血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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06151724 | Day42 -静闇- |
-ⅰ-
見上げるほどに巨大な洞穴の前に最後の石碑はあった。
陽の光に照らされたそれは、まるで墓標のようだと傭兵は思う。
幾多の冒険者を見送った、道標。
「……ちっ」
墓標――自身の連想に、胸の奥で何かが傷んだ。
忘れたつもりで忘れられぬもの――失った仲間たち、失った師。
うずくもの――ヘドロのようにこびりついた己の記憶。
墓もなく散った彼らは、彼の手で逝った彼女は、安らかに眠れているだろうか。
「……また、か」
不要な感傷を振り払おうと息を吐く――耳元で、声がする。
――それは、近く、遠く。
――それは、幼く、老い。
――それは、男であり女。
――それは、力強い空ろ。
出所も分からないその声は、傭兵の頭の中に直接響いている。
『女神……』
何者にも媚びない決意を滲ませた女の、凛とした声がする。
『熱血……』
何か重荷に耐えかねている男の、燃え盛るような声がした。
『魔王……』
全てを手に入れようとした女の、悲しみに啜り泣く声が響く。
『……物語の始まりを形作る守護者を思い描け……』
少年とも少女ともつかない声が、断ずるように言う。
傭兵はその声を知っている。
この島に初めて辿り着いた日から、声は彼と共にあった。
『――道はその守護者が与えるだろう』
そう言って、声はぷつりと唐突に途切れた。
「……く」
洞穴からオオオと雄叫びのような声が聞こえ、我に返る。
傭兵はふと、墓標に祈りをささげるように膝をついた自身に気づいた。
どれほどの間そうしていたのか――あたりはすっかり闇に沈みかけていた。
まだ、陽の高いうちに辿り着いていたはずだのに。
「……時間を失った」
目を閉じ、嘆くように嘆息する。土を払い、立ち上がった。
「これが、最後だから、か」
三度目の問いかけ――このように時間が飛んだのは初めての体験だった。
なかば風化した石碑を見下ろし、その表面に描かれた絵を見やる。
ざらついた表面――逞しい男の両脇に、二人の女を描かれている。
「……何を、決めろというんだ」
吐き捨てる――よく観察すれば、大剣を手にした男は片側の女と向き合っている。
――女と向き合い、振り上げた大剣の下ろしどころを失った戦士。
ベールで顔を隠した細面の女――おそらくは、魔王。
――戦士と向き合い、自分の首を差し出している罪人の姿勢。
残され、ひとりたたずむ者――背を向けた女神。
――眼差しは遠く、女神と呼ぶには物々しい武装の女戦士。
「……これは、英雄ではないのか?」
どのような物語か――最初に見た石像とはいささか違える部分があった。
「それにしても……」
似ている――その言葉を飲み込んで、最後の女をまじまじと見やる。
髪は短い――色は褪せているが、元は赤で髪が描かれていたようだ。
「……」
見据える。短剣を両の手に構えた、民族風の女戦士の姿を。
己の師と、戦友とも呼べる女傭兵に似た佇まいのその女を。
「――くだらん」
吐き捨て、視線を外すと、傭兵は歩き出した。
風の息吹を吐き出す洞穴へと――すでに闇が支配したその世界へと。
闇に潜むのは魔王――囚われの身は女神と、相場が決まっている。
口の端で笑い、傭兵は振り返らずに洞穴へと踏み込んでいった。
風の息吹が聞こえる。
――ならば、女神の加護を得るのが妥当だろう。
――傭兵の姿が闇の中に消え、音さえもこの世から消失した。
-ⅱ-
一撃は音もなく、闇の中からあった。
風の流れが突然変わったことを感じ、傭兵は全身を前へ投げ出してそれを避ける。
ごつごつとした洞穴の岩肌が傭兵の肌を切り裂き、闇の中に点々と血の跡がついた。
「……なんだ?」
声にはださず、口中で自問自答する。
すでに荷は投げ捨て、短剣を引き抜いていた――迅速な戦闘体制への移行。
暗視の効く傭兵といえど、明かりのひとつもない洞穴の中だ。
墨を塗りこめたかのような闇の中では、何物も見出すことはできない。
ここまで進んでこれたのは、風の流れを読み、追ってきたからである。
「……ちぃ!」
ニの撃は三方向から同時にきた。音のない敵の数は多い。
体を捻り、できうるかぎり攻撃を受ける面を少なくした。
表皮を切り裂かれて、闇に血潮が舞う――凶器は鋭利な爪。
微かな音――翼の羽ばたき。
「――そこか」
一瞬の音から位置に見当をつけ、投擲剣を投じた。
骨を砕く鈍い音とともに、甲高い悲鳴が洞穴内に響く――鳥類の鳴き声。
「……鳥の巣か」
