血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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09030045 | Day09 -酔狂- |
09030044 | Day09 -生還- |
-0-
暗い闇を孕んだ黒い閃光は、恭平の身体を切り刻んだ。
闇が肌を掠めるたび、鮮血が宙に舞うたびに、恭平の力が流れ出しシャルロットへと流れ込む。
そんな感覚を、恭平は覚えていた。
力も体力も、相手が上だ。
骨と皮だけで形成されたかのような、シャルロットと名乗る死に損ないに痛覚はないのか。
恭平が何度切りつけようと怯んだ様子もなく、ただ嬉々として恭平に挑んでくる。
妄執――。
彼女から感じられるのは、ただその一点。
何かを求め、何かに固執する、恐ろしくも人間臭い欲望だけだった。
戦場で水も食料もなく、飢えに飢えて死んでいった仲間たちのことが思い起こされた。
しかし。
「……悪いが、渡すわけにはいかない、な。」
何を求められているのかは分からない。
だが、それを渡してはならないような気がしていた。
それを渡したところで、彼女――シャルロットは救われはしない。
「欲しいイィィッ!!」
再び闇が放たれた。
もはや避けることもままならず、恭平は切り刻まれるがままとなっている。
これ以上の戦闘は不可能だ。
そんな恭平の様子に気が付いているのか、シャルロットは距離を詰めてきた。
「……見ぃつけた♪」
段々と距離を縮めながら、シャルロットは微笑む。
その言葉に惹かれるように、恭平の身体から何かがごっそりと抜け落ちようとしている。
力が、生命が、流れ出す。何かを、奪われてしまう。
それは屈辱。そして、あってはならない敗北。
死ねば全てが終わる。勝利も敗北も、そして、それこそが真の敗北なのだ。
「……誰が、くれてやるものかよ。」
最後の力を振り絞って、恭平は跳んだ。
背後にぽっかりと口をあけた大いなる深淵へと。
遺跡の中に形成された山岳地帯が、どれほどの高度を誇っているのかは分からない。
確実な死よりも、一縷の望みに全てをかけたのだ。
「あぁ……。」
物欲しそうな顔をしたシャルロットの姿が急速に遠ざかる。
ある程度の距離が離れた時に、何かの流出はぴたりと止まった。
幾らかは奪われてしまった。しかし、全てを奪われてしまったわけではない。
そして、少しでも残っているならば、奪い返すチャンスはある。
そう感じられた。
ぐんぐんと速度を増して、恭平は落下する。
周囲の光景がぐにゃりと歪んでいく光景に違和感を覚えながら、恭平は意識を失った。
-1-
「ぐ……。」
眼を覚ますと、恭平は拠点のベッドの上に横たえられていた。
どのようにして戻ったのか、まったく記憶にない。
シャルロットという名の死に損ないと戦って敗れた。
それから、崖に身を投じた恭平は、どうなったのか。
「……どうなってる?」
あのときに感じられた歪みは、魔方陣を通過する際に感じるものと似ていた。
ひょっとするとそれによって、遺跡の外へと排出されてしまったのかもしれない。
こうして無事にいることが何よりもの回答だろう。
だが、それならば、この部屋まで恭平を運んだ人物がいるはずだが。
「……。」
柔らかな枕から頭を離し、身体を起こす。
至極、乙女趣味な部屋だ。
その部屋の壁に、普段、恭平が身にまとっている装備一式がかけられている。
洗濯されたカーキーのカーゴパンツと白のタンクトップ。
着替えた覚えもないのに、恭平が身にまとっているのはウサギ柄の可愛らしいパジャマだ。
首をひねりながらも、恭平は立ち上がり着替えに取り掛かった。
熟睡していたためか、身体の調子は悪くない。
あれだけシャルロットに切りつけられた肉体も、遺跡から脱出した時点で綺麗に修復されていた。
ボタンをはずしパジャマの上だけを無造作に脱ぎ捨て、濡れたタオルで身体を拭う。
それから乾いたタオルで水滴をふきとり、タンクトップを身につけた。
小ざっぱりと清潔感を増して白く輝くタンクトップからはお日様の匂いがする。
土くれに塗れていた昨日までとは大違いだ。
「……あの死に損ないを、倒さなくては、な。」
着替えを終えて、荷物の確認をしながら、恭平はつぶやいた。
今では身体に何の違和感もないが、何かを奪われてしまった記憶がある。
そして、それは取り戻さなくてはならないものだ。
取り戻すには、彼女を倒すほかに手段はないだろう。
だが、今の恭平では勝ち目がないのも事実だ。
「強く、ならなくては……。」
鏡に映る青年の姿を見据えながら、恭平は思う。
彼女に鍛えられた男の力はこんなものではない。
闇の短剣も、振るわれる腕も、全て見えていた。ただ、身体が動かなかっただけだ。
そして、それは言い訳になりはしない。
だが、見えているものが避けられない道理はない。
昨日よりも、今日よりも、早く、確実に。
「強くならなければ……。」
口中で呟いて、恭平は荷物を担ぎ部屋を後にする。
息子を心配する母のように、誰かがその背後で微笑んだような気がした。
-2-
「……ああ、それでいい。」
店の店主から、美味しい草を受け取って恭平は対価を支払った。
美味しい草はこの島の最低通貨で買い取ることもできる。
そのぶん、栄養価なども期待できないが、何も食べないよりはましだ。
多少、手を加えればずいぶんと食べられるようにはなる。
遺跡の外に形成された冒険者と、冒険者目当ての商人で成り立つ町。
今は闘技大会が開催されていることもあってか、ずいぶんと賑わっている。
彼とともに参加している彼女たちは元気だろうか。
「……心配するまでもない、か。」
この島にやってくる冒険者の大半が、ひとかどの能力者たちだ。
知っているだけでもその背景は千差万別。
中にはただの村娘だったものもいる。
しかし、潜在能力というのだろうか。秘められた力は相当なものだ。
そして、この島は強者からは力を奪い、弱者には力を与えるようになっているらしい。
元気の良い娘――セリーズの言葉では「公平性を保つため」とか言っていたが。
なんらかのルールがこの島には敷かれているのだろう。
「そして、ここで強くなるためには、ここで力を付ける以外にはない、か――。」
失われた力は島を離れることで取り戻せるそうだ。
逆にこの島で手に入れたものは、食料から宝物、技術や力に至るまで全て失われる。
失わないためには、この島に眠る宝玉を手に入れるほかない。
それもルールだ。
「しちめんどうくさいことだ……。」
技術を磨くためには、千の稽古を行い、百の実践を経験するしかない。
