血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
(11/09)
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(06/15)
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02021646 | [PR] |
05310302 | Day04 -暗中- |
-0-
「う、ん……。」
悩ましげなうめきをあげて、恭平はひっそりと目を覚ました。
林の中に群立する背の高い木立の上、蔦を編みこんで作った恭平お手製のハンモックが揺れている。
昨夜はこの上で、大きな葉を編み込んで作った布団に包まって眠りについた。
樹上に生活する獣もいないではないが、安全性は地上の比ではない。
なによりも、恐ろしいのは人間だ。
他の冒険者を警戒して、周辺に侵入者察知用のトラップを仕掛けることも忘れてはいない。
また、下から上を見上げても、巧妙なカモフラージュによってハンモックを見つけることは難しい。
最大の問題は虫たちだが、虫除けの効果がある草の汁を衣服と身体に塗りたくっている。
そのおかげか、夜の間に虫に悩まされることもなかった。
目覚めは爽快だ。
「……もう、こんな、時間、か。」
薄緑色の草汁でペインティングされた顔を天に向けて、恭平は身を起こす。
どこか眼がぼんやりと霞んでいるのは疲れているためか。
傷は癒えても、蓄積された疲れまでが回復するわけではない。
遺跡の中に訪れているのは、朝の時。
枝葉の隙間からは木漏れ日が漏れ、地下遺跡とは思えない爽やかな風が葉を揺らす。
差し込んだ木漏れ日が、恭平の金髪に反射して一瞬の輝きを放った。
許されるのであれば、この朝のひと時を楽しみたいところだが……。
定められた時間だ。出立しなければならない。
己を律することのできないものに、任務など果たせるわけがないのだ。
「ん……。」
寝ている間に硬くなった筋肉を意識して、ゆっくり伸びをしながらときほぐす。
朝の日課であるトレーニングをしている暇はなさそうだ。これぐらいはしておかなくては。
「……よし。」
およそ十分の時間をかけてストレッチを終えた。
そろそろ出発しなければならない。
ぶらぶらと揺れる不安定なハンモックの上に、恭平は器用に立ち上がる。
次いで、近くの枝に結ばれた蔦を掴み、たわむハンモックを蹴って宙に身を躍らせた。
空中で振り向きざまに短剣を一閃、木々に張り巡らせた蔦を断ち、夜営の痕跡を消す。
バラバラ と蔦が落ち、ハンモックの残骸は大地に転々とした枝葉に混じって分からなくなった。
「くぅ……。」
微妙に調節された蔦を渡って、下へ下へと降りていく。
トン と、大地へ降り立った衝撃に、ペインティングされた顔をしかめた。
「……くそ、たんまり痛めつけやがって。」
昨日、遭遇した二体の植物人間は、植物とは思えない体躯の持ち主だった。
自然、その闘いは壮絶な肉弾戦となる。
打ち据えられた拳は思いのほか重く、身体の至るところに痣を作った。
一夜明けて、表面上の痣は跡さえも残っていないが、肉体に残されたダメージは重い。
打たれた箇所にズキズキとした痛みがはしる。
とりわけ胸骨に鋭い痛み。
これは、ヒビがはいっているかもしれない。
遺跡の中では驚くほどに傷の回復が早いが、それにも限度があるのだろう。
外よりも身体を気にすることもないが、だからといって無茶はできない。
それに慣れてしまっては、外へと戻ったときに危険がある。
「……行くか。」
痛む箇所をおさえて、ものの数秒で痛みは引いた。
枯れ草のカモフラージュを取り除き、掘った穴に隠された荷物を取り出して肩に担ぐ。
地図を広げて見れば、ずいぶんと表示されているエリアが広がっていた。
他の冒険者に比べて、かなり出遅れてしまったようだ。今日から、多少なりとも急ぐ必要があるだろう。
冒険者の接近を察知したターゲットが、遺跡の奥へと逃げてしまう恐れもある。
慎重になった相手ほど、手強いものはない。
