血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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06151729 | Day43 -颶風- |
-ⅰ-
――傭兵の手から、短剣がこぼれ落ちた。
むせかえるような血の臭い。どれほど殺し、どれほどの傷を負ったのか。
身体が力を失い、硬い洞穴の床に前のめりに倒れこむ。緩く傾斜した地面、重力に
引かれるようにして、傭兵の身体は転がった。上も下も分からず、ただ転がるたびに
全身が鈍く痛み、肌に傷だけが増えていく。
ようやく大岩に叩きつけられる形で、傭兵の身体は転がることを止めた。覚悟した
よりも衝撃が少なかったのは、運が良かったからではない。間に入ってクッションと
なる存在があったからだ。
闇と同じ暗さの羽を持つ梟――ダークウイング。傭兵の背に爪を突きたてたまま、
岩に叩きつけられてそれは息絶えていた。
カラン――乾いた音をたてて、取りこぼした短剣が眼前に遅れて転がり落ちた。
「……オ゛、オ゛、オ゛!!」
獣じみた唸りをあげて傭兵は短剣に手を伸ばし、掴むと同時に一閃。背に負った闇
梟の爪を切断した。先端は体内に残したまま今度は自力でその場から転がり動く。
「ホッホウ!!」
滑空してきた闇梟三羽の連続攻撃に、残された死骸がずたずたに引き裂かれた。闇
梟の空襲撃は骨をも砕く――まともに受けて、無事に済むことはできない。
「……ホウ?」
最も低空を飛んでいた一羽に、下からの一撃を加えた。傭兵と闇梟を短剣が取り結
んだ。歯を食いしばって腕を伸ばし、闇梟の翼を掴む。万力をこめて手羽元を握り、
引き裂くようにしてへし折った。
「……ぐ!」
片翼を失った闇梟は哀れにも大地を転がった。その反動で短剣が抜けて、傭兵は闇
梟から振り落とされる。咄嗟に短剣を地面に突き立てて、距離が離れることを避ける。
「……ッ」
血混じりの泡を吐き捨てて、傭兵は前傾姿勢に闇梟へと突っ込んだ。残る二羽の闇
梟が、空中から傭兵を狙うが頓着しない。迷いもなく走れば、そうそうに中るもので
はない。いや、中るなどということを考えてはいられない。
「……コォ!」
飛び込むようにして、闇梟にしがみついた。首に腕をまわし、締め上げながら、短
剣を心の臓へと何度となく突き立てる。悲鳴をあげながら、闇梟はもがき苦しんだ。
闇の波動を発し、洞穴の闇を誘う――闇の中に逃れようと、足掻く。
だが、その願いはかなわず、闇梟はやがて傭兵の腕の中で動かなくなっていった。
物体へと変わりゆくそれを投げ出し、傭兵は這うようにして岩陰に身を隠す。
「……残り……いくつだ……」
自分の身体をまさぐり、傷の具合を確かめる。片足の感覚がほとんどなく、指先で
触れると泥濘に手を突っ込んだかのような触感とともに、甘く痺れるような衝撃があ
った。闇梟の爪に、深く抉られたのだ。傷は浅くない。
「ホウッ!」
「ホッホウ!」
残された闇梟は先ほどから岩の上を旋回している。傭兵を見失っているのだ。散乱
する亡骸と、仲間を奪われた怒りが化け物から冷静さを奪っていた。闇を見通すその
視覚も、曇っていては役に立たない。
「……あれで、全て、か」
傭兵が岩陰に身を隠し、少なくない時間が過ぎたが、闇梟の数に増える様子はなか
った。もう、この洞穴に巣くう闇梟は、二羽だけしかいない。
「……残り、二羽」
