血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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02031710 | [PR] |
09030042 | Day08 -妄執- |
-0-
相手の手首を捉え小手返しに投げ飛ばそうとした瞬間、
視界が逆さまになり、恭平は頭から川へと叩き落されていた。
衝撃に息がつまり、何をされたかへの理解が追いつかない。
水中から顔をあげ、飲み込んだ水を吐き出して、ようやく息を落ち着かせて初めて、何をされたかが理解できた。
簡単なことだ。
投げようとした瞬間に、その力を全て利用されて、恭平自身が投げ飛ばされたに過ぎない。
そう理解できるようになっただけ、大きな進歩だと思う。
最初の頃は何もできず触れられただけで投げ飛ばされ、何を理解することもできなかった。
今はなぜ投げられたのかを理解し、考えるだけの知識と経験が身についている。
物事がどのようにして成り立っているのか、その道理を知るのと知らないのとでは全てに大きな差がつく。
それだけの成長を、恭平は得ていた。
しかし、投げようと仕掛けてくる相手を逆に投げ飛ばすなど、言うのは簡単だが実際に行うのは想像を絶するほどに難しい。
東洋に伝わる合気道という技では、そういった技術が極意とされているほどに。
かくいう彼女の戦闘流法も、東洋の武術から影響を大きく受けているらしいが。
「いつまで水浴びをしているつもり? 恭平。」
そんなことを考えながら咳き込んでいる間に、彼女が川べりまで歩いて来て、恭平を見下ろしていた。
先ほどの立ち位置からここまでおよそ3mはある。ずいぶんと投げられたものだ。
「……くそ。」
悪態をつきながら、恭平は濡れて張り付いた髪を払いのけながら、川から立ち上がった。
真夏の日差しは厳しい。といっても、この国の過半期は夏なのだが、火照った身体に川の水が気持ちよかった。
彼女が無言で手を差し伸べてくる。
その手を取らずに、恭平は独力で川岸へと上がった。
照れくさかったからではない。以前、同じような状況で投げ飛ばされたことがあるからだ。
「可愛げのない子ねぇ……。」
そんな恭平の様子に、彼女は苦笑してみせる。
そうやって油断させるのだ。
「何度も言っているでしょう、あなたの動きは直線的過ぎるのよぅ」
教師の顔に戻って、彼女は言う。
「目線や指先なんて、小手先でフェイントをかけようとしてもダメ。
足先が正直すぎるもの。もっと歩法を教えなきゃだめねぇ。」
恭平の動きを再現して見せながら、その足運びに対して彼女はダメだしをする。
恭平の歩法は一本槍のように直線的だ。
軸を一本強く持ち、その動きは突撃するエネルギーを生み出す。
しかし、それは騎士の歩き方であり、傭兵にふさわしいものではない。
「もっと、狡猾になりなさい。」
そう言って、彼女はその動きに別の動きを加えてみせた。
直線と曲線が優美に交ざる。
直線の動きは、飛翔する雷鳥の如く。
曲線の動きは、水中を行く水蛇のように。
円運動を機軸に直線と曲線の動き、それが彼女の歩法だった。
「素直なのはいいけれど、フェイントがフェイントになってないのは問題よねぇ。」
足を止めて、恭平を振り返りながらにやりと笑ってみせる。
「……うるさいな。」
憮然と、恭平は応え。
その身が深く沈んだ。その頭上を銀光が掠め過ぎる。
彼女が放った短剣の一撃。
「ふふ、よく避けたわね。もうひとつ、あきらめの悪さも、私たちには大切なことよ。」
何事もなかったかのように、抜き放った短剣を引き戻しながら、彼女は微笑んでいる。
教師と教え子の戦いは、再開された。
-1-
肉の腐るすえた臭いに包まれて、恭平は目を覚ました。
視界は暗く、自分の手先しか見ることができない。
ときおり身体を預けている壁や床が震動するのは、ここがランドウォームの胃袋だからだろう。
意識が戻ったということは、彼はまだ生きているらしい。
「……あきらめの悪さ、か」
自嘲気味に呟いてみる。
足先が何かの液体に浸っていた。
胃液だろうか。表皮が溶け、赤味がかった筋肉がところどころ覗いていた。
動かそうとすると激痛がはしる。
