血の染み付いた手帳
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03190018 | 17日目 階段上練習試合 中編 |
石段上の戦い 中編
4
扇状に広がる階段は、一段がまるで踊り場のように広い。
表面を覆う石畳を突き破って顔をだした岩に腰を掛け、キョウ子ははるか遠方を見渡した。
階段を挟むようにして続いていた壁面の片側が途切れ、地下二階がその姿をわずかにさらしている。
なんということだろう。雲さえも浮かぶ、広大な山岳地帯がそこには広がっていた。
階段からはその一帯を見下ろす形になるが、その最果ては雲に霞み、目を凝らしてもあらわではない。
「この光景を見ると、ここが遺跡の中だということを忘れてしまいそうになります」
言葉もなく、ただじっと遠くを見つめているキョウ子に、フォウトが声をかけた。
エゼやナミサと三人で何事か話し合っていたが、その話し合いも終わったのだろう。
他の同行者達――。
プリムラは疲れていたのか、巨大蟻にもたれかかるようにして仮眠をとっている。
階段の少し下のほうでは、モッカヴィルが槍を構え、哨戒役を担っていた。
「本当に、この中はどうなっているのかしら……まったく別の世界に来てしまったみたい」
フォウトの顔を見上げ、キョウ子は微笑む。
立っている時はフォウトがキョウ子を見上げなければならないが、岩に腰掛けたキョウ子の視線は低い。
大柄な身体でチョコンと岩に腰掛けている様は、実際以上にキョウ子の姿を小さく見せている。
「実際、別の世界かも知れません。島の地下にこれほどの空間があるとは」
キョウ子の言葉を受けて、「推論の一つですが」と前置きをしたフォウトがこたえる。
遺跡外から遺跡への出入りは全て魔法陣を介して行なわれる。
冒険者の多くは自然に、その遺跡は島の地下にあるものだと考えているが、そう断じる証拠はない。
「ふふ、そういう考え方もあるわねぇ♪
お話しは終わったみたいね、プリムラちゃんを起こすから進みましょうか?」
生徒の優秀な発言を褒める教師のような眼差しでフォウトを見、キョウ子は立ち上がる。
それから、ベッドと化している巨大蟻へと近づき、プリムラを揺り起こした。
「……ん、キョウ子さん。朝……?」
寝起きの弱いプリムラが、間の抜けた声をあげる。
「もう、ほら、シャキッとしてっ」
キョウ子はまだ眠たそうにしているプリムラの手を引いて立たせた。
その服に付いたしわを手で軽く叩くようにして伸ばし、準備をするようにうながす。
「あっ、ちょっと、待ってください。
実は、三人で話し合ったのですが、キョウ子さんたちにお願いが」
その様子を見て、フォウトがほんの少し慌てたように声をかけた。
テキパキと動くキョウ子を前に、申し出るタイミングを逸していたのだろう。
「あら、何かしら?」
首を傾げ「私達に出来ることなら」とキョウ子はフォウトの次の言葉を待つ。
「――私達と練習試合をしていただけませんか?」
一拍置いて、フォウトはそう告げた。
このペースで降りていては、下に着くころには夜になってしまう。
今日はまだ練習試合を行なっていなかった。せっかくの鍛錬の機会を逃すのは勿体無い。
キョウ子たちが練習試合をしていなければよいが、サードチェインの三人が集まって話していたのはこのことだった。
「どうでしょう? 不足はないと思うのですが」
もし練習試合をしていないのであれば、キョウ子たちにとってもよい話であるはずだった。
果たして、キョウ子の返事はどうであろうか。
「ふふ、いいわよ」
あっさりと快諾すると、キョウ子はプリムラにそのことを伝えた。
それを聞いて、眠そうに緩んでいたプリムラの眦が急に引き締まる。
「では、準備をして……十分後に此処で会いましょう♪」
不敵な笑みを浮かべ、キョウ子はプリムラと連れ立つと、その場から離れた岩陰に姿を消した。
5
そして、十分が経った。岩肌の露出する階段上で、二つのチームが整列している。
二チームの代表として、階段のほぼ中央ではキョウ子とフォウトが向かい合っていた。