残る死力を振り絞るつもりで――ゆらり――傭兵は立ち上がった。
「ホォォォォォォォオウ!!!」
即座にそれを発見した闇梟が怒りの声をあげた。狙いも何もなく、弾丸のように傭
兵へと飛び込んでいった。翼が空気を打つ度に、パシンパシンと裂帛の音が響く。
「――ふん」
その眉間に銀刀が突き立ち、飛ぶ勢いのまま闇梟は大地にぶつかった。大きくバウ
ンドし、闇色の羽毛を撒き散らしながら洞穴の奥へと姿を消した。その命がすでにな
いことは、火を見るよりも明らかだ。
「……残り、いち」
憔悴した声でつぶやき、頭上に羽ばたく闇梟を見上げた。
「……覚悟を、決めたか」
梟とは思えない剣呑なその眼差しを正面から見据えて、毒づく。
闇梟の双眸――それは戦士の眼をしていた。曇っていない、戦う者の眼だ。仲間を
失い、最後の一羽となったとき、闇梟の化け物の心にも何かが芽生えていた。
高潔な戦士だけが持ち得るその境地を、傭兵は覚悟という言葉で表した。
「……ホウ」
小さく、だが力強く――啼くと、闇梟はその場を飛び去っていった。
「……風の、流れ」
傭兵を先導するように飛ぶ闇梟の進む先から、鬼気をはらむ風が吹いている。
片足を引き摺るようにして、傭兵は闇梟の後を追った。
-ⅱ-
「……風の臭いが、変わった?」
闇を貫いて差す陽の眩しさに、傭兵は眼を細めた。
時刻は夕暮れ時、洞穴に入って丸一日が経過している。西日が洞穴の中を照らしだ
し、戦いの残滓をまざまざと傭兵に見せ付けた。喰うか喰われるかの戦い、懺悔の念
など傭兵にはない。ただ、敬意だけを躯たちに送った。
そして、最後に敬意を払うべき相手が、まだ残っている。
「――ホウ」
しかして、彼もまた傭兵を待っていた。闇梟の群の、最後の生き残り。
ダークウイング――枯れ木の枝に止まり、そう字される漆黒の翼を夕焼けのなか広
げている。威風堂々――闇に追いやられたものとは思えない程に、美しい。
「……二の句は、いらんな」
短剣を両の手に構え、闇梟を正面から見据える。太陽を背にした闇梟は、ただ「ホ
ウ」とだけ応じ、翼を羽ばたかせて舞い上がった。その翼から闇が広がり、完全に闇
梟の姿を覆い隠す。陽光がさえぎられ、傭兵の身体に影を落とす。
「……」
無言――抉れた足で傭兵は地を蹴った。一歩、二歩、三歩――一蹴ごとにその速度
を増し、正面から闇に迫る。見えない敵を恐れることはない。どのような存在であろ
うと、この世から完全に姿を消すことはないのだ。
闇に頭から突っ込むと同時、両の短剣を交差するように振るった。
「……なんだと?」
手ごたえは、ない――闇を突き抜けた。
「ホォォォォォォウ!!」
闇梟が吼えた――爪を大地に突きたて、その場に制止していたのだ。一瞬の時差を
狙った、闇梟の戦略。爪を引き抜き、翼を雄々しく羽ばたかせ、嘴で傭兵を狙う。
「――させ、るか」
限界を踏み越える――大地を蹴り上げ、身を捻りながら躍り上がった。闇梟のさら
に上へ――嘴が眼前を過ぎ去る。傭兵は両の短剣をひるがえし、振るった。確かな手
ごたえ、肉と骨を断つゴリリという独特な手ごたえ。
「ホォ……」
空気が抜けるように最後の声――傭兵の着地の瞬前、闇梟の首が胴から離れて落ち
た。首だけを残して胴体はそのまま羽ばたき続け、洞穴の闇へと姿を消す。
「……お前の帰る場所は、あそこだ」
短剣を収め、傭兵は闇梟の首へと歩み寄った。血に汚れた衣装を新たな血に汚しな
がら首を抱きかかえ、洞穴へと向かって投じる。梟の首は、転がるようにして洞穴の