運よく、全身が漬け込まれていなかったのが幸いしたか。
恭平はまだ生きている。
「……む。」
適当に伸ばした腕が、革の袋に触れた。
それは恭平の装備一式を納めたナップザックだ。
恭平の匂いと体温が残っていたため、ランドウォームが誤って飲み込んだものだろう。
「……我ながら、悪運の強いことだ。」
ナップザックを手繰り寄せ、その口紐を解いて荷物を確認する。
ほとんど湿気てもいないし、失われた道具もない。
先ほどの戦闘で短剣が2・3本、どこかへいってしまった程度だろう。
そして、その中に目当てのものはあった。
「さて……」
震動は今も続いている。
ランドウォームの胎動だけではない。
おそらくは地中を高速で移動しているのだろう。
あの巣穴から、別の何処かへと向かっているらしい。
ひょっとすると、あそこはただの狩場のひとつでしかなかったのかもしれない。
「俺は、まんまと引っかかった蛾みたいなものだったか……」
クク と、喉元で笑い、必要なものだけを取り出し、口紐を締めた。
筒と、小さな球体。球体の中には、知り合いが特別に配合した携帯燃料がとじられている。
火がつけば爆発的に燃え上がる特別製だ。
戦場で火を使う機会は少ないが、都市戦闘や篭城船では役に立つ。
何よりも、軽い。
「よし……。」
手持ちの短剣をひとつ取り出し、その柄と刀身を分離させた。
そこには小さなくぼみがあり、球体をはめ込むことができるようになっている。
球体をはめ、再び柄と刀身を組み合わせた。
軽く一振り。
その動作によって、短剣に刻み込まれた微細な溝を伝い、液体燃料が流れ出してくる。
これで準備は完了だ。
「……問題は、いつか、だな。」
外に出たはいいが、地中ではどうにもならない。
ランドウォームが少なくとも、地上へ姿を現すまでここで耐える必要があった。
「……間に合うか。」
足を胃酸の海から引き上げ、どうにか難を逃れる。
体内に対しての感覚は鈍いのだろう。
胃壁に突き立てた短剣を頼りに身体を支える。
しかし、時間が経つにつれて胃液は量を増してきているようだった。
食生活のサイクルがあるのやも知れない。
耐えること数時間、もはや足の置き所もなくなってきたころに震動は止まった。
ランドウォームが目的地に辿り着いたのだろう。
「……悪いな。」
液体燃料入りの短剣を、胃壁に深々と突き刺した。
そしてその後方にある着火帯へと火をつける。
内側から突き立てられた牙が流し込む液体燃料に火がついた。
燃え盛る水は、ランドウォームの血中を伝って全身へと燃え広がる。
「……ぐっ」
全体が大きく揺れた。
ランドウォームがのた打ち回っているためだろう。
全身に胃液が降りかかり、強酸が肌を焦がした。
しかし、それもじきにおさまった。
「……。」
まだ熱をもつ短剣を強引に引き抜き、恭平は壁を破って外へと出た。
-2-
外に出ると、そこは夜の世界。
荒涼とした山岳地帯、吹き付ける風が気持ちよい。
ずいぶんと身体が臭くなってしまった。
水辺でもあれば、臭いを落とすこともできるのだが。
辺りには見当たらない。
「……ここは、どこだ。」
ずいぶんと、遠くまで移動したようだ。
地中を進むだけあって、ランドウォームの移動は早いらしい。
地上を進むのと、地下を行くのでは、距離そのものが違うのかもしれないが。
「あらあら……。」
そこに、女の声が降りかかってきた。
闇の中、声の主の姿は見えない。
どこか、風の抜けるような音を伴った、乾いた声。
「ごきげんよう♪」
「貴様は……。」
岩陰からひょっこりと少女が飛び出てきた。
よく見ると猫の耳があり、身体のところどころから骨が見えている。
人間ではない。そして、この世の者でも。
「……死に損ない、か。」
その様相を見て、恭平は冷淡な眼差しを少女へと向けた。
生を失った者は、狂っていることが多い。
「フハハハハッ!あたいの名はシャルロット!かの英雄カーナルドの妻にして戦友、シャルロットよ!」
少女は岩の上で少し上を向いて仁王立ちし、ボロボロのドレスを靡かせる。
「でもこの通り、お肌ボロボロ骨ビローン・・・・・・私が元に戻るには貴方の・・・」
少女の瞳から輝きが失われる。
「貴方の・・・ッ!!」
岩から飛び立ち、少女が飢えた顔で近づいてきた。
