血の染み付いた手帳
しがない傭兵が偽りの島で過ごした日々の記録
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10022317 | Day18 -雪国- |
時は遡る
-0-
息を切らせながら、男は月明かりも差さない森の中を、西へ西へと急いでいた。
暗いため判然としないが、その全身は血に赤黒く濡れている。
その大半が、男の体から流れ出したものだ。
狡猾な彼らは、男に反撃する余力があると見て取ると、即座に身を翻した。
一人にこそ重傷を負わせたものお、ほとんどがかすり傷のようなものだ。
背中と、右の太もも、左の頬に、大きく生々しい傷跡が露となっている。
幾度かの乱戦により、衣服は乱れ、もはや衣類としての機能を果たしていない。
雪の積もる季節には厳しい格好だった。
流れ出る血液が、吹き付ける寒風が、男から体力と体温を奪い去っていく。
足をもつれさせ、倒れそうになりながら、それでも男は走り続けていた。
だが、無常にも追っての足音は着かず離れず、彼の後を影のように追いかけてくる。
狡猾な彼らは、ときおり距離を詰め男に襲い掛かった。
そして、その度にまだ反撃する余力があると見てとると、すぐにその身を翻したのだ。
かろうじて一人の男に深手を負わせたが、ほとんどがかすり傷のようなものだ。
いったい何人が追ってきているのか、それすらも分からない。
「……くそ……はぁはぁ……まだ、ダメなんだ……。
いま、死ぬわけには……ダメだ……今は、まだ……」
追っ手の影に怯え、唇を紫に色に変色させながら、男は熱病に侵された患者のように、
死ねない、死ねないとだけ繰り返し呟いていた。
その腕には大事そうに一通の封筒を抱いている。
これを奪われれば終わりだ。男の決断も何もかもが、水泡に帰してしまう。
男を送り出すために命を落とした仲間たちにも顔向けができない。
「あ……ぐぅっ……」
男の足が、雪に埋もれていた木の根を引っ掛けた。
傾ぐ上体を保つこともできず雪の上に倒れこみ、そのままの勢いでごろごろと雪の絨毯の上を転がる。
同時に、追っ手たちの足音も止まった。男が力尽きたかどうか、見定めようとしているのだろう。
幸か不幸か、柔らかな雪がクッションとなって倒れたことそのもののダメージはない。
しかし、疲れきった身体が一度止まってしまった。立ち上がろうと手を突っ張って力を込めようとするが、まるで自分の身体ではないようにふにゃふにゃとして力が入らない。
そうこうしている間に、運動によって保たれていた体温が、山脈から吹き降ろす雪混じりの風によって奪われていく。
もはや、限界だった。心より先に、肉体が限界を迎えてしまったのだ。
「……う……あぁ……」
歯の根をガチガチと震わせ、言葉にならない呻きをあげて、それでも男は立ち上がろうと雪を掻いた。
柔らかな雪はシャリシャリと音を立てて削れるが、それだけだ。
一瞬の後には、その跡も新しい雪に覆われて消える。
男の上にも、すでに雪が積もり始めていた。
寒い――頭の中がはっきりとしない。考えが像を結ばない。
男は、行かなければならないのに。
どこへ――?