中へ吸い込まれていった。
「……終わった」
その場で、しりもちをつく。血も足りず、全身傷だらけだ。
「……くそ」
頼るべき相手もなく、傭兵はひとり、山岳の風にあたっている。
「……傷に、触る風だ」
戦いは終わったばかりだというのに、傭兵の戦闘意識は静まってはいなかった。い
や、闇梟など前菜に過ぎなかった。それほどの闘気、否、鬼気が傭兵を圧迫している。
風そのものが、敵となったかのような錯覚を覚える。
「……こうしても、いられないな」
立ち上がることはできそうもない。だからといって、時間を浪費することもできな
い。荷から傷薬を取り出し、残された爪先などを短剣でほじくりだした後に塗りこん
だ。その上からガーゼをあてて、包帯で固定する。なにもしないよりはマシだ。
「……明日、か」
風のはらむ鬼気――宝玉の守護者が放つものに違いないと検討をつける。
これだけの強い気の持ち主ならば、探し出すことは難しくない。勝利することが可
能かどうかは分からないが、辿り着くことならばできるだろう。
「……逃がしは、せん。――待っていろ、エリザ」
傭兵は枯れ木の枝を断ち切り、それを杖代わりにして山道へと踏み入った。
-ⅲ-
頂へと至る山道を傭兵は歩いていた。
先へと抜けるためには、この道を避けて通ることはできない。これ以外に道らしい
道はなく、今の装備で切り抜けることは不可能といっていい。断崖絶壁はなにものの
進入も拒み、ぽっかりと口をあけたクレバスは新たな犠牲者の血肉を欲している。ま
た、少しでも油断し隙を見せたなら、怪鳥の餌食となってしまうだろう。
何者かが敷き詰めた石段は延々と続き、連なる山の頂を越えて遥か遠くまでなだら
かに続いている。
「……どこにいる」
避けて通れない理由は他にもある。時とともに濃さを増す風の臭い――そこに含ま
れた鬼気。並ならざる者だけがもつ、戦いの気配。
風の宝玉を守護する者が違いと、傭兵は感じている。
「――なに」
傭兵の視界の端に、煌めく七本の流星があった。
流星――傭兵目掛け、弧を描いて飛ぶ短槍だ。
「……くそ」
降り注ぐ短槍――全て素手で弾き落とした。たいした速度でもなく、重力に引かれ
て落ちるだけの槍など、見切ることは造作もない。
「ぐ……」
だが、短槍は思いのほか重く、一度は砕けた全身の小骨に、弾いた衝撃が伝わり苦
悶を漏らす。尋常の槍ではない、扱うには並ではない膂力が必要だ。
「……お前、か」
上空を見上げ、睨む。
女だ。空に女が立っていた。風にシルバーピンクのツインテールをはためかせて、
冷ややかなブルーの瞳で傭兵を見下している――風の宝玉の守護者。
「そうだ……タマ持ちか。実力者というわけだ」
巨大なランスで傭兵の懐を示し、風の守護者は言った。傭兵の懐で赤と青の輝きが
明滅している――宝玉の共鳴。新たな宝玉の存在を感じとっている。
紫色の輝き。風の守護者の鎧の下で、何かが輝いていた――風の宝玉。
「……それを、渡して貰おう」
枯れ枝を投げ捨て、傭兵は短剣を引き抜く。油断なく、構える。
「おもしろい――欲しければ、力ずくで奪うんだな」
風の守護者が淡々と言った。巨大な槍を軽々と振るい、腰だめに構える。
「……ふん。もとより、そのつもりだ」
電光石火――粉塵を巻き上げて、傭兵は加速した。粉々に砕けた土くれが風に舞い、
風の守護者の周りで渦を巻く。にわかに風が強くなる。
「ならばこのエリザ、相応の力で……貴様を落とすッ!!」