「…………。」
気持ちを切り替えて息を深く吐くと、恭平は林の中を南へと向けて駆け出した。
視界の先には、さらに深い森が広がっている。
-1-
森の奥深く、沼のほとりにゆらゆらと淡い焔が揺れている。
東国にある祖母の祖国ではそれを鬼火と呼び、恨みをもって死んだ人間の魂と考えているらしい。
生者のぬくもりが恨めしくて、鬼火は光ささぬ森を彷徨うのだろう。
「……化け物め。」
己の臭いを隠すため、沼地に半身を沈めて、恭平は息を潜めていた。
その目と鼻の先で鬼火は明滅を繰り返し、哀れな犠牲者の生命を奪おうとしていた。
宙に身を浮かべた鬼火の足元に、一頭の雌鹿が倒れている。
沼へと水を求めてやって来て、運悪く鬼火と遭遇してしまったのだろう。
生命を恨む鬼火にとって、雌鹿は程よい獲物と映ったに違いない。
ジジ―ジジジ、ジジ――。
鬼火が発する耳障りな音は、復讐者のあげる歓喜の声か。
「……。」
恭平はそれを見届けるほかに術もない。
鬼火は雌鹿の精気を吸い尽くすと、ゆらゆらと森の奥深くへ姿を消した。
完全にその姿が闇に溶けるのを見送って、恭平は肺に詰まっていた息を深く静かに吐き戻す。
水音をたてないよう注意深く沼から身体を引き上げ、ぬかるんだ地面に膝をついた。
沼の水に濡れた身体には、身体の心まで凍るような怖気が残っている。
あれは危険な相手だった。今の自分で、正面から戦える相手ではない。
「くそ……。」
倒れた雌鹿の近くまで寄るが、既に事切れていた。
そっと、その目蓋を閉じてやる。
墓を作ってやる余裕はない。
先ほど、鬼火を一目見たとき、傭兵としての経験が恐るべき相手だと警鐘を鳴らした。
相手の力量を看破することも、傭兵に必要とされる能力の一つ。
情けない臆病者と自評する恭平は、その感覚には絶対の信頼を置いていた。
奴――鬼火――とは、まだ戦ってはならない。
義憤に駆られて戦いを挑むことはできる。だが、それでは無駄死にだ。
結果として、雌鹿の横に恭平の死体が並ぶに過ぎなかっただろう。
「――ここは危険すぎる。」
そう認めざるを得なかった。
深く暗い森は、恭平の侵入を阻む強大な要塞だった。
徘徊する鬼火、岩陰に潜む大ナメクジ、ブッシュに潜む野獣たち。
どれも、現在の恭平の許容を超えている。
身を潜め、息を殺し、ときには全力で逃亡し、どうにか進んできた。
しかし、いずれ辿り着くのは、この雌鹿のような哀れな末路だろう。
早く、この森から抜け出さなくては――。
ただし、後戻りは、ない。
「……急ごう。」
雌鹿の亡骸を沼のほとりに残して、姿勢を低く恭平は歩き出した。
地を這う蜥蜴のように……。
-2-
前方に明かりが広がっていた。森林の出口に辿り着いたのだ。
ここから一歩出れば、そこは陽のあたる平原だろう。
そこまでおよそ1千メートル。
だが、そこまでの距離が今の恭平には無限にも思える。
「ちぃ、間に合うか……。」
背後へと感覚の糸を伸ばしながら、
枝葉で肌を傷つけることも厭わずに恭平は森の中を全力で駆けていた。
背後から、それは徐々に近づきつつあった。
その正体は芒洋としてしれないが、森林に潜む野獣の類ではあろう。
恭平に分かることは、そいつが怒りに我を忘れているということだけだ。
「……。」
恭平は全力で走るが、獣と人とでは覆せない差がある。
少しずつ、少しずつ、その距離は詰まってきている。
残り、5百メートル。
衝突は避け得ないだろう。
だがしかし、森の中で戦うことは避けたい。
いかな恭平といえど、この森林の中で地の利は相手にあると言えた。
身を隠す場所がなく、陽に照らされた平原で迎え撃つ。
あとは、なるようにしかならないだろう。
「……見えた。」
残り、1百メートル。
乱立する木々の密度が薄れ、平原の風がここまで流れ込んでいる。
背後から獣の唸り声。
風にのった恭平の匂いに反応したのであろう。
その声は、ほんのすぐ後ろから、もはや獣との間に距離はない。
「くっ……。」
その距離は零。
頭から飛び込むようにして、平原へと身体を投げ出した。
大地を転がるようにして反転、森から飛び出してくる野獣を迎え撃つ。