その答えが分からない。焦燥と、寒さと、恐怖とが、男を蝕んでゆく。
「……頃合のようだな」
かろうじて機能していた耳が、追っ手たちの囁きを拾った。
しかし、それは男にとって死の宣告でしかない。
「……すま……ない……すま、ない……」
約束を、果たせなかった。
悔恨と、自分の不甲斐なさに流れる涙が、出る端から凍りつき、男の眦に張り付いた。
もはや、痛みもない。凍傷を起こしているのだ。
追っ手たちの足音が、迫る。
「……お前は、何だ?」
そして、男から随分と離れた場所で止まった。
視界の狭くなった男の眼前に、毛皮で覆われたブーツが映っている。
誰かが、男のすぐ前に立っているのだ。
追っ手ではない。彼らの装備は全て、雪上専用の真っ白なバトルスーツで統一されている。
「……あんたの花嫁は、チキン・ドリトルのスープを温めて待っている。
……済まないな。遅くなってしまった……」
『何者か』は、追っ手たちの問いかけを無視してしゃがみ込み、男の耳元で呟いた。
男と仲間が組織との間で定めた暗号だ。彼は、仲間なのだ。
違う意味で涙が流れた。
「……」
声は出ない。どうにか唇だけを震わせて、男は彼に伝えようとした。
「……分かった。必ず、届けよう」
それを解したのか、彼は頷いてみせる。そして、封筒を受け取った。
男は確かに渡した。役割を、果たしたのだ。
その代償は余りにも大きかったが、最後の表情は穏やかだった。
-1-
「それを、渡してもらおうか」
追っ手の数は三人。どれも、正式な雪上訓練を受けた屈強な男たちだ。
ゴーグルとマスクに覆われて表情は釈然としないが、張り詰めた緊張が伝わってくる。
こちらを推し量っているのだ、と知れた。
「……断る、と言ったら?」
受け取った封筒を、懐に収めながら恭平は立ち上がった。
全身、真っ白な追っ手たちに対し、こちらは闇に溶け込むような黒。
口元を覆うマスクだけが白い。
「その男と同じ、末路を辿ることになる」
言いつつも、男たちは三方向に別れ、恭平を取り囲もうと動き出している。
喋っているのは前に立つ男だけだ。
こいつがリーダー格なのだろう。
「彼には、不幸なことをした。しかし、仕方のないことだ。
裏切り者は処罰しなければならない」
「……」
「そうだろう? でなくては、規律は保たれない。
本来、君には関係のない話しだ。それを渡せば、何もしない」
口調は穏やかだが、その影には鋼の冷たさが隠されている。
雪山の風ほどに研ぎ澄まされた、鋭利な殺意だ。
職業的な殺し屋。単なる兵士ではない。
「……それもそうだな、俺には関係ない」
フッと笑って、恭平は腕を広げてみせる。
面倒に巻き込まれた、俺も苦労しているんだ。そういったジェスチャーだ。
そして、懐に手を入れて封筒を取り出してみせる。
「もの分かりが良くて助かる。では、渡してもらおうか」
拍子抜けしたのだろう、苦笑しつつリーダー格の男が一歩、恭平に近づいた。
本人に自覚があったのかどうか。
「だが、断る」
その胸に、短剣が突き立っていた。
「……がっ……ぼっ……」
口元のマスクを血に汚して、リーダー格の男が反射的に喉を押さえる。
短剣は臓器にまで達している。まずは、一人。
「貴様!!」
同時に、左右に陣取っていた男たちが動き出した。
瞬時に動けるだけの訓練を積んでいる。いい兵士たちだ。
「……」
紋章の削り取られた短剣を引き抜き肉薄する左の男に対して、
隊長格を手繰り寄せて、放り出す。
正面から隊長格の重みを受けて、左の男はたたらを踏み後退した。
「くそっ!」
右の男は、左のほど反応が良くなかった。
この三人の中で最も経験が浅いのだろう。
ベテランとひよっ子。小隊としてはよくある組み合わせだ。
ひよっ子はベテランの背を見て育ち、いつしかひよ子どもの世話をするベテランとなる。
「……あ」
突き出された短剣を握る手の甲をトンと叩き、狙いを逸らしざまに腹部へと拳を見舞う。
