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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :11/23/11:46

12132247 Day29 -接点-

   -ⅰ-

 朝も、早く。朝もやの中を歩く――澱みないステップ――傭兵の歩き方。
 自身を誇示する騎士とも、整列乱れぬ兵士とも異なる。自分を殺した、歩法。

 カメレオンの如き擬態――内に死神を眠らせて、早朝の空気に紛れ込む。

 ポイズン・ラビット――臆病な捕食者、鳴尾恭平。

 静かな呼吸を繰り返す口元から、白い息が漏れた。

 偽島の漁師たちと、彼らから海幸を買いあさる商人たち――同様に早起きな。
 雑多な生の息づきに溢れた港市に、恭平の姿はあった。

 屈強な漁師たちのうちにあってさえも頭ひとつ高い。
 長い遺跡生活で伸びた髪を無造作に束ね、モスグリーンのジャケットを羽織っている。

 ある程度、温度の保たれた遺跡のうちとは違い、冷える。
 偽りの島は南方にあるとはいえ、肌寒いで済ますにはいささか厳しい季節であった。

 恭平の頬――二条の、野獣の牙にも似た傷跡。
 その疼き――あてられた視線。殺気でもない、敵意でもない、純粋な強さに反応。

 雑踏の果て、公園の入口、そこだけぽっかりと――人気のない空間。

 残された空隙を突くようにして、女傭兵は屹立していた。
 自身を束縛するように、完全武装――鮮烈な静けさをたたえた、顔見知り。

 類稀な存在感。しかし、誰も彼女に注意を払わない、払えない。

 ゆえに、サイレント――フォーマルハウト・S・レギオン。

 山猫のような眼がハッと見開かれ、すぐさま鷹のように鋭く細められた――傭兵の気付きを察知。
 潮風揺らすアイスブルーの髪を押さえて、フォウトは軽く会釈する。

「……あいつは」

 恭平の呟き――雑踏に掻き消されるほどに、ささやかな。

 巨体を滑らせるように移動――人混みの中にあって、誰に触れることもない。
 
 傭兵と女傭兵――潮騒を背にした臨海公園で相対。

 視線が交錯する――挨拶はない。

 どちらからともなく、並んで歩き出した。





   -ⅱ-

 人気もまばらな早朝の公園――散歩と呼ぶには難しい、並んで歩く二人の姿。

 傭兵と女傭兵――ともに完全武装。冒険者としての心がけ、それだけではない。
 女傭兵が歩くたび、ハーネスに取り付けられた短剣がかすかな音をたてる。

 多数の冒険者が訪れる偽りの島――街中での武装はけして禁じられていない。

「……しばらく、でもないな」

 恭平の第一声。視線は前に向け、相手を見ようとはしない。

 硬質な声――普段と変わらず。気負いも、特別な感情も、そこには感じられない。

「ええ――傷の具合は、いかがですか?」

 フォウトの問いかけ。横目に、傭兵の身体を見る。

 顔を視て話をするには見上げなければならない。するような相手でもない。

 共通認識――どこかしら、似たもの同士。それ以上でも、それ以下でもない、同業者。

「……おかげで、悪くない」

 恭平は薄く微笑んだ。

 薄暗い森のビヴァークポイント。無様な傭兵の姿。かいがいしい女傭兵の働き。
 あたえられたパンの味が甦る――単純なだけに強烈な、食という生の衝動。

 大きな貸しがある。

 受けた恩恵――傷の手当。肌の上を動く、女傭兵の手つきが思い起こされる。
 何度と、なく――幾百幾千も同様の手順を経てきたものの手つき。

 男と女のささやかな違い――細やかな気遣いの有無。

「……良さそうですね。流石は歴戦の方です」

 視線を前に戻す、フォウト。

 気になりはしたが、それを継続させはしない。女傭兵のルール。

 二人の間にある溝を、みだりに越えようとはしない――傭兵のルール。

「差し当たってお願いがあるのですが……宜しいでしょうか。
 先日の借りを返すと思って聞いていただければ幸いなのですが」

 単刀直入な言葉を紡ぎ、口を噤んだ。
