血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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(07/16)
(06/15)
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02030803 | [PR] |
06240159 | Day07 -巣窟- |
-0-
「透明な姿」という魔方陣から北上すると、山岳地帯にぶちあたる。
それだけを見れば、ここが遺跡の中だということを忘れてしまいそうになる。
最も高い山は、雲で頂が隠れて見えないほどだ。
そこは、かつて恭平も通った道。
森から魔方陣へと通じる道は、その山岳地帯の比較的低い場所を通っていた。
荒れ狂う川の流れによって削られた山岳地帯は、人間が通れるほどのわき道をあちらこちらにこさえている。
しかし、それがさらに北東に広がる広大な平原を目指すとなると話しが変わってきた。
山岳地帯を抜け、平原へと出る為には、巨大な尾根を越えなければならない。
その道中に、恭平はあった。
吹きすさぶ風にロープが煽られて、恭平の身体は大きく揺さぶられた。
眼下の谷底には急流が流れている。落ちれば、まず助からないだろう。
その川の流れは、以前、恭平が流された小川の比ではない。
恭平が流された川は、水の精が戯れるほどに穏やかな流れをしていた。
しかしこの川は、まるで逆鱗に触れられた竜神のように荒れ狂い、谷を削り続けている。
自然、そこに集まる水精にも気の荒いものが多い。
ここに至るまでの道中で、恭平も幾度となく水精のやっかみを受けた。
が、それらが本気で恭平に襲い掛かってくることはなかった。
まるで、何かを恐れるかのように。
その荒れ狂う水面からは、牙の如き岩の群れが突き出している。
今も上流から流されてきた大木が、岩のひとつに叩きつけられて真っ二つになった。
「……ぞっとしないな」
その光景を瞳に映して、恭平は嘆息する。
恭平が命を預けているロープは、恭平が遺跡外から持ち込んだものだ。
特殊な鋼繊維が編みこまれ、車3台分もの重さにも耐える。
その一端は、恭平が目指す対岸の木立へと繋がっていた。
投擲剣にロープを結わえ付けて、その木立に引っ掛けたのだ。
しっかりと引っ掛かっていることを確認したが、この強風ではそれがいつ外れるか分かったものではない。
かといって、その風の為に、ほんの少し進むのもままならない状態だった。
風が吹いている間はひとつ所でじっと耐え、風が吹き止んだ瞬間に進む。
そのために、恭平の手はあかぎれて血が滲んでいる。
「……」
ただ、歯を食いしばって耐えた。
風の圧力に、恭平自身の体重と、30㎏を越える荷物の重みが加わって恭平にのしかかった。
軽装を好む恭平だが、そうとばかりも言っていられない状況もある。
戦うためには充実した装備が必要だし、生きていくためには食料や水が必要だった。
それに加えて、恭平自身の能力の低下が、こういった方面にも影響を及ぼしていた。
本来の恭平なら30㎏程度ならば、鼻歌混じりに運べるぐらいの荷物でしかない。
しかし、今はその重みが、純粋に恭平を苦しめていた。
遺跡の中には様々な場所があり、その環境によって必要となる装備も変わってくる。
暑い場所もあれば、寒い場所もあるのだ。
暑ければ衣服を脱げば済むが、寒冷地ではそうもいかない。
また、強い日差しを防ぐことも必要だった。
砂漠で肌を露出するのは、正気の沙汰ではない。
局地を対象とした装備ではなく、どのような状況下に対しても適応しなければならないとなると、自然、荷物は増えるのだ。
現地で調達できるものもあれば、そうでないものもある。
現地調達ができないものは最初から持ち運ばなければならない。
その中から、選定に選定を重ねての装備品だった。
「……」
風が吹き止むのは一瞬。
その瞬間を逃さず、恭平はじりじりと前へ進んでいた。
ギチリ
その嫌な音が聞こえたのは、あと数メートルで対岸に着こうかという時だった。
嫌な予感に、傭兵は対岸を見る。