対衝撃吸収剤で覆われた男たちの身にまとうスーツには効果的といえない一撃だ。
しかし、動きやすさを求めた結果。脇腹の一部分にはまったく防御機構が備わっていない。
それが弱点だ、ということを事前の資料によって恭平は学習していた。
「かひ……」
溜まった息を強制的に搾り取られ、若い男は身体をくの字に折り曲げて悶絶した。
空気の中でおぼれるのは想像以上に辛いものだ。
流れるような動きで、予備の短剣を引き抜き、喉を切り裂いた。
雪を鮮血に染め上げて横たわる彼が、ベテランになる日は永久にこない。
「く、くそ……!!」
冷たくなりつつある隊長格の身体を押しのけて、最後の一人は恭平に背を向けた。
勝てないと判断して、情報を持ち帰ることを優先したのだろう。
悪くない判断だ。存在を知られるの、知られないのでは動きやすさが大きく違う。
だからこそ、知られるわけにはいかない。
「逃げ出す前に仕留めなさいと、教えたでしょう?」
一本の大木を横切ろうとした瞬間、にゅっと雪のように白い腕が伸びて逃げ出した男の顎を掴んだ。
次の瞬間には、ゴキリと鈍い音とともに男の首はあらぬ方向を向いている。
トサッと人が倒れたにしては軽い音を立てて、彼の身体は雪の上に横たえられた。
「戻ったら、反省ですからねぇ。さあ、帰りましょう」
そう言って、彼女は雪上を軽やかに歩き始めた。
恭平はその後に続く。
男たちの亡骸は、春が来るまで見つかることもないだろう。
そして、この国に春が来ることはもうないのだ。
永遠に。
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09030106 | Day17 -墜神- |
09030106 | Day17 -小隊- |
-0-
乾いた砂を撫でるように風が吹く、微小な砂の粒子が吹き払われ砂漠は一夜にして姿を変える。
小高い頂となっていた丘の砂が全て吹き流され、また別のところに小山が生まれた。
その丘の跡地には一人の男が横たわっている。
流砂に飲まれたと思われた恭平だった。
同じエリアの中とはいえ、かなりの距離を砂によって運ばれていた。
再び陽は巡り。再び、砂漠には昼の時間が訪れている。
照りつける太陽から恭平を守ったのは、ほかならぬ彼を飲み込んだ砂の層であった。
表面こそ肌が文字通り焼けるほどに熱い砂漠の砂だが、地中まではその熱も届かない。
ひんやりと心地よい天然の保冷材が、恭平の身体を多い保護していた。
自分から仮死状態となることで動きを止めた恭平を運び守ったのだ。
そして、今、風が恭平を掘り当てた。
仮死という深い眠りから恭平を呼び覚ますのは、照りつける太陽の役目だ。
外的要因による体温の上昇。
そこから、連鎖的に仮死状態からの解凍が始まる。
「……く。」
小さなうめき声をあげて、恭平は爪先で砂を掻いた。
それから、両の手で身体を支え、起き上がる。
全身に忍び込んでいた砂が、恭平の動きに合わせてパラパラと零れ落ちた。
砂交じりの唾を吐き捨て、周囲を見る。
一面の砂地。だが、ところどころに硬い石の床が露出して見える。
回廊への入り口が近い証拠だ。
「……。」
まだ万全ではない身体を引きずるようにして、恭平は回廊があるであろう方向に向けて歩き出した。
ざくざくと砂を踏み鳴らして進む。
だが、その柔らかな砂の感触は、徐々にコツコツとした無機質な硬さにとってかわられた。
回廊の入り口だ。
急激な温度の違いから、回廊の入り口では風が逆巻き、砂の竜巻が荒れ狂っている。
砂の雨の原因はここにあったらしい。
新調に砂竜巻をさけ、硬い地面を選んで回廊へと進む。
人工の灯りが照らし出す、ほの暗い空間に立ち入ったとき、寒気のするような冷気が恭平の身体を通り抜けていった。
-1-
以前探索した回廊と違い、ここは道幅も広く天上も高い。
同じ遺跡の中とはいえ、場所によって大きな差異が在るらしい。