気づかないうちに、傭兵は鳥たちのテリトリーへと足を踏み入れていた。
鳥といっても怪鳥である。その大きさは、ゆうに傭兵と並ぶ。
肌を掻き毟っていった爪の一撃も、その一本一本が小ぶりなナイフほどはある。
三撃目がきた――仲間がやられたことに、何の躊躇もない。
個体の損失は、群の利益の前には切り捨てられる――怪鳥たちの連携。
先陣をきる一羽が獲物の回避を誘う。
「……みえみえだ」
その後方に続く数羽の存在を感じ、傭兵はその一撃を真っ向から受けた。
短剣に寸断された脚が転がり、翼の腱を断たれた怪鳥が足元に転がる。
飛行能力を奪ってもその力は凄まじく、爪先を引っ掛けられ足元をすくわれそうになる。
「……ふん」
しゃがみこみ、後続の攻撃を避ける。
同時に、短剣を怪鳥の心臓に突きたてて息の根を止めた。
急ぎ、その身体を調べる。
「……フクロウに似ているな」
森のハンターと称される梟である。
それに似た怪鳥となれば、その力は想像できる。
「……俺の位地は、分かっているようだな」
攻撃を捌き続けながら、傭兵は注意深くあたりをうかがった。
まったくの闇のなかでは夜目が効く程度では意味がない。
それらとは違った目が必要となってくる。
「何を、見ている……?」
先方の気配に投擲剣を投じた――寸前で回避される。
当たった気配がないことで、避けられたのだと知れた。
「……この狭い空間で、か」
完全に傭兵の動きをトレースしていなければ、回避できるものではないのだ。
なんらかの方法で、傭兵の動きを察知しているはずである。
「……洞穴の食肉生物は、蝙蝠と相場が決まっている。
……お前たちは、相応しくない」
三羽目を仕留め、傭兵は獰猛な笑みを口元に浮かべた。
目を持たない彼等には、それは単なる動きとしてしか映らなかっただろう。
「……愚鈍さは、罪だ」
短剣を収め、呼吸を整える――ほぼ無呼吸に近づけていく。
音に耳をすます――風の臭いを感じる――目を閉じて、闇に近づいていく。
「……闇に紛れるのが、お前たちだけだと、思うな」
傭兵の宣告――鞘鳴り――短剣が引き抜かれると同時に振るわれた。
困惑の鳴き声――獲物を見失った狩人たちの狼狽。断末魔。
「……雑魚はいい。頭を、潰す」
闇と化して疾走しながら、傭兵は怪鳥たちの合間を駆け抜けていった。
――風の先に、群の頭がいるはずだ。
突如として産まれたその直感に、従うようにして。
――風の臭いが変わる場所にそれらは存在した。
――戦いが、始まる。
見上げるほどに巨大な洞穴の前に最後の石碑はあった。
陽の光に照らされたそれは、まるで墓標のようだと傭兵は思う。
幾多の冒険者を見送った、道標。
「……ちっ」
墓標――自身の連想に、胸の奥で何かが傷んだ。
忘れたつもりで忘れられぬもの――失った仲間たち、失った師。
うずくもの――ヘドロのようにこびりついた己の記憶。
墓もなく散った彼らは、彼の手で逝った彼女は、安らかに眠れているだろうか。
「……また、か」
不要な感傷を振り払おうと息を吐く――耳元で、声がする。
――それは、近く、遠く。
――それは、幼く、老い。
――それは、男であり女。
――それは、力強い空ろ。
出所も分からないその声は、傭兵の頭の中に直接響いている。
『女神……』
何者にも媚びない決意を滲ませた女の、凛とした声がする。
『熱血……』
何か重荷に耐えかねている男の、燃え盛るような声がした。
『魔王……』
全てを手に入れようとした女の、悲しみに啜り泣く声が響く。
『……物語の始まりを形作る守護者を思い描け……』
少年とも少女ともつかない声が、断ずるように言う。
傭兵はその声を知っている。
この島に初めて辿り着いた日から、声は彼と共にあった。
『――道はその守護者が与えるだろう』
そう言って、声はぷつりと唐突に途切れた。
「……く」
洞穴からオオオと雄叫びのような声が聞こえ、我に返る。
傭兵はふと、墓標に祈りをささげるように膝をついた自身に気づいた。
どれほどの間そうしていたのか――あたりはすっかり闇に沈みかけていた。
まだ、陽の高いうちに辿り着いていたはずだのに。
「……時間を失った」
目を閉じ、嘆くように嘆息する。土を払い、立ち上がった。
「これが、最後だから、か」
三度目の問いかけ――このように時間が飛んだのは初めての体験だった。
なかば風化した石碑を見下ろし、その表面に描かれた絵を見やる。
ざらついた表面――逞しい男の両脇に、二人の女を描かれている。
「……何を、決めろというんだ」
吐き捨てる――よく観察すれば、大剣を手にした男は片側の女と向き合っている。
――女と向き合い、振り上げた大剣の下ろしどころを失った戦士。
ベールで顔を隠した細面の女――おそらくは、魔王。