結局は遺跡に潜ることが一番の近道なのだ。
今までは探索にウェイトをおいていたが、これからは多少その作戦に変更を加えなければならない。
シャルロットのように道を塞ぎ、探索を妨げるものがあるのならば、それを退けるだけの力が必要だった。
「……戦うか。」
その力をつけるための戦いが、今は必要だ。
恭平は戦うべき相手を探して、遺跡へと通じる丘を登っていった。
-3-
この天気の良い日に、暑苦しい格好をした女だ。
丘の中腹で出会ったその女を一目見たとき、恭平はそんな場違いなことを考えていた。
ワインレッドの髪を目元が隠れるほどに伸ばした豊満な肉体の女。
その潤沢な肉体をきつく締め上げるように、真っ黒な男装で包んでいる。
ストールのように羽織った白布にはなんの意味があるのだろうか。
「ふふ……。」
しかし、本人は暑いとも思っていないのか、不適な笑みを浮かべている。
こいつも、冒険者か。
「……ずいぶんと。」
この遺跡を探索する冒険者には、奇人変人が多いようだ。
その喉元まででかかった言葉を、恭平は飲み込んだ。
「いや……手合わせを、願おうか。」
その代わりに、練習試合の申し込みを言い渡す。
そもそも、進む方向が同じだからと、この女と行動を共にしているのはその狙いがあったからに他ならない。
ここが遺跡の外だから、ということもあるだろうが、この不思議な女から危険なものは感じられなかった。
恭平は臆病者だが、世の全てに怯えているわけではない。
「ワタクシでよければ、お相手しますけどねェ。」
女は不適に微笑んで、くるりと布をはためかせながら恭平を振り返って。
「お代はいかほどいただけますのん? ワタクシは、そんなに安くないですよん。」
冗談めかしてそんなことを言ってのける。
「……何が望みだ?」
こういうタイプの人間は苦手だ。
言葉の扱い方が巧み、というよりも、ひとつの言葉に何重もの意味をのせてくる。
言葉遊びは得意ではない。
「そうですねェ。とびきり美味い酒がいいですわァ。」
言って女は、酒がこの場にあるようにクイと杯を傾ける仕草をしてみせた。
「勝利の美酒ほどに、美味い酒はないんですけどねェ。」
どうやらスイッチが入ったのか、女の身にまとう空気が変わる。
「……それには、同感だ。」
夜にも似た闘気をまとう女と向き合って、恭平は短剣を引き抜いた。
はたして、美酒にありつけるのはどちらか――。
暗い闇を孕んだ黒い閃光は、恭平の身体を切り刻んだ。
闇が肌を掠めるたび、鮮血が宙に舞うたびに、恭平の力が流れ出しシャルロットへと流れ込む。
そんな感覚を、恭平は覚えていた。
力も体力も、相手が上だ。
骨と皮だけで形成されたかのような、シャルロットと名乗る死に損ないに痛覚はないのか。
恭平が何度切りつけようと怯んだ様子もなく、ただ嬉々として恭平に挑んでくる。
妄執――。
彼女から感じられるのは、ただその一点。
何かを求め、何かに固執する、恐ろしくも人間臭い欲望だけだった。
戦場で水も食料もなく、飢えに飢えて死んでいった仲間たちのことが思い起こされた。
しかし。
「……悪いが、渡すわけにはいかない、な。」
何を求められているのかは分からない。
だが、それを渡してはならないような気がしていた。
それを渡したところで、彼女――シャルロットは救われはしない。
「欲しいイィィッ!!」
再び闇が放たれた。
もはや避けることもままならず、恭平は切り刻まれるがままとなっている。
これ以上の戦闘は不可能だ。
そんな恭平の様子に気が付いているのか、シャルロットは距離を詰めてきた。
「……見ぃつけた♪」
段々と距離を縮めながら、シャルロットは微笑む。
その言葉に惹かれるように、恭平の身体から何かがごっそりと抜け落ちようとしている。
力が、生命が、流れ出す。何かを、奪われてしまう。
それは屈辱。そして、あってはならない敗北。
死ねば全てが終わる。勝利も敗北も、そして、それこそが真の敗北なのだ。
「……誰が、くれてやるものかよ。」
最後の力を振り絞って、恭平は跳んだ。
背後にぽっかりと口をあけた大いなる深淵へと。
遺跡の中に形成された山岳地帯が、どれほどの高度を誇っているのかは分からない。
確実な死よりも、一縷の望みに全てをかけたのだ。
「あぁ……。」
物欲しそうな顔をしたシャルロットの姿が急速に遠ざかる。
ある程度の距離が離れた時に、何かの流出はぴたりと止まった。
幾らかは奪われてしまった。しかし、全てを奪われてしまったわけではない。
そして、少しでも残っているならば、奪い返すチャンスはある。
そう感じられた。
ぐんぐんと速度を増して、恭平は落下する。
周囲の光景がぐにゃりと歪んでいく光景に違和感を覚えながら、恭平は意識を失った。
-1-
「ぐ……。」
眼を覚ますと、恭平は拠点のベッドの上に横たえられていた。
どのようにして戻ったのか、まったく記憶にない。
シャルロットという名の死に損ないと戦って敗れた。
それから、崖に身を投じた恭平は、どうなったのか。
「……どうなってる?」
あのときに感じられた歪みは、魔方陣を通過する際に感じるものと似ていた。
ひょっとするとそれによって、遺跡の外へと排出されてしまったのかもしれない。
こうして無事にいることが何よりもの回答だろう。
だが、それならば、この部屋まで恭平を運んだ人物がいるはずだが。
「……。」
柔らかな枕から頭を離し、身体を起こす。
至極、乙女趣味な部屋だ。
その部屋の壁に、普段、恭平が身にまとっている装備一式がかけられている。
洗濯されたカーキーのカーゴパンツと白のタンクトップ。
着替えた覚えもないのに、恭平が身にまとっているのはウサギ柄の可愛らしいパジャマだ。
首をひねりながらも、恭平は立ち上がり着替えに取り掛かった。
熟睡していたためか、身体の調子は悪くない。
あれだけシャルロットに切りつけられた肉体も、遺跡から脱出した時点で綺麗に修復されていた。
ボタンをはずしパジャマの上だけを無造作に脱ぎ捨て、濡れたタオルで身体を拭う。
それから乾いたタオルで水滴をふきとり、タンクトップを身につけた。
小ざっぱりと清潔感を増して白く輝くタンクトップからはお日様の匂いがする。
土くれに塗れていた昨日までとは大違いだ。
「……あの死に損ないを、倒さなくては、な。」
着替えを終えて、荷物の確認をしながら、恭平はつぶやいた。
今では身体に何の違和感もないが、何かを奪われてしまった記憶がある。
そして、それは取り戻さなくてはならないものだ。
取り戻すには、彼女を倒すほかに手段はないだろう。
だが、今の恭平では勝ち目がないのも事実だ。
