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血の染み付いた手帳

しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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  • :02/12/02:24

06050022 Day04 -怪鳥-

   -0-


 気配を殺して、森の中を進むことは容易い。
 森の気を読んで、そこに同調することは、呼吸をするのも同じこと。

 潜る森もまだ浅く、さほどの危険性も感じられない。
 時折、森の薄闇に瞬くのは黒猫の瞳、その金色の輝きだ。

 彼らの実力の程は、以前の戦いの中で推し量っている。
 さほど、気にとめる必要のある相手もない。

 しかし、気になるのは森に流れる空気である。

 幾重にも重なる気には、人工的な異物感が感じられた。
 ひどく作為的なものを感じる。

 恭平は自分の意思で前へと進んでいるのだが、それさえも何者かに決められているかのようだ。
 地図の中に光り輝く光点は、この周囲に存在する冒険者の証。

 いくら先を急いでも、そのうちの幾らかは彼から離れることもなく付いてくる。

 それだけ同じルートを選択した冒険者がいるということか。

「……ついてない。」

 思えば、遺跡に潜ってからというもの、すでに数名の冒険者とは邂逅している。

 情報の取得を思えば、それはけして悪いことばかりでもないのだが、
 かといって、出会えば出会うだけ自分の情報も流出するのだと思えば嬉しくはない。

 秘密を持ち続けること、それは、最後の最後で生き残るために必要なことだ。

(……このまま無事に進むことが出来ればいいんだが。)

 どうにもキナ臭い。

 ここからさらに奥地に入れば、平原や魔方陣といったエリアとは比にならない強敵が潜んでいるだろう。
 それは、ご丁寧なことにも招待状に記されていた但し書きにもしめされていたことだ。

 かなりの力を消耗してしまっている。戦わないで済むに越したことはなかった。

 だが、人生とは往々にしてうまくいかないものだ。

「待つのですよ♪」

 そのいやに陽気な声は、上空から降ってきた。
 背中に羽を生やした化生が、木立にぶら下がるようにして恭平を見ている。

 野鳥の気配。

 烏か何かの類と思ったそれは、木の葉に身を隠した烏天狗のものであった。

 翼を揺らし、烏天狗は音もなく大地に飛び降りると、構えた錫杖を恭平に突きつけて言う。

「勝負するのです♪」

 陽気に錫杖を振りかざし、戦闘体制をとる。
 純粋な闘気。さも、戦いが楽しいことであると言わんばかりの。

「相手が、見つかったのですか?」

 その背後から、さらに姿を現した女がいた。
 気配を断って、木立の裏にでも隠れていたのだろう。

 動いていなければ、そう易々と感じられるものでもない。

 弓を構えたその女は、いずことも知れない軍服に身を包んでいる。

「あなたは――申し訳ありませんが、お付き合いをお願いします。」

 軽く頭をたれて、女もまた矢を弓につがえた。

 両者ともに臨戦態勢だ。

(……やるしかない、か。)

 今日の運勢は最悪、か。

 仲間の信じていたジンクスのあれこれを思い出し、
 そのどれも今日は破っていた、などと考えながら、恭平は短剣を引き抜いた。


   -1-


「女は、軍属……厄介だな。……そして、化生とは。」

 恭平は警戒を強める。相対する二人の力は未知数だった。

 ましてや戦力差は一対二、数の上でも不利。
 狩る側と狩られる側の立場は決定しているも同然。

 そのような状況下を渡り歩いてきた恭平であるからこそ、その危険性は身に染みている。

 第一は生き延びること。敗北は必至。
 避け得ぬ運命であるのならば、その中で光明を見出すが勤めか。

 ましてや、島へと辿り着いて数日。
 その全貌すら把握していない現在で奥の手を晒すわけにもいかない。

(……負け戦続きとは、我ながら情けのない話だ。)

 自嘲しつつも敵の出方を待った。

 なんにせよ、この場を切り抜けなければならない以上、不用意にこちらから手を出すものではない。

「では…よろしくお願い致します!!」

 やはり、後衛――いや、中衛だろうか。

 弦を引きしぼり、恭平から距離をとりながらも、女軍人は律儀な一声を投げてよこした。
 この二人――いや、一人と一羽か――のツーマンセルは、前衛の烏天狗と中衛の女軍人で成り立つようだ。

 完全に後ろに下がらないというのは、いざとなれば女軍人も前に出てくるということなのだろう。

 そうなれば、手ごわい。

 予測されるのは、弓矢による後方支援と、攻防一帯の杖術による波状攻撃。
 足を止めれば、終わりだ。

 しかし、この二人からは邪気を感じない。殺人狂ではなく、純粋な腕試しの輩のようだ。

 それならば、負けることも容易いだろう。

(……ふん。)

 自身の計算に、口の端を ニィッ と吊り上げて、恭平は短剣を身体の前に構えた。
 烏天狗の肩越しに女軍人を見据える。

 右足を半歩引き、半身となった。女から見て、恭平の表面積が半分近くまで減退したに違いない。

「いきますですよー♪」

 それを知ってか知らずか、翼で パンッ と空気を叩くように加速して、烏天狗が飛び出してきた。
 尋常ならざるスピード、人間では不可能なスタートダッシュを、強靭な両翼が可能とした。

