忍者ブログ

血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

04162243 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • :04/16/22:43

09030057 Day12 -人食-

   -0-


 狼の必殺の牙を前に、男は倒れ伏した。

 ドクドクと芳醇な香りを放つ血が流れ落ち、狼の鼻を突く。
 久方ぶりのご馳走を前に、胃がグルルと鳴いた。

 肉だ。美味そうな肉。
 群れを追われてからの辛い日々を思い返す。

 何日、餌にありついていないのだろう。
 何日、飲まず食わずで走り続けたのだろう。

 しかし、そんなことは些細なことだ。こうして、肉にありつける。
 最後の一撃を放って、男と同様に地に倒れていた狼は無理やり身体を動かした。

 全身がズキズキと痛む。
 男との激闘が、彼の身体にダメージを残していた。

 強い男だった。老いたとはいえ、彼の牙を前にして果敢に戦いを挑んできた男だ。
 彼を群れから追い出し、新たな王となった若い狼。奴を思い起こさせる男だ。

 それに勝利した。
 その喜びは、肉を前にして、これから食の欲望を満たす喜びにも勝る。

 彼は、たとえ敗れても、群れの王だった。
 王の、矜持があった。

「肉だ――。」

 ヘッヘと荒い息をついて、円を描くようにして男へと近づいていく。
 まだ、とどめはさしていない。狩りの最後は、喉笛を彼直々に切り裂いて溢れ出る血に身を浸すのが慣わしだ。

 今までは弱める肯定は全て、若い雄の仕事だった、

 彼の役目は倒れ伏した贄に安らぎを与え、血の雨をもって肉の神に謝辞を述べること。

 しかし、その日々が彼から戦士としての力を奪い。
 若い狼たちは戦いの日々から、彼を凌ぐ力を身につけていた。

 それが、ことの始まりだ。
 誰しもが、いずれは乗り越えられる。

「肉――。」

 もはや、男は眼と鼻の先に横たわっている。

 指先は微かに動いているが、血を流しすぎたのか既に眼は何も映してはいない。
 いままでの獲物と変わりない姿――そう、そんな贄の首筋に牙を打ち込む瞬間が彼は何よりも好きだった。

「肉の神――贄の血を――。」

 祝詞を唱えながら、彼は大きく顎を開き、横たわる屈強なウサギの首筋に自慢の牙をあてがった――。


   -1-


「――伏せろ!」

 誰かの言葉に、幾人かは慌てて姿勢を低くした。

 次いで、巻き起こる爆風は木々をなぎ倒し、反応が遅れた兵士の喉を焼き、肌をただれさせる。
 ましてや、爆心地に近いものなど全身をずたずたにされ、もはや原形をとどめていない。

「ち、俺たち相手に随分と贅沢な使い方だな。」

 身を低くした恭平の横で忌々しそうに呟いた男は、恭平よりも幾分か若かった。
 しかし、この戦場での経歴は彼よりも長い。

 この島で争いが起きてから、それが泥沼化して、もはや勝者がいなくなった現在までを男は生きてきた。
 初期の混乱の最中に母は凶刃に倒れ、父は島民の代表として果敢に戦い、男をかばって今日のような爆発の前に散った。

 上質な火薬の産地として知られたこの島だ。
 今はもう火薬の生産技術も戦火の前に失われてしまったが、戦前の遺産とも言うべき大量の火薬がいまだ眠っていた。

 だが、二度と作ることのできない火薬である。
 国際市場ではその質を高く評価され、驚くほどの額が付けられて取引されている。

 敵はその火薬を、恭平たち一個小隊に惜しげなく使っていた。

「……まずいな。分断されている。」

 戦場のプロとして招聘され、恭平は島民たちが組織した反抗組織に身を寄せていた。
 その彼が指揮する一団が、度重なる爆炎によって分断されている。

「シガルも、レチンも、やられちまったぁ。……こいつぁ、形見だ。」

 横目で男を見やると、その手に無骨な男の親指を握り締めている。
 その本体は爆風に巻き込まれ試算してしまったのだろう。

 野良仕事と、戦争に鍛えられた男の、汚れた指先がその手の中にあった。

「……大事にとっておけ。」

 視線をはずして、前方を見る。

 爆発は今も断続的に起こっているが、男と恭平の背後にはまったく起きていないことが知れた。
 敵の狙いは単純明快だ。

「……追い込もうとしているな。」

「後ろにゃ、奴らの主力がいるからなぁ」

 ここでは爆薬と、後衛の敵主力部隊とが、前門の虎と後門の狼だった。

 爆炎による戦力の分散と、主力部隊による各個撃破が狙いなのは必定。
 主力を突破するにはその層が厚すぎる。

 活路はひとつ。

「……遅れるなよ。」

「へいへい――。」

 男の返事を待たず、恭平は口元に濡れた布をあてがって走り出した。

 爆風をぬうようにして前へ、前へ。

 この道は村へと続く最短の道。
 いつ爆破されるともしれない火薬の庭だが、それでも二人は駆け続けた。


   -2-


 降り注ぐ火の粉と、立ち上る爆炎の中を潜り抜けてから三日。
 恭平たちが拠点とする砦まであと少しというところ。

 飲まず食わずで走り続けた二人の戦士は、限界を迎えていた。

 火傷を負って歩けなくなった男を、恭平は担いだまま先を急ぐ。
 しかし、その足がもつれて、二人はどうと地上に投げ出された。

 焼け野原となった森の中。
 失われた水分を求めて、ゼイと喘ぐ。

「恭平……ひとりで、行けよ。」

 そう漏らしたのは、男だった。

 全身に火傷を負って、もはや足には感覚がない。
 まるでクラゲのように、恭平に背負われていた間も、ブラブラとぶら下がるだけに成り果てていた。

 二度と、歩くことはかなわないかもしれない。

「あと三日も歩けば、戻れらぁ。お前一人なら、いけんだろ。」

 そう言う男の表情に悲壮感はない。

「……馬鹿を言うな。」

 腕を支点に立ち上がりながら、恭平は男を睨みつける。

 それは、唾棄すべき提案だった。

「本気さぁ。俺ぁ、助かんねぇ。――だからよ。」

 しかし、それにも構わず男は続ける。

 浮かべた薄ら笑いは、いつもと変わらない。
 だからこそ、その言葉は真実なのだと肌で感じられた。

「俺を、食ってくれよ。」

 ニヤッと笑い。

「妹を、頼むな。――あいつぁ、お前に惚れてっから。」

 それは一瞬のこと。

 咄嗟に動き出した恭平も、間に合わなかった。
 
 銀光が鞘走り、鮮血が舞った。
PR

+コメントの投稿+

+NAME+
+TITLE+
+FONT+
+MAIL+
+URL+
+COMMENT+
+PASS+
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

+TRACK BACK+

+TRACKBACK URL+