地を蹴り躍りかかる傭兵へと向かって、風の守護者は猛然と襲い掛かった。
――ここに、激突する。
――傭兵の手から、短剣がこぼれ落ちた。
むせかえるような血の臭い。どれほど殺し、どれほどの傷を負ったのか。
身体が力を失い、硬い洞穴の床に前のめりに倒れこむ。緩く傾斜した地面、重力に
引かれるようにして、傭兵の身体は転がった。上も下も分からず、ただ転がるたびに
全身が鈍く痛み、肌に傷だけが増えていく。
ようやく大岩に叩きつけられる形で、傭兵の身体は転がることを止めた。覚悟した
よりも衝撃が少なかったのは、運が良かったからではない。間に入ってクッションと
なる存在があったからだ。
闇と同じ暗さの羽を持つ梟――ダークウイング。傭兵の背に爪を突きたてたまま、
岩に叩きつけられてそれは息絶えていた。
カラン――乾いた音をたてて、取りこぼした短剣が眼前に遅れて転がり落ちた。
「……オ゛、オ゛、オ゛!!」
獣じみた唸りをあげて傭兵は短剣に手を伸ばし、掴むと同時に一閃。背に負った闇
梟の爪を切断した。先端は体内に残したまま今度は自力でその場から転がり動く。
「ホッホウ!!」
滑空してきた闇梟三羽の連続攻撃に、残された死骸がずたずたに引き裂かれた。闇
梟の空襲撃は骨をも砕く――まともに受けて、無事に済むことはできない。
「……ホウ?」
最も低空を飛んでいた一羽に、下からの一撃を加えた。傭兵と闇梟を短剣が取り結
んだ。歯を食いしばって腕を伸ばし、闇梟の翼を掴む。万力をこめて手羽元を握り、
引き裂くようにしてへし折った。
「……ぐ!」
片翼を失った闇梟は哀れにも大地を転がった。その反動で短剣が抜けて、傭兵は闇
梟から振り落とされる。咄嗟に短剣を地面に突き立てて、距離が離れることを避ける。
「……ッ」
血混じりの泡を吐き捨てて、傭兵は前傾姿勢に闇梟へと突っ込んだ。残る二羽の闇
梟が、空中から傭兵を狙うが頓着しない。迷いもなく走れば、そうそうに中るもので
はない。いや、中るなどということを考えてはいられない。
「……コォ!」
飛び込むようにして、闇梟にしがみついた。首に腕をまわし、締め上げながら、短
剣を心の臓へと何度となく突き立てる。悲鳴をあげながら、闇梟はもがき苦しんだ。
闇の波動を発し、洞穴の闇を誘う――闇の中に逃れようと、足掻く。
だが、その願いはかなわず、闇梟はやがて傭兵の腕の中で動かなくなっていった。
物体へと変わりゆくそれを投げ出し、傭兵は這うようにして岩陰に身を隠す。
「……残り……いくつだ……」
自分の身体をまさぐり、傷の具合を確かめる。片足の感覚がほとんどなく、指先で
触れると泥濘に手を突っ込んだかのような触感とともに、甘く痺れるような衝撃があ
った。闇梟の爪に、深く抉られたのだ。傷は浅くない。
「ホウッ!」
「ホッホウ!」
残された闇梟は先ほどから岩の上を旋回している。傭兵を見失っているのだ。散乱
する亡骸と、仲間を奪われた怒りが化け物から冷静さを奪っていた。闇を見通すその
視覚も、曇っていては役に立たない。
「……あれで、全て、か」
傭兵が岩陰に身を隠し、少なくない時間が過ぎたが、闇梟の数に増える様子はなか
った。もう、この洞穴に巣くう闇梟は、二羽だけしかいない。
「……残り、二羽」
残る死力を振り絞るつもりで――ゆらり――傭兵は立ち上がった。
「ホォォォォォォォオウ!!!」
即座にそれを発見した闇梟が怒りの声をあげた。狙いも何もなく、弾丸のように傭