 距離が一瞬で詰まる。

 八双に構えた錫杖を右斜め下方から、逆袈裟に振り上げてくる。
 咄嗟に上体を反らしてかわすが、杖先が顎を掠め皮膚をこそぎ落としていった。

 烏天狗はその勢いのままに、翼をはためかせて樹上へと消える。

「ちょこまかと……動くな。」

 気の裂帛。先日の戦いの中で見せたものと同じものだ。
 樹上の烏天狗の気配を追って、絞った気を放つ。

 先日はあえて絞らずに周囲へと放出したが、こういった芸当もできるのだ。

 確かな手ごたえ。
 精神に与えられた衝撃は、肉体にも大きな疲労を残す。

 しかし、そこに隙があった。
 高速で移動する烏天狗を正確に捉えるため、恭平の意識は自然、女軍人から離れる。

「……ぐっ。」

 放たれた矢は、前に出されていた恭平の左ももを貫いた。

「油断していましたね?」

 女軍人は動いていない。
 ただ狙いを絞っていただけだ、恭平が烏天狗を追う間に、彼女は恭平の足を狙っていた。

 動きを止めようというのだろう。
 中途半端に体内に残った矢ほど厄介なものはない。

 時間が経てば経つほどに、筋肉の収縮によってそれは抜くことが難しくなる。
 かといって抜けば大量出血は免れられない。

「……。」

 無言で足に突き立った矢を短剣で断ち切り、恭平は木立の中へと姿を消した。

 全力疾走する足音。恭平は戦場から逃げようとしているのか。
 音はうねるように木立の間をすり抜けながら、急速に遠ざかっていく。


   -2-


「…逃がしはしませんよ。」

 アンは二の矢をつがえる。

 距離は開いたが問題はない。この程度の距離など、彼女にとってないも同然。
 上空ではいざはやが、枝を伝いながら傭兵の後を追っている。

 飛ぶ鳥も落とす射手である。
 その合間に木々があろうと、彼女の視界のうちにある限り狙いを外すことなどありえない。

「良い子ですから、大人しくしてくださいね。」

 いざはやの嗅覚が傭兵をとらえた。その頭上から、錫杖の一撃を加えようというのか。
 ならば、アンはそれに合わせて矢を放つまで。

 弦を限界まで引き絞り、集中を高めながらその時を待つ。

「――今!」

 樹上から躍り出るいざはやの姿が遠目に映った。
 その瞬間に、矢を放つ。

 肉を打つ重低音と、矢が突き刺さる確かな手ごたえ。

「…違う?」

 いざはやが狼狽している。
 敵を仕留めたのであれば、あのような様子は見せないはずだ。

 何か、違和感があった。

「……目に見えるものだけが真実じゃない。」

 その背後から、深く押し殺すような男の声がした。

 いつの間にか、傭兵が彼女の背後に立っている。

「…いつの間に?」

 背中に冷や汗を感じながら、アンは問いかける。

 この男は確かに、森の中を全力で駆けていたはずだ。
 それがどうして、彼女の後ろに立っているのか。

「……それは、自分で考えるんだな。」

「…!!」

 その言葉と同時に、短剣が牙のごとく振り下ろされた。

 服が裂け、鮮血が舞う。
 切り裂かれた肩口を押さえながら、アンは大地を転がり三の矢を放つ。

 しかし、それもかわされた。

 慌てて飛び戻ってきたいざはやが男と切り結んでいるが、決定打には至らない。

 一撃の隙をついていざはやを突き飛ばすと、傭兵は再び森の影に消えた。

   -3-

 木立の影に身を隠しながら、恭平は静かに息を吐いた。
 無理な加速運動は恭平の身体に負担を強いる。

 仕掛けを総動員してのトリックに、二人は引っかかってくれたようだが、
 だからといって戦況が良くなったわけでもなかった。

 与えた一撃とてさしたるものではない。

「……頃合だな。」

 深く深呼吸。後方からは近づく敵の気配。
 気配を断とうとしても、風を切る翼の音までは隠せない。

 恭平自体に限界が近い、最初から万全の上体ではないのだ。
 そろそろ終わりにしなければなるまい。

「……行くぞ。」

 樹陰から姿を現し、恭平は烏天狗と正面から相対する。

 烏天狗も警戒からか恭平には近づかず、距離を置いて様子を見ている。
 その背後の木陰に、やはり女軍人の姿がちらついていた。

 重力を感じさせず、上空にとどまる烏天狗。
 この距離では有効な攻撃手法がない。投げナイフの補充が間に合わなかったことが悔やまれる。

「……どうした? 怖気づいたか、化け物。」

 恭平は烏天狗を挑発する。

 化け物という呼ばれ方にカチンと来たのか、翼を大きく羽ばたかせ、烏天狗は急降下した。
 錫杖を振り回し、懇親の一撃を繰り出してくる。

 気合一閃、恭平はそれを短剣の柄で受け止めた。
 ギリギリと肉体が軋み、つばぜり合いが続く。

「……。」

 ふっと力を抜いて、恭平は後方へ倒れこんだ。
 下方へと押さえ込む力が空回りして、烏天狗の上体がバランスを崩す。

 その下から、短剣をひらめかせ、時代がかった装束もろともその肌を切り裂いた。
 鮮血を散らしながら烏天狗は逃げるように上空へと舞い上がった。

 その瞳が、怒りからか朱に染まっている。

「どかーん♪」

 笑顔になっていない笑顔で、烏天狗は手の平を恭平に向けて吼えた。

 戦慄が恭平の肌を突き刺した。
 チリチリと総毛立つ体毛、肌に感じる急激な温度の上昇。

 目に見えない何かが、恭平の近くに迫っている。

 近くまで接近していた女軍人が慌てて距離を置いたのも異変といえば異変だろう。

(……ここにいては不味い!!)

 直感に突き動かされ、恭平は背を向けて茂みの中へと飛び込んだ。

 身体が大地を蹴って中空へと躍り上がる、瞬間――。

 突然の爆発が恭平を背中から吹き飛ばした。
 その衝撃に身体が加速され、前方の木立に叩きつけられる。

 張り出した枝が恭平の左肺に突き刺さり。
 口元から血の泡が流れた。

(……何を、された。)

 乱れる呼吸を強制的に整えながら、枝を叩き折り恭平は地面に落ちた。

 二度目の爆発。

 先ほどまで恭平が建っていた場所は、連続した爆発に焼き尽くされて焼け野原になっている。
 どれほどの炎が暴れ狂ったのだろうか、周囲の木々は凪ぎ倒され爆風の凄まじさを物語っている。

