血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
(11/09)
(10/18)
(07/16)
(06/15)
(06/15) |
|
11221038 | [PR] |
02090247 | Mercenary across the deadline. |
――お茶目な同業者に送る。
-ⅰ-
響きわたる汽笛に、澱んだ空気がピリピリと震える。
偽りの島にある唯一の、名前すらない小さな町。そのはずれもはずれの港内倉庫。
貨物もそのままに、訪れる者も絶えて久しい――時が静止したかのような空間。
つもりにつもった埃に真新しい足跡――獲物を抜き放ち、向かい合う男と女の姿。
交差する熱っぽい視線――恋する乙女のように、揺らめく闘志を秘めている。
歩んできた道のりの異なる二人――だが、どちらもが戦場の犬であることに変わりはなく、数え切れないほどに最低野郎となじられ生きてきた二人。
傭兵――世界中の汚物をぬぐってまわる、最も汚れた掃除人。
その、二人。
「性別で侮らぬこと、感謝いたします」
女傭兵の凛々しい声――フォーマルハウト・S・レギオン
紫の焔を宿した相貌、左右非対称に整えられた鈍色の髪、長く垂らした髪を束ねる民族風の髪留め、風にそよぎ揺れる布マフラー、しなやかな体躯を包む硬質な傭兵服、全身に取り付けられた多種多様の兵装――肉食を思わせる猫科の眼光。
ただ一撃のために研ぎ澄まされた、脆くも鋭い硝子の刃を体現したかのような女。
短剣を突き出して、揺ぎなく立つ様は、端正な彫刻を思わせる。
短剣――“豊穣の狼”と銘打たれた、唯一無二の大業物。
それは彼女の指先――そう自分自身でも思えるほどに、握りが手に馴染んでいた。
彼女の体温がうつったのか、そのほのかな温もりは、心を落ち着かせてくれる。
(――これから、戦いが始まる)
屈辱的な敗北から数日――心の奥底で「ゴウゴウ」と音をたてる焔は、今も燃えている。
焔はフォウトの全身に火をつけ、彼女を何かに駆り立てようとしていた。
それが何かは分からない――ただ、それを欲している、無我夢中に求めている。
――焦燥感が、身を焦がしている。
しかし、今だけは、このひと時だけは落ち着いていられた。
繰り返される静かな呼吸――戦場でだけは、いつよりも冷静沈着でいられる。
――そのように生きてきた。それこそが、彼女を形作っていた。
だから、その時を待っている――自ずから戦いが始まる、その時を。
――そして、刃は触れ合った。
「――いざ!!」
互いの身体が同時に動くのを知覚して、彼女は言葉を発した。
刃と刃が打ち合い、甲高い金属音があがる――鋼が擦れ、薄闇に火花が散る。
鼻先を掠めたグルカ刀――カミソリのような切れ味。鈍色の前髪がハラハラと散るを嘆くでもなく、フォウとは地を蹴る。全速で後退、一瞬のうちに加速した。
直後――傭兵の逆手短剣が跳ね馬のように振り上げられ、虚しく宙を切る。その軌跡が闇の中にくっきりと浮かび上がって見える――殺気の残滓。
短剣越しに傭兵の視線が自分を追ってきている――肌が粟立ち、全身で感じる。
戦いが、二人の距離を限りなくゼロにする――けして、混じりあうことのない二人。
馴れ合いではない――ここには、友情も、何もない。
似たもの同士――惹かれあい――それだけに、憎みあう。
――ともに、命のあらんことを。
急速に傭兵から距離を置きながら、フォウトはそっと天を思い、祈り――そして、それを忘れた。
-ⅱ-
「……ふん。思い切りがいい」
傭兵のつぶやき――“狂兵”鳴尾恭平。
理性をたたえた血錆色の瞳、無造作に束ねた金髪、モスグリーンの野戦ジャケット、白のタンクトップ&迷彩ズボン&編み上げブーツ、腰を一巡する骨のバックル、収納された無数の投擲剣、頬には二条の牙状傷――群れからはぐれた孤独な狼のたたずまい。
踏まれても踏まれても絶えることのない雑草の気骨さを感じさせる大男。
体重を感じさせない軽やかな動きで、床板を軋ませることなく移動。
すでに女傭兵は闇に紛れて消えた――互いに無音、恐ろしく静かな戦いを開始。
――闇の中を悠々と歩く、焦ることに意味はない。
「……かくれんぼ、か?」
公園を散歩するような足取りで、倉庫内を練り歩く。