「強く、ならなくては……。」
鏡に映る青年の姿を見据えながら、恭平は思う。
彼女に鍛えられた男の力はこんなものではない。
闇の短剣も、振るわれる腕も、全て見えていた。ただ、身体が動かなかっただけだ。
そして、それは言い訳になりはしない。
だが、見えているものが避けられない道理はない。
昨日よりも、今日よりも、早く、確実に。
「強くならなければ……。」
口中で呟いて、恭平は荷物を担ぎ部屋を後にする。
息子を心配する母のように、誰かがその背後で微笑んだような気がした。
-2-
「……ああ、それでいい。」
店の店主から、美味しい草を受け取って恭平は対価を支払った。
美味しい草はこの島の最低通貨で買い取ることもできる。
そのぶん、栄養価なども期待できないが、何も食べないよりはましだ。
多少、手を加えればずいぶんと食べられるようにはなる。
遺跡の外に形成された冒険者と、冒険者目当ての商人で成り立つ町。
今は闘技大会が開催されていることもあってか、ずいぶんと賑わっている。
彼とともに参加している彼女たちは元気だろうか。
「……心配するまでもない、か。」
この島にやってくる冒険者の大半が、ひとかどの能力者たちだ。
知っているだけでもその背景は千差万別。
中にはただの村娘だったものもいる。
しかし、潜在能力というのだろうか。秘められた力は相当なものだ。
そして、この島は強者からは力を奪い、弱者には力を与えるようになっているらしい。
元気の良い娘――セリーズの言葉では「公平性を保つため」とか言っていたが。
なんらかのルールがこの島には敷かれているのだろう。
「そして、ここで強くなるためには、ここで力を付ける以外にはない、か――。」
失われた力は島を離れることで取り戻せるそうだ。
逆にこの島で手に入れたものは、食料から宝物、技術や力に至るまで全て失われる。
失わないためには、この島に眠る宝玉を手に入れるほかない。
それもルールだ。
「しちめんどうくさいことだ……。」
技術を磨くためには、千の稽古を行い、百の実践を経験するしかない。
結局は遺跡に潜ることが一番の近道なのだ。
今までは探索にウェイトをおいていたが、これからは多少その作戦に変更を加えなければならない。
シャルロットのように道を塞ぎ、探索を妨げるものがあるのならば、それを退けるだけの力が必要だった。
「……戦うか。」
その力をつけるための戦いが、今は必要だ。
恭平は戦うべき相手を探して、遺跡へと通じる丘を登っていった。
-3-
この天気の良い日に、暑苦しい格好をした女だ。
丘の中腹で出会ったその女を一目見たとき、恭平はそんな場違いなことを考えていた。
ワインレッドの髪を目元が隠れるほどに伸ばした豊満な肉体の女。
その潤沢な肉体をきつく締め上げるように、真っ黒な男装で包んでいる。
ストールのように羽織った白布にはなんの意味があるのだろうか。
「ふふ……。」
しかし、本人は暑いとも思っていないのか、不適な笑みを浮かべている。
こいつも、冒険者か。
「……ずいぶんと。」
この遺跡を探索する冒険者には、奇人変人が多いようだ。
その喉元まででかかった言葉を、恭平は飲み込んだ。
「いや……手合わせを、願おうか。」
その代わりに、練習試合の申し込みを言い渡す。
そもそも、進む方向が同じだからと、この女と行動を共にしているのはその狙いがあったからに他ならない。
ここが遺跡の外だから、ということもあるだろうが、この不思議な女から危険なものは感じられなかった。
恭平は臆病者だが、世の全てに怯えているわけではない。
「ワタクシでよければ、お相手しますけどねェ。」
女は不適に微笑んで、くるりと布をはためかせながら恭平を振り返って。
「お代はいかほどいただけますのん? ワタクシは、そんなに安くないですよん。」
冗談めかしてそんなことを言ってのける。
「……何が望みだ?」
こういうタイプの人間は苦手だ。
言葉の扱い方が巧み、というよりも、ひとつの言葉に何重もの意味をのせてくる。
言葉遊びは得意ではない。
「そうですねェ。とびきり美味い酒がいいですわァ。」
言って女は、酒がこの場にあるようにクイと杯を傾ける仕草をしてみせた。
「勝利の美酒ほどに、美味い酒はないんですけどねェ。」
どうやらスイッチが入ったのか、女の身にまとう空気が変わる。
「……それには、同感だ。」
夜にも似た闘気をまとう女と向き合って、恭平は短剣を引き抜いた。
はたして、美酒にありつけるのはどちらか――。
09030042 | Day08 -妄執- |
-0-
相手の手首を捉え小手返しに投げ飛ばそうとした瞬間、
視界が逆さまになり、恭平は頭から川へと叩き落されていた。
衝撃に息がつまり、何をされたかへの理解が追いつかない。
水中から顔をあげ、飲み込んだ水を吐き出して、ようやく息を落ち着かせて初めて、何をされたかが理解できた。
簡単なことだ。
投げようとした瞬間に、その力を全て利用されて、恭平自身が投げ飛ばされたに過ぎない。
そう理解できるようになっただけ、大きな進歩だと思う。
最初の頃は何もできず触れられただけで投げ飛ばされ、何を理解することもできなかった。
今はなぜ投げられたのかを理解し、考えるだけの知識と経験が身についている。
物事がどのようにして成り立っているのか、その道理を知るのと知らないのとでは全てに大きな差がつく。
それだけの成長を、恭平は得ていた。
しかし、投げようと仕掛けてくる相手を逆に投げ飛ばすなど、言うのは簡単だが実際に行うのは想像を絶するほどに難しい。
東洋に伝わる合気道という技では、そういった技術が極意とされているほどに。
かくいう彼女の戦闘流法も、東洋の武術から影響を大きく受けているらしいが。
「いつまで水浴びをしているつもり? 恭平。」
そんなことを考えながら咳き込んでいる間に、彼女が川べりまで歩いて来て、恭平を見下ろしていた。
先ほどの立ち位置からここまでおよそ3mはある。ずいぶんと投げられたものだ。
「……くそ。」
悪態をつきながら、恭平は濡れて張り付いた髪を払いのけながら、川から立ち上がった。
真夏の日差しは厳しい。といっても、この国の過半期は夏なのだが、火照った身体に川の水が気持ちよかった。
彼女が無言で手を差し伸べてくる。
その手を取らずに、恭平は独力で川岸へと上がった。
照れくさかったからではない。以前、同じような状況で投げ飛ばされたことがあるからだ。
「可愛げのない子ねぇ……。」
そんな恭平の様子に、彼女は苦笑してみせる。
そうやって油断させるのだ。
「何度も言っているでしょう、あなたの動きは直線的過ぎるのよぅ」
