血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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02021950 | [PR] |
06052216 | Day05 -流水- |
-0-
ぷかぷかと気持ちよさそうに浮かびながら、男が川に流されていた。
頬に二条の傷を持つ、抜き身の短剣のような美しさを称えた男だ。
眠っているのだろうか、その両の眼は閉じられている。
しかし、その表情に安らぎはない。
悪い夢にうなされているのか、眉間には幾重にもしわが寄っている。
水に濡れた髪が額にぴったりと張り付いているが、それは河川のためだけではあるまい。
険しい表情に反して脱力した身体は、容易く水に浮き、川の流れに身を任せるがままとなっている。
――珍しい、流れ人よな。
男をみやって、彼女は呟いた。
彼女の記憶のうちに、かような者はいない。
おそらくは遺跡に足を踏み入れた、愚かな冒険者のひとりなのであろう。
彼女は欠伸をかみ殺しながら、新しい玩具を見つけた幼子のような瞳で、その男を見下ろしていた。
遺跡の魔力にあてられて、男の全身に刻まれた凄惨な傷跡は癒しの兆候をみせている。
もともとの男自身の体力もそこに加味されているのだろう。
――面白い。
自慢の亜麻色の髪を風になびかせながら、彼女はゆったりと考える。
まるで眠り姫のような男から感じるのは、新緑の若葉にも似たえもいわれぬ生命力。
いかな遺跡の加護のもとであろうと、力ない者は死すべき運命。
生きていることこそが、この男の実力の証明に他ならない。
――面白い。
繰り返し呟いて、鍛え上げられた男の肉体を惚れ惚れと見た。
彼女の瞳に、それは咲き誇る大輪の薔薇のようにも鮮やかに映る。
ややもすれば、それは彼女を滅ぼす者となるかもしれない。
あの男が、彼女を呼び寄せたときから、
この退屈な世界に、縛り付けられざるを得なくなったその時から、
彼女は滅びを望んでいた。
滅びは終わりではない。
それは彼女が在るべき世界への回帰に過ぎないのだから。
――拾おうか。拾うまいか。
彼女にしてみれば、その思考は一瞬のこと。
されど、悠久の時を生きる彼女の前に、この世界の時はせっかちに過ぎた。
わずかな思考の間、彼女が手に入れようかと一考した男は、
流水に押し流され、彼女の手が届かぬところまで行ってしまった。
――ああ、なんと勿体無い。
彼女は残念そうに、甘い吐息を漏らす。
それは、死の吐息。いかなる生命もが眠りに落ちる、甘い誘惑。
ひらひらと舞う蝶がその息を受けて、永遠の眠りへとおちていった。
その蝶は、美しい姿のまま、もう眼を覚ますことはない。
これが、か弱き者の運命。
「お聞きなさい、水の精。あれは、私のもの……手出しはなりません。」
厳しい視線をもって、男を運ぶ水に語りかける。
その言葉に流水が自然ではありえないさざ波を引き起こした。
水霊たちが彼女の言葉に恐怖し、混乱のさなかで散り散りに逃げ惑ったためだ。
規則性のない乱れ波に、男の身体が翻弄される。
――惜しいことをした。次は、逃すまいぞ。
その光景を見送りながら、彼女は艶やかな唇を一文字に引き結んだ。
この遺跡に足を踏み入れた冒険者は彼の男だけではない。
ならば、楽しみは尽きることもないだろう。
水面にそっと降り立って、彼女はクスクスと笑みを漏らした。
彼女の力の前に死した水は、流れるさだめから解き放たれてたゆたう。
――今は。
仲間の死に悲鳴をあげる水霊を、さらに踏みにじって、彼女は暗い森へと姿を消した。
――待ちましょう。
甘い囁きを残して。
-1-
川べりに男が倒れている。薄いタンクトップとカーキーの迷彩ズボンを見につけた若い男だ。
