血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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02110947 | [PR] |
09030058 | Day12 -仮- |
09030057 | Day12 -人食- |
-0-
狼の必殺の牙を前に、男は倒れ伏した。
ドクドクと芳醇な香りを放つ血が流れ落ち、狼の鼻を突く。
久方ぶりのご馳走を前に、胃がグルルと鳴いた。
肉だ。美味そうな肉。
群れを追われてからの辛い日々を思い返す。
何日、餌にありついていないのだろう。
何日、飲まず食わずで走り続けたのだろう。
しかし、そんなことは些細なことだ。こうして、肉にありつける。
最後の一撃を放って、男と同様に地に倒れていた狼は無理やり身体を動かした。
全身がズキズキと痛む。
男との激闘が、彼の身体にダメージを残していた。
強い男だった。老いたとはいえ、彼の牙を前にして果敢に戦いを挑んできた男だ。
彼を群れから追い出し、新たな王となった若い狼。奴を思い起こさせる男だ。
それに勝利した。
その喜びは、肉を前にして、これから食の欲望を満たす喜びにも勝る。
彼は、たとえ敗れても、群れの王だった。
王の、矜持があった。
「肉だ――。」
ヘッヘと荒い息をついて、円を描くようにして男へと近づいていく。
まだ、とどめはさしていない。狩りの最後は、喉笛を彼直々に切り裂いて溢れ出る血に身を浸すのが慣わしだ。
今までは弱める肯定は全て、若い雄の仕事だった、
彼の役目は倒れ伏した贄に安らぎを与え、血の雨をもって肉の神に謝辞を述べること。
しかし、その日々が彼から戦士としての力を奪い。
若い狼たちは戦いの日々から、彼を凌ぐ力を身につけていた。
それが、ことの始まりだ。
誰しもが、いずれは乗り越えられる。
「肉――。」
もはや、男は眼と鼻の先に横たわっている。
指先は微かに動いているが、血を流しすぎたのか既に眼は何も映してはいない。
いままでの獲物と変わりない姿――そう、そんな贄の首筋に牙を打ち込む瞬間が彼は何よりも好きだった。
「肉の神――贄の血を――。」
祝詞を唱えながら、彼は大きく顎を開き、横たわる屈強なウサギの首筋に自慢の牙をあてがった――。
-1-
「――伏せろ!」
誰かの言葉に、幾人かは慌てて姿勢を低くした。
次いで、巻き起こる爆風は木々をなぎ倒し、反応が遅れた兵士の喉を焼き、肌をただれさせる。
ましてや、爆心地に近いものなど全身をずたずたにされ、もはや原形をとどめていない。
「ち、俺たち相手に随分と贅沢な使い方だな。」
身を低くした恭平の横で忌々しそうに呟いた男は、恭平よりも幾分か若かった。
しかし、この戦場での経歴は彼よりも長い。
この島で争いが起きてから、それが泥沼化して、もはや勝者がいなくなった現在までを男は生きてきた。
初期の混乱の最中に母は凶刃に倒れ、父は島民の代表として果敢に戦い、男をかばって今日のような爆発の前に散った。
上質な火薬の産地として知られたこの島だ。
今はもう火薬の生産技術も戦火の前に失われてしまったが、戦前の遺産とも言うべき大量の火薬がいまだ眠っていた。
だが、二度と作ることのできない火薬である。
国際市場ではその質を高く評価され、驚くほどの額が付けられて取引されている。
敵はその火薬を、恭平たち一個小隊に惜しげなく使っていた。
「……まずいな。分断されている。」
戦場のプロとして招聘され、恭平は島民たちが組織した反抗組織に身を寄せていた。
その彼が指揮する一団が、度重なる爆炎によって分断されている。
「シガルも、レチンも、やられちまったぁ。……こいつぁ、形見だ。」