――戦士と向き合い、自分の首を差し出している罪人の姿勢。
残され、ひとりたたずむ者――背を向けた女神。
――眼差しは遠く、女神と呼ぶには物々しい武装の女戦士。
「……これは、英雄ではないのか?」
どのような物語か――最初に見た石像とはいささか違える部分があった。
「それにしても……」
似ている――その言葉を飲み込んで、最後の女をまじまじと見やる。
髪は短い――色は褪せているが、元は赤で髪が描かれていたようだ。
「……」
見据える。短剣を両の手に構えた、民族風の女戦士の姿を。
己の師と、戦友とも呼べる女傭兵に似た佇まいのその女を。
「――くだらん」
吐き捨て、視線を外すと、傭兵は歩き出した。
風の息吹を吐き出す洞穴へと――すでに闇が支配したその世界へと。
闇に潜むのは魔王――囚われの身は女神と、相場が決まっている。
口の端で笑い、傭兵は振り返らずに洞穴へと踏み込んでいった。
風の息吹が聞こえる。
――ならば、女神の加護を得るのが妥当だろう。
――傭兵の姿が闇の中に消え、音さえもこの世から消失した。
-ⅱ-
一撃は音もなく、闇の中からあった。
風の流れが突然変わったことを感じ、傭兵は全身を前へ投げ出してそれを避ける。
ごつごつとした洞穴の岩肌が傭兵の肌を切り裂き、闇の中に点々と血の跡がついた。
「……なんだ?」
声にはださず、口中で自問自答する。
すでに荷は投げ捨て、短剣を引き抜いていた――迅速な戦闘体制への移行。
暗視の効く傭兵といえど、明かりのひとつもない洞穴の中だ。
墨を塗りこめたかのような闇の中では、何物も見出すことはできない。
ここまで進んでこれたのは、風の流れを読み、追ってきたからである。
「……ちぃ!」
ニの撃は三方向から同時にきた。音のない敵の数は多い。
体を捻り、できうるかぎり攻撃を受ける面を少なくした。
表皮を切り裂かれて、闇に血潮が舞う――凶器は鋭利な爪。
微かな音――翼の羽ばたき。
「――そこか」
一瞬の音から位置に見当をつけ、投擲剣を投じた。
骨を砕く鈍い音とともに、甲高い悲鳴が洞穴内に響く――鳥類の鳴き声。
「……鳥の巣か」
気づかないうちに、傭兵は鳥たちのテリトリーへと足を踏み入れていた。
鳥といっても怪鳥である。その大きさは、ゆうに傭兵と並ぶ。
肌を掻き毟っていった爪の一撃も、その一本一本が小ぶりなナイフほどはある。
三撃目がきた――仲間がやられたことに、何の躊躇もない。
個体の損失は、群の利益の前には切り捨てられる――怪鳥たちの連携。
先陣をきる一羽が獲物の回避を誘う。
「……みえみえだ」
その後方に続く数羽の存在を感じ、傭兵はその一撃を真っ向から受けた。
短剣に寸断された脚が転がり、翼の腱を断たれた怪鳥が足元に転がる。
飛行能力を奪ってもその力は凄まじく、爪先を引っ掛けられ足元をすくわれそうになる。
「……ふん」
しゃがみこみ、後続の攻撃を避ける。
同時に、短剣を怪鳥の心臓に突きたてて息の根を止めた。
急ぎ、その身体を調べる。
「……フクロウに似ているな」
森のハンターと称される梟である。
それに似た怪鳥となれば、その力は想像できる。
「……俺の位地は、分かっているようだな」
攻撃を捌き続けながら、傭兵は注意深くあたりをうかがった。
まったくの闇のなかでは夜目が効く程度では意味がない。
それらとは違った目が必要となってくる。
「何を、見ている……?」
先方の気配に投擲剣を投じた――寸前で回避される。
当たった気配がないことで、避けられたのだと知れた。
「……この狭い空間で、か」
完全に傭兵の動きをトレースしていなければ、回避できるものではないのだ。
なんらかの方法で、傭兵の動きを察知しているはずである。
「……洞穴の食肉生物は、蝙蝠と相場が決まっている。
……お前たちは、相応しくない」
三羽目を仕留め、傭兵は獰猛な笑みを口元に浮かべた。
目を持たない彼等には、それは単なる動きとしてしか映らなかっただろう。
「……愚鈍さは、罪だ」
短剣を収め、呼吸を整える――ほぼ無呼吸に近づけていく。
音に耳をすます――風の臭いを感じる――目を閉じて、闇に近づいていく。
「……闇に紛れるのが、お前たちだけだと、思うな」
傭兵の宣告――鞘鳴り――短剣が引き抜かれると同時に振るわれた。
困惑の鳴き声――獲物を見失った狩人たちの狼狽。断末魔。
「……雑魚はいい。頭を、潰す」
闇と化して疾走しながら、傭兵は怪鳥たちの合間を駆け抜けていった。
――風の先に、群の頭がいるはずだ。
突如として産まれたその直感に、従うようにして。
――風の臭いが変わる場所にそれらは存在した。
――戦いが、始まる。
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