強制的に息を整えて、恭平は短剣を抜き放ち、森の闇を見据えた。
慣れない陽の光にたじろぐようにして、そいつは姿を現した。
哀しいまでに狂おしい、怒りが、恭平を貫いた――。
「う、ん……。」
悩ましげなうめきをあげて、恭平はひっそりと目を覚ました。
林の中に群立する背の高い木立の上、蔦を編みこんで作った恭平お手製のハンモックが揺れている。
昨夜はこの上で、大きな葉を編み込んで作った布団に包まって眠りについた。
樹上に生活する獣もいないではないが、安全性は地上の比ではない。
なによりも、恐ろしいのは人間だ。
他の冒険者を警戒して、周辺に侵入者察知用のトラップを仕掛けることも忘れてはいない。
また、下から上を見上げても、巧妙なカモフラージュによってハンモックを見つけることは難しい。
最大の問題は虫たちだが、虫除けの効果がある草の汁を衣服と身体に塗りたくっている。
そのおかげか、夜の間に虫に悩まされることもなかった。
目覚めは爽快だ。
「……もう、こんな、時間、か。」
薄緑色の草汁でペインティングされた顔を天に向けて、恭平は身を起こす。
どこか眼がぼんやりと霞んでいるのは疲れているためか。
傷は癒えても、蓄積された疲れまでが回復するわけではない。
遺跡の中に訪れているのは、朝の時。
枝葉の隙間からは木漏れ日が漏れ、地下遺跡とは思えない爽やかな風が葉を揺らす。
差し込んだ木漏れ日が、恭平の金髪に反射して一瞬の輝きを放った。
許されるのであれば、この朝のひと時を楽しみたいところだが……。
定められた時間だ。出立しなければならない。
己を律することのできないものに、任務など果たせるわけがないのだ。
「ん……。」
寝ている間に硬くなった筋肉を意識して、ゆっくり伸びをしながらときほぐす。
朝の日課であるトレーニングをしている暇はなさそうだ。これぐらいはしておかなくては。
「……よし。」
およそ十分の時間をかけてストレッチを終えた。
そろそろ出発しなければならない。
ぶらぶらと揺れる不安定なハンモックの上に、恭平は器用に立ち上がる。
次いで、近くの枝に結ばれた蔦を掴み、たわむハンモックを蹴って宙に身を躍らせた。
空中で振り向きざまに短剣を一閃、木々に張り巡らせた蔦を断ち、夜営の痕跡を消す。
バラバラ と蔦が落ち、ハンモックの残骸は大地に転々とした枝葉に混じって分からなくなった。
「くぅ……。」
微妙に調節された蔦を渡って、下へ下へと降りていく。
トン と、大地へ降り立った衝撃に、ペインティングされた顔をしかめた。
「……くそ、たんまり痛めつけやがって。」
昨日、遭遇した二体の植物人間は、植物とは思えない体躯の持ち主だった。
自然、その闘いは壮絶な肉弾戦となる。
打ち据えられた拳は思いのほか重く、身体の至るところに痣を作った。
一夜明けて、表面上の痣は跡さえも残っていないが、肉体に残されたダメージは重い。
打たれた箇所にズキズキとした痛みがはしる。
とりわけ胸骨に鋭い痛み。
これは、ヒビがはいっているかもしれない。
遺跡の中では驚くほどに傷の回復が早いが、それにも限度があるのだろう。
外よりも身体を気にすることもないが、だからといって無茶はできない。
それに慣れてしまっては、外へと戻ったときに危険がある。
「……行くか。」
痛む箇所をおさえて、ものの数秒で痛みは引いた。
枯れ草のカモフラージュを取り除き、掘った穴に隠された荷物を取り出して肩に担ぐ。
地図を広げて見れば、ずいぶんと表示されているエリアが広がっていた。
他の冒険者に比べて、かなり出遅れてしまったようだ。今日から、多少なりとも急ぐ必要があるだろう。
冒険者の接近を察知したターゲットが、遺跡の奥へと逃げてしまう恐れもある。
慎重になった相手ほど、手強いものはない。
「…………。」
気持ちを切り替えて息を深く吐くと、恭平は林の中を南へと向けて駆け出した。
視界の先には、さらに深い森が広がっている。
-1-
森の奥深く、沼のほとりにゆらゆらと淡い焔が揺れている。
東国にある祖母の祖国ではそれを鬼火と呼び、恨みをもって死んだ人間の魂と考えているらしい。
