労までが回復したわけではないのは、遺跡の中と同じらしい。

 もう、考えることも億劫だ。

 そして、この部屋の明るさは居心地が悪いが、さりとて、嫌いというわけでもない。
 不思議なことだが、落ち着きさえもする。

 どことなく、かつて暮らした南フランスの家にも似た空気が漂っているためだろうか。

 以前の借主も、恭平と同じ国の出身者であったのかもしれない。
 彼とて、郷里を懐かしむことはある。

 趣味が良いとは言いがたいベッド。

 布団に包まると、以前の住人の残り香なのか、母にも似た甘い香りに恭平は包まれた。
 明日には再び、遺跡へと舞い戻らなければならない。

 それは、戦士の休息。

 心を解す甘い香りに包まれて、恭平は死にも似た甘美な眠りへと誘われていった。

06050022 Day04 -怪鳥-

   -0-


 気配を殺して、森の中を進むことは容易い。
 森の気を読んで、そこに同調することは、呼吸をするのも同じこと。

 潜る森もまだ浅く、さほどの危険性も感じられない。
 時折、森の薄闇に瞬くのは黒猫の瞳、その金色の輝きだ。

 彼らの実力の程は、以前の戦いの中で推し量っている。
 さほど、気にとめる必要のある相手もない。

 しかし、気になるのは森に流れる空気である。

 幾重にも重なる気には、人工的な異物感が感じられた。
 ひどく作為的なものを感じる。

 恭平は自分の意思で前へと進んでいるのだが、それさえも何者かに決められているかのようだ。
 地図の中に光り輝く光点は、この周囲に存在する冒険者の証。

 いくら先を急いでも、そのうちの幾らかは彼から離れることもなく付いてくる。

 それだけ同じルートを選択した冒険者がいるということか。

「……ついてない。」

 思えば、遺跡に潜ってからというもの、すでに数名の冒険者とは邂逅している。

 情報の取得を思えば、それはけして悪いことばかりでもないのだが、
 かといって、出会えば出会うだけ自分の情報も流出するのだと思えば嬉しくはない。

 秘密を持ち続けること、それは、最後の最後で生き残るために必要なことだ。

(……このまま無事に進むことが出来ればいいんだが。)

 どうにもキナ臭い。

 ここからさらに奥地に入れば、平原や魔方陣といったエリアとは比にならない強敵が潜んでいるだろう。
 それは、ご丁寧なことにも招待状に記されていた但し書きにもしめされていたことだ。

 かなりの力を消耗してしまっている。戦わないで済むに越したことはなかった。

 だが、人生とは往々にしてうまくいかないものだ。

「待つのですよ♪」

 そのいやに陽気な声は、上空から降ってきた。
 背中に羽を生やした化生が、木立にぶら下がるようにして恭平を見ている。

 野鳥の気配。

 烏か何かの類と思ったそれは、木の葉に身を隠した烏天狗のものであった。

 翼を揺らし、烏天狗は音もなく大地に飛び降りると、構えた錫杖を恭平に突きつけて言う。

「勝負するのです♪」

 陽気に錫杖を振りかざし、戦闘体制をとる。
 純粋な闘気。さも、戦いが楽しいことであると言わんばかりの。

「相手が、見つかったのですか?」

 その背後から、さらに姿を現した女がいた。
 気配を断って、木立の裏にでも隠れていたのだろう。

 動いていなければ、そう易々と感じられるものでもない。

 弓を構えたその女は、いずことも知れない軍服に身を包んでいる。

「あなたは――申し訳ありませんが、お付き合いをお願いします。」

 軽く頭をたれて、女もまた矢を弓につがえた。

 両者ともに臨戦態勢だ。

(……やるしかない、か。)

 今日の運勢は最悪、か。

 仲間の信じていたジンクスのあれこれを思い出し、
 そのどれも今日は破っていた、などと考えながら、恭平は短剣を引き抜いた。


   -1-


「女は、軍属……厄介だな。……そして、化生とは。」

 恭平は警戒を強める。相対する二人の力は未知数だった。

 ましてや戦力差は一対二、数の上でも不利。
 狩る側と狩られる側の立場は決定しているも同然。

 そのような状況下を渡り歩いてきた恭平であるからこそ、その危険性は身に染みている。

 第一は生き延びること。敗北は必至。
 避け得ぬ運命であるのならば、その中で光明を見出すが勤めか。

 ましてや、島へと辿り着いて数日。
 その全貌すら把握していない現在で奥の手を晒すわけにもいかない。

(……負け戦続きとは、我ながら情けのない話だ。)