横目で男を見やると、その手に無骨な男の親指を握り締めている。
その本体は爆風に巻き込まれ試算してしまったのだろう。
野良仕事と、戦争に鍛えられた男の、汚れた指先がその手の中にあった。
「……大事にとっておけ。」
視線をはずして、前方を見る。
爆発は今も断続的に起こっているが、男と恭平の背後にはまったく起きていないことが知れた。
敵の狙いは単純明快だ。
「……追い込もうとしているな。」
「後ろにゃ、奴らの主力がいるからなぁ」
ここでは爆薬と、後衛の敵主力部隊とが、前門の虎と後門の狼だった。
爆炎による戦力の分散と、主力部隊による各個撃破が狙いなのは必定。
主力を突破するにはその層が厚すぎる。
活路はひとつ。
「……遅れるなよ。」
「へいへい――。」
男の返事を待たず、恭平は口元に濡れた布をあてがって走り出した。
爆風をぬうようにして前へ、前へ。
この道は村へと続く最短の道。
いつ爆破されるともしれない火薬の庭だが、それでも二人は駆け続けた。
-2-
降り注ぐ火の粉と、立ち上る爆炎の中を潜り抜けてから三日。
恭平たちが拠点とする砦まであと少しというところ。
飲まず食わずで走り続けた二人の戦士は、限界を迎えていた。
火傷を負って歩けなくなった男を、恭平は担いだまま先を急ぐ。
しかし、その足がもつれて、二人はどうと地上に投げ出された。
焼け野原となった森の中。
失われた水分を求めて、ゼイと喘ぐ。
「恭平……ひとりで、行けよ。」
そう漏らしたのは、男だった。
全身に火傷を負って、もはや足には感覚がない。
まるでクラゲのように、恭平に背負われていた間も、ブラブラとぶら下がるだけに成り果てていた。
二度と、歩くことはかなわないかもしれない。
「あと三日も歩けば、戻れらぁ。お前一人なら、いけんだろ。」
そう言う男の表情に悲壮感はない。
「……馬鹿を言うな。」
腕を支点に立ち上がりながら、恭平は男を睨みつける。
それは、唾棄すべき提案だった。
「本気さぁ。俺ぁ、助かんねぇ。――だからよ。」
しかし、それにも構わず男は続ける。
浮かべた薄ら笑いは、いつもと変わらない。
だからこそ、その言葉は真実なのだと肌で感じられた。
「俺を、食ってくれよ。」
ニヤッと笑い。
「妹を、頼むな。――あいつぁ、お前に惚れてっから。」
それは一瞬のこと。
咄嗟に動き出した恭平も、間に合わなかった。
銀光が鞘走り、鮮血が舞った。
狼の必殺の牙を前に、男は倒れ伏した。
ドクドクと芳醇な香りを放つ血が流れ落ち、狼の鼻を突く。
久方ぶりのご馳走を前に、胃がグルルと鳴いた。
肉だ。美味そうな肉。
群れを追われてからの辛い日々を思い返す。
何日、餌にありついていないのだろう。
何日、飲まず食わずで走り続けたのだろう。
しかし、そんなことは些細なことだ。こうして、肉にありつける。
最後の一撃を放って、男と同様に地に倒れていた狼は無理やり身体を動かした。
全身がズキズキと痛む。
男との激闘が、彼の身体にダメージを残していた。
強い男だった。老いたとはいえ、彼の牙を前にして果敢に戦いを挑んできた男だ。
彼を群れから追い出し、新たな王となった若い狼。奴を思い起こさせる男だ。
それに勝利した。
その喜びは、肉を前にして、これから食の欲望を満たす喜びにも勝る。
彼は、たとえ敗れても、群れの王だった。
王の、矜持があった。
「肉だ――。」
ヘッヘと荒い息をついて、円を描くようにして男へと近づいていく。
まだ、とどめはさしていない。狩りの最後は、喉笛を彼直々に切り裂いて溢れ出る血に身を浸すのが慣わしだ。
今までは弱める肯定は全て、若い雄の仕事だった、
彼の役目は倒れ伏した贄に安らぎを与え、血の雨をもって肉の神に謝辞を述べること。
