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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :11/22/14:42

02080013 Day32 -潰想-

   -ⅰ-
   
 身に迫る気配――さりとて、敵意もなし。
 感じられるのは倦怠感と、綯い交ぜになった使命感。意図不明な存在感。
 
「はは……本当に来やがったよ、全く欲の強い」
 
 声は頭上からした。
 
 姿を現した気配の主――絶壁の崖に腰掛けた、ぼさぼさ黒髪の中年男。
 
 目元を隠すサングラス、合間から覗く細目、何よりも目立つ極彩色のアロハシャツ、
 黒いジーンズの足元はラフなビーチサンダル。
 
 口元に浮かべたニヒルな笑みが、倦怠感をさらに倍増――日向に寝そべる雄ライオンの風情。
 
 その背後に隠れ見える絶大な力――何かしら、焦げ付いた臭い。
 
 よっこらせ――腰に手をあてて立ち上がる、伸びをする。
 
「いよッ! 太古の記憶が眠るこの地にようこそ」
 
 軽薄な挨拶――へらへらと笑いながら頭をかく。
 
 それから、足元を確認し、跳んだ――かなりの高さを飛び降りて、着地。
 バランスを崩すが、両の手を振り回してどうにか持ちこたえた。
 
「ととっ……ふぅわぁ危ねぇ危ねぇ……、もう歳かねぇ。
 ……あーっと、俺はイガラシっつー……まぁ下っ端だな、うん」
 
 聞いてもいない自己紹介を始めるのは、男なりに職務に忠実な証左か。
 下っ端という響きが気に入ったか、しししと笑みを漏らしながら不揃いの顎髭をざりざりと触る。
 
「訳あってここの宝玉ってのを守ってんのよ。あぁ、宝玉ってのはえぇっとー……」

 手のひらをひらひらと振るい、言葉を続け、その手を崖に触れさせた。
 
 赤い光とともにその指先が、ずぶりと崖の中へと侵入する――溶け入っているようにも見える。
 
 何事もなかったように引き抜かれた指先に、鈍い光――深く輝く鮮烈な臙脂色。
 
 石の放つ熱気が、恭平の頬まで届いた。
 
「……うん、これね」
 
 炎熱を放つ石を指先に摘み、軽々しく放ってみせる。宙で再び手におさめる。
 
 ころころと転がして、手のひらがなんともないことをアピール。
 
「なんか熱そーだけどぜーんぜん……触ってみる?」
 
 にっこりと笑顔――石を恭平へと差し出し、その反応も得られぬまま即座に引っ込めた。
 
 呆れ顔の恭平――意に介さない男のマイペース。

「なーんてなっ! 俺はこれ守ってんだよ、渡せねぇよぉ。
 まぁでもそちらさんはこれを集めるとー……って噂でやってきたんだろ? 知ってるぜ?」

 見え隠れする何者かの意思がここでも露となった。
 
 宝玉を守る者たち――それは、何故? この男は下っ端といった、ならばそれを指示したものがいる?
 