「……来い。」
短剣を引き抜き、恭平は少女を迎え入れる。
死に、死に、抱かれて、夜はただ、朽ち、更ける。
相手の手首を捉え小手返しに投げ飛ばそうとした瞬間、
視界が逆さまになり、恭平は頭から川へと叩き落されていた。
衝撃に息がつまり、何をされたかへの理解が追いつかない。
水中から顔をあげ、飲み込んだ水を吐き出して、ようやく息を落ち着かせて初めて、何をされたかが理解できた。
簡単なことだ。
投げようとした瞬間に、その力を全て利用されて、恭平自身が投げ飛ばされたに過ぎない。
そう理解できるようになっただけ、大きな進歩だと思う。
最初の頃は何もできず触れられただけで投げ飛ばされ、何を理解することもできなかった。
今はなぜ投げられたのかを理解し、考えるだけの知識と経験が身についている。
物事がどのようにして成り立っているのか、その道理を知るのと知らないのとでは全てに大きな差がつく。
それだけの成長を、恭平は得ていた。
しかし、投げようと仕掛けてくる相手を逆に投げ飛ばすなど、言うのは簡単だが実際に行うのは想像を絶するほどに難しい。
東洋に伝わる合気道という技では、そういった技術が極意とされているほどに。
かくいう彼女の戦闘流法も、東洋の武術から影響を大きく受けているらしいが。
「いつまで水浴びをしているつもり? 恭平。」
そんなことを考えながら咳き込んでいる間に、彼女が川べりまで歩いて来て、恭平を見下ろしていた。
先ほどの立ち位置からここまでおよそ3mはある。ずいぶんと投げられたものだ。
「……くそ。」
悪態をつきながら、恭平は濡れて張り付いた髪を払いのけながら、川から立ち上がった。
真夏の日差しは厳しい。といっても、この国の過半期は夏なのだが、火照った身体に川の水が気持ちよかった。
彼女が無言で手を差し伸べてくる。
その手を取らずに、恭平は独力で川岸へと上がった。
照れくさかったからではない。以前、同じような状況で投げ飛ばされたことがあるからだ。
「可愛げのない子ねぇ……。」
そんな恭平の様子に、彼女は苦笑してみせる。
そうやって油断させるのだ。
「何度も言っているでしょう、あなたの動きは直線的過ぎるのよぅ」
教師の顔に戻って、彼女は言う。
「目線や指先なんて、小手先でフェイントをかけようとしてもダメ。
足先が正直すぎるもの。もっと歩法を教えなきゃだめねぇ。」
恭平の動きを再現して見せながら、その足運びに対して彼女はダメだしをする。
恭平の歩法は一本槍のように直線的だ。
軸を一本強く持ち、その動きは突撃するエネルギーを生み出す。
しかし、それは騎士の歩き方であり、傭兵にふさわしいものではない。
「もっと、狡猾になりなさい。」
そう言って、彼女はその動きに別の動きを加えてみせた。
直線と曲線が優美に交ざる。
直線の動きは、飛翔する雷鳥の如く。
曲線の動きは、水中を行く水蛇のように。
円運動を機軸に直線と曲線の動き、それが彼女の歩法だった。
「素直なのはいいけれど、フェイントがフェイントになってないのは問題よねぇ。」
足を止めて、恭平を振り返りながらにやりと笑ってみせる。
「……うるさいな。」
憮然と、恭平は応え。
その身が深く沈んだ。その頭上を銀光が掠め過ぎる。
彼女が放った短剣の一撃。
「ふふ、よく避けたわね。もうひとつ、あきらめの悪さも、私たちには大切なことよ。」
何事もなかったかのように、抜き放った短剣を引き戻しながら、彼女は微笑んでいる。
教師と教え子の戦いは、再開された。
-1-
肉の腐るすえた臭いに包まれて、恭平は目を覚ました。
視界は暗く、自分の手先しか見ることができない。
ときおり身体を預けている壁や床が震動するのは、ここがランドウォームの胃袋だからだろう。
意識が戻ったということは、彼はまだ生きているらしい。
「……あきらめの悪さ、か」
自嘲気味に呟いてみる。
足先が何かの液体に浸っていた。
胃液だろうか。表皮が溶け、赤味がかった筋肉がところどころ覗いていた。
動かそうとすると激痛がはしる。
運よく、全身が漬け込まれていなかったのが幸いしたか。
恭平はまだ生きている。
「……む。」
適当に伸ばした腕が、革の袋に触れた。
それは恭平の装備一式を納めたナップザックだ。