教師の顔に戻って、彼女は言う。
「目線や指先なんて、小手先でフェイントをかけようとしてもダメ。
足先が正直すぎるもの。もっと歩法を教えなきゃだめねぇ。」
恭平の動きを再現して見せながら、その足運びに対して彼女はダメだしをする。
恭平の歩法は一本槍のように直線的だ。
軸を一本強く持ち、その動きは突撃するエネルギーを生み出す。
しかし、それは騎士の歩き方であり、傭兵にふさわしいものではない。
「もっと、狡猾になりなさい。」
そう言って、彼女はその動きに別の動きを加えてみせた。
直線と曲線が優美に交ざる。
直線の動きは、飛翔する雷鳥の如く。
曲線の動きは、水中を行く水蛇のように。
円運動を機軸に直線と曲線の動き、それが彼女の歩法だった。
「素直なのはいいけれど、フェイントがフェイントになってないのは問題よねぇ。」
足を止めて、恭平を振り返りながらにやりと笑ってみせる。
「……うるさいな。」
憮然と、恭平は応え。
その身が深く沈んだ。その頭上を銀光が掠め過ぎる。
彼女が放った短剣の一撃。
「ふふ、よく避けたわね。もうひとつ、あきらめの悪さも、私たちには大切なことよ。」
何事もなかったかのように、抜き放った短剣を引き戻しながら、彼女は微笑んでいる。
教師と教え子の戦いは、再開された。
-1-
肉の腐るすえた臭いに包まれて、恭平は目を覚ました。
視界は暗く、自分の手先しか見ることができない。
ときおり身体を預けている壁や床が震動するのは、ここがランドウォームの胃袋だからだろう。
意識が戻ったということは、彼はまだ生きているらしい。
「……あきらめの悪さ、か」
自嘲気味に呟いてみる。
足先が何かの液体に浸っていた。
胃液だろうか。表皮が溶け、赤味がかった筋肉がところどころ覗いていた。
動かそうとすると激痛がはしる。
運よく、全身が漬け込まれていなかったのが幸いしたか。
恭平はまだ生きている。
「……む。」
適当に伸ばした腕が、革の袋に触れた。
それは恭平の装備一式を納めたナップザックだ。
恭平の匂いと体温が残っていたため、ランドウォームが誤って飲み込んだものだろう。
「……我ながら、悪運の強いことだ。」
ナップザックを手繰り寄せ、その口紐を解いて荷物を確認する。
ほとんど湿気てもいないし、失われた道具もない。
先ほどの戦闘で短剣が2・3本、どこかへいってしまった程度だろう。
そして、その中に目当てのものはあった。
「さて……」
震動は今も続いている。
ランドウォームの胎動だけではない。
おそらくは地中を高速で移動しているのだろう。
あの巣穴から、別の何処かへと向かっているらしい。
ひょっとすると、あそこはただの狩場のひとつでしかなかったのかもしれない。
「俺は、まんまと引っかかった蛾みたいなものだったか……」
クク と、喉元で笑い、必要なものだけを取り出し、口紐を締めた。
筒と、小さな球体。球体の中には、知り合いが特別に配合した携帯燃料がとじられている。
火がつけば爆発的に燃え上がる特別製だ。
戦場で火を使う機会は少ないが、都市戦闘や篭城船では役に立つ。
何よりも、軽い。
「よし……。」
手持ちの短剣をひとつ取り出し、その柄と刀身を分離させた。
そこには小さなくぼみがあり、球体をはめ込むことができるようになっている。
球体をはめ、再び柄と刀身を組み合わせた。
軽く一振り。
その動作によって、短剣に刻み込まれた微細な溝を伝い、液体燃料が流れ出してくる。
これで準備は完了だ。
「……問題は、いつか、だな。」
外に出たはいいが、地中ではどうにもならない。
ランドウォームが少なくとも、地上へ姿を現すまでここで耐える必要があった。
「……間に合うか。」
足を胃酸の海から引き上げ、どうにか難を逃れる。
体内に対しての感覚は鈍いのだろう。
胃壁に突き立てた短剣を頼りに身体を支える。
しかし、時間が経つにつれて胃液は量を増してきているようだった。
食生活のサイクルがあるのやも知れない。
耐えること数時間、もはや足の置き所もなくなってきたころに震動は止まった。
ランドウォームが目的地に辿り着いたのだろう。
「……悪いな。」
液体燃料入りの短剣を、胃壁に深々と突き刺した。
そしてその後方にある着火帯へと火をつける。
内側から突き立てられた牙が流し込む液体燃料に火がついた。
燃え盛る水は、ランドウォームの血中を伝って全身へと燃え広がる。
「……ぐっ」
全体が大きく揺れた。
ランドウォームがのた打ち回っているためだろう。
全身に胃液が降りかかり、強酸が肌を焦がした。
しかし、それもじきにおさまった。
「……。」
まだ熱をもつ短剣を強引に引き抜き、恭平は壁を破って外へと出た。
-2-
外に出ると、そこは夜の世界。
荒涼とした山岳地帯、吹き付ける風が気持ちよい。
ずいぶんと身体が臭くなってしまった。
水辺でもあれば、臭いを落とすこともできるのだが。
辺りには見当たらない。
「……ここは、どこだ。」
ずいぶんと、遠くまで移動したようだ。
地中を進むだけあって、ランドウォームの移動は早いらしい。
地上を進むのと、地下を行くのでは、距離そのものが違うのかもしれないが。
「あらあら……。」
そこに、女の声が降りかかってきた。
闇の中、声の主の姿は見えない。
どこか、風の抜けるような音を伴った、乾いた声。
「ごきげんよう♪」
「貴様は……。」
岩陰からひょっこりと少女が飛び出てきた。
よく見ると猫の耳があり、身体のところどころから骨が見えている。
人間ではない。そして、この世の者でも。
「……死に損ない、か。」
その様相を見て、恭平は冷淡な眼差しを少女へと向けた。
生を失った者は、狂っていることが多い。
「フハハハハッ!あたいの名はシャルロット!かの英雄カーナルドの妻にして戦友、シャルロットよ!」
少女は岩の上で少し上を向いて仁王立ちし、ボロボロのドレスを靡かせる。
「でもこの通り、お肌ボロボロ骨ビローン・・・・・・私が元に戻るには貴方の・・・」
少女の瞳から輝きが失われる。
「貴方の・・・ッ!!」
岩から飛び立ち、少女が飢えた顔で近づいてきた。
「……来い。」
短剣を引き抜き、恭平は少女を迎え入れる。
死に、死に、抱かれて、夜はただ、朽ち、更ける。
相手の手首を捉え小手返しに投げ飛ばそうとした瞬間、
視界が逆さまになり、恭平は頭から川へと叩き落されていた。
衝撃に息がつまり、何をされたかへの理解が追いつかない。
水中から顔をあげ、飲み込んだ水を吐き出して、ようやく息を落ち着かせて初めて、何をされたかが理解できた。
簡単なことだ。
投げようとした瞬間に、その力を全て利用されて、恭平自身が投げ飛ばされたに過ぎない。