兵へと飛び込んでいった。翼が空気を打つ度に、パシンパシンと裂帛の音が響く。
「――ふん」
その眉間に銀刀が突き立ち、飛ぶ勢いのまま闇梟は大地にぶつかった。大きくバウ
ンドし、闇色の羽毛を撒き散らしながら洞穴の奥へと姿を消した。その命がすでにな
いことは、火を見るよりも明らかだ。
「……残り、いち」
憔悴した声でつぶやき、頭上に羽ばたく闇梟を見上げた。
「……覚悟を、決めたか」
梟とは思えない剣呑なその眼差しを正面から見据えて、毒づく。
闇梟の双眸――それは戦士の眼をしていた。曇っていない、戦う者の眼だ。仲間を
失い、最後の一羽となったとき、闇梟の化け物の心にも何かが芽生えていた。
高潔な戦士だけが持ち得るその境地を、傭兵は覚悟という言葉で表した。
「……ホウ」
小さく、だが力強く――啼くと、闇梟はその場を飛び去っていった。
「……風の、流れ」
傭兵を先導するように飛ぶ闇梟の進む先から、鬼気をはらむ風が吹いている。
片足を引き摺るようにして、傭兵は闇梟の後を追った。
-ⅱ-
「……風の臭いが、変わった?」
闇を貫いて差す陽の眩しさに、傭兵は眼を細めた。
時刻は夕暮れ時、洞穴に入って丸一日が経過している。西日が洞穴の中を照らしだ
し、戦いの残滓をまざまざと傭兵に見せ付けた。喰うか喰われるかの戦い、懺悔の念
など傭兵にはない。ただ、敬意だけを躯たちに送った。
そして、最後に敬意を払うべき相手が、まだ残っている。
「――ホウ」
しかして、彼もまた傭兵を待っていた。闇梟の群の、最後の生き残り。
ダークウイング――枯れ木の枝に止まり、そう字される漆黒の翼を夕焼けのなか広
げている。威風堂々――闇に追いやられたものとは思えない程に、美しい。
「……二の句は、いらんな」
短剣を両の手に構え、闇梟を正面から見据える。太陽を背にした闇梟は、ただ「ホ
ウ」とだけ応じ、翼を羽ばたかせて舞い上がった。その翼から闇が広がり、完全に闇
梟の姿を覆い隠す。陽光がさえぎられ、傭兵の身体に影を落とす。
「……」
無言――抉れた足で傭兵は地を蹴った。一歩、二歩、三歩――一蹴ごとにその速度
を増し、正面から闇に迫る。見えない敵を恐れることはない。どのような存在であろ
うと、この世から完全に姿を消すことはないのだ。
闇に頭から突っ込むと同時、両の短剣を交差するように振るった。
「……なんだと?」
手ごたえは、ない――闇を突き抜けた。
「ホォォォォォォウ!!」
闇梟が吼えた――爪を大地に突きたて、その場に制止していたのだ。一瞬の時差を
狙った、闇梟の戦略。爪を引き抜き、翼を雄々しく羽ばたかせ、嘴で傭兵を狙う。
「――させ、るか」
限界を踏み越える――大地を蹴り上げ、身を捻りながら躍り上がった。闇梟のさら
に上へ――嘴が眼前を過ぎ去る。傭兵は両の短剣をひるがえし、振るった。確かな手
ごたえ、肉と骨を断つゴリリという独特な手ごたえ。
「ホォ……」
空気が抜けるように最後の声――傭兵の着地の瞬前、闇梟の首が胴から離れて落ち
た。首だけを残して胴体はそのまま羽ばたき続け、洞穴の闇へと姿を消す。
「……お前の帰る場所は、あそこだ」
短剣を収め、傭兵は闇梟の首へと歩み寄った。血に汚れた衣装を新たな血に汚しな
がら首を抱きかかえ、洞穴へと向かって投じる。梟の首は、転がるようにして洞穴の
中へ吸い込まれていった。
「……終わった」
その場で、しりもちをつく。血も足りず、全身傷だらけだ。
「……くそ」
頼るべき相手もなく、傭兵はひとり、山岳の風にあたっている。