しかし、その日々が彼から戦士としての力を奪い。
若い狼たちは戦いの日々から、彼を凌ぐ力を身につけていた。
それが、ことの始まりだ。
誰しもが、いずれは乗り越えられる。
「肉――。」
もはや、男は眼と鼻の先に横たわっている。
指先は微かに動いているが、血を流しすぎたのか既に眼は何も映してはいない。
いままでの獲物と変わりない姿――そう、そんな贄の首筋に牙を打ち込む瞬間が彼は何よりも好きだった。
「肉の神――贄の血を――。」
祝詞を唱えながら、彼は大きく顎を開き、横たわる屈強なウサギの首筋に自慢の牙をあてがった――。
-1-
「――伏せろ!」
誰かの言葉に、幾人かは慌てて姿勢を低くした。
次いで、巻き起こる爆風は木々をなぎ倒し、反応が遅れた兵士の喉を焼き、肌をただれさせる。
ましてや、爆心地に近いものなど全身をずたずたにされ、もはや原形をとどめていない。
「ち、俺たち相手に随分と贅沢な使い方だな。」
身を低くした恭平の横で忌々しそうに呟いた男は、恭平よりも幾分か若かった。
しかし、この戦場での経歴は彼よりも長い。
この島で争いが起きてから、それが泥沼化して、もはや勝者がいなくなった現在までを男は生きてきた。
初期の混乱の最中に母は凶刃に倒れ、父は島民の代表として果敢に戦い、男をかばって今日のような爆発の前に散った。
上質な火薬の産地として知られたこの島だ。
今はもう火薬の生産技術も戦火の前に失われてしまったが、戦前の遺産とも言うべき大量の火薬がいまだ眠っていた。
だが、二度と作ることのできない火薬である。
国際市場ではその質を高く評価され、驚くほどの額が付けられて取引されている。
敵はその火薬を、恭平たち一個小隊に惜しげなく使っていた。
「……まずいな。分断されている。」
戦場のプロとして招聘され、恭平は島民たちが組織した反抗組織に身を寄せていた。
その彼が指揮する一団が、度重なる爆炎によって分断されている。
「シガルも、レチンも、やられちまったぁ。……こいつぁ、形見だ。」
横目で男を見やると、その手に無骨な男の親指を握り締めている。
その本体は爆風に巻き込まれ試算してしまったのだろう。
野良仕事と、戦争に鍛えられた男の、汚れた指先がその手の中にあった。
「……大事にとっておけ。」
視線をはずして、前方を見る。
爆発は今も断続的に起こっているが、男と恭平の背後にはまったく起きていないことが知れた。
敵の狙いは単純明快だ。
「……追い込もうとしているな。」
「後ろにゃ、奴らの主力がいるからなぁ」
ここでは爆薬と、後衛の敵主力部隊とが、前門の虎と後門の狼だった。
爆炎による戦力の分散と、主力部隊による各個撃破が狙いなのは必定。
主力を突破するにはその層が厚すぎる。
活路はひとつ。
「……遅れるなよ。」
「へいへい――。」
男の返事を待たず、恭平は口元に濡れた布をあてがって走り出した。
爆風をぬうようにして前へ、前へ。
この道は村へと続く最短の道。
いつ爆破されるともしれない火薬の庭だが、それでも二人は駆け続けた。
-2-
降り注ぐ火の粉と、立ち上る爆炎の中を潜り抜けてから三日。
恭平たちが拠点とする砦まであと少しというところ。
飲まず食わずで走り続けた二人の戦士は、限界を迎えていた。
火傷を負って歩けなくなった男を、恭平は担いだまま先を急ぐ。
しかし、その足がもつれて、二人はどうと地上に投げ出された。
焼け野原となった森の中。
失われた水分を求めて、ゼイと喘ぐ。
「恭平……ひとりで、行けよ。」
そう漏らしたのは、男だった。
全身に火傷を負って、もはや足には感覚がない。
まるでクラゲのように、恭平に背負われていた間も、ブラブラとぶら下がるだけに成り果てていた。
二度と、歩くことはかなわないかもしれない。