恭平の匂いと体温が残っていたため、ランドウォームが誤って飲み込んだものだろう。
「……我ながら、悪運の強いことだ。」
ナップザックを手繰り寄せ、その口紐を解いて荷物を確認する。
ほとんど湿気てもいないし、失われた道具もない。
先ほどの戦闘で短剣が2・3本、どこかへいってしまった程度だろう。
そして、その中に目当てのものはあった。
「さて……」
震動は今も続いている。
ランドウォームの胎動だけではない。
おそらくは地中を高速で移動しているのだろう。
あの巣穴から、別の何処かへと向かっているらしい。
ひょっとすると、あそこはただの狩場のひとつでしかなかったのかもしれない。
「俺は、まんまと引っかかった蛾みたいなものだったか……」
クク と、喉元で笑い、必要なものだけを取り出し、口紐を締めた。
筒と、小さな球体。球体の中には、知り合いが特別に配合した携帯燃料がとじられている。
火がつけば爆発的に燃え上がる特別製だ。
戦場で火を使う機会は少ないが、都市戦闘や篭城船では役に立つ。
何よりも、軽い。
「よし……。」
手持ちの短剣をひとつ取り出し、その柄と刀身を分離させた。
そこには小さなくぼみがあり、球体をはめ込むことができるようになっている。
球体をはめ、再び柄と刀身を組み合わせた。
軽く一振り。
その動作によって、短剣に刻み込まれた微細な溝を伝い、液体燃料が流れ出してくる。
これで準備は完了だ。
「……問題は、いつか、だな。」
外に出たはいいが、地中ではどうにもならない。
ランドウォームが少なくとも、地上へ姿を現すまでここで耐える必要があった。
「……間に合うか。」
足を胃酸の海から引き上げ、どうにか難を逃れる。
体内に対しての感覚は鈍いのだろう。
胃壁に突き立てた短剣を頼りに身体を支える。
しかし、時間が経つにつれて胃液は量を増してきているようだった。
食生活のサイクルがあるのやも知れない。
耐えること数時間、もはや足の置き所もなくなってきたころに震動は止まった。
ランドウォームが目的地に辿り着いたのだろう。
「……悪いな。」
液体燃料入りの短剣を、胃壁に深々と突き刺した。
そしてその後方にある着火帯へと火をつける。
内側から突き立てられた牙が流し込む液体燃料に火がついた。
燃え盛る水は、ランドウォームの血中を伝って全身へと燃え広がる。
「……ぐっ」
全体が大きく揺れた。
ランドウォームがのた打ち回っているためだろう。
全身に胃液が降りかかり、強酸が肌を焦がした。
しかし、それもじきにおさまった。
「……。」
まだ熱をもつ短剣を強引に引き抜き、恭平は壁を破って外へと出た。
-2-
外に出ると、そこは夜の世界。
荒涼とした山岳地帯、吹き付ける風が気持ちよい。
ずいぶんと身体が臭くなってしまった。
水辺でもあれば、臭いを落とすこともできるのだが。
辺りには見当たらない。
「……ここは、どこだ。」
ずいぶんと、遠くまで移動したようだ。
地中を進むだけあって、ランドウォームの移動は早いらしい。
地上を進むのと、地下を行くのでは、距離そのものが違うのかもしれないが。
「あらあら……。」
そこに、女の声が降りかかってきた。
闇の中、声の主の姿は見えない。
どこか、風の抜けるような音を伴った、乾いた声。
「ごきげんよう♪」
「貴様は……。」
岩陰からひょっこりと少女が飛び出てきた。
よく見ると猫の耳があり、身体のところどころから骨が見えている。
人間ではない。そして、この世の者でも。
「……死に損ない、か。」
その様相を見て、恭平は冷淡な眼差しを少女へと向けた。
生を失った者は、狂っていることが多い。
「フハハハハッ!あたいの名はシャルロット!かの英雄カーナルドの妻にして戦友、シャルロットよ!」
少女は岩の上で少し上を向いて仁王立ちし、ボロボロのドレスを靡かせる。
「でもこの通り、お肌ボロボロ骨ビローン・・・・・・私が元に戻るには貴方の・・・」
少女の瞳から輝きが失われる。
「貴方の・・・ッ!!」
岩から飛び立ち、少女が飢えた顔で近づいてきた。
「……来い。」
短剣を引き抜き、恭平は少女を迎え入れる。
死に、死に、抱かれて、夜はただ、朽ち、更ける。
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