ときおり、遮蔽物の陰から刺すような視線――女傭兵の存在を感じる。
がっついたりはしない――二人の根競べ。
呼吸は正確に三度――それに合わせて、歩みも三歩。
流れるような動きで投擲剣を抜刀――動作のままに筋肉質な腕をしならせて、あらぬ方向へと投擲剣を解き放つ。
大気を切り裂くかすかな風切り音をたてて投擲剣は飛翔――遮蔽物から駆け出でた女傭兵を強襲。
「……化かしあいは、終わりだ」
「――見切っていましたか」
フォウト――路地裏に住まう猫の足取り。視線はおとり、仙導を用いた裏の裏。彼女の実体は傭兵の背後を選び、とどまることなく移動を続けていた。
死角から迫る投擲剣は察知済み――危険に鼻が利かなければ生き残ることは難しい。
再び天を仰ぐ――「消えて後無い天のが原、打つも果てるも火花のいのち……」
祈るように呪を口に――ジプシーに伝わる仙導、意識が澄みわたっていく。
搾り出された呼気に次ぐ、潜水者の一呼吸――強く瓦礫を蹴り、マフラーをはためかせ、風さえも置き去りに――速度の海に、深く潜りこむ。
山猫の疾走――遥か後方、完全に標的を外した投擲剣が貨物の木枠に突き立つ音。
「互いに似たような手の内でありましょう――これを……かわせますか!!」
速度を落とさないまま瞬転――太腿のナイフホルダーに指をかける。
前方に傭兵の姿をとらえると同時、投擲用ダガーを抜き放つ――フォウト自身の速度をも加算された投擲用ダガーが、五筋の流星と化して恭平を狙い撃つ。
刃が達するよりも早く傭兵を貫くもの――研ぎ澄まされた女傭兵の殺気。
視えざる死線が傭兵の肌を刺し、痛みさえも覚える。
直感めいた恭平の行動――足下の床板を鋼鉄仕込の編み上げブーツで強く踏み抜いた。腐った床板はたやすく砕け、大小の木片と化しながら宙に舞いあがる。
投擲用ダガーが飛来――そのうちの二本は木片に阻まれ床に落ちた。
残る三筋の流星――木片の合間を掻い潜り、恭平の身体にぶちあたった。
急所を守るべく交差された両腕、丸められた恭平の体――右肩、左前腕、左脇腹―
―肌から生える金属の色、鍛えられた鋼の肉体に突き刺さる投擲用ダガー。
「……入りましたね」
目を閉じて、フォウト――遠方の接触を知覚。
「……この程度で、終わりではないのでしょう?」
口元に薄い笑み――薄闇の向こう側へ、問いかけた。
「……ふん」
応じる恭平の獣じみた笑み――全身に力を込める。筋肉が盛り上がり、刃渡りの短
い投擲用ダガーが吐き出される。損傷は軽微――見せ掛けは派手だが、表面上のこと。
投擲用ダガーの軌跡から女傭兵の居場所を逆算――床板を蹴って跳躍、放置された
木製棚の上へと飛び乗って疾走、わざと立てる足音。
――存在を知らしめ、次の戦場へと女傭兵を誘う。
-ⅲ-
「……動きましたね」
フォウト――死角から迫る傭兵の足音を察知。
放棄された積荷を蹴りあがり、木製棚の上へ。
真っ向から受けて立つ――その足下は幅一尺にも満たない。
二つの足音が、急速に近づく。
「痛みは極力与えませんが、裂傷の多少は覚悟していただきましょう……!!」
浮かびあがる傭兵の影を見据えてフォウト――投擲用ダガーを投じるため肩口のホ
ルダーに収納されていた近接専用の短剣をスラリと抜く。
『豊穣の狼』と銘打たれた一振り――フォウトという刃の主が鍛えた彼女の牙。
「――いきます」
フォウトの先制――短剣を真っ直ぐに突き出す。雷撃のような一撃。
恭平の右腕が反応――手にしたグルカ刀の背で、短剣の刃を受け流す。
流された力に逆らわず反転――背を向けるのは一瞬、ステップを踏んで放たれる左
後方側頭蹴り――引き戻した右腕で恭平がブロック。
しなやかな一撃が残した痺れ――構わずに左手のグルカ刀を振るう。再び空を切る。
消失した標的――残された軸足で跳び、恭平の右肩を足場にして背後へと回るフォ
ウト。傭兵の背を越えながら後ろ向きに短剣を一閃――前へ身を投げ出して、木製棚
の上を転がり回避する恭平――二人の立ち位置が入れ替わる。
踏み出すのは同時――短剣とグルカ刀が間の空間で激突、金属音は七度、目にも止
まらない速さで振るわれた傭兵たちの牙。繰り返される剣戟の音――悲鳴をあげたの
はグルカ刀、刀身のなかほどで綺麗に断ち折られた――武器の優越では女傭兵に軍配。
傭兵の即断――折られたグルカ刀を投げ捨て、新たに投擲剣を引き抜く。