 借り――自分から切り出すことで、それを相手に意識させる。女傭兵の交渉術。

 沈黙して恭平の半歩先を歩くその背中に、限界の意思を感じる。

「……なんだ?」

 半歩後ろ――女傭兵の視界の外で、恭平は頷いて先をうながす。
 フォウト――微細な気配の動きで、それを察知。

 傭兵にも恩義を感じる心はある。否、それを持たない者は、長く生きられない。

 相互扶助――傭兵の原則。たとえ、明日には首をかき切る相手だったとしても。

「お恥ずかしい話ですが、宝玉の守護者戦で大敗を喫してしまいまして。
 少々自分なりにいろいろと対策を考えたので、手合わせをお願いしたいのです」

 フォウト――うながされて、ようやく申し出る。

 宝玉の守護者――遺跡にて冒険者を待ち受ける熟練の者たち。

 水の守護者――ともに、撃破済み。

 風の守護者――実体を知らない傭兵。肌身に経験を刻みし女傭兵。
 風を操り、速度を主体とした戦闘を得意とする女。同様の戦型をとる傭兵たちにとって手強い相手。

 傭兵の思考――いつしか渡り合う相手であれば、フィードバックを得るまたとない機会。

「TCの中には、私のように近接しての斬撃を旨とするものがいないのですよ」

 傭兵が選ばれた理由――やはり、戦型の似た二人。

 かつては肩を並べて戦った。それに伴う、理解と、頼み易さ。

 互いの手の内を知る為に、より緊迫した戦闘が可能。

 ――傭兵同士の、相互扶助。

「いいだろう」

 首肯――即答する恭平。
 女傭兵が纏わせた空気に、最初からそれと知っていた。それほどの、即断。
 
 なによりも、傭兵を動かしたもの――女傭兵に対する興味。

「ありがとうございます」

 振り返る女傭兵の表情が、一瞬、それと分からないほどに和らいだ。

「無論、言うまでもありませんが手加減は一切不要です。
 ……隊の治療担当に叱られる可能性が極めて高いですが」

 表情を引き締めて、今度は相手の顔を見上げ、続ける。
 決意を秘めた瞳に、傭兵の姿が映りこんだ。

「悪いが……もとより、手加減などできん」

 相手に合わせて足を止める、恭平。薄く口元に笑みをたたえる。
 それに反して、言葉は研ぎ澄まされ、刃の相を帯びる。

「それは、よかった。こちらへ……」

 フォウト――踵を返し、再び、歩きだす。

「……できる相手でも、ないな」

 恭平――口中で言葉を噛み潰し、女傭兵の後を追う。

 決戦前の沈黙。

 凛と張り詰めた空気が、傭兵と女傭兵を赤い糸のように結んでいた。


   -ⅲ-

「ここで、いいでしょう」

 港のはずれ――放棄され朽ち果てた倉庫の扉をフォウトは開けた。
 腐った床板を軋ませて、中へと立ち入る。

 割れた樽が並ぶ広大な空間――今はない貿易会社の倉庫。なれの果て。

 女傭兵が選んだ、決戦の場所。

 事前の下調べは念入り――人間が二人、戦うには十分な広さ。

 穴の開いた天井から差し込む光が、倉庫内を薄ぼんやりと照らしだす。

 滑落した梯子、砕けた階段、散乱する木箱の残骸。

 三層からなる倉庫の構造は、遺跡内の回廊にも酷似していた。

 障害物の多さは、苦になりはしない。

「さっそくですが、始めましょうか」

「……ああ」

 並んで歩き、足を止めた場所は、倉庫の中央に位置する。

 傭兵と女傭兵――相対し、互いを見る。

「……お前と、戦う機会がくるとは、な」

「……ええ、分からないものですね」

 傭兵と女傭兵の微笑――見るものが見れば、戦慄。
 どちらも一瞬のうちに浮かび、そして、沈み込む。

 残された傭兵の面持ち――戦いに相手は関係ない。

「この命、落そうとも――」

「恨みっこは、なしだ――」

 同時――抜き放った短剣を交錯させる。

 冷たい刃と刃が交わる――触れ合う刃が、互いの高まりを伝える。

 向き合う、二つのポーカーフェイス。

 遠く海上――鳴らされた汽笛の音が、戦いの始まりを告げる。
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