生者のぬくもりが恨めしくて、鬼火は光ささぬ森を彷徨うのだろう。
「……化け物め。」
己の臭いを隠すため、沼地に半身を沈めて、恭平は息を潜めていた。
その目と鼻の先で鬼火は明滅を繰り返し、哀れな犠牲者の生命を奪おうとしていた。
宙に身を浮かべた鬼火の足元に、一頭の雌鹿が倒れている。
沼へと水を求めてやって来て、運悪く鬼火と遭遇してしまったのだろう。
生命を恨む鬼火にとって、雌鹿は程よい獲物と映ったに違いない。
ジジ―ジジジ、ジジ――。
鬼火が発する耳障りな音は、復讐者のあげる歓喜の声か。
「……。」
恭平はそれを見届けるほかに術もない。
鬼火は雌鹿の精気を吸い尽くすと、ゆらゆらと森の奥深くへ姿を消した。
完全にその姿が闇に溶けるのを見送って、恭平は肺に詰まっていた息を深く静かに吐き戻す。
水音をたてないよう注意深く沼から身体を引き上げ、ぬかるんだ地面に膝をついた。
沼の水に濡れた身体には、身体の心まで凍るような怖気が残っている。
あれは危険な相手だった。今の自分で、正面から戦える相手ではない。
「くそ……。」
倒れた雌鹿の近くまで寄るが、既に事切れていた。
そっと、その目蓋を閉じてやる。
墓を作ってやる余裕はない。
先ほど、鬼火を一目見たとき、傭兵としての経験が恐るべき相手だと警鐘を鳴らした。
相手の力量を看破することも、傭兵に必要とされる能力の一つ。
情けない臆病者と自評する恭平は、その感覚には絶対の信頼を置いていた。
奴――鬼火――とは、まだ戦ってはならない。
義憤に駆られて戦いを挑むことはできる。だが、それでは無駄死にだ。
結果として、雌鹿の横に恭平の死体が並ぶに過ぎなかっただろう。
「――ここは危険すぎる。」
そう認めざるを得なかった。
深く暗い森は、恭平の侵入を阻む強大な要塞だった。
徘徊する鬼火、岩陰に潜む大ナメクジ、ブッシュに潜む野獣たち。
どれも、現在の恭平の許容を超えている。
身を潜め、息を殺し、ときには全力で逃亡し、どうにか進んできた。
しかし、いずれ辿り着くのは、この雌鹿のような哀れな末路だろう。
早く、この森から抜け出さなくては――。
ただし、後戻りは、ない。
「……急ごう。」
雌鹿の亡骸を沼のほとりに残して、姿勢を低く恭平は歩き出した。
地を這う蜥蜴のように……。
-2-
前方に明かりが広がっていた。森林の出口に辿り着いたのだ。
ここから一歩出れば、そこは陽のあたる平原だろう。
そこまでおよそ1千メートル。
だが、そこまでの距離が今の恭平には無限にも思える。
「ちぃ、間に合うか……。」
背後へと感覚の糸を伸ばしながら、
枝葉で肌を傷つけることも厭わずに恭平は森の中を全力で駆けていた。
背後から、それは徐々に近づきつつあった。
その正体は芒洋としてしれないが、森林に潜む野獣の類ではあろう。
恭平に分かることは、そいつが怒りに我を忘れているということだけだ。
「……。」
恭平は全力で走るが、獣と人とでは覆せない差がある。
少しずつ、少しずつ、その距離は詰まってきている。
残り、5百メートル。
衝突は避け得ないだろう。
だがしかし、森の中で戦うことは避けたい。
いかな恭平といえど、この森林の中で地の利は相手にあると言えた。
身を隠す場所がなく、陽に照らされた平原で迎え撃つ。
あとは、なるようにしかならないだろう。
「……見えた。」
残り、1百メートル。
乱立する木々の密度が薄れ、平原の風がここまで流れ込んでいる。
背後から獣の唸り声。
風にのった恭平の匂いに反応したのであろう。
その声は、ほんのすぐ後ろから、もはや獣との間に距離はない。
「くっ……。」
その距離は零。
頭から飛び込むようにして、平原へと身体を投げ出した。
大地を転がるようにして反転、森から飛び出してくる野獣を迎え撃つ。
強制的に息を整えて、恭平は短剣を抜き放ち、森の闇を見据えた。
慣れない陽の光にたじろぐようにして、そいつは姿を現した。
哀しいまでに狂おしい、怒りが、恭平を貫いた――。
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