「あと三日も歩けば、戻れらぁ。お前一人なら、いけんだろ。」
そう言う男の表情に悲壮感はない。
「……馬鹿を言うな。」
腕を支点に立ち上がりながら、恭平は男を睨みつける。
それは、唾棄すべき提案だった。
「本気さぁ。俺ぁ、助かんねぇ。――だからよ。」
しかし、それにも構わず男は続ける。
浮かべた薄ら笑いは、いつもと変わらない。
だからこそ、その言葉は真実なのだと肌で感じられた。
「俺を、食ってくれよ。」
ニヤッと笑い。
「妹を、頼むな。――あいつぁ、お前に惚れてっから。」
それは一瞬のこと。
咄嗟に動き出した恭平も、間に合わなかった。
銀光が鞘走り、鮮血が舞った。
09030056 | Day11 -仮- |
09030054 | Day11 -墓所- |
-0-
鳴尾恭平は考える。この先のことを、任務の遂行を。
島に来て10日が過ぎ、11日目の朝を迎えていた。いまだ、ひと月にも満たない短い時間だ。
彼が過ごしてきた戦場は、時に長く、時に短かった。こんかいはどちらだろう。
どうも、長くなりそうな気がする。
奇怪な化け物や、死に損ない、その他の冒険者との戦いから、受けた損害は大きかった。
当初の予定に比べ、島の探索はまったく進んでいない。
ひとつの利点として、他の冒険者の探索記録が手に入ることはありがたかった。
それによって恭平一人では成し遂げられない広範囲の探索が可能となっている。
しかし、彼のターゲットに関する情報はまったくあがってきていない。
(もしや、冒険者の中に紛れ込んでいるのか……。)
しかし、それはありえない話しだった。
全ての冒険者にはおおまかな来歴が記され、そこに嘘をつくことはできない。
例え言葉巧みに隠そうとも、なんらかの形で暴かれてしまうのだ。
恭平自身のデータには、彼が傭兵であることが明記されている。
遺跡の中でショウタイと名乗る一隊と交戦した記録はあるものの、
それらがゲリラと関係あるかどうかは、以前、未知のままだった。
「……。」
冒険者の痕跡――足跡、夜営の跡、そのほか人間の営みが残していく全てを、
注意深くその両目にとどめながら、恭平は平原を悠々と歩いている。
誘っているのだ。
姿を見せているからといって、野生の動物は襲ってくるものではない。
彼らのテリトリーに侵入するか、よほどこちらが敵意を見せない限り安全だ。
遺跡の中にはその例外。侵入者とあれば即座に襲い掛かってくる生き物や、生者を渇望する死者が巣食っている。
しかし、比較的危険なそれらが潜むのは、薄暗い回廊や、闇に沈んだ森の中だ。
島に来て学んだことのひとつとして、草原や林に潜む獣は、大きさがかなり異なる以外、島外のものと大差ない。
刺激しない限り危険はないといっていいだろう。
他の冒険者――できることならば、性質の悪い人間を誘い込めれば言うことはないのだが。
そんな時ばかり、人の気配というものは近くに感じないものだ。
歩いて、歩いて、ただ歩いて。
長く続く丘陵地帯を横切りながら、恭平は遠くを見やった。
前方には広大な森が広がっている。
ときおり、木々の合間に輝く青白い炎は、森に巣食う亡霊の魂が燃える色だ。
ずいぶんと身体は軽くなったものの、まだ本調子には程遠い。奴らと渡り合えるのはいつの日か。
森林の迂回路を計算に入れながら、恭平はただ静々と歩き続けた。
-1-
平原と森林の境界線を注意深く歩く。少しでも森の中に入り込めば、生命の匂いを嗅ぎ付けた死者が集ってくるだろう。
どうも、シャルロットという死に損ないと戦ってからというもの、以前にも増してそういう存在を引き付けやすくなったように感じられた。
それは、昨夜の夜営のときのことだ。
中空に棚引く青白い輝きがあった。それはただ、ゆらゆらと揺らめいていて、恭平を見下ろすように明滅を繰り返している。