間一髪、女傭兵の一撃を受ける――投擲剣とグルカ刀を十字に重ね、せめぎ合う。
至近距離で火花を散らす血錆の瞳と紫炎の瞳――フォウトの眼が鈍い光を帯びる。
妖しい輝きを写して、恭平の瞳も紫に染まる。
「私の戦場の記憶、その欠片。貴方には、如何に映るのでしょうね」
体格で勝る男に、一歩とて引かないフォウトの言葉――傭兵の心にぞわりとくる感
覚。次の瞬間、何の予兆もなく――見知らぬ戦場に放り落とされた。
回避不可能な斬撃――鍛え上げられた胴体からごろりと首が落ちる。恭平の、否、
彼にどこか雰囲気の似た男の首――落した者は見えない、恭平の視線は彼の視線、見
えるのは冷たい大地、引き込まれるのは暗い闇。
恐怖を伴う理解――のまれれば最後、闇から這い上がることはかなわない。
「――おォッ!!」
傭兵の裂帛――幻覚からの脱出と同時、放たれた前蹴りがフォウトの腹を打つ。
「……くっ」
苦悶のうめきをあげ、後ろに跳ぶ女傭兵――目の紫の輝きが薄れて消える。
破られた幻術――彼ではない男は、闇にのまれなかったのだと知る。
「まだ……終わりません!!」
たたらを踏む傭兵、その首筋に異様な蚯蚓腫れ――幻術の後遺症、動きは鈍い。
見逃すほど甘くはないフォウト――苛烈な踏み込み、続けざま短剣の刃を叩き込む。
――急所を狙った連続攻撃、容赦なく肉を刻んだ。
致命傷を避けたのはさすがといったところ――跳びすさり、女傭兵から身を引きな
がら、傭兵は自身の頬を殴りつけた。視界を揺らす衝撃――まさに、火花の散るよう。
幻覚と現実の二重写しだった世界が色を帯び、たちどころに現実へと引き戻される。
引き裂かれたモスグリーンのジャケットを脱ぎ捨て、自身の一撃で裂けた口中の血
を吐き捨てる。上半身は血の赤に染まりつつあるタンクトップのみ――古傷だらけの
体躯が剥きだし、激しい運動に熱を帯びた肌から白い蒸気が立ち昇った。
――全身を血に浸して、その闘志はいっそう燃え上がる。
-ⅳ-
「……来い」
よく響くバリトン――わずかな足場でリズムを刻み、その場から動かない。
ゆっくりと手を差し出して、人差し指と中指をクイクイと曲げる――挑発。グルカ
刀と投擲剣を逆手に握り直し、ファイティングポーズ。まるで、ボクサーの真似事。
キッと眼を鋭くしたフォウト――一息に距離を詰めて肉薄、地を這う蛇のような低
姿勢、傭兵との身長差を逆手に。左手で正中線を守り、右手肘を下に向けて掌を上に
短剣を突き出して構える。見事な、フェンシングの模写。
「――申し訳ありませんが、容赦はできかねます」
神速という他ない三段突き――低姿勢から繰り出される短剣、とらえるは至難の業。
だがしかし、恭平――予測していたかのようにバックステップ。
巧みな回避技術を披露――必要最小限の動きで間合いの外へ、限界まで伸ばされた
剣先が表皮一枚を突き、引き戻される。
タイミングを合わせて、踏み込む――蹴り上げるように右足をしならせる。
咄嗟に上体を仰け反らせる女傭兵――鉄板仕込の靴先が、顎を掠めて視線を横切る。
まともに受ければ顎が砕けていてもおかしくない一撃。そのまま体操選手のように後
転、距離をとって再び蛇の構え。
顎から流れる血を拭う女傭兵――「……これしきのこと!!」
「……当然だ」
挑戦的な態度の傭兵――ファイティングポーズを解除、獲物を収めて徒手空拳。
拳を軽く握って、両手首を軽く振るう――響く風切り音、グローブから伸びて奔る
極細の金属繊維。恭平、第二の武器――鋭利な鋼線は、時としてナイフ以上の鋭さ。
「……いくぞ」
軽く握りこんだ両の手が大きく振るわれる――閃く銀糸、咄嗟に跳躍する女傭兵。
一瞬の後、音を立てて木製棚が崩落。視えざる刃――触れたものを全て、見境なく切
断。
「なっ」
突如として左腕を引かれる女傭兵――空中でバランスを崩し、羽をもがれた蝶のよ
うに床の上へと墜落。受け身を取り、床を転がりつつ短剣を一振り――腕に絡んだ鋼
線を断つ。
「しまっ――」
致命的な一瞬の空隙――それだけで十分、女傭兵の身に落ちる影。
起き上がるよりも早く――無数の銀線が、女傭兵目掛けて迸った。
-ⅴ-
「――なんの!!」
――上空から猛禽のごとく襲い掛かる鋼線を、迎え撃つ刃が弾いた。
刃と極細の鋼線とが打ち合い、闇の中に火花を散らす。