全身を川の水にぐっしょりと濡らして、荒い息をつきながら天をみあげて横たわっている。
彼の名は恭平。かつて、死神と恐れられた傭兵だ。
しかし、この島へと辿り着いてからというもの、まるで新兵時代並みに身体能力が低下してしまっていた。
今の彼には、深々とわき腹に突き立った鹿角を引き抜く力さえもない。
それ以外の傷は水に流されている間に治癒されたらしく、うっすらと跡を残すだけとなっている。
「か、は……くそ、生きてる、な……。」
飲み込んだ水を吐き出しながら、恭平の意識は覚醒した。
ごろりと寝返りをうって、地面に手を付きながら残りの水も吐き出してしまう。
「……ここは?」
怒りに我を忘れた牡鹿との戦いから数時間。ずいぶんと流されてしまったらしい。
知らぬ前に増えた擦り傷は、流されている間にこさえたものか。
完全に意識を失っていた。命があるだけでも運が良いと考えるべきだろう。
「……荷物、は、無事か?」
どうにか半身を起こし、装備品と荷物の確認を行う。
いくつかの食料が流されてしまったようだが、武器や地図といった貴重品は無事だった。
地図は水に濡れても崩れてはいなかった。素材は紙でないらしい。
それを無造作に広げて、自分の居場所を確認する。
J-22――鹿と遭遇したエリアから3ブロックも離れた場所だった。
しかも、魔方陣がある。傷ついた恭平には、おあつらえ向きだ。
一度新しい魔法陣を記憶に刻みさえすれば、次の侵入はそこから行うこともできる。
情けのない話だが、休息が必要だった。
「……動けるか。」
全身の状態をチェックし、ゆっくりと動かしてみせる。
大丈夫。
万全ではないが、移動に支障はない。
だが全力をもってして、遺跡の怪物と戦うことは難しい。
「……ち、まずいな。」
手の平を開閉させて、恭平は眉の根を寄せた。
握力も低下している。常時の七割といったところだろうか。
近場に落ちていた木の棒を引き寄せ、杖代わりによろよろと立ち上がった。
歩くことも出来そうだ。やはり、いつも通りとはいかないが。
「う、ぐ……。」
わずかながら回復した力で、わき腹に折れて突き立った鹿の角を引き抜いた。
なかば凝固した血がどろりと流れ落ちる。
流れる血。赤い、赤い。夜毎、訪れるかがり火のような、赤。
それは、生命の赤だ。
「……俺は……生きている。」
肌に付着した生命の証を指先でぐいと拭い取り、確かめるように舌先で味わって恭平は歩き出す。
この命在る限り、任務を果たさなければならない。
-2-
はたして、そこに魔方陣はあった。
水の満たされた小高い祭壇に、小さな魔方陣が刻まれている。
その周囲には大勢の冒険者が集い、魔方陣をその記憶に刻みこもうとしていた。
すでに記憶が終わったものたちは、ある者はその足でさらなる遺跡の奥へと進み、
またある者は魔方陣を使用して外の世界へと戻っている。
祭壇を見通せる草の茂みにその身を隠し、恭平は冒険者たちがその場から消え去るのを待った。
魔方陣を眼と鼻の先にして、なぜ待たねばならないのか。
それは、人狩りと称される一団の冒険者たちの存在が理由だ。
戦いを恐れるものではない。しかし、傷つき、力果てた現況では、戦いを避けるのが利巧というものだろう。
今も魔方陣へと通じる小道で、二人組みの狩人と、こちらも二人組みの冒険者が相争っていた。
敵は遺跡の守護者だけではない。真に恐ろしいのは、遺跡探索という同様の目的を掲げた冒険者たちだ。
なれば、冒険者からはこの身を隠さねばならない。
気配を断っている以上、こちらが見つかる危険性はないが、しかし万全を期すにこしたことはなかった。
「……いったか。」
人狩りと冒険者の戦いが終わり、祭壇の周囲には静けさがただよっている。
感覚の糸を伸ばし周囲を探ってみるが、人の気配はない。
