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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :11/23/16:40

06151724 Day42 -静闇-

   -ⅰ-

 見上げるほどに巨大な洞穴の前に最後の石碑はあった。
 陽の光に照らされたそれは、まるで墓標のようだと傭兵は思う。

 幾多の冒険者を見送った、道標。

「……ちっ」

 墓標――自身の連想に、胸の奥で何かが傷んだ。
 忘れたつもりで忘れられぬもの――失った仲間たち、失った師。

 うずくもの――ヘドロのようにこびりついた己の記憶。

 墓もなく散った彼らは、彼の手で逝った彼女は、安らかに眠れているだろうか。

「……また、か」

 不要な感傷を振り払おうと息を吐く――耳元で、声がする。

 ――それは、近く、遠く。
 ――それは、幼く、老い。
 ――それは、男であり女。

 ――それは、力強い空ろ。

 出所も分からないその声は、傭兵の頭の中に直接響いている。

『女神……』

 何者にも媚びない決意を滲ませた女の、凛とした声がする。

『熱血……』

 何か重荷に耐えかねている男の、燃え盛るような声がした。

『魔王……』

 全てを手に入れようとした女の、悲しみに啜り泣く声が響く。

『……物語の始まりを形作る守護者を思い描け……』

 少年とも少女ともつかない声が、断ずるように言う。

 傭兵はその声を知っている。

 この島に初めて辿り着いた日から、声は彼と共にあった。

『――道はその守護者が与えるだろう』

 そう言って、声はぷつりと唐突に途切れた。

「……く」

 洞穴からオオオと雄叫びのような声が聞こえ、我に返る。

 傭兵はふと、墓標に祈りをささげるように膝をついた自身に気づいた。
 どれほどの間そうしていたのか――あたりはすっかり闇に沈みかけていた。

 まだ、陽の高いうちに辿り着いていたはずだのに。

「……時間を失った」

 目を閉じ、嘆くように嘆息する。土を払い、立ち上がった。
 
「これが、最後だから、か」

 三度目の問いかけ――このように時間が飛んだのは初めての体験だった。

 なかば風化した石碑を見下ろし、その表面に描かれた絵を見やる。
 ざらついた表面――逞しい男の両脇に、二人の女を描かれている。

「……何を、決めろというんだ」

 吐き捨てる――よく観察すれば、大剣を手にした男は片側の女と向き合っている。

 ――女と向き合い、振り上げた大剣の下ろしどころを失った戦士。

 ベールで顔を隠した細面の女――おそらくは、魔王。

 ――戦士と向き合い、自分の首を差し出している罪人の姿勢。

 残され、ひとりたたずむ者――背を向けた女神。

 ――眼差しは遠く、女神と呼ぶには物々しい武装の女戦士。

「……これは、英雄ではないのか?」

 どのような物語か――最初に見た石像とはいささか違える部分があった。

「それにしても……」

 似ている――その言葉を飲み込んで、最後の女をまじまじと見やる。

 髪は短い――色は褪せているが、元は赤で髪が描かれていたようだ。

「……」

 見据える。短剣を両の手に構えた、民族風の女戦士の姿を。
 己の師と、戦友とも呼べる女傭兵に似た佇まいのその女を。

「――くだらん」

 吐き捨て、視線を外すと、傭兵は歩き出した。
 風の息吹を吐き出す洞穴へと――すでに闇が支配したその世界へと。

 闇に潜むのは魔王――囚われの身は女神と、相場が決まっている。

 口の端で笑い、傭兵は振り返らずに洞穴へと踏み込んでいった。

 風の息吹が聞こえる。

 ――ならば、女神の加護を得るのが妥当だろう。

 ――傭兵の姿が闇の中に消え、音さえもこの世から消失した。



   -ⅱ-

 一撃は音もなく、闇の中からあった。
 風の流れが突然変わったことを感じ、傭兵は全身を前へ投げ出してそれを避ける。
 ごつごつとした洞穴の岩肌が傭兵の肌を切り裂き、闇の中に点々と血の跡がついた。