 自嘲しつつも敵の出方を待った。

 なんにせよ、この場を切り抜けなければならない以上、不用意にこちらから手を出すものではない。

「では…よろしくお願い致します!!」

 やはり、後衛――いや、中衛だろうか。

 弦を引きしぼり、恭平から距離をとりながらも、女軍人は律儀な一声を投げてよこした。
 この二人――いや、一人と一羽か――のツーマンセルは、前衛の烏天狗と中衛の女軍人で成り立つようだ。

 完全に後ろに下がらないというのは、いざとなれば女軍人も前に出てくるということなのだろう。

 そうなれば、手ごわい。

 予測されるのは、弓矢による後方支援と、攻防一帯の杖術による波状攻撃。
 足を止めれば、終わりだ。

 しかし、この二人からは邪気を感じない。殺人狂ではなく、純粋な腕試しの輩のようだ。

 それならば、負けることも容易いだろう。

(……ふん。)

 自身の計算に、口の端を ニィッ と吊り上げて、恭平は短剣を身体の前に構えた。
 烏天狗の肩越しに女軍人を見据える。

 右足を半歩引き、半身となった。女から見て、恭平の表面積が半分近くまで減退したに違いない。

「いきますですよー♪」

 それを知ってか知らずか、翼で パンッ と空気を叩くように加速して、烏天狗が飛び出してきた。
 尋常ならざるスピード、人間では不可能なスタートダッシュを、強靭な両翼が可能とした。