そう理解できるようになっただけ、大きな進歩だと思う。
最初の頃は何もできず触れられただけで投げ飛ばされ、何を理解することもできなかった。
今はなぜ投げられたのかを理解し、考えるだけの知識と経験が身についている。
物事がどのようにして成り立っているのか、その道理を知るのと知らないのとでは全てに大きな差がつく。
それだけの成長を、恭平は得ていた。
しかし、投げようと仕掛けてくる相手を逆に投げ飛ばすなど、言うのは簡単だが実際に行うのは想像を絶するほどに難しい。
東洋に伝わる合気道という技では、そういった技術が極意とされているほどに。
かくいう彼女の戦闘流法も、東洋の武術から影響を大きく受けているらしいが。
「いつまで水浴びをしているつもり? 恭平。」
そんなことを考えながら咳き込んでいる間に、彼女が川べりまで歩いて来て、恭平を見下ろしていた。
先ほどの立ち位置からここまでおよそ3mはある。ずいぶんと投げられたものだ。
「……くそ。」
悪態をつきながら、恭平は濡れて張り付いた髪を払いのけながら、川から立ち上がった。
真夏の日差しは厳しい。といっても、この国の過半期は夏なのだが、火照った身体に川の水が気持ちよかった。
彼女が無言で手を差し伸べてくる。
その手を取らずに、恭平は独力で川岸へと上がった。
照れくさかったからではない。以前、同じような状況で投げ飛ばされたことがあるからだ。
「可愛げのない子ねぇ……。」
そんな恭平の様子に、彼女は苦笑してみせる。
そうやって油断させるのだ。
「何度も言っているでしょう、あなたの動きは直線的過ぎるのよぅ」
教師の顔に戻って、彼女は言う。
「目線や指先なんて、小手先でフェイントをかけようとしてもダメ。
足先が正直すぎるもの。もっと歩法を教えなきゃだめねぇ。」
恭平の動きを再現して見せながら、その足運びに対して彼女はダメだしをする。
恭平の歩法は一本槍のように直線的だ。
軸を一本強く持ち、その動きは突撃するエネルギーを生み出す。
しかし、それは騎士の歩き方であり、傭兵にふさわしいものではない。
「もっと、狡猾になりなさい。」
そう言って、彼女はその動きに別の動きを加えてみせた。
直線と曲線が優美に交ざる。
直線の動きは、飛翔する雷鳥の如く。
曲線の動きは、水中を行く水蛇のように。
円運動を機軸に直線と曲線の動き、それが彼女の歩法だった。
「素直なのはいいけれど、フェイントがフェイントになってないのは問題よねぇ。」
足を止めて、恭平を振り返りながらにやりと笑ってみせる。
「……うるさいな。」
憮然と、恭平は応え。
その身が深く沈んだ。その頭上を銀光が掠め過ぎる。
彼女が放った短剣の一撃。
「ふふ、よく避けたわね。もうひとつ、あきらめの悪さも、私たちには大切なことよ。」
何事もなかったかのように、抜き放った短剣を引き戻しながら、彼女は微笑んでいる。
教師と教え子の戦いは、再開された。
-1-
肉の腐るすえた臭いに包まれて、恭平は目を覚ました。
視界は暗く、自分の手先しか見ることができない。
ときおり身体を預けている壁や床が震動するのは、ここがランドウォームの胃袋だからだろう。
意識が戻ったということは、彼はまだ生きているらしい。
「……あきらめの悪さ、か」
自嘲気味に呟いてみる。
足先が何かの液体に浸っていた。
胃液だろうか。表皮が溶け、赤味がかった筋肉がところどころ覗いていた。
動かそうとすると激痛がはしる。
運よく、全身が漬け込まれていなかったのが幸いしたか。
恭平はまだ生きている。
「……む。」
適当に伸ばした腕が、革の袋に触れた。
それは恭平の装備一式を納めたナップザックだ。
恭平の匂いと体温が残っていたため、ランドウォームが誤って飲み込んだものだろう。
「……我ながら、悪運の強いことだ。」
ナップザックを手繰り寄せ、その口紐を解いて荷物を確認する。
ほとんど湿気てもいないし、失われた道具もない。
先ほどの戦闘で短剣が2・3本、どこかへいってしまった程度だろう。
そして、その中に目当てのものはあった。
「さて……」
震動は今も続いている。
ランドウォームの胎動だけではない。
おそらくは地中を高速で移動しているのだろう。
あの巣穴から、別の何処かへと向かっているらしい。
ひょっとすると、あそこはただの狩場のひとつでしかなかったのかもしれない。
「俺は、まんまと引っかかった蛾みたいなものだったか……」
クク と、喉元で笑い、必要なものだけを取り出し、口紐を締めた。
筒と、小さな球体。球体の中には、知り合いが特別に配合した携帯燃料がとじられている。
火がつけば爆発的に燃え上がる特別製だ。
戦場で火を使う機会は少ないが、都市戦闘や篭城船では役に立つ。
何よりも、軽い。
「よし……。」
手持ちの短剣をひとつ取り出し、その柄と刀身を分離させた。
そこには小さなくぼみがあり、球体をはめ込むことができるようになっている。
球体をはめ、再び柄と刀身を組み合わせた。
軽く一振り。
その動作によって、短剣に刻み込まれた微細な溝を伝い、液体燃料が流れ出してくる。
これで準備は完了だ。
「……問題は、いつか、だな。」
外に出たはいいが、地中ではどうにもならない。
ランドウォームが少なくとも、地上へ姿を現すまでここで耐える必要があった。
「……間に合うか。」
足を胃酸の海から引き上げ、どうにか難を逃れる。
体内に対しての感覚は鈍いのだろう。
胃壁に突き立てた短剣を頼りに身体を支える。
しかし、時間が経つにつれて胃液は量を増してきているようだった。
食生活のサイクルがあるのやも知れない。
耐えること数時間、もはや足の置き所もなくなってきたころに震動は止まった。
ランドウォームが目的地に辿り着いたのだろう。
「……悪いな。」
液体燃料入りの短剣を、胃壁に深々と突き刺した。
そしてその後方にある着火帯へと火をつける。
内側から突き立てられた牙が流し込む液体燃料に火がついた。
燃え盛る水は、ランドウォームの血中を伝って全身へと燃え広がる。
「……ぐっ」
全体が大きく揺れた。
ランドウォームがのた打ち回っているためだろう。
全身に胃液が降りかかり、強酸が肌を焦がした。
しかし、それもじきにおさまった。
「……。」
まだ熱をもつ短剣を強引に引き抜き、恭平は壁を破って外へと出た。
-2-
外に出ると、そこは夜の世界。
荒涼とした山岳地帯、吹き付ける風が気持ちよい。
ずいぶんと身体が臭くなってしまった。
水辺でもあれば、臭いを落とすこともできるのだが。
辺りには見当たらない。
「……ここは、どこだ。」
ずいぶんと、遠くまで移動したようだ。