気配を断ち、己の存在を空気と化しながら、茂みを抜け出して恭平は祭壇へと歩み寄った。
十三段の階段を登って祭壇に立つと、そこに記された魔方陣をじっくりと脳裏に焼き付けた。
これで、いついかなるときでも、遺跡外からこの場所へと戻ってくることができる。
ひとつの目的は果たした。
「……準備を整えよう。」
次からは、また新たな場所を探索することができる。しかし、現状では難しい。
より遺跡のことを知り、装備などの準備を行わなければならない。
「……戻るか。」
ささやき、遺跡の外を思う。
次の瞬間、世界が暗転し、侵入時と同じ不快感を感じた。
「……う、ぐ。」
頭痛に苛まされ、気づけば恭平は島を見渡す高台に立っている。
恭平が居を構える丘から程近い町のはずれだ。すぐに坂を下って、部屋へと戻った。
カランカランと取り付けられた鐘の音が響く。
恐ろしく乙女チックな部屋は相変わらずで、ただうっすらと埃が積もっていた。
どかっ、と遺跡の中で手に入れた荷物や装備の入った袋を投げ出して、恭平はベッドへと倒れこんだ。
身体の汚れを気にしている余裕もない。それほどに、恭平は疲れていた。
いつの間にやら身体の傷は消えていた。治るというよりも、もとからそうであったかのように。
しかし、疲労までが回復したわけではないのは、遺跡の中と同じらしい。
もう、考えることも億劫だ。
そして、この部屋の明るさは居心地が悪いが、さりとて、嫌いというわけでもない。
不思議なことだが、落ち着きさえもする。
どことなく、かつて暮らした南フランスの家にも似た空気が漂っているためだろうか。
以前の借主も、恭平と同じ国の出身者であったのかもしれない。
彼とて、郷里を懐かしむことはある。
趣味が良いとは言いがたいベッド。
布団に包まると、以前の住人の残り香なのか、母にも似た甘い香りに恭平は包まれた。
明日には再び、遺跡へと舞い戻らなければならない。
それは、戦士の休息。
心を解す甘い香りに包まれて、恭平は死にも似た甘美な眠りへと誘われていった。
ぷかぷかと気持ちよさそうに浮かびながら、男が川に流されていた。
頬に二条の傷を持つ、抜き身の短剣のような美しさを称えた男だ。
眠っているのだろうか、その両の眼は閉じられている。
しかし、その表情に安らぎはない。
悪い夢にうなされているのか、眉間には幾重にもしわが寄っている。
水に濡れた髪が額にぴったりと張り付いているが、それは河川のためだけではあるまい。
険しい表情に反して脱力した身体は、容易く水に浮き、川の流れに身を任せるがままとなっている。
――珍しい、流れ人よな。
男をみやって、彼女は呟いた。
彼女の記憶のうちに、かような者はいない。
おそらくは遺跡に足を踏み入れた、愚かな冒険者のひとりなのであろう。
彼女は欠伸をかみ殺しながら、新しい玩具を見つけた幼子のような瞳で、その男を見下ろしていた。
遺跡の魔力にあてられて、男の全身に刻まれた凄惨な傷跡は癒しの兆候をみせている。
もともとの男自身の体力もそこに加味されているのだろう。
――面白い。
自慢の亜麻色の髪を風になびかせながら、彼女はゆったりと考える。
まるで眠り姫のような男から感じるのは、新緑の若葉にも似たえもいわれぬ生命力。
いかな遺跡の加護のもとであろうと、力ない者は死すべき運命。
生きていることこそが、この男の実力の証明に他ならない。
――面白い。
繰り返し呟いて、鍛え上げられた男の肉体を惚れ惚れと見た。
彼女の瞳に、それは咲き誇る大輪の薔薇のようにも鮮やかに映る。
ややもすれば、それは彼女を滅ぼす者となるかもしれない。
あの男が、彼女を呼び寄せたときから、
この退屈な世界に、縛り付けられざるを得なくなったその時から、
彼女は滅びを望んでいた。
滅びは終わりではない。
それは彼女が在るべき世界への回帰に過ぎないのだから。