風に煽られ続けたロープの振動を受けて、楔の役目を果たしていた投擲剣の拘束が緩んでいる。
いまにも外れてしまいそうだ。
外れれば、恭平を支えるものは何もない。
「……まずいな」
ぽつりと漏らした、次の瞬間、谷底から吹き上げるアッパーストリームによって、投擲剣が完全に外れた。
ロープを掴んでいた手の平に感じる確かな手ごたえが消失し、ぐんにょりとしたなんとも頼りない感覚がかえってくる。
谷間にかけられた一本の橋は、いまやただのロープに戻っていた。
重力に引かれて、恭平の体が自由落下を開始した。
その下では、荒れ狂う竜が顎を開いて、獲物の到来を待ち構えている。
引き戻した投擲剣をその手に、傭兵は空を見た――。
-1-
穏やかな空気の流れる平原を抜けると、いくつもに枝分かれした冷え冷えとした回廊に出た。
回廊はただひたすらに伸び、そこここで繋がったり分岐したりを繰り返しているらしい。
地図の中では、多くの冒険者がそれらの道をあてどもなく進んでいた。
少し遅れて、恭平もその一員に加わったわけだ。
最も足跡の残されていない隧道を選んで、恭平は回廊へと足を踏み入れた。
暖かな光に照らし出されていた平原と違って、回廊は無機質な灯りに照らされているだけだ。
その機能も大半がまともに働いておらず、あちらこちらに深い闇を落としている。
その闇の中にも道は続いているようだが、あまりにも危険な臭いを感じて恭平はけしてその道を選びはしなかった。
闇の中に生きる魔物は、やはり闇を好むらしい。
かつて密林の奥で戦った三叉の頭をもつ両犬も、こんな深い洞穴の中に潜んでいた。
もっとも、あれは人間の科学という名の狂気が生み出した、哀れな存在であったが。
「……」
岸壁にたたきつけられ、半ばつぶれてしまった右腕をかばうようにして、恭平は隧道を進んでいた。
既に何度も分岐を繰り返している。
立体的に交差する髄道の中で、自分がどのような場所に居るのかは地図を見ても定かではなかった。
何度か、他の冒険者の痕跡を発見したが、中には血みどろとなった装備なども見つかっており、
この場所の危険さを物語っている。
運よくか、恭平はまだこの回廊に潜む魔物と出会っていないが、この先どうなるか分かったものではなかった。
その息遣いは、さきから痛いほどに感じているのだ。
息を殺し、物音をたてないように進むが、それさえも相手の手の平の上で遊ばれている気分になる。
この場所に潜む者たちの気配は、それほどまでに色濃い。
「……ち」
舌打ちをしたのは、選んだ道が行き止まりだったためだ。
近くに砂地があるのか、道は砂に埋もれて完全にふさがってしまっていた。
おそらくは、砂の圧力に耐え切れず、壁が決壊してしまったのだろう。
古い遺跡である。
様々な機構が死なずに生きていることのほうが、不思議なのだ。
なんにせよ、この道をこれ以上進むことはできなかった。
引き返して、他の道を選びなおさなければならない。
その道も、崩れている危険性がある。
慎重に選ばなければならない。
「ん……?」
そう考えて、引き返そうと背を向けた瞬間、足元に振動を感じて恭平は足を止めた。
砂がぶちまけられた床がかすかに揺れている。まるで、何かがのたうっているかのような……。
心臓の鼓動にも似た定期的な振動。
それは、段々と大きく、そして恭平に近づいてきているようにも思える。
「……なっ?!」
行き止まりに思えた砂の壁をぶち破って、それは姿を現した。
はじけた砂が、雨のように降り注ぎ恭平の身体を打ち付ける。
全身が砂塗れとなって、口の中にザラザラとした砂の味が広がった。
恭平が見上げなければならないほどの巨体が恭平を見下ろしていた。
ミミズにも似たぬらぬらと光る太く長い胴体。
貪欲な胃液をその牙を立て並べた口からだらだらと垂れ流し、獲物を値踏みするかのように恭平を見ている。
長い暗闇での生活のためか眼は退化して豆粒ほどになっているが、 それが恭平のことをまざまざと見ていることが、肌に感じられた。
どうやら、食指が動いたらしい。
髄道の王は喜びの声か、野太い雄たけびをあげて激しく身をくねらせた。
その身体が壁を強く打ち、砂が再び雨のように天井から降り注ぐ。
