血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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05101509 | Day34 -乙女- |
-ⅰ-
――それは、天啓だった。
三年ぶりに戻った街――かつて暮らした住まい。
その入り口に程近いゴミ捨て場の片隅に、彼女はそれを見つけた。
――少女だった。
雨が降っていた――春を迎えていない雨は冷たく、少女の身を濡らしていた。
身にまとう衣服が濡れそぼり、少女の豊かとはいえない肢体を浮かび上がらせていた。
上等な衣服だとひと目で知れた――それだけに、少女は哀れに見えた。
だが、何よりも彼女が惹かれたのは、少女の眼だ。
小さなアーモンド型の相貌は、諦めを知らなかった。
小さな身体を寒さに震わせながら、手足を縮こまらせて、それでも少女は諦めていなかった。
少女の意思――何かに向けられた闘争心とでも呼ぶべきもの。
彼女の身に刻まれた経験が、それを肌に感じ取っていた。
なんて、愛しい――そう、感じた。救いたいと思った。
独善的な考えではない――簡潔にそれは母性と呼ぶべきものだからだ。
親が子を救おうと思う心は、偽善ではない。
「……ねぇ、あなた……私の家に、来ない?」
気づけば彼女は少女に傘をかざし、そう聞いていた。
少女の視線が突き刺さる――警戒と怯えの入り混じった眼差し。
それを、正面から受け止めた。
時間が経った――数十秒か、数分か、数十分か。
時間が必要だった。
室温におかれた氷が溶けだすように、少女の心が溶けるのを待った。
自分の存在が少女を冷たい氷から救い出すのだと、直感があった。
彼女は微笑を絶やさない――そう、教わった。
――かつて、この少女と同じ眼差しをしていたころに。
「うー……!!」
やがて、気づけば雨も止んだころ。
少女の表情が和らぎ、年相応の幼さを浮かべて、そのまなじりに涙が浮かんだ。
その身体を抱きかかえて、懐かしの我が家へと彼女は歩き出す。
まずは、お風呂ねぇ♪――心のうちで、これからのことを考えながら。
-ⅱ-
琥珀色の液体を一口すすり、顔をしかめる。
すっかり冷めたそれは、お世辞にも美味いといえるものではない。
もっとも、それを淹れたのは自分自身であり、文句を言う相手もいないのだが。
しかめっつらでテーブルの上に置かれた品物を見やり――傭兵は、逡巡する。
たっぷり30秒悩んで、荷袋の中にそれを無言で押し込んだ。
荷袋から白い耳がぴょこんとはみだしたが、意図して意識の外へと追いやる。
――それは、天啓だった。
判断を間違えれば命を落とす――直感は限りなく正解に近いと、傭兵は知っている。
それに逆らおうと思っても、身体がいうことを聞くものではない。
落ち着かない気分のままでは、無事に旅を終えることもかなうまい。
「……行くか」
仏頂面でつぶやき、傭兵はカップもそのままに席を立った。
他の荷物を乱雑に袋へ押し込み、足早に傭兵は部屋を後にする。
重たい木の扉は軋みにベルの音を伴って、部屋の主を送り出した。
――休日は終わり、探索の日々が再び始まる。
-ⅲ-
「……あらあら」
唐突に彼女は、夢の中にいる自分を自覚した。
アトリエの一角――庭園を望む窓際の席に腰をかけている。
そこは、彼女の指定席であった。
最初、記憶の世界にいるのだと思った。
だが、そうではない――庭園の木々の伸びやかな成長はあまりにも自然すぎる。
注意深くあたりを見渡してみれば、見知らぬ調度品も増えていた。
それらは遺跡の中でしか得られない、材料の数々だ。
アトリエに満ちた空気に、他者の臭いが漂っている。
粗野にして怜悧な香り――だが、不思議と違和感は感じない。
自分という色に似通った色が、この空間に上塗りされているのだ。
――そのように感じられたのは、彼女の直感の鋭さを示している。
「……どういう、ことなのかしら……」
ぼんやりと――いつもそうしていたように頬へ手をあてて、考える。
右手は優雅に動き、眼前のティーカップを口元に運んでいた。
無意識の動作――それが、彼女のお気に入りのカップであったため。
冷えた琥珀色の液体は、まるで泥のように渋みを彼女の口中にもたらした。
「……ふふ、ゆとりのもてない方なのね」
舌先で味わい、喉へと流し込んだ。
そのように分析してみせるのは、彼女にもそういった時期があったからだ。
機会があればコーヒーの淹れ方ひとつ、レクチャーしてあげたくもある。
――時を隔てて同じ家に住まう者同士、縁はあるのだと思う。
「……変わっていないようで、変わってしまったのかしらねぇ?