地中を進むだけあって、ランドウォームの移動は早いらしい。
地上を進むのと、地下を行くのでは、距離そのものが違うのかもしれないが。
「あらあら……。」
そこに、女の声が降りかかってきた。
闇の中、声の主の姿は見えない。
どこか、風の抜けるような音を伴った、乾いた声。
「ごきげんよう♪」
「貴様は……。」
岩陰からひょっこりと少女が飛び出てきた。
よく見ると猫の耳があり、身体のところどころから骨が見えている。
人間ではない。そして、この世の者でも。
「……死に損ない、か。」
その様相を見て、恭平は冷淡な眼差しを少女へと向けた。
生を失った者は、狂っていることが多い。
「フハハハハッ!あたいの名はシャルロット!かの英雄カーナルドの妻にして戦友、シャルロットよ!」
少女は岩の上で少し上を向いて仁王立ちし、ボロボロのドレスを靡かせる。
「でもこの通り、お肌ボロボロ骨ビローン・・・・・・私が元に戻るには貴方の・・・」
少女の瞳から輝きが失われる。
「貴方の・・・ッ!!」
岩から飛び立ち、少女が飢えた顔で近づいてきた。
「……来い。」
短剣を引き抜き、恭平は少女を迎え入れる。
死に、死に、抱かれて、夜はただ、朽ち、更ける。
06271855 | Day?? outer -勝利- |
-0-
仮設医務室で恭平は目を覚ました。
闘技大会の会場に設けられた医務スペースは大部屋をカーテンで仕切っただけのもので、大なり小なり試合で怪我を負ったものが運び込まれている。
もっとも、試合会場自体が特殊なフィールドになっているので、戦いを終えると同時にほとんどの怪我は治ってしまうのだが、意識を失ったり、精神に負った傷は治療を受けなくては回復することができない。
恭平が運び込まれたのも、意識を失っていたからだろう。
その隣に腰をおろし、心配そうに顔を見下ろしていたティノと目が合った。
初戦から一時間、対戦相手の少女――プリムラの渾身の一撃を受けて意識を失った恭平を、今まで看病していたのだ。
彼女も大きな傷を負っていたはずだが、今はその柔肌に傷のきの字も見受けられない。
「く……。」
身体には痺れが残り、まだ動かせそうにもなかった。
視線だけを動かすと、すぐ近くにリガの姿が見える。こちらは恭平には頓着せず、仮面の隙間から器用にストローを差し込んで、ズビズビと音をたてながらスポーツドリンクを飲み干している。
次の戦いに備えての栄養補給といったところだろうか。
やはり、傷の痕跡はこちらにもない。
「良かった。目を覚ましたんだね。」
「……どれぐらい経った?」
ティノは意識を取り戻した恭平を見て、安堵したかのように微笑を見せる。
そんなティノの気持ちを知ってか知らずか、恭平は返す刀で問いかけた。
「一時間ぐらいだよ。あと一時間後には、二回戦が始まる。」
壁にかけられた時計に目をやって、ティノは答えた。
時計の針は午後二時を指している。
この闘技大会は一日に二試合を消化し、合計八回戦の総勝利回数を競う。
恭平たちは初戦で敗れているため、次の試合で当たるのはやはり初戦で敗れたチームとなるはずだった。
そして、二回戦は初戦と同日に行われる。
今頃、大会の運営委員たちが組み合わせを決めている頃だろう。
その発表しだい、順次の戦いとなる。恭平たちの順番がいつ頃になるかは、その組み合わせしだいだが。
「……そうか、貴重な時間を無駄にした。すまない。」
二時間という休憩時間。一時間を無為に寝て過ごしてしまったのは余りにも惜しい。
重々しく謝って、恭平は上体を起こした。
傷は闘いを終えると同時に自動治癒されている。手をグーパーと開閉してみるが、まったく問題はなさそうだ。
身体の痺れは意識もないまま、長いこと硬いベッドの上で横になっていたためか。
「……俺は大丈夫だ。……行こう。」
当日、出会ったばかりの三人だ。試合までに、やるべきことは山のようにあった。
初戦で敗れた要素のひとつとして、互いを知らないに過ぎたということもある。相手は確かに強かったが、五回戦えば三回は勝てるといった相手だったはずだ。
その相手に、ああも容易く敗れてしまったのは、互いの連携が上手く働かなかったこともあろう。オブラートに包みもせず言ってしまうならば、互いに足を引っ張る結果となってしまったということだ。
お互いの技術や、作戦、思考傾向を知る必要があった。
「……場所は在るんだろう、次の試合の前に打ち合わせをしよう。」
「そんな。無理はしない方が……。」
「いや、問題ない。」
心配そうに言うティノを手で制して、恭平はリガに目で合図を送った。
ティノもつられてリガを見るが、リガは無言で恭平に頷いた。
リガは立ち上がると、首をコキコキとならして簡易医務室から外へと出て行く。恭平もベッドから降りて、その後を追った。
その後ろを、やはり心配そうなティノがちょこちょこと付いてくる。
リガが向かったのは会場の裏手にある、ひらけた野原だ。今はほとんどの冒険者が試合に意識を向けているためか、人の姿もない。
動き回るには十分な場所だろう。
「もうっ、私は知らないからね!」
「何を、怒っているんだ……?」
ティノはドスドスと足音をたてて、リガを追い抜き野原を先にいってしまった。
おおよそ中央ほどまで進むと、恭平から視線をはずすようにして腕を組んで、仁王立ちになる。
恭平の目には、その頬が少し膨らんで見えた。
「クカカw」
程なく恭平と並んだリガが、楽しそうに仮面の奥で喉を鳴らす。
この大男にはどうも掴めない所がある。それは仮面に隠れて、その表情が窺い知れないせいでもあるのだろうが。
しかし、天真爛漫なように見えて、ときおり感じさせる邪気はなんなのだろう。
その右腕は墨を流したように黒い。
「……まあいい。それでは、コンビネーションの確認といこうか。」
なぜか拗ねている少女と、ただ面白がっている大男。
その二人に一抹の不安を感じながらも、恭平は初戦の反省点を語りだした。
今は少しでも、時間が惜しいのだ――。
仮設医務室で恭平は目を覚ました。
闘技大会の会場に設けられた医務スペースは大部屋をカーテンで仕切っただけのもので、大なり小なり試合で怪我を負ったものが運び込まれている。
もっとも、試合会場自体が特殊なフィールドになっているので、戦いを終えると同時にほとんどの怪我は治ってしまうのだが、意識を失ったり、精神に負った傷は治療を受けなくては回復することができない。
恭平が運び込まれたのも、意識を失っていたからだろう。
その隣に腰をおろし、心配そうに顔を見下ろしていたティノと目が合った。
初戦から一時間、対戦相手の少女――プリムラの渾身の一撃を受けて意識を失った恭平を、今まで看病していたのだ。