 距離が一瞬で詰まる。

 八双に構えた錫杖を右斜め下方から、逆袈裟に振り上げてくる。
 咄嗟に上体を反らしてかわすが、杖先が顎を掠め皮膚をこそぎ落としていった。

 烏天狗はその勢いのままに、翼をはためかせて樹上へと消える。

「ちょこまかと……動くな。」

 気の裂帛。先日の戦いの中で見せたものと同じものだ。
 樹上の烏天狗の気配を追って、絞った気を放つ。

 先日はあえて絞らずに周囲へと放出したが、こういった芸当もできるのだ。

 確かな手ごたえ。
 精神に与えられた衝撃は、肉体にも大きな疲労を残す。

 しかし、そこに隙があった。
 高速で移動する烏天狗を正確に捉えるため、恭平の意識は自然、女軍人から離れる。

「……ぐっ。」

 放たれた矢は、前に出されていた恭平の左ももを貫いた。

「油断していましたね?」

 女軍人は動いていない。
 ただ狙いを絞っていただけだ、恭平が烏天狗を追う間に、彼女は恭平の足を狙っていた。

 動きを止めようというのだろう。
 中途半端に体内に残った矢ほど厄介なものはない。

 時間が経てば経つほどに、筋肉の収縮によってそれは抜くことが難しくなる。
 かといって抜けば大量出血は免れられない。

「……。」

 無言で足に突き立った矢を短剣で断ち切り、恭平は木立の中へと姿を消した。

 全力疾走する足音。恭平は戦場から逃げようとしているのか。
 音はうねるように木立の間をすり抜けながら、急速に遠ざかっていく。


   -2-


「…逃がしはしませんよ。」

 アンは二の矢をつがえる。

 距離は開いたが問題はない。この程度の距離など、彼女にとってないも同然。
 上空ではいざはやが、枝を伝いながら傭兵の後を追っている。

 飛ぶ鳥も落とす射手である。
 その合間に木々があろうと、彼女の視界のうちにある限り狙いを外すことなどありえない。

「良い子ですから、大人しくしてくださいね。」

 いざはやの嗅覚が傭兵をとらえた。その頭上から、錫杖の一撃を加えようというのか。
 ならば、アンはそれに合わせて矢を放つまで。

 弦を限界まで引き絞り、集中を高めながらその時を待つ。

「――今!」

 樹上から躍り出るいざはやの姿が遠目に映った。
 その瞬間に、矢を放つ。

 肉を打つ重低音と、矢が突き刺さる確かな手ごたえ。

「…違う?」

 いざはやが狼狽している。
 敵を仕留めたのであれば、あのような様子は見せないはずだ。

 何か、違和感があった。

「……目に見えるものだけが真実じゃない。」

 その背後から、深く押し殺すような男の声がした。

 いつの間にか、傭兵が彼女の背後に立っている。

「…いつの間に?」

 背中に冷や汗を感じながら、アンは問いかける。

 この男は確かに、森の中を全力で駆けていたはずだ。
 それがどうして、彼女の後ろに立っているのか。

「……それは、自分で考えるんだな。」

「…!!」

 その言葉と同時に、短剣が牙のごとく振り下ろされた。

 服が裂け、鮮血が舞う。
 切り裂かれた肩口を押さえながら、アンは大地を転がり三の矢を放つ。

 しかし、それもかわされた。

 慌てて飛び戻ってきたいざはやが男と切り結んでいるが、決定打には至らない。

 一撃の隙をついていざはやを突き飛ばすと、傭兵は再び森の影に消えた。

   -3-

 木立の影に身を隠しながら、恭平は静かに息を吐いた。
 無理な加速運動は恭平の身体に負担を強いる。

 仕掛けを総動員してのトリックに、二人は引っかかってくれたようだが、
 だからといって戦況が良くなったわけでもなかった。

 与えた一撃とてさしたるものではない。

「……頃合だな。」

 深く深呼吸。後方からは近づく敵の気配。
 気配を断とうとしても、風を切る翼の音までは隠せない。

 恭平自体に限界が近い、最初から万全の上体ではないのだ。
 そろそろ終わりにしなければなるまい。

「……行くぞ。」

 樹陰から姿を現し、恭平は烏天狗と正面から相対する。

 烏天狗も警戒からか恭平には近づかず、距離を置いて様子を見ている。
 その背後の木陰に、やはり女軍人の姿がちらついていた。

 重力を感じさせず、上空にとどまる烏天狗。
 この距離では有効な攻撃手法がない。投げナイフの補充が間に合わなかったことが悔やまれる。

「……どうした? 怖気づいたか、化け物。」

 恭平は烏天狗を挑発する。

 化け物という呼ばれ方にカチンと来たのか、翼を大きく羽ばたかせ、烏天狗は急降下した。
 錫杖を振り回し、懇親の一撃を繰り出してくる。

 気合一閃、恭平はそれを短剣の柄で受け止めた。
 ギリギリと肉体が軋み、つばぜり合いが続く。

「……。」

 ふっと力を抜いて、恭平は後方へ倒れこんだ。
 下方へと押さえ込む力が空回りして、烏天狗の上体がバランスを崩す。

 その下から、短剣をひらめかせ、時代がかった装束もろともその肌を切り裂いた。
 鮮血を散らしながら烏天狗は逃げるように上空へと舞い上がった。

 その瞳が、怒りからか朱に染まっている。

「どかーん♪」

 笑顔になっていない笑顔で、烏天狗は手の平を恭平に向けて吼えた。

 戦慄が恭平の肌を突き刺した。
 チリチリと総毛立つ体毛、肌に感じる急激な温度の上昇。

 目に見えない何かが、恭平の近くに迫っている。

 近くまで接近していた女軍人が慌てて距離を置いたのも異変といえば異変だろう。

(……ここにいては不味い!!)

 直感に突き動かされ、恭平は背を向けて茂みの中へと飛び込んだ。

 身体が大地を蹴って中空へと躍り上がる、瞬間――。

 突然の爆発が恭平を背中から吹き飛ばした。
 その衝撃に身体が加速され、前方の木立に叩きつけられる。

 張り出した枝が恭平の左肺に突き刺さり。
 口元から血の泡が流れた。

(……何を、された。)

 乱れる呼吸を強制的に整えながら、枝を叩き折り恭平は地面に落ちた。

 二度目の爆発。

 先ほどまで恭平が建っていた場所は、連続した爆発に焼き尽くされて焼け野原になっている。
 どれほどの炎が暴れ狂ったのだろうか、周囲の木々は凪ぎ倒され爆風の凄まじさを物語っている。