「失敗しちゃったのですー」

 恭平の生存を認めて、烏天狗が無機物めいた微笑を浮かべていた。

   -4-

 いざはやの突然の行動に、慌てて距離をとってアンは木陰に身を隠していた。
 その遥か向こうから爆音。それに遅れた熱風がアンの肌を焼く。

 あやうく、彼女までその巻き添えを食らうところだった。
 放たれた力が、それを発揮する相手を選ぶことはない。

「…終わったでしょうか?」

 あの傭兵は死んでしまったかもしれない。
 樹の陰からのぞく凄惨な光景。かなりの熱量であったらしい。

 人間など簡単に焼けてしまいそうだ。

 だが、彼は生きていた。
 全身を返り血に赤く染めながらも、自分の足でしっかりと立っている。

 勘が鋭いのか。それは戦士としては貴重な資質。

 しかし、深刻なダメージを受けているようだ。
 先ほどまでに比べると、見るからに動きがにぶい。

 もしかすれば、心肺機能を痛めたか。
 呼吸は全ての基本だから、それが成り立たなくては動くこともままならない。

「終わりにするのですよー」

 その男の前にいざはやは降り立って、再び手の平を男へと向けている。

 再び炎を放つつもりか。
 戦いを愛好するいざはやは、戦いに熱中するあまり周囲が見えなくなることもある。

 この距離、そして、傭兵の怪我。

 次の一撃は勝負を決する一撃となるだろう。

「お疲れ様でしたのですー♪」

 陽気に言って、いざはやはその持てる力を解放した。

 先の一撃よりも収束された熱量。

 放とうとしているのは、焼き尽くす炎ではない。
 収束された炎は、火をおこすこともなく、ただ全てを貫き通す。

「ありり?」

 だが、炎が穴を開けたのは傭兵ではなく、その背後にあった樹の幹だった。

 その一瞬を、アンは見逃さなかった。
 傷を負い、動きも鈍っていた傭兵は、瞬間、水を得た魚のように俊敏な動きでいざはやの背後へと移動してのけたのだ。

 発動の瞬間が分かっていたかのような、動きだった。

「いざはやの、癖を読んだというのですか…。」

 強いというよりも、しぶとい。そんな考えが頭に浮かんだ。

 もう実戦訓練としては十分な程、戦っている。
 これ以上、長引かせることもない。

「大人しく退いて頂けると助かります。」

 いまにも飛び掛りそうないざはやを制して、男に告げる。
 弓の狙いは傭兵にとどめたまま、次は外さないと視線で語りかけながら。

 その意図に傭兵も気づいたものか、大仰な仕草で数歩後ろに下がっていった。

「……ち、撤退する。」

 心底から悔しそうに、男は吐いてのける。

 かぶりを振って短剣をしまいこむと、鋭い眼光をこちらに向けてきた。

「……化け物に、女――お前たちのことは、覚えておく。」

 それが男の捨て台詞だった。

 どのような技術によるものか、土煙を巻き上げると傭兵はその霞の向こうにたち消える。
 視界がクリアに戻る頃には、すでにその気配さえも感じられない程であった。

 この島の冒険者には、やはり気をつけなければならない。
 アンは喜んでいるいざはやを横目に、ひっそりと嘆息した。

   -終-

 枝を引き抜いて、恭平は自身の身体に火を押し当てていた。
 半ば強引な手法だが、出血を止めるにはこのほかない。

 爆炎に焼かれた肌は、流れる川の水で丹念に洗った。
 一番酷い背中の肌が、触れるだけで皮がずるりと向けるほどだ。

 面妖な敵だった。
 突然の爆発――ガスや、ナパーム、発火装置の類は感じられなかったのだが。

 かつて戦った超能力者の自然発火と似たようなものなのだろうか。
 生きながらにして臓腑を焼かれる苦しみを、恭平は今も覚えている。

 しかし、これほどの怪我であるというのに、膝もとのケロイドの下には新たな皮膚が覗いていた。
 自分の身体が自分のものでないような違和感。

 この島はどうなっているのか。
 翼の生えた女、そして軍人、知識を持った黒猫、昨日戦った二人はまだしも人間だった。

 この島に、常識はない。

「……おもしろい。」

 いつもより身近に感じられる死の気配に、恭平はぞくりと肌を粟立たせた。
 臆病であればこそ、ここまで生きながらえてきた。

 だが、この感情はなんだろう。
 死が近づけば近づくほど、この心を満たす喜びはなんなのか。

 恭平にその答えは出せない。

 彼は傭兵。傭兵に己など、ありはしないのだから。
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06012350 Day?? -旬過-

茉莉さんが、されていたので……。

旬は過ぎましたが便乗します。

05310302 Day04 -暗中-

   -0-


「う、ん……。」

 悩ましげなうめきをあげて、恭平はひっそりと目を覚ました。

 林の中に群立する背の高い木立の上、蔦を編みこんで作った恭平お手製のハンモックが揺れている。
 昨夜はこの上で、大きな葉を編み込んで作った布団に包まって眠りについた。

 樹上に生活する獣もいないではないが、安全性は地上の比ではない。
 なによりも、恐ろしいのは人間だ。

 他の冒険者を警戒して、周辺に侵入者察知用のトラップを仕掛けることも忘れてはいない。
 また、下から上を見上げても、巧妙なカモフラージュによってハンモックを見つけることは難しい。

 最大の問題は虫たちだが、虫除けの効果がある草の汁を衣服と身体に塗りたくっている。
 そのおかげか、夜の間に虫に悩まされることもなかった。

 目覚めは爽快だ。

「……もう、こんな、時間、か。」

 薄緑色の草汁でペインティングされた顔を天に向けて、恭平は身を起こす。
 どこか眼がぼんやりと霞んでいるのは疲れているためか。

 傷は癒えても、蓄積された疲れまでが回復するわけではない。

 遺跡の中に訪れているのは、朝の時。
 枝葉の隙間からは木漏れ日が漏れ、地下遺跡とは思えない爽やかな風が葉を揺らす。

 差し込んだ木漏れ日が、恭平の金髪に反射して一瞬の輝きを放った。
 許されるのであれば、この朝のひと時を楽しみたいところだが……。

 定められた時間だ。出立しなければならない。
 己を律することのできないものに、任務など果たせるわけがないのだ。

「ん……。」

 寝ている間に硬くなった筋肉を意識して、ゆっくり伸びをしながらときほぐす。
 朝の日課であるトレーニングをしている暇はなさそうだ。これぐらいはしておかなくては。

「……よし。」

 およそ十分の時間をかけてストレッチを終えた。
 そろそろ出発しなければならない。

 ぶらぶらと揺れる不安定なハンモックの上に、恭平は器用に立ち上がる。
 次いで、近くの枝に結ばれた蔦を掴み、たわむハンモックを蹴って宙に身を躍らせた。

 空中で振り向きざまに短剣を一閃、木々に張り巡らせた蔦を断ち、夜営の痕跡を消す。
 バラバラ と蔦が落ち、ハンモックの残骸は大地に転々とした枝葉に混じって分からなくなった。