軌道を変じられた鋼線は、フォウトの急所を外れてその傭兵服を切り裂いて過ぎた。
鋼線が引き戻される空隙――地面を転がり、その勢いをもってして立ち上がる。
身をかばった両腕を中心として切り裂かれるも軽傷――裂けた傭兵服から覗く浅焼けの肌に血の化粧。妖艶なまでの凄絶さを帯びる。
唾とともに血を吐き捨て、両の手に短剣を油断なく構えると同時、鋼線の第二撃がきた――傭兵が着地すると同時に放った、横振りの一閃。
四筋の鋼線が大地と平行に、フォウトへと唸りをあげて迫り来る。
「負けません!!」
フォウトは地を蹴った。身を捻り、鋼線と鋼線の合間を潜り抜ける。
銀光が鼻先を掠めて後方へと流れる――靴の先を、削ぎ落とされた。
「……それを、かわすか」
鋼線を切り離し、傭兵がフォウトを見た。
荒い息をついてはいるが、戦意を失ってはいない――幽鬼の如く、立ちはだかる。
「ぐ、うっ……! まだ、まだやれます……! 遠慮は無用、参られよ!」
咥内の血液をぷっと横に吐き、フォウトもまた、真っ向から眼前の同業者を見据えた。
――互いに、満身創痍。決着のときは近い。
「……俺の全てを、受け止めてみせろ!」
傭兵が、吼えた。最後の短剣を引き抜き、フォウトへと肉薄する。
――早い。それが、最後の猛りだったとしても。
「一つ!」
傭兵は、上段から牙のように短剣を振り下ろす。
フォウトは、自らの獲物でそれを受け流した。
一撃の重みに耐えかねて、後ろへとよろめく。
「二つ!」
傭兵はさらに短剣を引き抜いて、両側から挟みこむようにして振るう。
必要最小限の動き――半歩引いて、フォウトはそれをかわした。
「甘いぞ――三つ!」
傭兵もまた踏み込む――中心で重なった斬撃が上下に分かたれ、十字を描いた。
フォウトは咄嗟に上体をそらすが、傭兵服を断たれてしまう。
――胸元からへそ先まで、肌が露となった。
羞恥心を感じる余裕もない――そもそも、戦場でそんなことを感じる心はないが。
「四つ!」
左手の短剣を投げ捨て、傭兵が予備のワイヤーを引き抜いた。
その動作を目にした瞬間、反射的にフォウトは短剣を振るう。
出だしのワイヤーが切断され、弧を描きながら宙へと舞い上がる。
「やるな――五つ!」
ニヤリと笑い、傭兵が大きく跳んだ――距離をとり、自由となった手で投擲剣を放つ。
その数、五本――間隔をずらして放たれた投擲剣が薄闇を切り裂いて飛翔する。
「あ゛あ゛あ゛!!」
フォウトの絶叫――溺れた者のように深く息を吸い、歯を食いしばった。
傭兵よりも早く、飛翔よりも早く――電光石火、一瞬のうちに全ての投擲剣を叩き落して、傭兵の懐へと飛び込んでゆく。
「軌道が、直線的に、過ぎます――覚悟!」
自身を弾丸と化して、傭兵の急所を狙う――全てを、一撃にかける。
それをまた、傭兵も見据え――。
「――六つ。受けてみろ! フォーマルハウト・S・レギオン――!!」
迎え撃つように、傭兵の気が裂帛した。
切断され地に落ちていた鋼線を、自身の指肉を切り裂くのもかまわず絡めとる。
一振りでそれを自身の腕に巻きつけ、抉るようにして拳を突き出し解放した。
複雑に絡み合った銀糸は、螺旋を描きながら女傭兵に迫る。
「まだ……!!」
フォウトはそれを断ち切るべく短剣を振るった。
それに合わせて傭兵の指先が動く――肉が削げ落ち、白い骨が覗いた。
――短剣を空を切る。
銀糸はまるで生き物のように広がり、女傭兵に襲い掛かった。
――肩に、膝に、腿に、突き刺さり、引き裂く。
「ま、だ!!」
全身がバラバラになりそうだった。それでも、フォウトは前進する。
「……見事だ」
歯を食いしばり、髪をべったりと血に濡らして迫る女を、傭兵はじっと見た。
一歩、また、一歩と近づき、フォウトは男の前に立つ。
力なく、短剣を突き出し――その手を傭兵に引かれて、彼女はたたらを踏んだ。
「――お見事……ッ」
傭兵の肩に“豊穣の狼”を突きたてたのを最後に、フォウトの小柄な身体は前方に投げ出される。
どうにか受身を取ると共に、呟きが漏れる。
立ち上がろうとしたが、どこにも力が入らなかった。
「……」
無言のまま、その脇に傭兵が立つ。
――とどめか。
練習試合である以上、命を奪われることはない。
そのような考えはもはや頭になく、フォウトは死を覚悟した。
脳裏に浮かんだのは――。
