血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
(11/09)
(10/18)
(07/16)
(06/15)
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11222050 | [PR] |
02080011 | Day31 -童心- |
-ⅰ-
目覚めは、激痛をともなった。
森の奥深く、横たわる牙狼の亡骸――その内に抱かれた男、孤独な傭兵。
憔悴した頬には二条傷――臆病なうさぎが隠した牙、鳴尾恭平。
安らぎではない眠りから帰還した男は、憔悴しきっていた。
彼を死の半歩前まで追い詰めた強敵――物言わぬ亡骸たる密林の野獣。
牙もつ狼が残したもの――雑菌による発熱。
死へと半歩まで踏み込んでいた恭平を、高熱はさらなる苦境へと追いやった。
朦朧とする意識、視界はぼやけ、指先は麻痺した。
傭兵の選択――早急なる睡眠。
生存に一縷の望みと、闘争の意志を強く秘めて、恭平は牙狼の亡骸に寄り添い眠りについた。
それが昨晩――傭兵は朝日を再び目にした。
生き延びたのだ。
病魔は最も恐ろしい敵だった。
直接的な脅威は、取り除くこともできる。敵は、打倒すればいい。罠ならば、取り除けばいい。
いかに屈強な傭兵であろうと、歴戦の戦士であろうと、極小の細菌を切り刻むことはできない。
ここが都市ならば、有効な処方もあるかもしれない。
医学は進歩している。
しかし、それも限られた環境にあってのことだ。
鬱蒼とした密林――ここは、人間の土地ではない。
守られた環境を一歩踏み出せば、人も数ある獣のひとつに過ぎないのである。
獣は自然界のルールに逆らうことはできない――すなわち、食うか、食われるか。
頼りとなるのは、己の力だけ――眠りの狭間で繰りひろげられたのは、恭平と病との死闘である。
「……くっ」
朝日が、眼に差し込んで思わず顔を背けた。
発熱の影響か、いつも以上に光がまばゆく感じられ、直視に耐えなかったのだ。
牙狼の毛皮にもたれかかるようにして、光を避ける。
すっかり体温の去った肉体だが、恭平自身の熱が移り、よい防寒具と化していた。
恭平が病との戦いに勝利した理由のひとつ――病をもたらした牙狼が残した温もり。
季節は冬に差し掛かって久しい。
吐く息も白くなるほどにこの森も寒い。
その中にあって恭平が凍えずにすんだのは、牙狼の巨体が風防となってくれたからだ。
「……」
呼吸を整えて、じっくりと光に目を慣らす。
白んで見えた世界が、次第に色を取り戻し、いつもの風景が恭平の前に戻ってきた。
むしろ、以前よりもよく見えるぐらいだ――視神経が刺激されているのかもしれない。
「……強敵だった」
立ち上がり、恭平は倒れふした戦士にわずかながら黙祷をささげた。
勝負を分けたのは、最後の一撃。
牙狼の強力な歯牙が、恭平の身体をとらえていたなら、相打ちとなっていただろう。
あの一瞬――相手の肉体に短剣を打ち込みながら、刺さった刀身を支えとして恭平は跳躍した。
牙狼は恭平の眼前を通り抜け、そして、力尽きた。
恭平もまた、受身も取ることができず地面に叩きつけられたが、彼は生きていた。
そして、今も生きている。
二つの勝利を胸の内に隠し、恭平は感傷をぬぐい捨てた。
ただでさえ行程は遅れている。
体力も完全には戻っておらず、万全とは言いがたいが先を急がなければならない。
「……急がなくては、な」
ふらふらと歩きながら、恭平は自分の荷物を探した。
近くの草むらに倒れているそれを発見し、肩に担いで牙狼の遺体まで戻る。
「……お前に、感謝する」
そして、短剣を抜くと、恭平は静かに作業を開始した。
-ⅱ-
いつも以上の時間をかけて、肉の解体を終えた。
毛皮は防寒着に、牙は武器の素材ともなる。