「くぅ……。」

 微妙に調節された蔦を渡って、下へ下へと降りていく。
 トン と、大地へ降り立った衝撃に、ペインティングされた顔をしかめた。

「……くそ、たんまり痛めつけやがって。」

 昨日、遭遇した二体の植物人間は、植物とは思えない体躯の持ち主だった。
 自然、その闘いは壮絶な肉弾戦となる。

 打ち据えられた拳は思いのほか重く、身体の至るところに痣を作った。
 一夜明けて、表面上の痣は跡さえも残っていないが、肉体に残されたダメージは重い。

 打たれた箇所にズキズキとした痛みがはしる。

 とりわけ胸骨に鋭い痛み。
 
 これは、ヒビがはいっているかもしれない。
 遺跡の中では驚くほどに傷の回復が早いが、それにも限度があるのだろう。

 外よりも身体を気にすることもないが、だからといって無茶はできない。
 それに慣れてしまっては、外へと戻ったときに危険がある。

「……行くか。」

 痛む箇所をおさえて、ものの数秒で痛みは引いた。

 枯れ草のカモフラージュを取り除き、掘った穴に隠された荷物を取り出して肩に担ぐ。

 地図を広げて見れば、ずいぶんと表示されているエリアが広がっていた。
 他の冒険者に比べて、かなり出遅れてしまったようだ。今日から、多少なりとも急ぐ必要があるだろう。