「それでは、始めましょうか♪」
キョウ子が拳を突き出し、微笑みを向ける。
「ええ、準備はできています。」
微笑むをキョウ子を真っ向から見据えて、フォウトが答えた。
その拳に、正面から自身の拳を打ち合わせる。
「「始めましょう、練習試合を」」
二人の声が協和した。
それと同時に、遺跡内の空気が変調し、周囲を不可思議な場が覆った。
遺跡内で一日に一度だけ行なえる特殊な儀式。
双方ともに相手との練習試合を望み、宣言した時、そこには特殊なフィールドが形成される。
既に負っている傷が治ったり、疲れがとれることはないが、この空間で負った傷は終了後に消える。
一種の仮想空間ともいえる場は、冒険者たちの鍛錬に使用された。
「ふふ、これは覚悟を決めていかないとねぇ」
プリムラに微笑みかけながら、三人に背を向けて距離をとる。
チェインパンサーの三人も、同様に規定の距離まで距離をおいていた。
「これは腕が鳴りますね。お二人ということで、少し残念ですが……」
「エゼ君。数で勝るからといって、そんなことを言うものではありません。
慢心は油断をまねきますよ」
肩をほぐしながらキョウ子とプリムラを横目に見てぽつりと漏らしたエゼが、フォウトにたしなめられる。
「はい……気をつけます。そろそろですね」
足を止めて、ゆっくりと振り返った。
キョウ子たちもすでにこちらへと視線を向け、準備は整っているようだ。
「祝福を……」
エゼは祈りの言葉を口中で呟く。力が彼の身体に満ちた。
6
まず初めにキョウ子とプリムラが同時に大地を蹴った。
キョウ子を先頭に、その影にプリムラを庇うようにして二人は一直線に突き進む。
その両翼を守るようにモッカヴィルと巨大蟻が動いた。
「散開してください」
その動きを見て、フォウトは号令を下した。
フォウトは右翼を守るモッカヴィルへと向かい、ナミサは左後方へと下がる。
人数差は三対二だが、実質的な数の差は三対四だ。
キョウ子たちの連れる怪物を、先に黙らせておくに越したことはない。
エゼだけは変わらずその位置で、キョウ子たちの動向をうかがっていた。
「まずは小手調べねぇ」
エゼに向かって走りながら、キョウ子は右手を髪の束に差し込んだ。
髪に隠れるようにして、背中には無数の投擲用の短剣が吊るされている。
それらを親指を除く四指の合間で器用に挟み込む。
「いくわよっ!」
引き抜きざまに一閃、三本の短剣が放たれた。
微妙にタイミングをずらした短剣は、空を裂いてエゼへと差し迫る。
「わぁっ、とっ、と」
さして狙いもつけず放たれた短剣のうち二本は、最初からエゼの左右を抜くようにしてはずれていた。
最後の一本だけが、エゼの人中線を正確に射抜いている。
それをエゼは、強固な大弓の本体で打ち払った。
弾かれた短剣は石畳に跳ね返り、乾いた金属音をたてる。
「手加減して様子見というところでしょうか。
そっちがその気なら、力を奪わせていだだきますよ!」
目に見えて接近するキョウ子を見据えて、エゼは矢をつがえず弓を引き絞った。
馬手を顎元まで引き絞り、そのままに引き放つ。
弦が額木を打ち、鋭い弦音を発した。
放たれたのは音波という名の、見えざる矢だ。
魔力を内包した音はキョウ子へと忍び寄り、その身体を正面から貫いた。
「今のは……?」
元よりダメージを期待してのものではない。
撃ち抜かれたキョウ子もまた、脱力感を覚えた程度のものだろう。
しかし、上乗せされた魔力はキョウ子から力を奪い、エゼの元にそれを運んでいた。
エゼの両腕に本来以上の力が伝えられ、力が溢れている。
「思った以上に、効果的ですね。いや……相手が、よいのかな」
確かめるように手のひらを開閉し、矢筒から矢を抜き取る。
矢をつがえて、今度はキョウ子を狙った。
エゼが使う弓は、常人では引けないほどに重く、大きい。
その弓が常よりも軽い。
弓手の先にキョウ子を狙い、的を絞って矢を放つ。
「早い――!!」
放たれた矢は、キョウ子とエゼの間に開けた空間を瞬く間に駆けた。
重力から逃れて自由に奔る矢は、キョウ子の目にはひとつの点としか映らない。