ドサリと、何か重たいものが落ちる音を聞きながら、フォウトは気を失った。
――そばに何者かのぬくもり。
「…………さん」
――それが、彼のものであればいいと、思いながら。
-ⅰ-
響きわたる汽笛に、澱んだ空気がピリピリと震える。
偽りの島にある唯一の、名前すらない小さな町。そのはずれもはずれの港内倉庫。
貨物もそのままに、訪れる者も絶えて久しい――時が静止したかのような空間。
つもりにつもった埃に真新しい足跡――獲物を抜き放ち、向かい合う男と女の姿。
交差する熱っぽい視線――恋する乙女のように、揺らめく闘志を秘めている。
歩んできた道のりの異なる二人――だが、どちらもが戦場の犬であることに変わりはなく、数え切れないほどに最低野郎となじられ生きてきた二人。
傭兵――世界中の汚物をぬぐってまわる、最も汚れた掃除人。
その、二人。
「性別で侮らぬこと、感謝いたします」
女傭兵の凛々しい声――フォーマルハウト・S・レギオン
紫の焔を宿した相貌、左右非対称に整えられた鈍色の髪、長く垂らした髪を束ねる民族風の髪留め、風にそよぎ揺れる布マフラー、しなやかな体躯を包む硬質な傭兵服、全身に取り付けられた多種多様の兵装――肉食を思わせる猫科の眼光。
ただ一撃のために研ぎ澄まされた、脆くも鋭い硝子の刃を体現したかのような女。
短剣を突き出して、揺ぎなく立つ様は、端正な彫刻を思わせる。
短剣――“豊穣の狼”と銘打たれた、唯一無二の大業物。
それは彼女の指先――そう自分自身でも思えるほどに、握りが手に馴染んでいた。
彼女の体温がうつったのか、そのほのかな温もりは、心を落ち着かせてくれる。
(――これから、戦いが始まる)
屈辱的な敗北から数日――心の奥底で「ゴウゴウ」と音をたてる焔は、今も燃えている。
焔はフォウトの全身に火をつけ、彼女を何かに駆り立てようとしていた。
それが何かは分からない――ただ、それを欲している、無我夢中に求めている。
――焦燥感が、身を焦がしている。
しかし、今だけは、このひと時だけは落ち着いていられた。
繰り返される静かな呼吸――戦場でだけは、いつよりも冷静沈着でいられる。
――そのように生きてきた。それこそが、彼女を形作っていた。
だから、その時を待っている――自ずから戦いが始まる、その時を。
――そして、刃は触れ合った。
「――いざ!!」
互いの身体が同時に動くのを知覚して、彼女は言葉を発した。
刃と刃が打ち合い、甲高い金属音があがる――鋼が擦れ、薄闇に火花が散る。
鼻先を掠めたグルカ刀――カミソリのような切れ味。鈍色の前髪がハラハラと散るを嘆くでもなく、フォウとは地を蹴る。全速で後退、一瞬のうちに加速した。
直後――傭兵の逆手短剣が跳ね馬のように振り上げられ、虚しく宙を切る。その軌跡が闇の中にくっきりと浮かび上がって見える――殺気の残滓。
短剣越しに傭兵の視線が自分を追ってきている――肌が粟立ち、全身で感じる。
戦いが、二人の距離を限りなくゼロにする――けして、混じりあうことのない二人。
馴れ合いではない――ここには、友情も、何もない。
似たもの同士――惹かれあい――それだけに、憎みあう。
――ともに、命のあらんことを。
急速に傭兵から距離を置きながら、フォウトはそっと天を思い、祈り――そして、それを忘れた。
-ⅱ-
「……ふん。思い切りがいい」
傭兵のつぶやき――“狂兵”鳴尾恭平。
理性をたたえた血錆色の瞳、無造作に束ねた金髪、モスグリーンの野戦ジャケット、白のタンクトップ&迷彩ズボン&編み上げブーツ、腰を一巡する骨のバックル、収納された無数の投擲剣、頬には二条の牙状傷――群れからはぐれた孤独な狼のたたずまい。
踏まれても踏まれても絶えることのない雑草の気骨さを感じさせる大男。
体重を感じさせない軽やかな動きで、床板を軋ませることなく移動。
すでに女傭兵は闇に紛れて消えた――互いに無音、恐ろしく静かな戦いを開始。
――闇の中を悠々と歩く、焦ることに意味はない。
「……かくれんぼ、か?」
公園を散歩するような足取りで、倉庫内を練り歩く。
ときおり、遮蔽物の陰から刺すような視線――女傭兵の存在を感じる。
がっついたりはしない――二人の根競べ。
呼吸は正確に三度――それに合わせて、歩みも三歩。
流れるような動きで投擲剣を抜刀――動作のままに筋肉質な腕をしならせて、あらぬ方向へと投擲剣を解き放つ。