 気づけば男は、ひょひょいと岩山を登ろうとしていた。
 途中で、恭平が後に続いてないことに気づき振り返る。

「こっち広いんでこっち来なッ! 俺を負かしたら宝玉をやるよ」
 
 手を大げさに振って、こっちに来いと表現――大人しく従い、後を追う。
 
 その途中で、息を荒らげる男を、恭平はさっくりと追い越した。
 
 岩山を登りきると円状の開けた土地がある――確かにここならば存分に動ける。
 
 少し遅れて登りきった男――イガラシは、息を整えると準備運動を開始した。
 
 「どうやらもう宝玉を手にしているようだしなぁ……」
 
 背を伸ばして気持ちよさそうにしながら、恭平の荷袋に光る青い宝玉を目ざとく見つけ出す。
 
 宝玉同士の共鳴――水の宝玉が放つ青がいつも以上に輝いている。
 
 火と水の関係――相反する属性同士。宝玉も互いを牽制しあっているのかもしれない。
 
「ちょっくら気合入れてやるかねっ!」
 
 たっぷりと身体をほぐした男が、気合を入れるように間延びした声を張り上げた。
 
 びりびりと大気が振動――同時、男を描くように炎柱が大地を裂いて出現。
 
 宝玉とは違い、この炎はまぎれもなく岩を溶かし、激しい炎熱を放っている。
 
「……ずいぶん、嘗めた炎だな」

 傭兵の眼差し――短剣を抜き放ちながら、奥歯をぎりりと噛み締める。
 
 飄々とした黒髪の男――その、いやらしいともとれる笑顔に、かつての記憶が蘇りつつあった。
 
 ――忌まわしい傭兵たちの記憶。



   -ⅱ-
   
 ――吊るされていた。

 視界に二つの焔。誘引された蛾が焼けて落ちる。
 
 密林の小屋――絶対の暗闇の中、松明の煌煌とした灯りも木々にさえぎられて外に漏れることはない。
 
 それゆえに発見されることもなかった脱走兵ゲリラのアジト――そのひとつ。

 傭兵は両の手に縄をかけられ、天井の梁から蓑虫よろしくぶら下がっている。

 足先が床に触れるか触れないか程度、足首も縄によって固定されていた。

 自由はない。ただし、口に拘束具はなし――質問に答えさせるため。

 少なくとも今は、大事な証言者として生かしておく腹積もりがあるという証拠。

 それで何が良くなるわけでもないが、生存することに意義がある。
 
「ここで、何してたよ。ええ?」

 現状打破に傾いた意識が、煙草臭い男の息によって現実に引き戻された。
 
「あ? ピクニックでもしてたか?」

 アジア系の男――伸び放題の黒髪と顎鬚。
 
 清潔感の欠如した姿態――傭兵とて同じこと、この森に居るものは似たり寄ったりだ。
 
 不屈の闘争から得た捩れた精神の発露――ニタニタと笑みを浮かべて接近。

 思い切りよく傭兵の身体を蹴り飛ばす――笑顔も笑っているわけではない。
 
 プロらしくない粗暴さ――癇癪を起こした子供が物を蹴りつけるのと同じやり方。
 
「そうだ――」

 傭兵――表情も変えず、生真面目に回答。
 
 同時に衝撃――背後の男が、椅子の足で背を叩きつけた気配。

 すでに痛覚がないため確証はなし――心の中の数字は、きっちり追加。
 
「――かって聞いてるんだよ!」
 
 聞くに耐えない暴言のオンパレード――人権主義者が聞いたら卒倒しそうな言葉の弾丸。
 
 事実、聞く気さえ起こらず、その大半を聞き流していた。
 
「そうだ――」

 懇切丁寧な回答――おおよそ六十八回目。
 
 肉の焦げる臭い――太ももに焼け火箸。
 
 埋もれた不衛生な玩具の数々――男たちのサディスティックな嗜好を象徴。
 
「なぁ、おい。フランス人、聞けよ、えぇ?
 てめぇは、質問に答えりゃそれでいいんよ。それで、解放。
 これ以上、痛い思いしたくねぇだろ? 協力しろよ、なぁ」
 
 煙草臭い息が、何かを捲くしたてている。
 
「そうだ――」

 六十九回目。
 
「ふざけんじゃねぇ!!」

 日本人は我慢強いと聞いたが――即応的な男の拳に、顔面を痛打された。
 
 右目の視界が悪い理由を思い出す――かれこれ五時間前に、同じように殴られていた。
 
「てめぇら、金にたかる蛆虫どものせいで俺たちゃ苦労してんだよぉ。
 なめやがってよぉ……あぁ、ちくしょう、なめやがって……」
 
 呻きながら男がごそごそと動く。
 
 視界の端に何かがちらついて見える――いささか小さい。
 
 湿度が高く気温も十分な密林の古小屋にはすえた臭いが満ちていたが、それが一段と濃くなった。
 
 ぶるぶると震える男を半眼で眺めやる――矮小な存在を目に焼き付ける。
 
「こうなったらよぉ……とことん、刻んでやっからよぅ」

 満足げな顔をして男――張り付いたようなニタニタ笑い。
 
 機械じみた虚しさ――たがの外れた兵隊の末路。
 
「悪いけど……」

 そうだ、以外の答え――若い傭兵は目を伏せた。
 
 夜が明けようとしていた。
 
 記憶が正しければ、彼女が宣告した時刻が近づきつつある――夜明け前までに助けに行く。
 
「もう、時間は、ない」

 男の様子――こいつは気でも触れたか、という疑念の表情。
 
 何も気づいていない様子――近づいてくる足音も分からない程の愚鈍さ。
 
 もう、すぐそこまで、来ている。

「はぁ?」

 男のあげた間の抜けた声が、甲高い破砕音と、噴出す鮮血とに重なった。
 
 血に濡れた箇所の方が少ないといった有様の傭兵の身体へと、さらに血が降り注いで付着する。
 
 背後の男の喉に短剣――窓を砕いて飛来した投擲剣が喉を切り裂いたのだ。
 
 眼前の男の表情が恐怖に歪む――通常ならば百度は殺している。
 
 自身に浮いた慢心を反省し、傭兵は行動に移った。
 
 縄を揺らし男に肉薄、隙だらけの喉笛に食いつき、慢心の力を込めて食い破る。
 
「ひ――」

 声にならない悲鳴――口を開けるたび、壊れた玩具のように血が喉からせりあがる。
 
「……」

 言葉もなく、その兵士を見送った。
 
 明日は我が身か――一度、壊れたものがもとに戻ることはない。
 
「……喉、渇いたな」

 さほど離れていたわけでもない――それでも懐かしいと感じられる気配が近づいてくる。
 
 それを他所にして、傭兵の意識は、泥のような眠りの中へと引き込まれていった。
 
 けして消えない記憶と経験を、その身に刻み込み――
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