「失敗しちゃったのですー」

 恭平の生存を認めて、烏天狗が無機物めいた微笑を浮かべていた。

   -4-

 いざはやの突然の行動に、慌てて距離をとってアンは木陰に身を隠していた。
 その遥か向こうから爆音。それに遅れた熱風がアンの肌を焼く。

 あやうく、彼女までその巻き添えを食らうところだった。
 放たれた力が、それを発揮する相手を選ぶことはない。

「…終わったでしょうか?」

 あの傭兵は死んでしまったかもしれない。
 樹の陰からのぞく凄惨な光景。かなりの熱量であったらしい。

 人間など簡単に焼けてしまいそうだ。

 だが、彼は生きていた。
 全身を返り血に赤く染めながらも、自分の足でしっかりと立っている。

 勘が鋭いのか。それは戦士としては貴重な資質。

 しかし、深刻なダメージを受けているようだ。
 先ほどまでに比べると、見るからに動きがにぶい。

 もしかすれば、心肺機能を痛めたか。
 呼吸は全ての基本だから、それが成り立たなくては動くこともままならない。

「終わりにするのですよー」

 その男の前にいざはやは降り立って、再び手の平を男へと向けている。

 再び炎を放つつもりか。
 戦いを愛好するいざはやは、戦いに熱中するあまり周囲が見えなくなることもある。

 この距離、そして、傭兵の怪我。

 次の一撃は勝負を決する一撃となるだろう。

「お疲れ様でしたのですー♪」

 陽気に言って、いざはやはその持てる力を解放した。

 先の一撃よりも収束された熱量。

 放とうとしているのは、焼き尽くす炎ではない。
 収束された炎は、火をおこすこともなく、ただ全てを貫き通す。

「ありり?」

 だが、炎が穴を開けたのは傭兵ではなく、その背後にあった樹の幹だった。

 その一瞬を、アンは見逃さなかった。
 傷を負い、動きも鈍っていた傭兵は、瞬間、水を得た魚のように俊敏な動きでいざはやの背後へと移動してのけたのだ。

 発動の瞬間が分かっていたかのような、動きだった。

「いざはやの、癖を読んだというのですか…。」

 強いというよりも、しぶとい。そんな考えが頭に浮かんだ。

 もう実戦訓練としては十分な程、戦っている。
 これ以上、長引かせることもない。

「大人しく退いて頂けると助かります。」

 いまにも飛び掛りそうないざはやを制して、男に告げる。
 弓の狙いは傭兵にとどめたまま、次は外さないと視線で語りかけながら。

 その意図に傭兵も気づいたものか、大仰な仕草で数歩後ろに下がっていった。

「……ち、撤退する。」

 心底から悔しそうに、男は吐いてのける。

 かぶりを振って短剣をしまいこむと、鋭い眼光をこちらに向けてきた。

「……化け物に、女――お前たちのことは、覚えておく。」

 それが男の捨て台詞だった。

 どのような技術によるものか、土煙を巻き上げると傭兵はその霞の向こうにたち消える。
 視界がクリアに戻る頃には、すでにその気配さえも感じられない程であった。

 この島の冒険者には、やはり気をつけなければならない。
 アンは喜んでいるいざはやを横目に、ひっそりと嘆息した。

   -終-

 枝を引き抜いて、恭平は自身の身体に火を押し当てていた。
 半ば強引な手法だが、出血を止めるにはこのほかない。

 爆炎に焼かれた肌は、流れる川の水で丹念に洗った。
 一番酷い背中の肌が、触れるだけで皮がずるりと向けるほどだ。

 面妖な敵だった。
 突然の爆発――ガスや、ナパーム、発火装置の類は感じられなかったのだが。

 かつて戦った超能力者の自然発火と似たようなものなのだろうか。
 生きながらにして臓腑を焼かれる苦しみを、恭平は今も覚えている。

 しかし、これほどの怪我であるというのに、膝もとのケロイドの下には新たな皮膚が覗いていた。
 自分の身体が自分のものでないような違和感。

 この島はどうなっているのか。
 翼の生えた女、そして軍人、知識を持った黒猫、昨日戦った二人はまだしも人間だった。

 この島に、常識はない。

「……おもしろい。」

 いつもより身近に感じられる死の気配に、恭平はぞくりと肌を粟立たせた。
 臆病であればこそ、ここまで生きながらえてきた。

 だが、この感情はなんだろう。
 死が近づけば近づくほど、この心を満たす喜びはなんなのか。

 恭平にその答えは出せない。

 彼は傭兵。傭兵に己など、ありはしないのだから。