「……なんだ?」

 声にはださず、口中で自問自答する。
 すでに荷は投げ捨て、短剣を引き抜いていた――迅速な戦闘体制への移行。

 暗視の効く傭兵といえど、明かりのひとつもない洞穴の中だ。
 墨を塗りこめたかのような闇の中では、何物も見出すことはできない。

 ここまで進んでこれたのは、風の流れを読み、追ってきたからである。

「……ちぃ!」

 ニの撃は三方向から同時にきた。音のない敵の数は多い。
 体を捻り、できうるかぎり攻撃を受ける面を少なくした。

 表皮を切り裂かれて、闇に血潮が舞う――凶器は鋭利な爪。

 微かな音――翼の羽ばたき。

「――そこか」

 一瞬の音から位置に見当をつけ、投擲剣を投じた。

 骨を砕く鈍い音とともに、甲高い悲鳴が洞穴内に響く――鳥類の鳴き声。

「……鳥の巣か」

 気づかないうちに、傭兵は鳥たちのテリトリーへと足を踏み入れていた。

 鳥といっても怪鳥である。その大きさは、ゆうに傭兵と並ぶ。
 肌を掻き毟っていった爪の一撃も、その一本一本が小ぶりなナイフほどはある。

 三撃目がきた――仲間がやられたことに、何の躊躇もない。

 個体の損失は、群の利益の前には切り捨てられる――怪鳥たちの連携。

 先陣をきる一羽が獲物の回避を誘う。

「……みえみえだ」

 その後方に続く数羽の存在を感じ、傭兵はその一撃を真っ向から受けた。
 短剣に寸断された脚が転がり、翼の腱を断たれた怪鳥が足元に転がる。

 飛行能力を奪ってもその力は凄まじく、爪先を引っ掛けられ足元をすくわれそうになる。
 
「……ふん」

 しゃがみこみ、後続の攻撃を避ける。
 同時に、短剣を怪鳥の心臓に突きたてて息の根を止めた。

 急ぎ、その身体を調べる。

「……フクロウに似ているな」

 森のハンターと称される梟である。
 それに似た怪鳥となれば、その力は想像できる。

「……俺の位地は、分かっているようだな」

 攻撃を捌き続けながら、傭兵は注意深くあたりをうかがった。

 まったくの闇のなかでは夜目が効く程度では意味がない。
 それらとは違った目が必要となってくる。

「何を、見ている……?」

 先方の気配に投擲剣を投じた――寸前で回避される。

 当たった気配がないことで、避けられたのだと知れた。

「……この狭い空間で、か」

 完全に傭兵の動きをトレースしていなければ、回避できるものではないのだ。
 なんらかの方法で、傭兵の動きを察知しているはずである。

「……洞穴の食肉生物は、蝙蝠と相場が決まっている。
 ……お前たちは、相応しくない」

 三羽目を仕留め、傭兵は獰猛な笑みを口元に浮かべた。
 目を持たない彼等には、それは単なる動きとしてしか映らなかっただろう。

「……愚鈍さは、罪だ」

 短剣を収め、呼吸を整える――ほぼ無呼吸に近づけていく。
 音に耳をすます――風の臭いを感じる――目を閉じて、闇に近づいていく。

「……闇に紛れるのが、お前たちだけだと、思うな」

 傭兵の宣告――鞘鳴り――短剣が引き抜かれると同時に振るわれた。

 困惑の鳴き声――獲物を見失った狩人たちの狼狽。断末魔。

「……雑魚はいい。頭を、潰す」

 闇と化して疾走しながら、傭兵は怪鳥たちの合間を駆け抜けていった。

 ――風の先に、群の頭がいるはずだ。

 突如として産まれたその直感に、従うようにして。

 ――風の臭いが変わる場所にそれらは存在した。
 
 ――戦いが、始まる。
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