「……傷に、触る風だ」
戦いは終わったばかりだというのに、傭兵の戦闘意識は静まってはいなかった。い
や、闇梟など前菜に過ぎなかった。それほどの闘気、否、鬼気が傭兵を圧迫している。
風そのものが、敵となったかのような錯覚を覚える。
「……こうしても、いられないな」
立ち上がることはできそうもない。だからといって、時間を浪費することもできな
い。荷から傷薬を取り出し、残された爪先などを短剣でほじくりだした後に塗りこん
だ。その上からガーゼをあてて、包帯で固定する。なにもしないよりはマシだ。
「……明日、か」
風のはらむ鬼気――宝玉の守護者が放つものに違いないと検討をつける。
これだけの強い気の持ち主ならば、探し出すことは難しくない。勝利することが可
能かどうかは分からないが、辿り着くことならばできるだろう。
「……逃がしは、せん。――待っていろ、エリザ」
傭兵は枯れ木の枝を断ち切り、それを杖代わりにして山道へと踏み入った。
-ⅲ-
頂へと至る山道を傭兵は歩いていた。
先へと抜けるためには、この道を避けて通ることはできない。これ以外に道らしい
道はなく、今の装備で切り抜けることは不可能といっていい。断崖絶壁はなにものの
進入も拒み、ぽっかりと口をあけたクレバスは新たな犠牲者の血肉を欲している。ま
た、少しでも油断し隙を見せたなら、怪鳥の餌食となってしまうだろう。
何者かが敷き詰めた石段は延々と続き、連なる山の頂を越えて遥か遠くまでなだら
かに続いている。
「……どこにいる」
避けて通れない理由は他にもある。時とともに濃さを増す風の臭い――そこに含ま
れた鬼気。並ならざる者だけがもつ、戦いの気配。
風の宝玉を守護する者が違いと、傭兵は感じている。
「――なに」
傭兵の視界の端に、煌めく七本の流星があった。
流星――傭兵目掛け、弧を描いて飛ぶ短槍だ。
「……くそ」
降り注ぐ短槍――全て素手で弾き落とした。たいした速度でもなく、重力に引かれ
て落ちるだけの槍など、見切ることは造作もない。
「ぐ……」
だが、短槍は思いのほか重く、一度は砕けた全身の小骨に、弾いた衝撃が伝わり苦
悶を漏らす。尋常の槍ではない、扱うには並ではない膂力が必要だ。
「……お前、か」
上空を見上げ、睨む。
女だ。空に女が立っていた。風にシルバーピンクのツインテールをはためかせて、
冷ややかなブルーの瞳で傭兵を見下している――風の宝玉の守護者。
「そうだ……タマ持ちか。実力者というわけだ」
巨大なランスで傭兵の懐を示し、風の守護者は言った。傭兵の懐で赤と青の輝きが
明滅している――宝玉の共鳴。新たな宝玉の存在を感じとっている。
紫色の輝き。風の守護者の鎧の下で、何かが輝いていた――風の宝玉。
「……それを、渡して貰おう」
枯れ枝を投げ捨て、傭兵は短剣を引き抜く。油断なく、構える。
「おもしろい――欲しければ、力ずくで奪うんだな」
風の守護者が淡々と言った。巨大な槍を軽々と振るい、腰だめに構える。
「……ふん。もとより、そのつもりだ」
電光石火――粉塵を巻き上げて、傭兵は加速した。粉々に砕けた土くれが風に舞い、
風の守護者の周りで渦を巻く。にわかに風が強くなる。
「ならばこのエリザ、相応の力で……貴様を落とすッ!!」
地を蹴り躍りかかる傭兵へと向かって、風の守護者は猛然と襲い掛かった。
――ここに、激突する。
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