 冒険者の接近を察知したターゲットが、遺跡の奥へと逃げてしまう恐れもある。
 慎重になった相手ほど、手強いものはない。

「…………。」

 気持ちを切り替えて息を深く吐くと、恭平は林の中を南へと向けて駆け出した。

 視界の先には、さらに深い森が広がっている。


   -1-


 森の奥深く、沼のほとりにゆらゆらと淡い焔が揺れている。
 東国にある祖母の祖国ではそれを鬼火と呼び、恨みをもって死んだ人間の魂と考えているらしい。

 生者のぬくもりが恨めしくて、鬼火は光ささぬ森を彷徨うのだろう。

「……化け物め。」

 己の臭いを隠すため、沼地に半身を沈めて、恭平は息を潜めていた。

 その目と鼻の先で鬼火は明滅を繰り返し、哀れな犠牲者の生命を奪おうとしていた。
 宙に身を浮かべた鬼火の足元に、一頭の雌鹿が倒れている。

 沼へと水を求めてやって来て、運悪く鬼火と遭遇してしまったのだろう。

 生命を恨む鬼火にとって、雌鹿は程よい獲物と映ったに違いない。

 ジジ―ジジジ、ジジ――。

 鬼火が発する耳障りな音は、復讐者のあげる歓喜の声か。

「……。」

 恭平はそれを見届けるほかに術もない。

 鬼火は雌鹿の精気を吸い尽くすと、ゆらゆらと森の奥深くへ姿を消した。
 完全にその姿が闇に溶けるのを見送って、恭平は肺に詰まっていた息を深く静かに吐き戻す。

 水音をたてないよう注意深く沼から身体を引き上げ、ぬかるんだ地面に膝をついた。
 沼の水に濡れた身体には、身体の心まで凍るような怖気が残っている。

 あれは危険な相手だった。今の自分で、正面から戦える相手ではない。

「くそ……。」

 倒れた雌鹿の近くまで寄るが、既に事切れていた。

 そっと、その目蓋を閉じてやる。
 墓を作ってやる余裕はない。

 先ほど、鬼火を一目見たとき、傭兵としての経験が恐るべき相手だと警鐘を鳴らした。

 相手の力量を看破することも、傭兵に必要とされる能力の一つ。
 情けない臆病者と自評する恭平は、その感覚には絶対の信頼を置いていた。

 奴――鬼火――とは、まだ戦ってはならない。

 義憤に駆られて戦いを挑むことはできる。だが、それでは無駄死にだ。
 結果として、雌鹿の横に恭平の死体が並ぶに過ぎなかっただろう。

「――ここは危険すぎる。」

 そう認めざるを得なかった。
 深く暗い森は、恭平の侵入を阻む強大な要塞だった。

 徘徊する鬼火、岩陰に潜む大ナメクジ、ブッシュに潜む野獣たち。
 どれも、現在の恭平の許容を超えている。

 身を潜め、息を殺し、ときには全力で逃亡し、どうにか進んできた。
 しかし、いずれ辿り着くのは、この雌鹿のような哀れな末路だろう。

 早く、この森から抜け出さなくては――。

 ただし、後戻りは、ない。

「……急ごう。」

 雌鹿の亡骸を沼のほとりに残して、姿勢を低く恭平は歩き出した。

 地を這う蜥蜴のように……。

   -2-


 前方に明かりが広がっていた。森林の出口に辿り着いたのだ。
 ここから一歩出れば、そこは陽のあたる平原だろう。

 そこまでおよそ1千メートル。

 だが、そこまでの距離が今の恭平には無限にも思える。

「ちぃ、間に合うか……。」

 背後へと感覚の糸を伸ばしながら、
 枝葉で肌を傷つけることも厭わずに恭平は森の中を全力で駆けていた。

 背後から、それは徐々に近づきつつあった。
 その正体は芒洋としてしれないが、森林に潜む野獣の類ではあろう。

 恭平に分かることは、そいつが怒りに我を忘れているということだけだ。

「……。」

 恭平は全力で走るが、獣と人とでは覆せない差がある。
 少しずつ、少しずつ、その距離は詰まってきている。

 残り、5百メートル。

 衝突は避け得ないだろう。
 だがしかし、森の中で戦うことは避けたい。

 いかな恭平といえど、この森林の中で地の利は相手にあると言えた。
 身を隠す場所がなく、陽に照らされた平原で迎え撃つ。

 あとは、なるようにしかならないだろう。

「……見えた。」

 残り、1百メートル。

 乱立する木々の密度が薄れ、平原の風がここまで流れ込んでいる。

 背後から獣の唸り声。
 風にのった恭平の匂いに反応したのであろう。

 その声は、ほんのすぐ後ろから、もはや獣との間に距離はない。

「くっ……。」

 その距離は零。

 頭から飛び込むようにして、平原へと身体を投げ出した。
 大地を転がるようにして反転、森から飛び出してくる野獣を迎え撃つ。

 強制的に息を整えて、恭平は短剣を抜き放ち、森の闇を見据えた。

 慣れない陽の光にたじろぐようにして、そいつは姿を現した。
 哀しいまでに狂おしい、怒りが、恭平を貫いた――。

05310227 Day03 -冥府-


 これから進もうとしている森の手前に、
 待ち構える人の気配を感じて、恭平は足を止めた。

 一人、いや、二人。
 二人の人間が闘志を剥き出しにして、誰かが通りがかるのを待っている。

 冒険者だろうか。感覚の糸に触れた闘志は澱んでおらず、嫌な感じはない。
 おそらくは自分の切磋琢磨のために、練習試合を挑もうとする輩だろう。

 無視をして、迂回をしてもいいが、それではまた行程が遅れてしまう。
 ここ以外から森へ侵入することもできなくはない。しかし、ルートの確保が問題なのだ。

 それならば、少し付き合う方が時間のロスも少ないだろう。

「……やれやれだぜ。」

 そう判断して、恭平は待ち受ける者たちの元へと歩み寄った。
 あえて気配は断たず、正面から堂々と乗り込んでゆく。

 はたして、そこには男と女が待ち受けていた。

 前時代的な学ランを身にまとった恭平と同じぐらいの身長をした男。
 そして、蠍の紋章のリングを身に付けた若い女。

 その紋章には見覚えがある。
 彼もかつて依頼を受けたことのある傭兵派遣会社の紋章だ。

 関係者か。

「何処かで見た顔だな……。まあ、いい。」

 何者がこの場にいようと、直接的な関係はない。
 すでに、同業者が多く乗り込んできていることは確認済みだった。

「……死神!!」

 逆に女の方は、恭平の顔を一目見て色めきたった。
 傭兵家業の関係者であることは紋章から想像が出来る。
 恭平の二つ名を知っていてもおかしくはない。

(……この島ではしがない男でしかないんだがな。)

 自身の身体能力の低下を肌に感じる恭平は、その女の視線に自嘲する。
 だがそのことを相手に教えるほど、恭平は親切ではない。

「……おい、練習試合がしたいんじゃなかったのか?」

 言葉を失っている女に、興味なさそうに問いかける。
 言外にやらないのなら通してくれないか、と言っているのだ。

「そ、そうよ。お相手してくださるかしら?
 あなたが相手なら、相手に不足ありません。私は――。」

「名前に、興味はない。……さあ、始めよう。」

 名乗ろうとする相手を制して、恭平は短剣を引き抜いた。

「ば、馬鹿にして……貴方が死神なら……貴方が死神なら
 私はそれを統べる冥府の……! やるわよ、ジン!!」

 憤慨した女は、東洋武術の構えをとり恭平を見据えた。
 その背後でおどおどとしていた大男――ジンも、女の前に出てファイティングポーズをとる。

 図体の割りに気の弱そうな男だが、女を守ろうという気概はあるらしい。

「……冥府の女王と、その番犬、か。思い上がるなよ、死の商人。――いくぞ。」

 獲物を狙う鷹の眼で恭平は二人をみやり、殺気を飛ばした。
 女の全身の産毛が総毛立ち、ジンの心臓が恐怖によって鷲掴みにされる。

 生み出された一瞬の空白。

 その隙に、恭平は姿勢を低く、放たれた矢のように飛び出している。

「女の方が出来るな……精神を鍛えろ、軟弱者」

 そう断じて、動きの止まったジンの横を駆け去る。

 女の立ち直りは早かった。
 自分へと迫る恭平から視線を逸らさず、一挙一動に注目している。

(得意とするのは、後の先、か)