肉は、ほんのわずかだけを削り取り、残りはその場に残した――他の獣が喰らい、自然へと戻すだろう。
埋もれた骨は墓標であり、十字架の代わりに短剣が地面に突き立っている。
太陽もずいぶんと高く昇り、恭平の体力もいくらか戻ってきていた。
赤く染まった下生えの草を見やり、荷物を背負うと恭平は歩き出した。
森の中を流れる風の中に、水の香りが混ざっている。
水の宝玉が生み出す透明な香りとはまた違った、濁りのある香り――自然の川が近くを流れているのだ。
頭を撫ぜると、血の塊がふけのようにパラパラと待った。
下着も服も、ことごとくが血まみれだ。
気になるわけではないが、これから先、血の臭いを振りまきながら進むことは避けたほうがいい。
水辺を見つけると、恭平は衣服のまま水のうちに飛び込んだ。
水中でシャツを脱ぎ、すべてを水に浸しながら手揉みに洗う。
時間のたった血痕は落ちなかったが、これだけで臭いはずいぶんと薄まるものだ。
生まれたままの姿で水中から身を上げると、身体の熱により蒸気が立ち昇った。
いまは水中の方が暖かなぐらいで、日中であろうとも外気は肌を裂くように冷たい。
荷物から厚手の布を取り出し腰に巻き、身体の上半身には血を拭いた狼の毛皮を纏いこんだ。
この獣臭は森往来のもの、恭平の姿を隠すには役立つ。
革のベルトに短剣をさし、腰の両端から下げた。
自然のうちに身体を乾かし、編みこみのブーツに足を通す。
その隙間に、やはり、投擲剣を差し込んだ。
傍目には森の蛮族のよう――胸元を止めるは、削りだされた狼の骨。
頭にも布を巻き、狼の頭部をフードのようにして被せた。
獣の気持ちとなって、再び歩き出す――最も険しい獣道を選び。
その姿は、雄々しい獣のように。
-ⅲ-
ふいに鼻を突いた場違いな金属の香り――恭平は川辺に茂る葦から顔を覗かせて周囲をうかがった。
突き出された狼の頭が、首の動きにあわせてふるふると揺れる――遠めには一匹の獣として映る。
人の気配があるではなし、ただ、微かな人の痕跡のようなものが漂っている。
それも、この島のものではない――より、文明の発達した。この世界のどこか。
ふいに忘れそうになるが、世の中の技術というのは進んでいるものだ。
食料の保存も、ずいぶんと楽になった。
そう、この臭いは――缶詰の臭いだ。少なくとも、それに近い何か。
微かな人の残り香と、自然にはない金属の集合体が放つ違和感を、恭平は察知したのだった。
視界の端で、何かがキラリと光る。
絶ち折られた木の株に、円筒形の何かが高く積み上げられていた。
アルミ缶――この島へと来て、これを見るのは初めてかもしれない。
港に行けば、缶詰は売りに出されている。日持ちがいいそれらは、貿易の品としても重宝されているから。
しかし、そこにアルミ缶はなかったはずだ。
目を凝らせば、表面にはオレンジを模したマーク――恭平が見慣れた他国の文字。
彼の血にも混じる、とある小さな島国の言語。
違和感――なぜ、これらがそこにあるのか。
罠を警戒しながら近づく、なにごともなく、たどり着いた。
やはり人の気配はなく、ただ、アルミ缶が置いてあるだけだ。
製造されて、まだ日の浅い――ましてや新品同然の品物。
「……貰っておくか」
飲み斧は大いに越したことはない。
恭平は、無造作に手を伸ばした――そして、飛びのいた。
生まれた気配は眼前。
アルミ缶の山を押しのけて、それは姿を現した。
円筒形のフォルム、古びて傷だらけになった身体、輝きを失いながらも威厳を称えた赤褐色。
冷気に触れて、冷え冷えとした身体からは冷徹な気配が漂っている。
それは、腕をひょいと伸ばして、恭平を指差すかのようなしぐさをした。
「……なんだ?」
短剣をすばやく抜き放ち、そいつを見下ろす三白眼――いつもよりは、わずかに見開かれている。