――ここも、私も……」
楽しげにうっすらと微笑み、彼女はカップを手に席を立った。
かってしったる流し台へと運び、水につけて洗い流す。
壁に立てかけられた無数の短剣から、無造作に数本を選び出し身に隠した。
そうして、荷を持つでもなく、アトリエを後にする。
乾いたベルの音は昔と変わらず、かつての主を送り出した。
夢の中なら、どこへなりと行けよう――好奇心を胸に、彼女は町へと歩き出す。
-ⅳ-
勝負を終えた傭兵は、先を急いでいた。
日が暮れるまでに遺跡へと戻り、探索を再開しなければならない。
一度、来た道を戻り、路地を抜けて、遺跡へと至る本道に抜ける。
そこには傭兵と同じタイミングで遺跡外へと抜け出でた冒険者たちの姿が見受けられた。
彼らの急速も終わり、再び遺跡を目指しているのであろう。
「……うかうか、していられんな」
今回の旅路には目的がある。
得られた情報――遺跡の中に待ち受けるもの。
それを打倒せねば、傭兵に道はない。
勝利を得る他に、道はないのだ。
物思いに耽る眉間には皺がより、近寄りがたい空気を醸し出す。
イメージ内で想定敵との戦いを繰り返しているのだ。
擬似的な型稽古に似たそれは、いざという時の判断に大きく関わる。
生死を分けるのは、一瞬の行動でしかない。
「……」
その思考に触れる、雑音とでも呼ぶべき感応があった。
数瞬、傭兵の足が止まり、怪訝そうにその視線があたりをさまよう。
「……誰、だ?」
何人かの冒険者が、傭兵を追い抜いて遺跡へと繋がる回廊に姿を消していった。
――僅かな揺らぎを感じると同時に、雑音は消えた。
「……遺跡に、潜ったか」
この目で見たわけではないが、その答えは間違いではなかろう。
眉間に皺を浮かべ――後を追うべく恭平は、足を速めて遺跡へ戻っていった。
-ⅴ-
遺跡へと通じる魔法陣に足を踏み入れて、彼女は懐かしく思い出していた。
遺跡のうちへと入るには思い出が必要となる――記録地点となる魔法陣の記憶。
一度、偽りの島を離れた彼女は、その全てを失ってしまっている。
はたして、遺跡が受け入れてくれるのか、不安はあった。
「……あら?」
その脳裏に、閃くものがあった――彼女の見知らぬ風景は、遺跡内のものに相違ない。
その鮮明な思い出が、彼女を戸惑わせた。
一度も訪れたことのない地であるにも関わらず、昨日訪れたかのように感じられるのだ。
既視感と呼ぶには生々しく、自分の正常さを少なからず疑ってみる。
「夢の産物とでも、いうのかしら」
徐々に視界が歪み、遺跡内外の風景が溶け合わさっていく。
「……誰、だ?」
表とも裏とも知れぬ異空間に、問いかける男性の声を聞いたような気がした。
しかし、気づけば遺跡の中であり、雑音に程近いそれは意識の外へと追いやられてしまう。
以前よりもピリピリとした遺跡内の空気が彼女の肌を刺した為だ。
気持ちが引き締まり、不思議と身体が軽くなって感じられた。
「ここが、遺跡? ずいぶんと、嫌なところに、なったものねぇ」
視界の果てに、砂の回廊が一本道として映って見える。
いや、それ以外に道が感じられないと、言うべきか。
「そちらに、行けと? 夢にしては、勝手なものだわ……」
両の手のひらを広げ、嘆息してみせる。
それで、彼女の選択肢が広がるわけでもないが――気分的なものだ。
「いいわよぅ……行ってあげようじゃないの。
誰だか、知らないけれど――楽しませてあげるわぁ♪」
不適な笑み――その図太さ。
過ごしてきた年月が、そのまま彼女の力となっていると言うのが正しい。
前を見やり、彼女は威風堂々と歩き出した。
その遥か後方を、追う男の影に気づくこともなく。
――それは、天啓だった。
三年ぶりに戻った街――かつて暮らした住まい。
その入り口に程近いゴミ捨て場の片隅に、彼女はそれを見つけた。
――少女だった。
雨が降っていた――春を迎えていない雨は冷たく、少女の身を濡らしていた。
身にまとう衣服が濡れそぼり、少女の豊かとはいえない肢体を浮かび上がらせていた。