継ぎ目のみえない床は、どのような技術によるものかまったいらに磨かれた石版を敷き詰めたもののようだ。
よくよく目を凝らして見なければ分からないほどの接合部。全ての石材は等間隔に配置されている。
強く踏みしめてもひび割れ一つおこさず、触れてみればひんやりと冷たい。
どうも、ただの石ではないのかもしれない。
短剣で突けば、恐らくは刃が欠けてしまうに違いなかった。
硬い床材に広い空間のため、不用意に歩けば足音はよく響く。
もとより音など立てないが、恭平はいっそう注意深く足を運んだ。
空間が広ければ広いほど、強大な存在が容易に動き回ることも可能となる。
ランドウォームのように大型の生き物が、生息していないとは限らないのだ。
いま、恭平の戦力でそのような対象を相手にするのは難しい。
恭平はもとより、人間を相手にする訓練を積んできた傭兵だ。
多少の獣なら、今までに数多く屠ってきた。
しかし、最大のものでも像ぐらいのものだ。
かつて、クスリによって強化され兵器と化した巨象と戦った時のことを思い出す。
だが、この島にはそれ以上の大物がごろごろしている。
まだ、直接に見たことはないが、その存在はひしひしと肌に感じられていた。
出会っていないというのは、運がよいのか。
それともそのように仕組まれた結果なのか。
この島の背後には、何者かの腹黒い意思が働いている。
もはや、それを疑う余地はないが、何が狙いなのかまでは定かではない。
今回、この場所を訪れたのは他でもない。
それを、ほんの少しでも知っているかもしれない相手がいると聞いてのことだった。
何度か話しに聞かされた小隊という連中。
その響きから、恭平にとっても馴染み深い一個小隊が想像された。
隊長格が一人、部下が三人。
それだけの組織では在るまいが、この回廊の先に彼らは待ち受けているらしい。
今は情報を集めることが先決だ。
戦いとなれば一対三、数の上では恭平が不利に思える。
だが、有益な情報が望めるかもしれないとあれば、避けて通るわけにもいかない。
それに、島に来て以来、これも理由は不明だが衰えてしまった恭平の身体能力も戻りつつある。
大勢が一人を相手に戦うと言うのは、その実、簡単なことではない。
そこに、勝機はあった。
「……。」
また、この島で行われている闘技大会。
力の戻り具合を確認するには良い腕試しと参加をしていたのだが、思わぬ収穫もあった。
世の中には、面白い戦い方をする奴らがいるものだ。
何も武器は短剣や肉体ばかりではない。
状況に応じたあらゆるもの、道端に落ちている石ころから、壁面に至るまで全てが凶器となり得るのだ。
恭平とて、そういった戦い――徒手空拳での潜入任務――を経験したこともある男だ。 重々承知のつもりでいたが、しかし知らぬ間に形成された常識はその目を曇らせる。
それだけではない。
不可視の衝撃や、青白くたなびく炎、空中を縦横無尽に翔ける雨。
恭平の理解を超えた術利を駆使するものも多い。
これらの力は恭平に扱える類のものではない。
だが、それに対する対策、知識は恭平を少なからず恭平を成長させている。
それに自身では扱うことができなくとも、間接的にその恩恵にあずかることは可能なのだ。
自然と頭の中で作戦をシミュレートしながら、ふと恭平は少女のことを思い出した。
闘技大会をともにした仲間だ。名前をティノといったか。
まだ幼い少女だった。そして、その年齢に似つかわしくないほどの何かを背負った。
彼女も今頃は遺跡の中を探索しているのだろう。
果たして、元気にしているだろうか。
遺跡を探索する冒険者である以上、全ての冒険者はライバルの関係にあると言える。
だが、奇縁に結ばれた相手の身を案じていけない道理はない。
同時に、彼女は恭平が認めるほどに優れた体術の持ち主ではあるのだが。
どうも、この島には強い女が集まるらしいな。
などと考え、ときおり柔らかな雰囲気を漂わせる厳格な女傭兵を思い浮かべ苦笑した。