ただそれだけならば害はない。しかし、そいつからは明確な悪意が感じられた。
渇望。
死を迎えることもできず、現世に縛り付けられた魂は恨めしそうに恭平を見下ろしているだけだ。
生命への飢え、失った肉体への渇望がそこにはある。
しかし、その焔はただ誘蛾灯に誘われる哀れな蛾のように、恭平の放つ生命の輝きに誘われただけであった。
襲い掛かってこなかったのは不思議だが、いかに上質な餌が眼前にあろうと闇雲に飛び掛ることもできないのであろう。
死者には、死者のルールがある。
ときおり、木々の合間を鬼火がゆらりと移動する光景が見られたが、
彼らはけっして森の中から這い出てくることはかなわないのだ。
いま、恭平が歩く境界線は、真実、その境である。
「……抜けたか。」
森林との隣接地帯を突破すれば、再びなだらかな平原に出る。
すでに日は傾き、一日が終わろうとしているが、森の近場に比べればはるかに安全だろう。
夜に広がりを見せる闇の領域は、死者たちの活動範囲をも広げるのだ。
しかし、このあたりに死臭はしなかった。
「む……?」
小奇麗な泉を見つけて、小休止をとろうとしていた恭平を射抜く二つの眼光があった。
泉の反対側、彼も水を飲みにきていたのだろう。
鋭い相貌が恭平を睨みつけている。
敵と見受けたのだろうか、その武器を手に彼は慎重そうに泉を迂回して恭平へと近寄ってきた。
泉では他の動物たちが我冠せずと、水を飲んでいる。
「……ずいぶん、老いているようだな。」
それは、一匹の老狼だった。けして、吠え立てることもなく。
ただ油断なく歩みながら、老狼は恭平への距離を詰めている。
「……おまえ。」
近づいて初めて気付く、ずいぶんと痩せた狼だった。
眼光だけがざわめいた輝きを見せ、恭平を見据えている。
群れからはぐれたのだろうか。それとも群れのリーダーとしての戦いに敗れたのか。
「そうか――死に場所を、求めているんだな……。」
老兵はただ去り逝くのみ――。
恭平の言葉に応じるかのごとく、老狼は走り出した。生涯最後となるかもしれない、相手の下へ。
二人の野獣が、激突する。
鳴尾恭平は考える。この先のことを、任務の遂行を。
島に来て10日が過ぎ、11日目の朝を迎えていた。いまだ、ひと月にも満たない短い時間だ。
彼が過ごしてきた戦場は、時に長く、時に短かった。こんかいはどちらだろう。
どうも、長くなりそうな気がする。
奇怪な化け物や、死に損ない、その他の冒険者との戦いから、受けた損害は大きかった。
当初の予定に比べ、島の探索はまったく進んでいない。
ひとつの利点として、他の冒険者の探索記録が手に入ることはありがたかった。
それによって恭平一人では成し遂げられない広範囲の探索が可能となっている。
しかし、彼のターゲットに関する情報はまったくあがってきていない。
(もしや、冒険者の中に紛れ込んでいるのか……。)
しかし、それはありえない話しだった。
全ての冒険者にはおおまかな来歴が記され、そこに嘘をつくことはできない。
例え言葉巧みに隠そうとも、なんらかの形で暴かれてしまうのだ。
恭平自身のデータには、彼が傭兵であることが明記されている。
遺跡の中でショウタイと名乗る一隊と交戦した記録はあるものの、
それらがゲリラと関係あるかどうかは、以前、未知のままだった。
「……。」
冒険者の痕跡――足跡、夜営の跡、そのほか人間の営みが残していく全てを、
注意深くその両目にとどめながら、恭平は平原を悠々と歩いている。
誘っているのだ。
姿を見せているからといって、野生の動物は襲ってくるものではない。
彼らのテリトリーに侵入するか、よほどこちらが敵意を見せない限り安全だ。