上等な衣服だとひと目で知れた――それだけに、少女は哀れに見えた。
だが、何よりも彼女が惹かれたのは、少女の眼だ。
小さなアーモンド型の相貌は、諦めを知らなかった。
小さな身体を寒さに震わせながら、手足を縮こまらせて、それでも少女は諦めていなかった。
少女の意思――何かに向けられた闘争心とでも呼ぶべきもの。
彼女の身に刻まれた経験が、それを肌に感じ取っていた。
なんて、愛しい――そう、感じた。救いたいと思った。
独善的な考えではない――簡潔にそれは母性と呼ぶべきものだからだ。
親が子を救おうと思う心は、偽善ではない。
「……ねぇ、あなた……私の家に、来ない?」
気づけば彼女は少女に傘をかざし、そう聞いていた。
少女の視線が突き刺さる――警戒と怯えの入り混じった眼差し。
それを、正面から受け止めた。
時間が経った――数十秒か、数分か、数十分か。
時間が必要だった。
室温におかれた氷が溶けだすように、少女の心が溶けるのを待った。
自分の存在が少女を冷たい氷から救い出すのだと、直感があった。
彼女は微笑を絶やさない――そう、教わった。
――かつて、この少女と同じ眼差しをしていたころに。
「うー……!!」
やがて、気づけば雨も止んだころ。
少女の表情が和らぎ、年相応の幼さを浮かべて、そのまなじりに涙が浮かんだ。
その身体を抱きかかえて、懐かしの我が家へと彼女は歩き出す。
まずは、お風呂ねぇ♪――心のうちで、これからのことを考えながら。
-ⅱ-
琥珀色の液体を一口すすり、顔をしかめる。
すっかり冷めたそれは、お世辞にも美味いといえるものではない。
もっとも、それを淹れたのは自分自身であり、文句を言う相手もいないのだが。
しかめっつらでテーブルの上に置かれた品物を見やり――傭兵は、逡巡する。
たっぷり30秒悩んで、荷袋の中にそれを無言で押し込んだ。
荷袋から白い耳がぴょこんとはみだしたが、意図して意識の外へと追いやる。
――それは、天啓だった。
判断を間違えれば命を落とす――直感は限りなく正解に近いと、傭兵は知っている。
それに逆らおうと思っても、身体がいうことを聞くものではない。
落ち着かない気分のままでは、無事に旅を終えることもかなうまい。
「……行くか」
仏頂面でつぶやき、傭兵はカップもそのままに席を立った。
他の荷物を乱雑に袋へ押し込み、足早に傭兵は部屋を後にする。
重たい木の扉は軋みにベルの音を伴って、部屋の主を送り出した。
――休日は終わり、探索の日々が再び始まる。
-ⅲ-
「……あらあら」
唐突に彼女は、夢の中にいる自分を自覚した。
アトリエの一角――庭園を望む窓際の席に腰をかけている。
そこは、彼女の指定席であった。
最初、記憶の世界にいるのだと思った。
だが、そうではない――庭園の木々の伸びやかな成長はあまりにも自然すぎる。
注意深くあたりを見渡してみれば、見知らぬ調度品も増えていた。
それらは遺跡の中でしか得られない、材料の数々だ。
アトリエに満ちた空気に、他者の臭いが漂っている。
粗野にして怜悧な香り――だが、不思議と違和感は感じない。
自分という色に似通った色が、この空間に上塗りされているのだ。
――そのように感じられたのは、彼女の直感の鋭さを示している。
「……どういう、ことなのかしら……」
ぼんやりと――いつもそうしていたように頬へ手をあてて、考える。
右手は優雅に動き、眼前のティーカップを口元に運んでいた。
無意識の動作――それが、彼女のお気に入りのカップであったため。
冷えた琥珀色の液体は、まるで泥のように渋みを彼女の口中にもたらした。
「……ふふ、ゆとりのもてない方なのね」
舌先で味わい、喉へと流し込んだ。
そのように分析してみせるのは、彼女にもそういった時期があったからだ。
機会があればコーヒーの淹れ方ひとつ、レクチャーしてあげたくもある。
――時を隔てて同じ家に住まう者同士、縁はあるのだと思う。
「……変わっていないようで、変わってしまったのかしらねぇ?