特殊な環境なだけに縁は増える。
それが後々、恭平にとって良くないこととならなければよいのだが――。
恭平が選ぶ道は決まっているのだから。
「何者だ!!」
前方に松明の炎。そして、幾人かの兵士の姿。
垂加の声を発したのは、その中の誰かであろう。
はるか前方から炎の存在には気付いていたが、あえて悠々とそちらを目指して進んでいたのだ。
おそらく、そこに追い求める相手がいると思ったから。
緊張した面持ちで恭平の前に立ちはだかる兵士たちの背後に、派手な格好をした男が気だるそうに立っている。
その外見に惑わされそうになるが、この中で一番の使い手であることは間違いない。
おそらくは、隊長格の男とは彼のことだろう。
「……や~だなぁ、また来ちゃったの?」
心底、気だるそうに隊長は呟いた。
どうやら、戦いになりそうだ。――恭平は静かに短剣の柄に手を添える。
乾いた砂を撫でるように風が吹く、微小な砂の粒子が吹き払われ砂漠は一夜にして姿を変える。
小高い頂となっていた丘の砂が全て吹き流され、また別のところに小山が生まれた。
その丘の跡地には一人の男が横たわっている。
流砂に飲まれたと思われた恭平だった。
同じエリアの中とはいえ、かなりの距離を砂によって運ばれていた。
再び陽は巡り。再び、砂漠には昼の時間が訪れている。
照りつける太陽から恭平を守ったのは、ほかならぬ彼を飲み込んだ砂の層であった。
表面こそ肌が文字通り焼けるほどに熱い砂漠の砂だが、地中まではその熱も届かない。
ひんやりと心地よい天然の保冷材が、恭平の身体を多い保護していた。
自分から仮死状態となることで動きを止めた恭平を運び守ったのだ。
そして、今、風が恭平を掘り当てた。
仮死という深い眠りから恭平を呼び覚ますのは、照りつける太陽の役目だ。
外的要因による体温の上昇。
そこから、連鎖的に仮死状態からの解凍が始まる。
「……く。」
小さなうめき声をあげて、恭平は爪先で砂を掻いた。
それから、両の手で身体を支え、起き上がる。
全身に忍び込んでいた砂が、恭平の動きに合わせてパラパラと零れ落ちた。
砂交じりの唾を吐き捨て、周囲を見る。
一面の砂地。だが、ところどころに硬い石の床が露出して見える。
回廊への入り口が近い証拠だ。
「……。」
まだ万全ではない身体を引きずるようにして、恭平は回廊があるであろう方向に向けて歩き出した。
ざくざくと砂を踏み鳴らして進む。
だが、その柔らかな砂の感触は、徐々にコツコツとした無機質な硬さにとってかわられた。
回廊の入り口だ。
急激な温度の違いから、回廊の入り口では風が逆巻き、砂の竜巻が荒れ狂っている。
砂の雨の原因はここにあったらしい。
新調に砂竜巻をさけ、硬い地面を選んで回廊へと進む。
人工の灯りが照らし出す、ほの暗い空間に立ち入ったとき、寒気のするような冷気が恭平の身体を通り抜けていった。
-1-
以前探索した回廊と違い、ここは道幅も広く天上も高い。
同じ遺跡の中とはいえ、場所によって大きな差異が在るらしい。
継ぎ目のみえない床は、どのような技術によるものかまったいらに磨かれた石版を敷き詰めたもののようだ。
よくよく目を凝らして見なければ分からないほどの接合部。全ての石材は等間隔に配置されている。
強く踏みしめてもひび割れ一つおこさず、触れてみればひんやりと冷たい。
どうも、ただの石ではないのかもしれない。
短剣で突けば、恐らくは刃が欠けてしまうに違いなかった。
硬い床材に広い空間のため、不用意に歩けば足音はよく響く。
もとより音など立てないが、恭平はいっそう注意深く足を運んだ。
空間が広ければ広いほど、強大な存在が容易に動き回ることも可能となる。
ランドウォームのように大型の生き物が、生息していないとは限らないのだ。
いま、恭平の戦力でそのような対象を相手にするのは難しい。
恭平はもとより、人間を相手にする訓練を積んできた傭兵だ。
多少の獣なら、今までに数多く屠ってきた。