この隧道を崩壊させたのはこいつか――。
「……」
冷や水を浴びせられたかのように、全身に汗を感じながら、恭平は短剣を抜き放った。
食うか、食われるかの戦いが、始まる――。
「透明な姿」という魔方陣から北上すると、山岳地帯にぶちあたる。
それだけを見れば、ここが遺跡の中だということを忘れてしまいそうになる。
最も高い山は、雲で頂が隠れて見えないほどだ。
そこは、かつて恭平も通った道。
森から魔方陣へと通じる道は、その山岳地帯の比較的低い場所を通っていた。
荒れ狂う川の流れによって削られた山岳地帯は、人間が通れるほどのわき道をあちらこちらにこさえている。
しかし、それがさらに北東に広がる広大な平原を目指すとなると話しが変わってきた。
山岳地帯を抜け、平原へと出る為には、巨大な尾根を越えなければならない。
その道中に、恭平はあった。
吹きすさぶ風にロープが煽られて、恭平の身体は大きく揺さぶられた。
眼下の谷底には急流が流れている。落ちれば、まず助からないだろう。
その川の流れは、以前、恭平が流された小川の比ではない。
恭平が流された川は、水の精が戯れるほどに穏やかな流れをしていた。
しかしこの川は、まるで逆鱗に触れられた竜神のように荒れ狂い、谷を削り続けている。
自然、そこに集まる水精にも気の荒いものが多い。
ここに至るまでの道中で、恭平も幾度となく水精のやっかみを受けた。
が、それらが本気で恭平に襲い掛かってくることはなかった。
まるで、何かを恐れるかのように。
その荒れ狂う水面からは、牙の如き岩の群れが突き出している。
今も上流から流されてきた大木が、岩のひとつに叩きつけられて真っ二つになった。
「……ぞっとしないな」
その光景を瞳に映して、恭平は嘆息する。
恭平が命を預けているロープは、恭平が遺跡外から持ち込んだものだ。
特殊な鋼繊維が編みこまれ、車3台分もの重さにも耐える。
その一端は、恭平が目指す対岸の木立へと繋がっていた。
投擲剣にロープを結わえ付けて、その木立に引っ掛けたのだ。
しっかりと引っ掛かっていることを確認したが、この強風ではそれがいつ外れるか分かったものではない。
かといって、その風の為に、ほんの少し進むのもままならない状態だった。
風が吹いている間はひとつ所でじっと耐え、風が吹き止んだ瞬間に進む。
そのために、恭平の手はあかぎれて血が滲んでいる。
「……」
ただ、歯を食いしばって耐えた。
風の圧力に、恭平自身の体重と、30㎏を越える荷物の重みが加わって恭平にのしかかった。
軽装を好む恭平だが、そうとばかりも言っていられない状況もある。
戦うためには充実した装備が必要だし、生きていくためには食料や水が必要だった。
それに加えて、恭平自身の能力の低下が、こういった方面にも影響を及ぼしていた。
本来の恭平なら30㎏程度ならば、鼻歌混じりに運べるぐらいの荷物でしかない。
しかし、今はその重みが、純粋に恭平を苦しめていた。
遺跡の中には様々な場所があり、その環境によって必要となる装備も変わってくる。
暑い場所もあれば、寒い場所もあるのだ。
暑ければ衣服を脱げば済むが、寒冷地ではそうもいかない。
また、強い日差しを防ぐことも必要だった。
砂漠で肌を露出するのは、正気の沙汰ではない。
局地を対象とした装備ではなく、どのような状況下に対しても適応しなければならないとなると、自然、荷物は増えるのだ。
現地で調達できるものもあれば、そうでないものもある。
現地調達ができないものは最初から持ち運ばなければならない。
その中から、選定に選定を重ねての装備品だった。
「……」
風が吹き止むのは一瞬。
その瞬間を逃さず、恭平はじりじりと前へ進んでいた。
ギチリ
その嫌な音が聞こえたのは、あと数メートルで対岸に着こうかという時だった。
嫌な予感に、傭兵は対岸を見る。
風に煽られ続けたロープの振動を受けて、楔の役目を果たしていた投擲剣の拘束が緩んでいる。
いまにも外れてしまいそうだ。
外れれば、恭平を支えるものは何もない。
「……まずいな」
ぽつりと漏らした、次の瞬間、谷底から吹き上げるアッパーストリームによって、投擲剣が完全に外れた。