大気を切り裂くかすかな風切り音をたてて投擲剣は飛翔――遮蔽物から駆け出でた女傭兵を強襲。
「……化かしあいは、終わりだ」
「――見切っていましたか」
フォウト――路地裏に住まう猫の足取り。視線はおとり、仙導を用いた裏の裏。彼女の実体は傭兵の背後を選び、とどまることなく移動を続けていた。
死角から迫る投擲剣は察知済み――危険に鼻が利かなければ生き残ることは難しい。
再び天を仰ぐ――「消えて後無い天のが原、打つも果てるも火花のいのち……」
祈るように呪を口に――ジプシーに伝わる仙導、意識が澄みわたっていく。
搾り出された呼気に次ぐ、潜水者の一呼吸――強く瓦礫を蹴り、マフラーをはためかせ、風さえも置き去りに――速度の海に、深く潜りこむ。
山猫の疾走――遥か後方、完全に標的を外した投擲剣が貨物の木枠に突き立つ音。
「互いに似たような手の内でありましょう――これを……かわせますか!!」
速度を落とさないまま瞬転――太腿のナイフホルダーに指をかける。
前方に傭兵の姿をとらえると同時、投擲用ダガーを抜き放つ――フォウト自身の速度をも加算された投擲用ダガーが、五筋の流星と化して恭平を狙い撃つ。
刃が達するよりも早く傭兵を貫くもの――研ぎ澄まされた女傭兵の殺気。
視えざる死線が傭兵の肌を刺し、痛みさえも覚える。
直感めいた恭平の行動――足下の床板を鋼鉄仕込の編み上げブーツで強く踏み抜いた。腐った床板はたやすく砕け、大小の木片と化しながら宙に舞いあがる。
投擲用ダガーが飛来――そのうちの二本は木片に阻まれ床に落ちた。
残る三筋の流星――木片の合間を掻い潜り、恭平の身体にぶちあたった。
急所を守るべく交差された両腕、丸められた恭平の体――右肩、左前腕、左脇腹―
―肌から生える金属の色、鍛えられた鋼の肉体に突き刺さる投擲用ダガー。
「……入りましたね」
目を閉じて、フォウト――遠方の接触を知覚。
「……この程度で、終わりではないのでしょう?」
口元に薄い笑み――薄闇の向こう側へ、問いかけた。
「……ふん」
応じる恭平の獣じみた笑み――全身に力を込める。筋肉が盛り上がり、刃渡りの短
い投擲用ダガーが吐き出される。損傷は軽微――見せ掛けは派手だが、表面上のこと。
投擲用ダガーの軌跡から女傭兵の居場所を逆算――床板を蹴って跳躍、放置された
木製棚の上へと飛び乗って疾走、わざと立てる足音。
――存在を知らしめ、次の戦場へと女傭兵を誘う。
-ⅲ-
「……動きましたね」
フォウト――死角から迫る傭兵の足音を察知。
放棄された積荷を蹴りあがり、木製棚の上へ。
真っ向から受けて立つ――その足下は幅一尺にも満たない。
二つの足音が、急速に近づく。
「痛みは極力与えませんが、裂傷の多少は覚悟していただきましょう……!!」
浮かびあがる傭兵の影を見据えてフォウト――投擲用ダガーを投じるため肩口のホ
ルダーに収納されていた近接専用の短剣をスラリと抜く。
『豊穣の狼』と銘打たれた一振り――フォウトという刃の主が鍛えた彼女の牙。
「――いきます」
フォウトの先制――短剣を真っ直ぐに突き出す。雷撃のような一撃。
恭平の右腕が反応――手にしたグルカ刀の背で、短剣の刃を受け流す。
流された力に逆らわず反転――背を向けるのは一瞬、ステップを踏んで放たれる左
後方側頭蹴り――引き戻した右腕で恭平がブロック。
しなやかな一撃が残した痺れ――構わずに左手のグルカ刀を振るう。再び空を切る。
消失した標的――残された軸足で跳び、恭平の右肩を足場にして背後へと回るフォ
ウト。傭兵の背を越えながら後ろ向きに短剣を一閃――前へ身を投げ出して、木製棚
の上を転がり回避する恭平――二人の立ち位置が入れ替わる。
踏み出すのは同時――短剣とグルカ刀が間の空間で激突、金属音は七度、目にも止
まらない速さで振るわれた傭兵たちの牙。繰り返される剣戟の音――悲鳴をあげたの
はグルカ刀、刀身のなかほどで綺麗に断ち折られた――武器の優越では女傭兵に軍配。
傭兵の即断――折られたグルカ刀を投げ捨て、新たに投擲剣を引き抜く。
間一髪、女傭兵の一撃を受ける――投擲剣とグルカ刀を十字に重ね、せめぎ合う。
至近距離で火花を散らす血錆の瞳と紫炎の瞳――フォウトの眼が鈍い光を帯びる。
妖しい輝きを写して、恭平の瞳も紫に染まる。