しかし、最大のものでも像ぐらいのものだ。
かつて、クスリによって強化され兵器と化した巨象と戦った時のことを思い出す。
だが、この島にはそれ以上の大物がごろごろしている。
まだ、直接に見たことはないが、その存在はひしひしと肌に感じられていた。
出会っていないというのは、運がよいのか。
それともそのように仕組まれた結果なのか。
この島の背後には、何者かの腹黒い意思が働いている。
もはや、それを疑う余地はないが、何が狙いなのかまでは定かではない。
今回、この場所を訪れたのは他でもない。
それを、ほんの少しでも知っているかもしれない相手がいると聞いてのことだった。
何度か話しに聞かされた小隊という連中。
その響きから、恭平にとっても馴染み深い一個小隊が想像された。
隊長格が一人、部下が三人。
それだけの組織では在るまいが、この回廊の先に彼らは待ち受けているらしい。
今は情報を集めることが先決だ。
戦いとなれば一対三、数の上では恭平が不利に思える。
だが、有益な情報が望めるかもしれないとあれば、避けて通るわけにもいかない。
それに、島に来て以来、これも理由は不明だが衰えてしまった恭平の身体能力も戻りつつある。
大勢が一人を相手に戦うと言うのは、その実、簡単なことではない。
そこに、勝機はあった。
「……。」
また、この島で行われている闘技大会。
力の戻り具合を確認するには良い腕試しと参加をしていたのだが、思わぬ収穫もあった。
世の中には、面白い戦い方をする奴らがいるものだ。
何も武器は短剣や肉体ばかりではない。
状況に応じたあらゆるもの、道端に落ちている石ころから、壁面に至るまで全てが凶器となり得るのだ。
恭平とて、そういった戦い――徒手空拳での潜入任務――を経験したこともある男だ。 重々承知のつもりでいたが、しかし知らぬ間に形成された常識はその目を曇らせる。
それだけではない。
不可視の衝撃や、青白くたなびく炎、空中を縦横無尽に翔ける雨。
恭平の理解を超えた術利を駆使するものも多い。
これらの力は恭平に扱える類のものではない。
だが、それに対する対策、知識は恭平を少なからず恭平を成長させている。
それに自身では扱うことができなくとも、間接的にその恩恵にあずかることは可能なのだ。
自然と頭の中で作戦をシミュレートしながら、ふと恭平は少女のことを思い出した。
闘技大会をともにした仲間だ。名前をティノといったか。
まだ幼い少女だった。そして、その年齢に似つかわしくないほどの何かを背負った。
彼女も今頃は遺跡の中を探索しているのだろう。
果たして、元気にしているだろうか。
遺跡を探索する冒険者である以上、全ての冒険者はライバルの関係にあると言える。
だが、奇縁に結ばれた相手の身を案じていけない道理はない。
同時に、彼女は恭平が認めるほどに優れた体術の持ち主ではあるのだが。
どうも、この島には強い女が集まるらしいな。
などと考え、ときおり柔らかな雰囲気を漂わせる厳格な女傭兵を思い浮かべ苦笑した。
特殊な環境なだけに縁は増える。
それが後々、恭平にとって良くないこととならなければよいのだが――。
恭平が選ぶ道は決まっているのだから。
「何者だ!!」
前方に松明の炎。そして、幾人かの兵士の姿。
垂加の声を発したのは、その中の誰かであろう。
はるか前方から炎の存在には気付いていたが、あえて悠々とそちらを目指して進んでいたのだ。
おそらく、そこに追い求める相手がいると思ったから。
緊張した面持ちで恭平の前に立ちはだかる兵士たちの背後に、派手な格好をした男が気だるそうに立っている。
その外見に惑わされそうになるが、この中で一番の使い手であることは間違いない。
おそらくは、隊長格の男とは彼のことだろう。
「……や~だなぁ、また来ちゃったの?」
心底、気だるそうに隊長は呟いた。
どうやら、戦いになりそうだ。――恭平は静かに短剣の柄に手を添える。