遺跡の中にはその例外。侵入者とあれば即座に襲い掛かってくる生き物や、生者を渇望する死者が巣食っている。
しかし、比較的危険なそれらが潜むのは、薄暗い回廊や、闇に沈んだ森の中だ。
島に来て学んだことのひとつとして、草原や林に潜む獣は、大きさがかなり異なる以外、島外のものと大差ない。
刺激しない限り危険はないといっていいだろう。
他の冒険者――できることならば、性質の悪い人間を誘い込めれば言うことはないのだが。
そんな時ばかり、人の気配というものは近くに感じないものだ。
歩いて、歩いて、ただ歩いて。
長く続く丘陵地帯を横切りながら、恭平は遠くを見やった。
前方には広大な森が広がっている。
ときおり、木々の合間に輝く青白い炎は、森に巣食う亡霊の魂が燃える色だ。
ずいぶんと身体は軽くなったものの、まだ本調子には程遠い。奴らと渡り合えるのはいつの日か。
森林の迂回路を計算に入れながら、恭平はただ静々と歩き続けた。
-1-
平原と森林の境界線を注意深く歩く。少しでも森の中に入り込めば、生命の匂いを嗅ぎ付けた死者が集ってくるだろう。
どうも、シャルロットという死に損ないと戦ってからというもの、以前にも増してそういう存在を引き付けやすくなったように感じられた。
それは、昨夜の夜営のときのことだ。
中空に棚引く青白い輝きがあった。それはただ、ゆらゆらと揺らめいていて、恭平を見下ろすように明滅を繰り返している。
ただそれだけならば害はない。しかし、そいつからは明確な悪意が感じられた。
渇望。
死を迎えることもできず、現世に縛り付けられた魂は恨めしそうに恭平を見下ろしているだけだ。
生命への飢え、失った肉体への渇望がそこにはある。
しかし、その焔はただ誘蛾灯に誘われる哀れな蛾のように、恭平の放つ生命の輝きに誘われただけであった。
襲い掛かってこなかったのは不思議だが、いかに上質な餌が眼前にあろうと闇雲に飛び掛ることもできないのであろう。
死者には、死者のルールがある。
ときおり、木々の合間を鬼火がゆらりと移動する光景が見られたが、
彼らはけっして森の中から這い出てくることはかなわないのだ。
いま、恭平が歩く境界線は、真実、その境である。
「……抜けたか。」
森林との隣接地帯を突破すれば、再びなだらかな平原に出る。
すでに日は傾き、一日が終わろうとしているが、森の近場に比べればはるかに安全だろう。
夜に広がりを見せる闇の領域は、死者たちの活動範囲をも広げるのだ。
しかし、このあたりに死臭はしなかった。
「む……?」
小奇麗な泉を見つけて、小休止をとろうとしていた恭平を射抜く二つの眼光があった。
泉の反対側、彼も水を飲みにきていたのだろう。
鋭い相貌が恭平を睨みつけている。
敵と見受けたのだろうか、その武器を手に彼は慎重そうに泉を迂回して恭平へと近寄ってきた。
泉では他の動物たちが我冠せずと、水を飲んでいる。
「……ずいぶん、老いているようだな。」
それは、一匹の老狼だった。けして、吠え立てることもなく。
ただ油断なく歩みながら、老狼は恭平への距離を詰めている。
「……おまえ。」
近づいて初めて気付く、ずいぶんと痩せた狼だった。
眼光だけがざわめいた輝きを見せ、恭平を見据えている。
群れからはぐれたのだろうか。それとも群れのリーダーとしての戦いに敗れたのか。
「そうか――死に場所を、求めているんだな……。」
老兵はただ去り逝くのみ――。
恭平の言葉に応じるかのごとく、老狼は走り出した。生涯最後となるかもしれない、相手の下へ。
二人の野獣が、激突する。
09030046 | Day10 -鳥篭- |
-0-
酒を酌み交わす約束を交わして、恭平は先に魔方陣へと足を進めた。
目指す魔法陣の形を思い浮かべると、いつもの浮遊感に身体が包まれる。