「私の戦場の記憶、その欠片。貴方には、如何に映るのでしょうね」
体格で勝る男に、一歩とて引かないフォウトの言葉――傭兵の心にぞわりとくる感
覚。次の瞬間、何の予兆もなく――見知らぬ戦場に放り落とされた。
回避不可能な斬撃――鍛え上げられた胴体からごろりと首が落ちる。恭平の、否、
彼にどこか雰囲気の似た男の首――落した者は見えない、恭平の視線は彼の視線、見
えるのは冷たい大地、引き込まれるのは暗い闇。
恐怖を伴う理解――のまれれば最後、闇から這い上がることはかなわない。
「――おォッ!!」
傭兵の裂帛――幻覚からの脱出と同時、放たれた前蹴りがフォウトの腹を打つ。
「……くっ」
苦悶のうめきをあげ、後ろに跳ぶ女傭兵――目の紫の輝きが薄れて消える。
破られた幻術――彼ではない男は、闇にのまれなかったのだと知る。
「まだ……終わりません!!」
たたらを踏む傭兵、その首筋に異様な蚯蚓腫れ――幻術の後遺症、動きは鈍い。
見逃すほど甘くはないフォウト――苛烈な踏み込み、続けざま短剣の刃を叩き込む。
――急所を狙った連続攻撃、容赦なく肉を刻んだ。
致命傷を避けたのはさすがといったところ――跳びすさり、女傭兵から身を引きな
がら、傭兵は自身の頬を殴りつけた。視界を揺らす衝撃――まさに、火花の散るよう。
幻覚と現実の二重写しだった世界が色を帯び、たちどころに現実へと引き戻される。
引き裂かれたモスグリーンのジャケットを脱ぎ捨て、自身の一撃で裂けた口中の血
を吐き捨てる。上半身は血の赤に染まりつつあるタンクトップのみ――古傷だらけの
体躯が剥きだし、激しい運動に熱を帯びた肌から白い蒸気が立ち昇った。
――全身を血に浸して、その闘志はいっそう燃え上がる。
-ⅳ-
「……来い」
よく響くバリトン――わずかな足場でリズムを刻み、その場から動かない。
ゆっくりと手を差し出して、人差し指と中指をクイクイと曲げる――挑発。グルカ
刀と投擲剣を逆手に握り直し、ファイティングポーズ。まるで、ボクサーの真似事。
キッと眼を鋭くしたフォウト――一息に距離を詰めて肉薄、地を這う蛇のような低
姿勢、傭兵との身長差を逆手に。左手で正中線を守り、右手肘を下に向けて掌を上に
短剣を突き出して構える。見事な、フェンシングの模写。
「――申し訳ありませんが、容赦はできかねます」
神速という他ない三段突き――低姿勢から繰り出される短剣、とらえるは至難の業。
だがしかし、恭平――予測していたかのようにバックステップ。
巧みな回避技術を披露――必要最小限の動きで間合いの外へ、限界まで伸ばされた
剣先が表皮一枚を突き、引き戻される。
タイミングを合わせて、踏み込む――蹴り上げるように右足をしならせる。
咄嗟に上体を仰け反らせる女傭兵――鉄板仕込の靴先が、顎を掠めて視線を横切る。
まともに受ければ顎が砕けていてもおかしくない一撃。そのまま体操選手のように後
転、距離をとって再び蛇の構え。
顎から流れる血を拭う女傭兵――「……これしきのこと!!」
「……当然だ」
挑戦的な態度の傭兵――ファイティングポーズを解除、獲物を収めて徒手空拳。
拳を軽く握って、両手首を軽く振るう――響く風切り音、グローブから伸びて奔る
極細の金属繊維。恭平、第二の武器――鋭利な鋼線は、時としてナイフ以上の鋭さ。
「……いくぞ」
軽く握りこんだ両の手が大きく振るわれる――閃く銀糸、咄嗟に跳躍する女傭兵。
一瞬の後、音を立てて木製棚が崩落。視えざる刃――触れたものを全て、見境なく切
断。
「なっ」
突如として左腕を引かれる女傭兵――空中でバランスを崩し、羽をもがれた蝶のよ
うに床の上へと墜落。受け身を取り、床を転がりつつ短剣を一振り――腕に絡んだ鋼
線を断つ。
「しまっ――」
致命的な一瞬の空隙――それだけで十分、女傭兵の身に落ちる影。
起き上がるよりも早く――無数の銀線が、女傭兵目掛けて迸った。
-ⅴ-
「――なんの!!」
――上空から猛禽のごとく襲い掛かる鋼線を、迎え撃つ刃が弾いた。
刃と極細の鋼線とが打ち合い、闇の中に火花を散らす。
軌道を変じられた鋼線は、フォウトの急所を外れてその傭兵服を切り裂いて過ぎた。
鋼線が引き戻される空隙――地面を転がり、その勢いをもってして立ち上がる。