認識の遅れが、キョウ子の回避行動を遅らせた。
急所を狙って放たれた一撃を外しきることができず、矢は右肩へ深々と突き刺さる。
「やるわねぇ――」
慌てて引き抜けば出血は免れない。
咄嗟に判断を下し、キョウ子は右肩の痛覚を遮断した。
かつて習った身体操作法は今もなお忘れてはいない。
凄惨な笑みを浮かべて、キョウ子は右肩から生えた矢を根元から叩き折った。
俄然、速度をあげてエゼへと迫る。
「なっ?!」
矢の一撃で多少は緩むと思っていたキョウ子の速度が、なお増したことにエゼは意識を奪われた。
それを油断ととるのは可哀そうだろう。
いささか力なく右腕をぶら下げて、キョウ子はエゼへと肉薄する。
反撃がくるか――エゼは身構えた。
「――あれ?」
そんなエゼの横を、キョウ子はすれ違い、階上へと思い切りよく走り抜ける。
7
モッカヴィルの前に敵がいた。
油断なく短剣を構えたフォウトは、牙槍を構えたモッカヴィルの隙を探すように微動だにしない。
そのフォウトの隙のなさに、モッカヴィルは進みあぐねていた。
すでにキョウ子たちとは距離が開いてしまっている。
「――シッ」
隙がないならば、隙を作り出さなければならない。
不意に槍を突き出した。予備動作のない巨大蟻独特の動きだ。
人間ならば動作の前に必ずなんらかの兆候が表れる。
しかし、表情ももたず、梯子状神経によって身体を操るモッカヴィルにはそれがない。
無拍子の一撃。
だが、フォウトはそれを難なく避けた。
モッカヴィルが槍を繰り出す動きを、眼で見てから動いているのだ。
研ぎ澄まされた集中力と、たぐい稀な動体視力が可能にする動きであろう。
「どうしたのですか?」
フォウトは表情を変えず、モッカヴィルの動きを窺うように前に立ちはだかっている。
このままでは、いけない。
「ヌヲォ!!」
モッカヴィルは吼えた。フォウトの目に見えない圧力を振り払うように。
槍を旋回させて、フォウトへと打ちかかる。
上段から打ち下ろしのままに、穂先を切り上げる二連撃。
「及第点ですね……」
モッカヴィル渾身の一撃も、フォウトの目にはその動きまで見てとれる。
上段からの一撃を右へのステップでよけ、ニ撃目をスウェイバックで紙一重に避けた。
「大人の教えです! 身体に刻みなさい!」
モッカヴィルにその一撃が見えたかどうか。
後ろ足で地面を蹴りモッカヴィルへ肉薄、フォウトは両の手の短剣でその身体を袈裟懸けに切り裂いた。
「――。」
声にならない悲鳴をあげ、モッカヴィルが蟻酸を撒き散らす。
石畳が酸に触れて、白煙をあげた。
だが一撃と同時に後退したフォウトの身体には、一滴の酸もかかってはいない。
「勢いは悪くありません。……この、臭いは?」
蟻酸とは違う、刺激臭がフォウトの鼻をつく。
モッカヴィルへ注意深く意識をはらいながら、フォウトは臭いの元を探した。
それは風上――。
「階上か! いけないっ!」
反射的に見上げた階上では、大柄な乙女が皮袋を手にナミサの横を駆け抜けるところだった。
8
「――えっ?!」
エゼの横をキョウ子が駆け抜けて行くのを見て、動揺したのはナミサも一緒だった。
ナミサはチェインパンサー隊では唯一の魔術師だ。
それだけに体力や、正面きっての打ち合いはあまり得意ではない。むしろ苦手といっていい。
そんなナミサの役割は後方支援や、前衛が時間を稼いでいる間に構成する強大な魔術の一撃が主である。
弓や同じような魔術師との遠距離戦は経験したことがあるが、前衛から真っ先に自分が狙われるとは。
「挟撃のデメリットも恐れず突っ込んでくるなんて……」
後衛の自分を狙えば、当然ながら背中は留守となってしまう。
そうなれば、無傷の前衛に後ろから襲われて、後衛を狙うことがむしろ仇となってしまうというのに。
「思い切りのいい人なんですね」
キョウ子はすぐ近くまで迫っている。
しかし、既に構成を始めた魔力を解き放つことも出来ない。
不完全なまま解き放たれた魔力は、時には術者へ牙を向けることもある。
だが時間はない。
「行きますっ――!」
強引に魔術構成を完成させて放った。