そして、恭平を見ていた女の姿が歪み、その内に姿が掻き消える。
残されたのは薄暗い遺跡の壁と、閉鎖空間にしては澱んでいない風の流れ。
否、女が消えたのではなく、恭平が移動したのだ。
恭平は再び、遺跡の中にあった。
「……く。」
最初にしては随分と軽減されたが、理由のない頭痛が恭平を悩ませる。
魔方陣による転送というシステムに、なんらかの問題があるのだろう。
痛みはすぐに消え、恭平は歩き出した。
目指すのはシャルロットと名乗った死に損ないの待つ、山岳地帯だ。
一部、不明な道のりはあるものの、その途中まではほぼ頭の中に叩き込んである。
穴ぼこだらけの回廊さえ迷わずに抜けられたなら、そこに辿り着くことができるだろう。
何度となく通った最初の山岳地帯を抜ける。
以前、無理やり押し通った断崖などは、町にいる間に仕入れた迂回路の情報をもとに回避した。
頭上を旋回する小鷹や、岩に擬態した怪物の目を逃れて、慎重に進んでいく。
いつしか、山岳地帯を抜け、恭平は平原に到達していた。
「……。」
木陰や草の繁みに隠れるようにして進む。
何人かの冒険者や人型植物たちが恭平の眼前を通り過ぎて行ったが、気付かれることもない。
順調に進んでいる。これならばすぐにもあの死に損ないと再び対峙することも適うだろう。
しかし、勝つ算段は見つかっていない。
単純な戦力の差で、恭平は敗れていた。
相手が人間ならば、策を講じることもできただろう。
まだしも、他の怪物であるならば、何らかの手段もあったかもしれない。
「奴は、強い……。」
何かを奪う為にある少女は、執念に縛られていた。
妄執は力となり、彼女を生に縛り付けている。
そして、他者から生命力を奪う力を彼女は与えられていた。
いまならば分かる。
あの戦いの最中、恭平から彼女に生命が流れているように感じたのはけっして錯覚ではない。
シャルロットと戦うということは、恭平一人で、二人の人間と戦っているようなものなのだ。
そして、恐ろしいことにその半分は自分でできている。
少なくとも、二人を相手にして圧倒できるようでなければ、勝つ事は難しいだろう。
「少し……力を付けよう……。」
無謀と勇気は異なる。
夜の帳がおりた遺跡の平原に、息を潜めながら恭平は先を思った。
強くならなければ。
-1-
大地に伏して眠り、朝と共に目覚めた。
荷物を担いで姿勢を低くして進む。紛い物の空は眩しく、太陽はさんさんと輝いていた。
風の匂いには、新緑のむせ返るような匂いが混じる。
遺跡の中にも季節があるのだとすれば、これは夏か。
「……。」
全身から汗が吹き出し、恭平の背を濡らしている。
そのおかげで、ときおり吹く風がとても爽やかに感じられた。
水筒から水を一口。探索中、水はとても貴重なものだ。
おいそれと生水を口にするわけにもいかない。
生水であろうと恭平の身体には問題ないのだが、この島の水には何が潜んでいるか分かったものではない。
できることならば、持ってきた水に頼ったほうが安全だろう。
どうも、前回、しこたま水を飲んでからというもの火に対する抵抗力が落ちているように感じられる。
そこに、因果関係があるのかどうかはまったく分からないが。
しっかりと水筒の蓋を閉め、恭平は再び進行を開始した。
「ん……?」
平原の中に点在する林は姿を隠すには最適で、夏の日差しを防ぐこともできた。
中を通り抜けていく風は、心地よい。
その林の中で、何者かが恭平のことを見ていた。
正しくは、何者かの視線上へ恭平が踏み込んだのだ。
人間のものではない。
「……。」
木の枝が揺れ、葉が舞い落ちる。
木の上から、ソレは己の巣に飛び込んできた侵入者へと飛び掛った――。
酒を酌み交わす約束を交わして、恭平は先に魔方陣へと足を進めた。