 相手の一撃をかわし、反撃を加える。
 おそらくはそういった戦法を得意とするのだろう。

 下手な一撃を加えれば、手痛い反撃を加えてくるに違いない。

 しかし、だからといって、それがどうしたというのか。

「……!」

 女が息を呑んだ。

 まるで口づけをせんがごとく、恭平の顔が女の正面にあった。
 駆け寄る勢いそのままに、女へと肉薄したのだ。

 加えられたのは、しかし、攻撃ではない。

「……動くな」

 耳元でささやかれたのは凍りつくようなその言葉。
 眼前にあった恭平の顔が立ち消え、大地を蹴る足が見えた。

 視界から恭平の姿が消失する。

「……ど、どこへ!?」

 女は狼狽する。
 返答は右肩への痛烈な痛みだった。

「く……あ……。」

 獣の牙のような短剣が、女の右肩に深々と突き刺さっている。
 
「クレア!」

 その光景に、ジンが吼えた。

 猪のごとく突進し、空中の恭平を薙ぎ払う。

「……ちっ」

 その豪腕を受け流し、だがその衝撃を吸収しきれずに恭平は大地を転がった。
 勢いそのままに、距離をとる。

 ダン!! と音がして、先ほどまで恭平が転がっていた位置を、
 ジンの蹴り脚が撃ち抜いていた。

 地面に足形が残るほどの蹴り技、恐ろしい力だといえよう。

「油断、しました。」

 その間に、女――クレアも立ち直っている。

 与えた傷は精神的ダメージを狙ってのものだ。
 最初の出血こそ派手だが、傷も深くないし血もすぐに止まる。

「今度はこちらから――。」

 肩の傷もそのままに、クレアは恭平へと挑みかかる。

 正面から視界を覆うように掌底を放つ。これはフェイントだ。
 本命は蹴り技、死角から恭平の弁慶の泣き所を狙って蹴りを繰り出す。

 その脚が逞しい恭平の腕に掴まれて止められた。

 ――かかった。

「掴まえましたよ、死神」

 相手が自分を掴んでいる限り、その距離は零。

「ごめんなさい!」

 あなたを殺してしまうかもしれない。

 真の狙いは寸頸。零距離から相手の体内へと自身の気を浸透させる技だ。
 下手をすれば、内臓器をミキサーにかけらたようにぐちゃぐちゃにされて、死に至ることもある。

 だが、それしかない。

「……破ァ!! ……アッ?!」

 裂帛を込めて流し込もうとした気が、凪がれた。

 いつの間にか、押し合えてた腕も恭平よって掴まれている。
 その箇所で気の流れが阻害され、せっかく練り上げた気も雲散霧消してしまっていた。

「教えてやる……。」

 クレアの自由を奪ったまま、眼と鼻の先で死神が嗤う。

「冷静さを欠いたら負けだ。」

 その言葉と同時に掴まれたクレアの腕が捻り上げられた。
 そして、投げ飛ばされる。

「クレア!!」

 あわや木に激突、という寸前でその身体をジンが抱きとめた。
 さしたる外傷もなくクレアは立ち上がり、戦意に満ちた瞳で恭平を見た。

「いい眼だ。今日は、よく勉強して帰るんだな……」

 その視線を真っ向から見つめ返し、恭平は少し楽しそうに口の端を吊り上げた。

 そして放つ気の裂帛。
 先ほど、クレアが零距離でやろうとしていたことを、長距離でやって見せたのだ。

 全方位に迸った気合は颶風となってクレアとジンを撃つ。

 再び恐怖がジンの心を襲った。
 死神の鎌は、心の隙間へと忍び寄り、彼の戦意を刈り取ろうとする。

(……負ける、ものか。)

 一瞬の攻防。

 全身を汗だくにしながらも、ジンの心が折れることはなかった。
 厚く重たい学ランの上着を脱ぎ捨てて、シャツ一枚となり、ファイティングポーズをとる。

 その視線は先ほどに比べると、幾分か研ぎ澄まされて見える。

(……おもしろい。)

 その内心は、成長する生徒を見守る教師のそれか。
 恭平はどこか懐かしい思いにとらわれていた。

 かつて先任として小隊を任されていたときの思い出か。
 もう遠い昔のことだ。

 そのときに、似ている。

「いきますよ、ジン!」

 クレアとジンは、一緒に駆け出した。

 息もつかさぬコンビネーションで、恭平へと襲い掛かる。
 
 ジンはその体躯を活かして、恭平をその場に釘付けとした。
 繰り出される拳の応酬。その一撃は重たく、恭平とて捌くことで手一杯となる。

 その合間、合間に、切れ味鋭い蹴りを繰り放ってきた。
 中段から下段へ、下段から上段へと、変則的に放たれる足技の華。

「……くっ」

 ふいに放たれたジンのボディブローが恭平を捕らえた。
 大柄な恭平の体躯が、宙へと浮かされる。

 そこへ、首を刈り取るかのようなクレアの延髄蹴り。

 二人の連撃の末に、恭平は再び大地を転がった。

 効いている。

 脳を揺らされ、視界がぐんにゃりと歪んで見えた。
 しかし、ジンとクレアだけははっきりと像を結んでいる。

 しかし――。

 惜しむらくは二人の戦法だろう。

 格闘は優しい。

 確かに、素手で人を殺すことは可能だ。
 恭平とてそれは経験がある。だが、武器を用いて為すことは、それよりも容易い。

 相手が斧使いや剣使いであったならば、今の一撃で決着が付いていたはずだ。

 だが、それでも、この二人は格闘家なのだ。

(……ずいぶんと、お優しい冥府の女王だな。)

 その考えに苦笑する。

 相手のことを考えているような状況下でもあるまい。
 恭平は追い込まれている。

「……。」

 無言のうちに立ち上がり、首を コキコキ と鳴らして二人を見やった。
 追い詰められているのは恭平の方だが、緊張しているのは二人の方だろう。

 恭平のことをどうやら、まだ過大評価しているらしい。

(……相手の戦力分析が甘いな。減点だ。)

 いまだ手放さない短剣を持ち替えて、再び二人へと視線を送る。

「……さて、どうするか。」

 二人に聞こえないよう呟いて、恭平は自問する。
 十分に戦った。このまま逃げても良いのだが……。

 どうやら、相手はまだまだやる気のようだ。

(……仕方ない)