「……ふん」
何かを懐かしむように、その口の端がニッと薄く吊り上げられた。
――奇妙な戦いが始まろうとしていた。
目覚めは、激痛をともなった。
森の奥深く、横たわる牙狼の亡骸――その内に抱かれた男、孤独な傭兵。
憔悴した頬には二条傷――臆病なうさぎが隠した牙、鳴尾恭平。
安らぎではない眠りから帰還した男は、憔悴しきっていた。
彼を死の半歩前まで追い詰めた強敵――物言わぬ亡骸たる密林の野獣。
牙もつ狼が残したもの――雑菌による発熱。
死へと半歩まで踏み込んでいた恭平を、高熱はさらなる苦境へと追いやった。
朦朧とする意識、視界はぼやけ、指先は麻痺した。
傭兵の選択――早急なる睡眠。
生存に一縷の望みと、闘争の意志を強く秘めて、恭平は牙狼の亡骸に寄り添い眠りについた。
それが昨晩――傭兵は朝日を再び目にした。
生き延びたのだ。
病魔は最も恐ろしい敵だった。
直接的な脅威は、取り除くこともできる。敵は、打倒すればいい。罠ならば、取り除けばいい。
いかに屈強な傭兵であろうと、歴戦の戦士であろうと、極小の細菌を切り刻むことはできない。
ここが都市ならば、有効な処方もあるかもしれない。
医学は進歩している。
しかし、それも限られた環境にあってのことだ。
鬱蒼とした密林――ここは、人間の土地ではない。
守られた環境を一歩踏み出せば、人も数ある獣のひとつに過ぎないのである。
獣は自然界のルールに逆らうことはできない――すなわち、食うか、食われるか。
頼りとなるのは、己の力だけ――眠りの狭間で繰りひろげられたのは、恭平と病との死闘である。
「……くっ」
朝日が、眼に差し込んで思わず顔を背けた。
発熱の影響か、いつも以上に光がまばゆく感じられ、直視に耐えなかったのだ。
牙狼の毛皮にもたれかかるようにして、光を避ける。
すっかり体温の去った肉体だが、恭平自身の熱が移り、よい防寒具と化していた。
恭平が病との戦いに勝利した理由のひとつ――病をもたらした牙狼が残した温もり。
季節は冬に差し掛かって久しい。
吐く息も白くなるほどにこの森も寒い。
その中にあって恭平が凍えずにすんだのは、牙狼の巨体が風防となってくれたからだ。
「……」
呼吸を整えて、じっくりと光に目を慣らす。
白んで見えた世界が、次第に色を取り戻し、いつもの風景が恭平の前に戻ってきた。
むしろ、以前よりもよく見えるぐらいだ――視神経が刺激されているのかもしれない。
「……強敵だった」
立ち上がり、恭平は倒れふした戦士にわずかながら黙祷をささげた。
勝負を分けたのは、最後の一撃。
牙狼の強力な歯牙が、恭平の身体をとらえていたなら、相打ちとなっていただろう。
あの一瞬――相手の肉体に短剣を打ち込みながら、刺さった刀身を支えとして恭平は跳躍した。
牙狼は恭平の眼前を通り抜け、そして、力尽きた。
恭平もまた、受身も取ることができず地面に叩きつけられたが、彼は生きていた。
そして、今も生きている。
二つの勝利を胸の内に隠し、恭平は感傷をぬぐい捨てた。
ただでさえ行程は遅れている。
体力も完全には戻っておらず、万全とは言いがたいが先を急がなければならない。
「……急がなくては、な」
ふらふらと歩きながら、恭平は自分の荷物を探した。
近くの草むらに倒れているそれを発見し、肩に担いで牙狼の遺体まで戻る。
「……お前に、感謝する」
そして、短剣を抜くと、恭平は静かに作業を開始した。
-ⅱ-
いつも以上の時間をかけて、肉の解体を終えた。
毛皮は防寒着に、牙は武器の素材ともなる。
肉は、ほんのわずかだけを削り取り、残りはその場に残した――他の獣が喰らい、自然へと戻すだろう。
埋もれた骨は墓標であり、十字架の代わりに短剣が地面に突き立っている。
太陽もずいぶんと高く昇り、恭平の体力もいくらか戻ってきていた。