――拾おうか。拾うまいか。
彼女にしてみれば、その思考は一瞬のこと。
されど、悠久の時を生きる彼女の前に、この世界の時はせっかちに過ぎた。
わずかな思考の間、彼女が手に入れようかと一考した男は、
流水に押し流され、彼女の手が届かぬところまで行ってしまった。
――ああ、なんと勿体無い。
彼女は残念そうに、甘い吐息を漏らす。
それは、死の吐息。いかなる生命もが眠りに落ちる、甘い誘惑。
ひらひらと舞う蝶がその息を受けて、永遠の眠りへとおちていった。
その蝶は、美しい姿のまま、もう眼を覚ますことはない。
これが、か弱き者の運命。
「お聞きなさい、水の精。あれは、私のもの……手出しはなりません。」
厳しい視線をもって、男を運ぶ水に語りかける。
その言葉に流水が自然ではありえないさざ波を引き起こした。
水霊たちが彼女の言葉に恐怖し、混乱のさなかで散り散りに逃げ惑ったためだ。
規則性のない乱れ波に、男の身体が翻弄される。
――惜しいことをした。次は、逃すまいぞ。
その光景を見送りながら、彼女は艶やかな唇を一文字に引き結んだ。
この遺跡に足を踏み入れた冒険者は彼の男だけではない。
ならば、楽しみは尽きることもないだろう。
水面にそっと降り立って、彼女はクスクスと笑みを漏らした。
彼女の力の前に死した水は、流れるさだめから解き放たれてたゆたう。
――今は。
仲間の死に悲鳴をあげる水霊を、さらに踏みにじって、彼女は暗い森へと姿を消した。
――待ちましょう。
甘い囁きを残して。
-1-
川べりに男が倒れている。薄いタンクトップとカーキーの迷彩ズボンを見につけた若い男だ。
全身を川の水にぐっしょりと濡らして、荒い息をつきながら天をみあげて横たわっている。
彼の名は恭平。かつて、死神と恐れられた傭兵だ。
しかし、この島へと辿り着いてからというもの、まるで新兵時代並みに身体能力が低下してしまっていた。
今の彼には、深々とわき腹に突き立った鹿角を引き抜く力さえもない。
それ以外の傷は水に流されている間に治癒されたらしく、うっすらと跡を残すだけとなっている。
「か、は……くそ、生きてる、な……。」
飲み込んだ水を吐き出しながら、恭平の意識は覚醒した。
ごろりと寝返りをうって、地面に手を付きながら残りの水も吐き出してしまう。
「……ここは?」
怒りに我を忘れた牡鹿との戦いから数時間。ずいぶんと流されてしまったらしい。
知らぬ前に増えた擦り傷は、流されている間にこさえたものか。
完全に意識を失っていた。命があるだけでも運が良いと考えるべきだろう。
「……荷物、は、無事か?」
どうにか半身を起こし、装備品と荷物の確認を行う。
いくつかの食料が流されてしまったようだが、武器や地図といった貴重品は無事だった。
地図は水に濡れても崩れてはいなかった。素材は紙でないらしい。
それを無造作に広げて、自分の居場所を確認する。
J-22――鹿と遭遇したエリアから3ブロックも離れた場所だった。
しかも、魔方陣がある。傷ついた恭平には、おあつらえ向きだ。
一度新しい魔法陣を記憶に刻みさえすれば、次の侵入はそこから行うこともできる。
情けのない話だが、休息が必要だった。
「……動けるか。」
全身の状態をチェックし、ゆっくりと動かしてみせる。
大丈夫。
万全ではないが、移動に支障はない。
だが全力をもってして、遺跡の怪物と戦うことは難しい。
「……ち、まずいな。」
手の平を開閉させて、恭平は眉の根を寄せた。
握力も低下している。常時の七割といったところだろうか。
近場に落ちていた木の棒を引き寄せ、杖代わりによろよろと立ち上がった。
歩くことも出来そうだ。やはり、いつも通りとはいかないが。
「う、ぐ……。」
わずかながら回復した力で、わき腹に折れて突き立った鹿の角を引き抜いた。