彼女も大きな傷を負っていたはずだが、今はその柔肌に傷のきの字も見受けられない。
「く……。」
身体には痺れが残り、まだ動かせそうにもなかった。
視線だけを動かすと、すぐ近くにリガの姿が見える。こちらは恭平には頓着せず、仮面の隙間から器用にストローを差し込んで、ズビズビと音をたてながらスポーツドリンクを飲み干している。
次の戦いに備えての栄養補給といったところだろうか。
やはり、傷の痕跡はこちらにもない。
「良かった。目を覚ましたんだね。」
「……どれぐらい経った?」
ティノは意識を取り戻した恭平を見て、安堵したかのように微笑を見せる。
そんなティノの気持ちを知ってか知らずか、恭平は返す刀で問いかけた。
「一時間ぐらいだよ。あと一時間後には、二回戦が始まる。」
壁にかけられた時計に目をやって、ティノは答えた。
時計の針は午後二時を指している。
この闘技大会は一日に二試合を消化し、合計八回戦の総勝利回数を競う。
恭平たちは初戦で敗れているため、次の試合で当たるのはやはり初戦で敗れたチームとなるはずだった。
そして、二回戦は初戦と同日に行われる。
今頃、大会の運営委員たちが組み合わせを決めている頃だろう。
その発表しだい、順次の戦いとなる。恭平たちの順番がいつ頃になるかは、その組み合わせしだいだが。
「……そうか、貴重な時間を無駄にした。すまない。」
二時間という休憩時間。一時間を無為に寝て過ごしてしまったのは余りにも惜しい。
重々しく謝って、恭平は上体を起こした。
傷は闘いを終えると同時に自動治癒されている。手をグーパーと開閉してみるが、まったく問題はなさそうだ。
身体の痺れは意識もないまま、長いこと硬いベッドの上で横になっていたためか。
「……俺は大丈夫だ。……行こう。」
当日、出会ったばかりの三人だ。試合までに、やるべきことは山のようにあった。
初戦で敗れた要素のひとつとして、互いを知らないに過ぎたということもある。相手は確かに強かったが、五回戦えば三回は勝てるといった相手だったはずだ。
その相手に、ああも容易く敗れてしまったのは、互いの連携が上手く働かなかったこともあろう。オブラートに包みもせず言ってしまうならば、互いに足を引っ張る結果となってしまったということだ。
お互いの技術や、作戦、思考傾向を知る必要があった。
「……場所は在るんだろう、次の試合の前に打ち合わせをしよう。」
「そんな。無理はしない方が……。」
「いや、問題ない。」
心配そうに言うティノを手で制して、恭平はリガに目で合図を送った。
ティノもつられてリガを見るが、リガは無言で恭平に頷いた。
リガは立ち上がると、首をコキコキとならして簡易医務室から外へと出て行く。恭平もベッドから降りて、その後を追った。
その後ろを、やはり心配そうなティノがちょこちょこと付いてくる。
リガが向かったのは会場の裏手にある、ひらけた野原だ。今はほとんどの冒険者が試合に意識を向けているためか、人の姿もない。
動き回るには十分な場所だろう。
「もうっ、私は知らないからね!」
「何を、怒っているんだ……?」
ティノはドスドスと足音をたてて、リガを追い抜き野原を先にいってしまった。
おおよそ中央ほどまで進むと、恭平から視線をはずすようにして腕を組んで、仁王立ちになる。
恭平の目には、その頬が少し膨らんで見えた。
「クカカw」
程なく恭平と並んだリガが、楽しそうに仮面の奥で喉を鳴らす。
この大男にはどうも掴めない所がある。それは仮面に隠れて、その表情が窺い知れないせいでもあるのだろうが。
しかし、天真爛漫なように見えて、ときおり感じさせる邪気はなんなのだろう。
その右腕は墨を流したように黒い。
「……まあいい。それでは、コンビネーションの確認といこうか。」
なぜか拗ねている少女と、ただ面白がっている大男。
その二人に一抹の不安を感じながらも、恭平は初戦の反省点を語りだした。
今は少しでも、時間が惜しいのだ――。
06240202 | Day07 -立壁- |
-0-
薄暗い回廊を進み、T字路に突き当たったので左の道を選択する。
薄明かりさえもない暗闇の中、暗視に長けていなければ進むことは難しい。
明らかに人の手が入った――しかし不整形な岩を積み上げただけの両壁。
そこにこびりついたヒカリゴケだけが唯一の光源だ。
ときたま薄明かりを放つ虫や爬虫類が壁を這うこともあったが、
恭平の気配を察しているのだろう、ほとんど見かけることもない。
光の届かない深海には、自ら光を放つ生物が多く生息すると聞くが、
遺跡の闇に閉ざされた彼らもそういった進化を遂げてきたのだろうか。
岩と岩の隙間を埋めるように流し込まれた砂からひょっこり頭を出したミミズが、
大型の蜘蛛に捕らえられていた。
一瞬が命取りだ。
下っているのか、上っているのか、感覚を狂わせる道が続く、
前方に見えるのは壁だ。
残念なことに、この道も外れだったらしい。
「……またか。」
薄ぼんやりと明かりを放つ冒険者の地図を取り出して、
恭平手ずから書き加えた道の一つに×印をつける。
遺跡――というよりも、迷宮と呼んだほうがしっくりとくるほどに、此処は道が入り組んでいる。
おおまかなエリアしか記載されていない冒険者の地図では、正しい道を把握することはできなかった。
ここまでに七つの角を折れ、三つの階段、さらに何かが開けた大穴を経由している。
全て記憶しているが、記録に残すに越したことはない。
道を戻り、右に折れる方向へも進んでみたがこちらも行き止まりだった。
本来は道が続いていたのだろうが、崩れた天井によってふさがれてしまっている。
「……これは、ずいぶんと戻らないとならないな……。」
ここまでの道の大半は、片方が正解で片方が不正解だった。
ここ同様に潰れてしまった道も多く、そういった場合は誰かの残した抜け道があったのだが、
この道にはそれらしきものもない。
地道に一つ一つ調べ上げる他はないだろう。
まだ足を踏み入れていない分岐も数多くある。
ここを抜けるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
足音を立てず、生き物を刺激しないように注意しながら、時間をかけて来た道を戻る。
角を曲がり、壁の隙間を潜り抜け、天井に開いた穴に手をかけて上り、階段を下って、
次の角を折れれば、少し広い空間がある。
そこで一度、休憩を取ろう。
「……?」
今後の算段をつけていた恭平の目に映ったのは、道が続いているはずの場所に立ちはだかる石壁だった。
道を間違えたのか。