赤く染まった下生えの草を見やり、荷物を背負うと恭平は歩き出した。
森の中を流れる風の中に、水の香りが混ざっている。
水の宝玉が生み出す透明な香りとはまた違った、濁りのある香り――自然の川が近くを流れているのだ。
頭を撫ぜると、血の塊がふけのようにパラパラと待った。
下着も服も、ことごとくが血まみれだ。
気になるわけではないが、これから先、血の臭いを振りまきながら進むことは避けたほうがいい。
水辺を見つけると、恭平は衣服のまま水のうちに飛び込んだ。
水中でシャツを脱ぎ、すべてを水に浸しながら手揉みに洗う。
時間のたった血痕は落ちなかったが、これだけで臭いはずいぶんと薄まるものだ。
生まれたままの姿で水中から身を上げると、身体の熱により蒸気が立ち昇った。
いまは水中の方が暖かなぐらいで、日中であろうとも外気は肌を裂くように冷たい。
荷物から厚手の布を取り出し腰に巻き、身体の上半身には血を拭いた狼の毛皮を纏いこんだ。
この獣臭は森往来のもの、恭平の姿を隠すには役立つ。
革のベルトに短剣をさし、腰の両端から下げた。
自然のうちに身体を乾かし、編みこみのブーツに足を通す。
その隙間に、やはり、投擲剣を差し込んだ。
傍目には森の蛮族のよう――胸元を止めるは、削りだされた狼の骨。
頭にも布を巻き、狼の頭部をフードのようにして被せた。
獣の気持ちとなって、再び歩き出す――最も険しい獣道を選び。
その姿は、雄々しい獣のように。
-ⅲ-
ふいに鼻を突いた場違いな金属の香り――恭平は川辺に茂る葦から顔を覗かせて周囲をうかがった。
突き出された狼の頭が、首の動きにあわせてふるふると揺れる――遠めには一匹の獣として映る。
人の気配があるではなし、ただ、微かな人の痕跡のようなものが漂っている。
それも、この島のものではない――より、文明の発達した。この世界のどこか。
ふいに忘れそうになるが、世の中の技術というのは進んでいるものだ。
食料の保存も、ずいぶんと楽になった。
そう、この臭いは――缶詰の臭いだ。少なくとも、それに近い何か。
微かな人の残り香と、自然にはない金属の集合体が放つ違和感を、恭平は察知したのだった。
視界の端で、何かがキラリと光る。
絶ち折られた木の株に、円筒形の何かが高く積み上げられていた。
アルミ缶――この島へと来て、これを見るのは初めてかもしれない。
港に行けば、缶詰は売りに出されている。日持ちがいいそれらは、貿易の品としても重宝されているから。
しかし、そこにアルミ缶はなかったはずだ。
目を凝らせば、表面にはオレンジを模したマーク――恭平が見慣れた他国の文字。
彼の血にも混じる、とある小さな島国の言語。
違和感――なぜ、これらがそこにあるのか。
罠を警戒しながら近づく、なにごともなく、たどり着いた。
やはり人の気配はなく、ただ、アルミ缶が置いてあるだけだ。
製造されて、まだ日の浅い――ましてや新品同然の品物。
「……貰っておくか」
飲み斧は大いに越したことはない。
恭平は、無造作に手を伸ばした――そして、飛びのいた。
生まれた気配は眼前。
アルミ缶の山を押しのけて、それは姿を現した。
円筒形のフォルム、古びて傷だらけになった身体、輝きを失いながらも威厳を称えた赤褐色。
冷気に触れて、冷え冷えとした身体からは冷徹な気配が漂っている。
それは、腕をひょいと伸ばして、恭平を指差すかのようなしぐさをした。
「……なんだ?」
短剣をすばやく抜き放ち、そいつを見下ろす三白眼――いつもよりは、わずかに見開かれている。
「……ふん」
何かを懐かしむように、その口の端がニッと薄く吊り上げられた。
――奇妙な戦いが始まろうとしていた。
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