身をかばった両腕を中心として切り裂かれるも軽傷――裂けた傭兵服から覗く浅焼けの肌に血の化粧。妖艶なまでの凄絶さを帯びる。
唾とともに血を吐き捨て、両の手に短剣を油断なく構えると同時、鋼線の第二撃がきた――傭兵が着地すると同時に放った、横振りの一閃。
四筋の鋼線が大地と平行に、フォウトへと唸りをあげて迫り来る。
「負けません!!」
フォウトは地を蹴った。身を捻り、鋼線と鋼線の合間を潜り抜ける。
銀光が鼻先を掠めて後方へと流れる――靴の先を、削ぎ落とされた。
「……それを、かわすか」
鋼線を切り離し、傭兵がフォウトを見た。
荒い息をついてはいるが、戦意を失ってはいない――幽鬼の如く、立ちはだかる。
「ぐ、うっ……! まだ、まだやれます……! 遠慮は無用、参られよ!」
咥内の血液をぷっと横に吐き、フォウトもまた、真っ向から眼前の同業者を見据えた。
――互いに、満身創痍。決着のときは近い。
「……俺の全てを、受け止めてみせろ!」
傭兵が、吼えた。最後の短剣を引き抜き、フォウトへと肉薄する。
――早い。それが、最後の猛りだったとしても。
「一つ!」
傭兵は、上段から牙のように短剣を振り下ろす。
フォウトは、自らの獲物でそれを受け流した。
一撃の重みに耐えかねて、後ろへとよろめく。
「二つ!」
傭兵はさらに短剣を引き抜いて、両側から挟みこむようにして振るう。
必要最小限の動き――半歩引いて、フォウトはそれをかわした。
「甘いぞ――三つ!」
傭兵もまた踏み込む――中心で重なった斬撃が上下に分かたれ、十字を描いた。
フォウトは咄嗟に上体をそらすが、傭兵服を断たれてしまう。
――胸元からへそ先まで、肌が露となった。
羞恥心を感じる余裕もない――そもそも、戦場でそんなことを感じる心はないが。
「四つ!」
左手の短剣を投げ捨て、傭兵が予備のワイヤーを引き抜いた。
その動作を目にした瞬間、反射的にフォウトは短剣を振るう。
出だしのワイヤーが切断され、弧を描きながら宙へと舞い上がる。
「やるな――五つ!」
ニヤリと笑い、傭兵が大きく跳んだ――距離をとり、自由となった手で投擲剣を放つ。
その数、五本――間隔をずらして放たれた投擲剣が薄闇を切り裂いて飛翔する。
「あ゛あ゛あ゛!!」
フォウトの絶叫――溺れた者のように深く息を吸い、歯を食いしばった。
傭兵よりも早く、飛翔よりも早く――電光石火、一瞬のうちに全ての投擲剣を叩き落して、傭兵の懐へと飛び込んでゆく。
「軌道が、直線的に、過ぎます――覚悟!」
自身を弾丸と化して、傭兵の急所を狙う――全てを、一撃にかける。
それをまた、傭兵も見据え――。
「――六つ。受けてみろ! フォーマルハウト・S・レギオン――!!」
迎え撃つように、傭兵の気が裂帛した。
切断され地に落ちていた鋼線を、自身の指肉を切り裂くのもかまわず絡めとる。
一振りでそれを自身の腕に巻きつけ、抉るようにして拳を突き出し解放した。
複雑に絡み合った銀糸は、螺旋を描きながら女傭兵に迫る。
「まだ……!!」
フォウトはそれを断ち切るべく短剣を振るった。
それに合わせて傭兵の指先が動く――肉が削げ落ち、白い骨が覗いた。
――短剣を空を切る。
銀糸はまるで生き物のように広がり、女傭兵に襲い掛かった。
――肩に、膝に、腿に、突き刺さり、引き裂く。
「ま、だ!!」
全身がバラバラになりそうだった。それでも、フォウトは前進する。
「……見事だ」
歯を食いしばり、髪をべったりと血に濡らして迫る女を、傭兵はじっと見た。
一歩、また、一歩と近づき、フォウトは男の前に立つ。
力なく、短剣を突き出し――その手を傭兵に引かれて、彼女はたたらを踏んだ。
「――お見事……ッ」
傭兵の肩に“豊穣の狼”を突きたてたのを最後に、フォウトの小柄な身体は前方に投げ出される。
どうにか受身を取ると共に、呟きが漏れる。
立ち上がろうとしたが、どこにも力が入らなかった。
「……」
無言のまま、その脇に傭兵が立つ。
――とどめか。
練習試合である以上、命を奪われることはない。
そのような考えはもはや頭になく、フォウトは死を覚悟した。
脳裏に浮かんだのは――。
ドサリと、何か重たいものが落ちる音を聞きながら、フォウトは気を失った。
――そばに何者かのぬくもり。
「…………さん」
――それが、彼のものであればいいと、思いながら。
PR
- +TRACKBACK URL+