 最後まで付き合うとしよう。

「……いくぞ。」

 宣言して、大地を蹴る。

 狙いはクレアだ。クレアを狙えば、ジンの注意力は低下する。
 相手の弱点は容赦なく突かねばならない。

 わき腹を狙って、短剣を繰り出す。

 慌ててクレアは繰り出された恭平の右腕を払った。
 しかしその腕に短剣はない。

「……目で追うな。」

 視覚はだまされやすい。。

 一流の手品師は誰もが、観客の視覚を騙すのだ。
 それも一人や二人ではなく、何百人もの観客を一度に騙してみせる。

 それだけ視覚とは騙されやすいものなのだ。

 恭平もそれに類した技術を使ったに過ぎない。

「な! あっ? くっ!!」

 恭平の短剣は、消えては現れた。
 
 確かにそこにあったはずなのに、そこにない。
 繰り出された一撃に危険を感じ、意識がそちらへと移った瞬間にまったく別の箇所を切りつけられる。

 クレアを救おうと恭平へと挑みかかるジンの眼にも、その短剣の軌道は読みきることは出来なかった。

「……眼で追うからそうなる。もっと感覚を鍛えろ、視覚が灯す信号は嘘っぱちだ。」

 無茶を言うな。

 クレアは歯噛みする。
 いい様に扱われているという現実が、クレアのプライドを刺激していた。

 どうにか、一矢報いたい。

「ジン!」

 仲間の名前を呼ぶ。

 ともに戦うことを誓い合った仲間だ。
 それだけで彼は、彼女の意図を理解してくれた。

 それは、時間稼ぎ。

 クレアは大技を放とうとしている。

「ふん!!」

 気合一閃。ジンは両拳を突き出した。

 体重の乗った重たい一撃。

 恭平はそれを交差させた両腕でガードする。
 しかし、その一撃はその防御を貫き通し、恭平の肺を圧迫するだけの威力があった。

 息が詰まる。
 恭平の動きが止まった。

 そして、それだけでクレアには十分なのだ。

「アベル先生!!」

 クレアは地を蹴って、空へと舞い上がる。
 水鳥のごとき体重を感じさせない動きだ。

 空中でひらりと体を入れ替え、恭平の急所を狙う。

「力を貸してください!!」

 蹴りを放つ。

 その一撃は狙い違わず、恭平の水月に突き刺さった。

 その動作は、まるでそこに収まることが運命であったかのように、
 自然で無駄のない一撃だった。

「か、は……。」

 ただでさえ搾り取られた空気を、さらに吐き出させられる。

 瞬時的な酸欠で喉が詰まった。

 しかし、楽しい。その攻防に恭平は楽しみを感じている。
 戦いの中に生を見出す人種がいるが、恭平はまさにそうだった。

 戦うことを宿命付けられた人間。
 それが鳴尾恭平だ。

「……はは。」

 知らずと笑みがこぼれる。

 ただ、顔を上げるときには、いつもの仏頂面に戻っていた。
 ポーカーフェイスはお手の物だ。意識をしているわけではないが。

「……なっ。」

 自分の必殺技がたいして効いていないことにショックを受けたのだろう。
 クレアが軽くよろめいた。

 実際はそうでもないのだが、そう見せないだけの修羅場は潜ってきている。
 はったりや虚勢も交渉術の大事な技能の一つだ。

 恭平はクレアの顔をまじまじと見つめる。

「え、獲物の顔を楽しむ余裕があるのですね!
 そんなにこの顔が気に入りましたか?死神さん!
 苦痛で歪ませて……楽しむつもりなのですか!」

 怯えたクレアは、半ば挑みかかるように恭平へと言葉をたたきつける。

(……面白い娘だ。)

 恭平は心の中で笑みを漏らし。

「……乳臭いガキに興味はない。」

 ポツリと、ひとりごちた。

「……!!」

 繰り出されるクレアの拳。
 唸りをあげて叩きつけられるそれを、ひょいとかわしてみせる。

 言葉遣いの割りに、直情的な娘なのだと判断する。

「っ……私は、私は、ニーソン家の!!」

 蹴りが飛んできた。

 受け流して、背後にまわる。

 次はジンの右拳だ。

 受け止めて、逆間接を決めながら脚払いをかけ、大地に転がしてやる。
 しかし、ジンもされるだけではなく、倒されながらこちらの軸足に蹴りを放ってきた。

 かわしきれず、力を込めてその一撃に耐える。恭平は倒れない。

「ニーソン家の!!」

 クレアは泣きそうな顔になりながら、恭平にふたたび挑みかかっていった。

 蹴りをフェイントにした、右ストレート。

 序盤の切れはどこへやら、その一撃は読みやすく分かりきったものだった。

「……そろそろ、終わりにしようか。」

 その一撃をかわそうとした恭平の足が滑った。
 いや、正確にはあがらなかったのだ。

 先ほどの、ジンの蹴りが効いていた。
 足が思いのほか上がらず、濡れ草に滑ってしまった。

(……ち、俺もどうかしてる。)

 したたかに右頬を撃ち抜かれ、恭平は大地に倒れ付した。

 残念ながら、もう余力は残っていない。

「……やるな。ニーソン家の娘。と、その番犬。」

 ガバッ、と起き上がり、二人へと視線を動かす。

「もうやだ、おうちかえりたいよぅ」

 仏頂面な恭平を前に、クレアはへたへたと座り込んでしまった。

 まだ元気なジンは立ち上がり、油断なくファイティングポーズをとろうとしている。

「そして、俺もまだまだ未熟だった。二人とも、筋は悪くない。」

 言って、パタパタと身体にまとわりついた泥を叩き落とす。
 戦いを続けるつもりはなかった。

 これ以上は、練習試合で終わらせる自信がない。

「……今日は、楽しめた。俺の負け、ということにしておこう。」

 きびすを返す。

 クレアはただ呆然とその背中を見送り、ジンも引きとめようとはしなかった。

「生きて……いるのですか? 私は……。
 ねえ、ジン……?」

 そんな少女の呟きが、遥か後方から小さく聞こえてきた。

 恐怖を知れば、良い兵士になるだろう。
 次に出会うときは、全力で戦えるように力を取り戻さなければならない。

 恭平は深く静かに己への戒めをひとつ増やしたのだった。

05280152 Day03 outer -宴楼-

 宵闇に包まれた森の中を歩く、
 気配を殺して、夜に生きる獣たちを刺激しないように。

 森の中の夜は深い。

 星明りさえも届かない樹海には、ただ闇が広がり、
 響くのは怪鳥のさえずりと、虫たちのささやき。

 音を殺して歩く恭平のすぐ脇を、大蛇が通り過ぎた。
 
 夜の森に争いはない。

 昼に生きる者は眠り、夜に生きる者は安寧を求めて彷徨い歩く。
 恭平もまた、夜に生きるものなのだろう。

「……ハァ」

 声を漏らさぬように、恭平は息を漏らした。

 植物人間に砕かれた右肩は、回復に向かっているものの、
 いまだに鈍痛が続き、熱と気だるさを感じさせていた。

 今夜中にこの森を越えて、次の森へと入らなければ、
 予定よりもさらに遅れてしまうこととなる。

 いつもならば、なんということもない距離のはずなのだが、
 身体能力を奪われた今の恭平には、過酷な距離であるのは確かだった。

 いかような技術によるものか、誰しもがその力をある一定の基準まで制限されている。
 それはけして低い水準ではないのだが、その一線を越えていたものにはなんとも頼りない。