ロープを掴んでいた手の平に感じる確かな手ごたえが消失し、ぐんにょりとしたなんとも頼りない感覚がかえってくる。
谷間にかけられた一本の橋は、いまやただのロープに戻っていた。
重力に引かれて、恭平の体が自由落下を開始した。
その下では、荒れ狂う竜が顎を開いて、獲物の到来を待ち構えている。
引き戻した投擲剣をその手に、傭兵は空を見た――。
-1-
穏やかな空気の流れる平原を抜けると、いくつもに枝分かれした冷え冷えとした回廊に出た。
回廊はただひたすらに伸び、そこここで繋がったり分岐したりを繰り返しているらしい。
地図の中では、多くの冒険者がそれらの道をあてどもなく進んでいた。
少し遅れて、恭平もその一員に加わったわけだ。
最も足跡の残されていない隧道を選んで、恭平は回廊へと足を踏み入れた。
暖かな光に照らし出されていた平原と違って、回廊は無機質な灯りに照らされているだけだ。
その機能も大半がまともに働いておらず、あちらこちらに深い闇を落としている。
その闇の中にも道は続いているようだが、あまりにも危険な臭いを感じて恭平はけしてその道を選びはしなかった。
闇の中に生きる魔物は、やはり闇を好むらしい。
かつて密林の奥で戦った三叉の頭をもつ両犬も、こんな深い洞穴の中に潜んでいた。
もっとも、あれは人間の科学という名の狂気が生み出した、哀れな存在であったが。
「……」
岸壁にたたきつけられ、半ばつぶれてしまった右腕をかばうようにして、恭平は隧道を進んでいた。
既に何度も分岐を繰り返している。
立体的に交差する髄道の中で、自分がどのような場所に居るのかは地図を見ても定かではなかった。
何度か、他の冒険者の痕跡を発見したが、中には血みどろとなった装備なども見つかっており、
この場所の危険さを物語っている。
運よくか、恭平はまだこの回廊に潜む魔物と出会っていないが、この先どうなるか分かったものではなかった。
その息遣いは、さきから痛いほどに感じているのだ。
息を殺し、物音をたてないように進むが、それさえも相手の手の平の上で遊ばれている気分になる。
この場所に潜む者たちの気配は、それほどまでに色濃い。
「……ち」
舌打ちをしたのは、選んだ道が行き止まりだったためだ。
近くに砂地があるのか、道は砂に埋もれて完全にふさがってしまっていた。
おそらくは、砂の圧力に耐え切れず、壁が決壊してしまったのだろう。
古い遺跡である。
様々な機構が死なずに生きていることのほうが、不思議なのだ。
なんにせよ、この道をこれ以上進むことはできなかった。
引き返して、他の道を選びなおさなければならない。
その道も、崩れている危険性がある。
慎重に選ばなければならない。
「ん……?」
そう考えて、引き返そうと背を向けた瞬間、足元に振動を感じて恭平は足を止めた。
砂がぶちまけられた床がかすかに揺れている。まるで、何かがのたうっているかのような……。
心臓の鼓動にも似た定期的な振動。
それは、段々と大きく、そして恭平に近づいてきているようにも思える。
「……なっ?!」
行き止まりに思えた砂の壁をぶち破って、それは姿を現した。
はじけた砂が、雨のように降り注ぎ恭平の身体を打ち付ける。
全身が砂塗れとなって、口の中にザラザラとした砂の味が広がった。
恭平が見上げなければならないほどの巨体が恭平を見下ろしていた。
ミミズにも似たぬらぬらと光る太く長い胴体。
貪欲な胃液をその牙を立て並べた口からだらだらと垂れ流し、獲物を値踏みするかのように恭平を見ている。
長い暗闇での生活のためか眼は退化して豆粒ほどになっているが、 それが恭平のことをまざまざと見ていることが、肌に感じられた。
どうやら、食指が動いたらしい。
髄道の王は喜びの声か、野太い雄たけびをあげて激しく身をくねらせた。
その身体が壁を強く打ち、砂が再び雨のように天井から降り注ぐ。
この隧道を崩壊させたのはこいつか――。
「……」
冷や水を浴びせられたかのように、全身に汗を感じながら、恭平は短剣を抜き放った。
食うか、食われるかの戦いが、始まる――。
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