目指す魔法陣の形を思い浮かべると、いつもの浮遊感に身体が包まれる。
そして、恭平を見ていた女の姿が歪み、その内に姿が掻き消える。
残されたのは薄暗い遺跡の壁と、閉鎖空間にしては澱んでいない風の流れ。
否、女が消えたのではなく、恭平が移動したのだ。
恭平は再び、遺跡の中にあった。
「……く。」
最初にしては随分と軽減されたが、理由のない頭痛が恭平を悩ませる。
魔方陣による転送というシステムに、なんらかの問題があるのだろう。
痛みはすぐに消え、恭平は歩き出した。
目指すのはシャルロットと名乗った死に損ないの待つ、山岳地帯だ。
一部、不明な道のりはあるものの、その途中まではほぼ頭の中に叩き込んである。
穴ぼこだらけの回廊さえ迷わずに抜けられたなら、そこに辿り着くことができるだろう。
何度となく通った最初の山岳地帯を抜ける。
以前、無理やり押し通った断崖などは、町にいる間に仕入れた迂回路の情報をもとに回避した。
頭上を旋回する小鷹や、岩に擬態した怪物の目を逃れて、慎重に進んでいく。
いつしか、山岳地帯を抜け、恭平は平原に到達していた。
「……。」
木陰や草の繁みに隠れるようにして進む。
何人かの冒険者や人型植物たちが恭平の眼前を通り過ぎて行ったが、気付かれることもない。
順調に進んでいる。これならばすぐにもあの死に損ないと再び対峙することも適うだろう。
しかし、勝つ算段は見つかっていない。
単純な戦力の差で、恭平は敗れていた。
相手が人間ならば、策を講じることもできただろう。
まだしも、他の怪物であるならば、何らかの手段もあったかもしれない。
「奴は、強い……。」
何かを奪う為にある少女は、執念に縛られていた。
妄執は力となり、彼女を生に縛り付けている。
そして、他者から生命力を奪う力を彼女は与えられていた。
いまならば分かる。
あの戦いの最中、恭平から彼女に生命が流れているように感じたのはけっして錯覚ではない。
シャルロットと戦うということは、恭平一人で、二人の人間と戦っているようなものなのだ。
そして、恐ろしいことにその半分は自分でできている。
少なくとも、二人を相手にして圧倒できるようでなければ、勝つ事は難しいだろう。
「少し……力を付けよう……。」
無謀と勇気は異なる。
夜の帳がおりた遺跡の平原に、息を潜めながら恭平は先を思った。
強くならなければ。
-1-
大地に伏して眠り、朝と共に目覚めた。
荷物を担いで姿勢を低くして進む。紛い物の空は眩しく、太陽はさんさんと輝いていた。
風の匂いには、新緑のむせ返るような匂いが混じる。
遺跡の中にも季節があるのだとすれば、これは夏か。
「……。」
全身から汗が吹き出し、恭平の背を濡らしている。
そのおかげで、ときおり吹く風がとても爽やかに感じられた。
水筒から水を一口。探索中、水はとても貴重なものだ。
おいそれと生水を口にするわけにもいかない。
生水であろうと恭平の身体には問題ないのだが、この島の水には何が潜んでいるか分かったものではない。
できることならば、持ってきた水に頼ったほうが安全だろう。
どうも、前回、しこたま水を飲んでからというもの火に対する抵抗力が落ちているように感じられる。
そこに、因果関係があるのかどうかはまったく分からないが。
しっかりと水筒の蓋を閉め、恭平は再び進行を開始した。
「ん……?」
平原の中に点在する林は姿を隠すには最適で、夏の日差しを防ぐこともできた。
中を通り抜けていく風は、心地よい。
その林の中で、何者かが恭平のことを見ていた。
正しくは、何者かの視線上へ恭平が踏み込んだのだ。
人間のものではない。
「……。」
木の枝が揺れ、葉が舞い落ちる。
木の上から、ソレは己の巣に飛び込んできた侵入者へと飛び掛った――。