なかば凝固した血がどろりと流れ落ちる。
流れる血。赤い、赤い。夜毎、訪れるかがり火のような、赤。
それは、生命の赤だ。
「……俺は……生きている。」
肌に付着した生命の証を指先でぐいと拭い取り、確かめるように舌先で味わって恭平は歩き出す。
この命在る限り、任務を果たさなければならない。
-2-
はたして、そこに魔方陣はあった。
水の満たされた小高い祭壇に、小さな魔方陣が刻まれている。
その周囲には大勢の冒険者が集い、魔方陣をその記憶に刻みこもうとしていた。
すでに記憶が終わったものたちは、ある者はその足でさらなる遺跡の奥へと進み、
またある者は魔方陣を使用して外の世界へと戻っている。
祭壇を見通せる草の茂みにその身を隠し、恭平は冒険者たちがその場から消え去るのを待った。
魔方陣を眼と鼻の先にして、なぜ待たねばならないのか。
それは、人狩りと称される一団の冒険者たちの存在が理由だ。
戦いを恐れるものではない。しかし、傷つき、力果てた現況では、戦いを避けるのが利巧というものだろう。
今も魔方陣へと通じる小道で、二人組みの狩人と、こちらも二人組みの冒険者が相争っていた。
敵は遺跡の守護者だけではない。真に恐ろしいのは、遺跡探索という同様の目的を掲げた冒険者たちだ。
なれば、冒険者からはこの身を隠さねばならない。
気配を断っている以上、こちらが見つかる危険性はないが、しかし万全を期すにこしたことはなかった。
「……いったか。」
人狩りと冒険者の戦いが終わり、祭壇の周囲には静けさがただよっている。
感覚の糸を伸ばし周囲を探ってみるが、人の気配はない。
気配を断ち、己の存在を空気と化しながら、茂みを抜け出して恭平は祭壇へと歩み寄った。
十三段の階段を登って祭壇に立つと、そこに記された魔方陣をじっくりと脳裏に焼き付けた。
これで、いついかなるときでも、遺跡外からこの場所へと戻ってくることができる。
ひとつの目的は果たした。
「……準備を整えよう。」
次からは、また新たな場所を探索することができる。しかし、現状では難しい。
より遺跡のことを知り、装備などの準備を行わなければならない。
「……戻るか。」
ささやき、遺跡の外を思う。
次の瞬間、世界が暗転し、侵入時と同じ不快感を感じた。
「……う、ぐ。」
頭痛に苛まされ、気づけば恭平は島を見渡す高台に立っている。
恭平が居を構える丘から程近い町のはずれだ。すぐに坂を下って、部屋へと戻った。
カランカランと取り付けられた鐘の音が響く。
恐ろしく乙女チックな部屋は相変わらずで、ただうっすらと埃が積もっていた。
どかっ、と遺跡の中で手に入れた荷物や装備の入った袋を投げ出して、恭平はベッドへと倒れこんだ。
身体の汚れを気にしている余裕もない。それほどに、恭平は疲れていた。
いつの間にやら身体の傷は消えていた。治るというよりも、もとからそうであったかのように。
しかし、疲労までが回復したわけではないのは、遺跡の中と同じらしい。
もう、考えることも億劫だ。
そして、この部屋の明るさは居心地が悪いが、さりとて、嫌いというわけでもない。
不思議なことだが、落ち着きさえもする。
どことなく、かつて暮らした南フランスの家にも似た空気が漂っているためだろうか。
以前の借主も、恭平と同じ国の出身者であったのかもしれない。
彼とて、郷里を懐かしむことはある。
趣味が良いとは言いがたいベッド。
布団に包まると、以前の住人の残り香なのか、母にも似た甘い香りに恭平は包まれた。
明日には再び、遺跡へと舞い戻らなければならない。
それは、戦士の休息。
心を解す甘い香りに包まれて、恭平は死にも似た甘美な眠りへと誘われていった。
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