地図と記憶とを照らし合わせながら戻ってきたのだ。それはないと言えた。
だが、実際にこの前に立ちはだかる石壁は現実だ。
「……どうなってる……。」
警戒しながら、石壁へと歩み寄る。
遺跡に仕掛けられたトラップによって、道を塞がれてしまったのだろうか。
いまさら、壁の一つや二つが動いたところで驚くほどのことではない。
しかし、今から新しいルートを探るのは困難だ。
できればこの先の広場へと戻りたい。
「……移動するほどの壁なら。」
さほどの重量はないはずだ。どうにか動かせないだろうか。
短剣を鞘に収め、石壁に触れる。
「そんなところ触らないでよ!!」
突然の叫び。恭平の触れた石壁が、音を立てて遠ざかった。
その背後から、少女の声。
隙間から漏れる明かりに目を細め、恭平もまた石壁から距離をおいた。
-1-
「……な、なに?」
石壁の影に、女の姿見えた。
恭平が考えたのと同じように、彼女もこの広場で休息をとっていたのだろう。
突如、動き出した石壁に驚いているのか。
はたまた、自分の予期しない動きを石壁がした為に驚いているのか。
探索者の中には、遺跡内の怪物を従えるものもいるという。
石壁そのものに驚いている様子がないので、それが正解だろうか。
「……壁が、生きているのか……?」
様々な事象に対して随分と寛容になっていた恭平だったが、
石壁が動き、喋ると言うのは想定の範囲外だった。
草が動くのだから、おかしくもないのかもしれないが。
「ただの壁じゃないよ!!」
恭平の言葉を拾ったのか、石壁が反論をする。
ちょこんと突き出た足で、方向転換し石壁は恭平に向き直る。
もっとも眼も鼻もないのだから、どちらが前で後ろかなど判然としないのだが。
こちらが前だとすると、恭平は後ろから石壁に触れたことになる。
「許さないんだから!!」
触れたことに怒っているのか、石壁は猛然と恭平に襲い掛かってきた。
「て、敵なの?!」
自身の使い魔――ペットか――の動きから、女も恭平を敵と認識したらしい。
ずいぶんとまずいことになった。
「……待て、やる気はな……。」
ドゴン!! という重たい音に、恭平の言葉はかき消された。
恭平に詰め寄ろうとしていた石壁が、隧道の入り口に激突したのだ。
男か女かは分からないが、石壁が通り抜けるには天井が低すぎたらしい。
道を崩されてはたまったものではない。
恭平はその隙に、石壁の脇を抜けて広場へと躍り出る。
「……くっ!」
同時に地面を転がった。その場にいてはまずい気がしたのだ。
女が魅惑の魔力を放ったのだが、恭平には知る由もない。
ただ、漠然とした気配を感じて、そちらへと気をぶつけざまに回避したに過ぎない。
二人の気はぶつかり合い、中空で霧散したようだった。
「ひどいよ!!」
のそのそと石壁が恭平へと向き直る。
広いと言っても人間にとっての広さだ。
石壁も含めると、ずいぶんと狭い空間だった。
石壁の動きはのっそりとしていて、ありていに言って遅いのが救いだろうか。
「……。」
石壁の影に隠れるようにして、恭平を睨む女の姿。
すっかり誤解されてしまったようだ。
もはや言葉で収まるような状況ではない。すくなくとも、石壁は。
「動かないでよ!!」
勝手なことをいいながら石壁は、ドスドスと地面を揺らしながら恭平へと真っ直ぐに突っ込んでくる。
本人は走っているつもりなのだろうか、にょこっと突き出た腕がバタバタと空をかいていた。
その動きは恭平の歩みよりも遅い。
「……まずは、女か……。」
女を気絶させて、石壁を黙らせる。あとは隙を見ての撤退だ。
そう算段をつけて、地面を蹴る。
前方には石壁がのっそりと立ちはだかっている。
真正面から石壁へと突き進み、接触寸前にスライディング。股の下を潜り抜ける。
後方からズドンと鈍い音。慌てた石壁が扱けたのだ。
そちらには目も向けず、女へと距離を詰める。
「……。」
言葉もなく女は表情を引きつらせている。恐怖しているのだろう。
恭平に悪意があるわけでもなく、必要のある戦いでもない。
申し訳ないと思わないでもないが、この巡り合わせの不運を恨んでもらうしかないだろう。
当てずっぽうに放たれた魔力が恭平を打つ。
しかし集中を欠いた魔力の一撃だ。動きが止まるほどではない。
「……。」
怪我をさせないよう、狙いを絞って一閃。
慌てて飛びのいた女にかわされる。
再び踏み込んでフェイントを放つ。
ひっかかった女の上体が一撃を避けようと流れる。
そこへ畳み掛けるように追撃。
「ひどいことをするなぁぁ!!」
徐々に女を追い詰めつつあった恭平の背後から、再び石壁が迫った。
-2-
魔力の放出に当てられて、恭平もずいぶんと疲労しているのだが。
石壁はそのことに気付かない。
「……ちっ。」
女まで潰されたのではかなわない。
女を蹴り飛ばして距離をおかせ、恭平は石壁に向き直った。
石壁はやはりドスドスとゆっくりゆっくり近づいてくる。
先ほどから、あちこちにぶつかったり、倒れたりしているのだが怯む様子がない。
痛覚など最初からもっていないのだろう。石壁なだけに。
短剣で切りつけたところで止まるような相手でもないだろう。
「悪党めぇぇ!!」
すっかり悪者だ。雄たけびをあげながら石壁は恭平へと突進する。
ゆっくり、ゆったり、まっすぐに。
恭平は少し考えて、懐からワイヤーを取り出した。
ワイヤーを手に走る。正面から再び石壁へと接近し、再びその足元を潜り抜けた。
その際に、足へとワイヤーを巻きつけるおまけつきで。
「あぁ!!」
クイ とワイヤーを引っ張ると、足をすくわれた石壁が倒れこみ正面の壁面に叩きつけられた。
ほとんどダメージはなさそうだが。
起き上がるのにはかなり時間がかかるだろう。
そして、大人しく起き上がらせる気もない。
ワイヤーを巻きつけた足と、もう一つの足を結びつけるのだ。
「歩けなくなっちゃうよ!やめてッ!」
石壁が悲痛な声をあげる。
意に介さず、恭平は手早く作業を終えた。
これで、起き上がろうとしても石壁はまた転ぶことになる。
「ひどいよ!ひどいよぉッ!」
手をじたばたさせて、石壁は何度も起き上がろうと試みるが、
その度に違う方向へと倒れこみ、ついには泣き出してしまった。
「……図体の割りに女々しい奴だ……。」
ため息を一つ。
チラリと女を蹴り飛ばした方向に目をやると、女がこちらを睨んでいる。
恐怖か、戦意か、その内情は分からないが……。
こちらから近づかない限り、問題もないだろう。
「……すまなかったな。」
石壁の泣き声にかき消されないよう、少し大きな声でそう告げて恭平はその場を後にした。
どこかで休もう。ただひたすらに、色濃い疲労を癒すことを考えながら。