 しかし、与えられた条件の内で依頼を果たすのが傭兵だ。
 
 木の枝で作った添え木を肩に当て、痛みをこらえながら前進する。

 程なく、闇の中がぼんやりと明るくなる一帯へと辿り着いた。

「ここは……。」

 既視感。

 その場所は赤に包まれている。
 咲き誇るのは亜熱帯の赤い花々。
 
 そこは昨夜見た光景と、あまりにも似すぎていた。

 幻か――思い立ち花を手折ってみる。

 鼻へ近づけると、ふんわりと甘い香りがした。
 この世のものとも思えないが、実際にこの場所には在るらしい。

 はたまた、臭いさえも惑わされているのか。

「また、ここか……。」

 しばらく歩くとそこには空間が広がり、中央に大きなかがり火が見えた。
 赤はより色濃くなり、極彩色の彩を添えている。

 やはり、ここは昨夜の場所であるらしい。

 昨夜よりも増えた人々が、かがり火の周囲で思い思いに談笑に興じている。
 その中心にあるのは、やはり、昨夜見た子供だった。

「……宴会、か。」

 やはり、昔のキャンプを思い出す。
 賑やかであれば、寂しさも、恐怖も忘れられる。

「……賑やかなのは、いいことだ。」

 フッ と微笑んで恭平はかがり火の向こうを見やった。

 暖かな焔の明かりに、人々の影が映し出されている。
 木々の作り出した闇のスクリーンにそれらの影は強く浮き出され、賑やかな影絵を映し出した。

 そのスクリーンの中を、小さな影がちょこまかと動きまわるたびに
 闇の中に人々の笑い声が木霊した。

 小さな影は今、昨夜も見たハンチングの大柄な男の膝の上で、
 足をぶらぶらとさせながら、液体の注がれた小杯をせがんでいるようだ。

 その隣で、女がその所作をたしなめているようにも見える。

 家族なのだろうか。

「……まあ、いい」

 恭平には関係のない世界だ。
 たんに彼は迷い込んでしまったに過ぎない。

 それらの光景を眺めている間に、肩の痛みも幾分と和らいだ。
 これなら先へと進めるだろう。

 音を立てず、恭平はきびすを返す。

「まって!!」

 そんな恭平を呼び止める声があった。
 まだ声変わりもしていない子供の声だ。

 影の中を抜け出して、子供が恭平の前までトコトコと走ってきた。
 
 あどけない顔立ちの子供だ。
 異郷じみた服装をしている。

「ティカだよ!」

 それは、子供の名前なのだろうか。
 自分のことを指差して、もう一度同じ言葉を繰り返す。

「はじめまして?かな?」

 ティカは恭平のことを見上げて、不思議そうに首をかしげた。

 立ち去ろうとしていた恭平だが、元来、子供には弱い。
 離れることも近づくこともできず、扱いに困りきって見下ろしている。

「ごめんね、ティカのともだちに似ているから、なんだかふしぎな感じがしたんだ」

 多感な子供なのだろう、恭平の困惑に気づいてか ぺこり と頭を下げた。
 そして、ゆっくりを手を差し伸べて、恭平の指を恐る恐る握る。



「……ねえ、あなたももっと火のそばへこない?」

 ティカは言って、恭平の指を ギュッ と引っ張る。
 
 為す術もなく、恭平はかがり火の近くへといざなわれた。

「待ってねえ、今、ジュースをつくるから!」

 にこにこと笑って、ティカはココナッツへと向き直った。

 指が解放されて、恭平は自由を取り戻す。
 だが、既にかがり火の近く、ここから引き返すのはいささか無粋というものだろう。

 焔の近く、恭平は所在なげに立ち尽くしている。

「ふふ、新しい方ね……」

 恭平も今は影の世界の住人。
 こちら側へ踏み込めば、当然、影となって現れていた人々の姿も露となる。

 ティカと同じように笑みを浮かべて、仮面をつけた女と、ハンチング帽子の大男が恭平を見上げていた。

「私は、マツリ。よろしくね。」

 バリ島風の衣装に身を包んだ女は言う。

「ロホだよ! よろしく!」

 次いで、大男が言った。

 二人はなみなみと注がれた酒盃を片手に、にこにこと恭平を見上げている。
 名乗ったから、こちらも名乗れというのか。

 言っているのだろう、実際。

「……恭平だ。邪魔をする。」

 言って、恭平は軽く頭を下げた。

「お酒を飲むかい? おつまみもあるよ!」

 ロホは嬉しそうに恭平へと酒盃を渡し、乱雑だが嫌味のない仕草で酒を注いだ。

 その勢いに断る暇もなく、酒盃を手に恭平は再びひとりとなっている。

 ティカも、マツリも、ロホからも、自分ではない誰かへの親しみを感じた。
 他人の空似だろうか。

 親しみの込められた視線など、慣れていない。
 むず痒く、不快ですらあった。

 だがしかし、同時に不思議な温もりを自分の内側に感じていることにも気づく。

 他にも、自分へとそういった視線を向けるものがあった。

「キョウ子さん……?」

 そこへ問いかける声。

 また、他人の名前だ。そんあにも似ているのだろうか。
 以前も、緑髪の妖精に間違えられた覚えがある。

「いや……違う?」

 正面にまわって、恭平の顔を見た女が言った。
 その顔に、こちらは見覚えがある。

 昨夜、この場所で見た。水色の髪の女だ。

「失礼しました、人違いのようです……。」

 納得しきれないといった面持ちで、女は謝罪の言葉を述べた。

 そのキョウ子とかいう女に、恭平はよほど似ているらしい。

「……私と同業の方、ですね。」

 この女も傭兵なのだろう。
 そのことは、出会った瞬間から分かっていた。

 傭兵同士は惹かれあう。

 そういうものだ。

「同じ、匂いがします――。」

 女はそう言い残し、一礼してその場を立ち去っていった。

 その歩き方には油断も隙もない。
 さぞ名の知れた傭兵だったのだろう。

 もし、そうであれば、知っているような気がするのも当然かもしれない。

 戦場でたまたま出会っていなかっただけのことだ。
 覚えておこう、恭平は思う。

「あ!!」

 女傭兵の立ち去った方向をじっと見据え、物思いにふけっていた恭平を
 ティカの叫び声が現実へと引き戻した。

「お酒!!」

 ココナッツジュースを手にしたティカの頬が小さく膨れている。

 機嫌を損ねてしまったのか。

「……やれやれだ」

 今日はいったいどういう日なのだろうか、恭平は嘆息した。

 宴の夜は更けていく。