――ここも、私も……」
楽しげにうっすらと微笑み、彼女はカップを手に席を立った。
かってしったる流し台へと運び、水につけて洗い流す。
壁に立てかけられた無数の短剣から、無造作に数本を選び出し身に隠した。
そうして、荷を持つでもなく、アトリエを後にする。
乾いたベルの音は昔と変わらず、かつての主を送り出した。
夢の中なら、どこへなりと行けよう――好奇心を胸に、彼女は町へと歩き出す。
-ⅳ-
勝負を終えた傭兵は、先を急いでいた。
日が暮れるまでに遺跡へと戻り、探索を再開しなければならない。
一度、来た道を戻り、路地を抜けて、遺跡へと至る本道に抜ける。
そこには傭兵と同じタイミングで遺跡外へと抜け出でた冒険者たちの姿が見受けられた。
彼らの急速も終わり、再び遺跡を目指しているのであろう。
「……うかうか、していられんな」
今回の旅路には目的がある。
得られた情報――遺跡の中に待ち受けるもの。
それを打倒せねば、傭兵に道はない。
勝利を得る他に、道はないのだ。
物思いに耽る眉間には皺がより、近寄りがたい空気を醸し出す。
イメージ内で想定敵との戦いを繰り返しているのだ。
擬似的な型稽古に似たそれは、いざという時の判断に大きく関わる。
生死を分けるのは、一瞬の行動でしかない。
「……」
その思考に触れる、雑音とでも呼ぶべき感応があった。
数瞬、傭兵の足が止まり、怪訝そうにその視線があたりをさまよう。
「……誰、だ?」
何人かの冒険者が、傭兵を追い抜いて遺跡へと繋がる回廊に姿を消していった。
――僅かな揺らぎを感じると同時に、雑音は消えた。
「……遺跡に、潜ったか」
この目で見たわけではないが、その答えは間違いではなかろう。
眉間に皺を浮かべ――後を追うべく恭平は、足を速めて遺跡へ戻っていった。
-ⅴ-
遺跡へと通じる魔法陣に足を踏み入れて、彼女は懐かしく思い出していた。
遺跡のうちへと入るには思い出が必要となる――記録地点となる魔法陣の記憶。
一度、偽りの島を離れた彼女は、その全てを失ってしまっている。
はたして、遺跡が受け入れてくれるのか、不安はあった。
「……あら?」
その脳裏に、閃くものがあった――彼女の見知らぬ風景は、遺跡内のものに相違ない。
その鮮明な思い出が、彼女を戸惑わせた。
一度も訪れたことのない地であるにも関わらず、昨日訪れたかのように感じられるのだ。
既視感と呼ぶには生々しく、自分の正常さを少なからず疑ってみる。
「夢の産物とでも、いうのかしら」
徐々に視界が歪み、遺跡内外の風景が溶け合わさっていく。
「……誰、だ?」
表とも裏とも知れぬ異空間に、問いかける男性の声を聞いたような気がした。
しかし、気づけば遺跡の中であり、雑音に程近いそれは意識の外へと追いやられてしまう。
以前よりもピリピリとした遺跡内の空気が彼女の肌を刺した為だ。
気持ちが引き締まり、不思議と身体が軽くなって感じられた。
「ここが、遺跡? ずいぶんと、嫌なところに、なったものねぇ」
視界の果てに、砂の回廊が一本道として映って見える。
いや、それ以外に道が感じられないと、言うべきか。
「そちらに、行けと? 夢にしては、勝手なものだわ……」
両の手のひらを広げ、嘆息してみせる。
それで、彼女の選択肢が広がるわけでもないが――気分的なものだ。
「いいわよぅ……行ってあげようじゃないの。
誰だか、知らないけれど――楽しませてあげるわぁ♪」
不適な笑み――その図太さ。
過ごしてきた年月が、そのまま彼女の力となっていると言うのが正しい。
前を見やり、彼女は威風堂々と歩き出した。
その遥か後方を、追う男の影に気づくこともなく。
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