09030105 | Day16 -仮- |
09030104 | Day16 -流砂- |
-0-
蠢く雑草で埋め尽くされた草原を抜けると、そこは風にのった砂の逆巻く砂漠だった。
歩行雑草に追われたいた少年の姿は、気付けばすでになく、恭平は再び独りとなっている。
外と同様に、夏の太陽が照りつける遺跡の異常自然。
まだしも、穏やかな風や、木々によってそれが緩和されている平原は過ごしやすかった。
乾いた風と、熱せられた砂に覆われた、文字通りの砂の海は、灼熱の地獄と化している。
遠くにゆらゆらと立ち込めるのは蜃気楼。
そこに、小さな湖が浮かび上がっている。
追えば逃げる、いわゆる逃げ水というものだろう。
かつて、多くの旅人が喉の渇きからそれを求め、砂漠の中に呑まれていったと伝え聞く。
「……厳しい、な。」
荷物の中から水筒を取り出し、残りの水量を確認する。
平時であれば72時間以上水分を摂取せずとも動くことができる恭平だが、
果たしてこの照りつける太陽の下、どれだけの間、耐え切ることができるだろうか。
肌から、呼吸から、体内の水気はとめどなく奪われる。
遺跡の中のことだ。いざとなれば、外に戻ることもでき、命に問題はないとはいえ……。
ここを抜けられないのでは、先へと進むこともできない。
そう、考えつつも、恭平はすでに砂の中へと踏み込んでいた。
避けては通れない道なら、時間を無為に使うよりは進みつつ考えた方が効率もいい。
なによりも、ここでは立っているだけで体力を奪われる。
「……。」
踏みしめた砂はもろく崩れ去り、ともすれば恭平の身体を呑みこもうとする。
砂浜を歩いたことのある者ならば想像もできようが、やわらかな砂の上は実際歩きづらいものだ。
堅い地面を歩く数倍もの力が必要とされる。
編みこみのブーツの隙間からパラパラと小さな砂が入り込み、それが不快だった。
ほんの少しでも体力の消耗を抑えようと、口を一文字に噤み恭平は砂漠を進む。
空を見上げればそこには照りつける太陽が映っているが、その実、透き通った空の先には壁がある。
以前、平原の境に見つけた壁を登り、その空の上を確認したのだから間違いはない。
その、空の向こうにある、味気のない石壁。
そこから降りしきる砂の雨が、ときおり恭平を打った。
風や砂の流れによって押しやられた砂が、どこからか壁の内側を通り抜け循環しているのだろう。
ひょっとすると、竜巻が舞い上げた砂が重力を取り戻し、墜ちてきているだけかも知れないが。
なんにせよ、その砂の雨や、強い日差しのため、
ジャケットで身体を覆い隠しながら、熱に耐えて進まなければならなかった。
ほんの暑さであれば、上着は脱いだ方が快適だ。
しかし、このような場所で肌を露出させることは、命取りである。
偽りの島に日は高く上り、昼を迎えてますます太陽はその力を増しつつあった。
遥か遠方には山が見える。平原が見る。湖が、無機質な人工の石壁が、男が、女が、少年が、町が見える。
それは蜃気楼が見せる幻。どこかの風景か、どこにもない風景かもしれない。
それとも、そこには真実、それらが存在するのであろうか。
砂の海を渡るとき、熱の壁に映し出された風景に希望を抱き、そして、打ち砕かれて倒れるものは多い。
その足が真実の大地を踏みしめるその時まで、気を抜くことは許されない。
全身から噴出する汗に、体力がじりじりと奪われる。
夜になれば、極寒の世界となる砂漠だが、昼はまさに灼熱の地獄だ。
熱に強いはずの生き物たちも、この時刻は砂の中に隠れて動かない。
そんな生命の許されない土地を、恭平は一歩二歩と踏みしめるように歩く。
ごくごく稀に、根付くサボテンを見つけてはその果肉を切り裂き、蓄えられた水の恩恵にあずかっていた。
朦朧とする意識を、強固な意志で押さえつけ、ただ前を見て歩く。
その進む先が正しいのかどうか、景色に変化の見られない土地では自身の感覚だけが頼りだ。