無理のある構成のため通常よりも威力は減じてしまうが、贅沢は言っていられない。
ようは敵を倒せればそれでいいのだ。
放たれた不可視の一撃が、キョウ子とプリムラに続いて、階段へ足を掛けようとしていた巨大蟻を打ち抜く。
まるで電撃を受けたかのように、巨大蟻の体が折れ曲がった。
そのまま、後ろ向きに倒れ、動きを止める。
あまりにも強大な魔力の奔流に耐え切れず、そのまま気を失ってしまったらしい。
「――チェックっ。……すみませんが、少し休んでいてくださいね」
魔力を放った余韻に身体を揺らしながら、倒れ伏す巨大蟻を一瞥しひとりごちる。
即座に意識を切り替えて、キョウ子たちを見据えた。
もう距離は目と鼻の先ほどしかない。
「フォウトさんたちが戻ってくるまでを、どうやり過ごすか――」
情けないことだが、眼前の乙女二人を相手に打ち合って、無事でいる自信はない。
「やれるだけやるしかないですね……」
ウーンズのような大技は放てないが、小さな魔力弾なら構成抜きに放つことは出来る。
可能な限り頑張るしかないと、絶望的な思いで――しかし冷静に――判断し、キョウ子たちへと向き直る。
「行きますっ――!」
自信を叱咤するように呟き、身構える。
その横をキョウ子たちが、勢いそのままに駆け抜けていった。
「……あれ?」
9
ナミサの横を駆け抜け、階段を数段上がったところでキョウ子は唐突に立ち止まった。
プリムラはそのさらに数段上まで駆け上がり、そこで足を止める。
「……寒いの、嫌い」
吹き降ろす風の冷たさが身に染みたのか、プリムラが火霊の加護を、キョウ子たちに与えた。
不思議とキョウ子の体が温まり、風に奪われていた体温が戻ってきたように感じる。
「巨大蟻さん、モッカヴィルさん……」
すでに眼下では、フォウトの前にモッカヴィルが傷つき、ナミサの一撃に巨大蟻が倒されていた。
もとより不利ではあると思った戦局だったが、予想以上に力の差があったようだ。
キョウ子自身も傷つき、プリムラも掠め飛んでいった矢によって頬に裂傷をつくっていた。
「けれど、風上をとったわぁ!!」
左腕で握り締めた皮袋を天に掲げる。
中には遺跡内で少しずつ採取した毒草を挽いた粉や、唐辛子などの香辛料の粉末が入っている。
空気中に散布されたこれらは、目や鼻に喉といった部位の粘膜を刺激し、催涙ガスにも似た効果を発揮した。
問題は常に風上を取らなければ、自由には扱えないということだけだ。
全ては、この為に。
キョウ子たちはいま、風上をに立ち、フォウトらチェインパンサーの面々を見下ろしていた。
「私のスペシャルブレンド、味わいなさい♪」
皮袋の封を紐解き、中空に投じる。
軽い粉末が風に舞い上げられて色鮮やかな噴煙となり、エゼたちの視界を朱に染めた。
10
「な、なんだ、あれは」
キョウ子が皮袋を放り投げると、噴煙が広がり、エゼの視界を覆いつくしていた。
その朱色に近い粉末のカーテンの向こうにキョウ子とプリムラの姿が霞んでいる。
「これは、まずいな……いまのうちに、もう一発」
嫌な予感が脳裏をよぎる。
焦燥感にかられながら、再びエゼは矢をつがえずに弦音を響かせた。
音波が噴煙の壁を突き破ってプリムラを打ち据え、その力をエゼのものとした。
再び、矢をつがえ、プリムラを狙う。
しかし、先ほどと違って、噴煙の為に狙いが思うように定まらない。
「ええいっ!」
霞む人影に狙いをあわせ、引き絞った弦を解放した。
甲高い弦音とともに矢が放たれ、噴煙の向こうに消える。
「……きゃっ」
噴煙の向こう側で、少女の小さな悲鳴があがった。
手ごたえは浅いが、どうやらダメージは与えられたらしい。
「これ以上は……」
弓をおろし、エゼは口元を手で覆った。
風に押し流された噴煙は、徐々に徐々に近づいてきている。
次の一撃を放つ暇はない。
「ごほっ……ごほっぇう……くしゅっ……ぐすっ」
噴煙の朱に染まった視界が、次いで、湧き水のように溢れでる涙によって覆われる。
ついに噴煙がエゼをその内へと飲み込んだ。
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