それが正しかったのかどうか、恭平の足が硬い何かを踏んだ。
-1-
恭平が踏みしめたもの、それは巨大な蟹の甲殻だった。
おそらくは、先に此処を通過した冒険者が倒したものだろう。砂漠には虹色の貝や、巨大な蟹が生息していると聞いている。
前に荒野で戦った巨大なラクダも、砂漠に生息する生き物であるらしい。
なるほど、あのコブには様々なものが蓄えられていそうであった。
蟹の甲羅は貴重な素材となるのだが、残念なことに激しい戦いのためか深く傷ついていて使い物になりそうにない。
この殻の持ち主を屠った者たちも、その為に捨て置いたのだろう。
それとも、荷物に余裕でもなかったのか……。
巨大、と名うたれているだけに、その殻は分厚く、大きく、運ぶにも手こずりそうなほどだった。
その中でも特別に硬い部分が、防具や装飾、武器として好まれるというが、
その部位がどこであるのか、まだ直接に関わったことのない恭平には判断がつかない。
余裕があれば検分していきたいところだが、そうもいかないようだ。
少しばかり、この甲羅の上に立ち止まっていただけだが、周囲の景色が変化している。
それは砂山の位置が微妙に異なる、といったような些細なことだったが。
その微細な変化を恭平は見逃していなかった。
「……ち。」
周囲の光景が変化しているのではない。
恭平の位置が徐々に動いていっているのだ。
砂が胎動している。甲殻の上に立っていたため、そのことに気付くのが遅れてしまった。
流砂だ――。
小さく軽い砂がどこへともなく流れている。
気付けば甲殻という船にのって、恭平は砂の川の真っ只中にとり置かれていた。
砂の柔らかさは、先ほどまで歩いていた砂地の比ではない。
一歩、甲殻から踏み出した途端、恭平の身体は砂に呑まれ沈みこんでしまうだろう。
一度、沈んでしまうと、脱出は容易ではない。
いや、脱出など絶望的だと考えた方がいいだろう。
ロープを短剣に結わえて即席の道を作ろうにも、それを引っ掛ける木も岩もここにはない。
どうにかしなくては……。
運がいいことに、甲殻は砂に飲まれることもなく、砂上をたゆたっている。
どこからどこまでが流砂なのか、砂の動きを眼で追う事は難しく判然としない。
たいした距離でなければ、跳躍によって抜け出すこともできるかもしれないのだが、
判断がつかないのではそのような博打にうってでることもできない。
じっと、熱による消耗を抑えながら、冷静な眼で恭平は周囲を見渡した。
どこかに、何かがあるはずだ。
それは一瞬のことかもしれない、活路を見落とすわけにはいかない。
ゆっくりと、だが、確実に、砂は恭平と甲殻を運んでいる。
段々とその速度は速まっているようだ。
既に、ずいぶんと運ばれてしまったように思える。
「……くそ。」
恭平の目が、何かを見つけた。
だが、それは喜ばしいことではないようだ。ジャケットを手放し、恭平は短剣を引き抜き身構える。
砂を押しのけて、それは川の中から姿を現しつつあった――。
日は高く、まだ沈む気配をみせない。
蠢く雑草で埋め尽くされた草原を抜けると、そこは風にのった砂の逆巻く砂漠だった。
歩行雑草に追われたいた少年の姿は、気付けばすでになく、恭平は再び独りとなっている。
外と同様に、夏の太陽が照りつける遺跡の異常自然。
まだしも、穏やかな風や、木々によってそれが緩和されている平原は過ごしやすかった。
乾いた風と、熱せられた砂に覆われた、文字通りの砂の海は、灼熱の地獄と化している。
遠くにゆらゆらと立ち込めるのは蜃気楼。
そこに、小さな湖が浮かび上がっている。
追えば逃げる、いわゆる逃げ水というものだろう。
かつて、多くの旅人が喉の渇きからそれを求め、砂漠の中に呑まれていったと伝え聞く。
「……厳しい、な。」
荷物の中から水筒を取り出し、残りの水量を確認する。
平時であれば72時間以上水分を摂取せずとも動くことができる恭平だが、
果たしてこの照りつける太陽の下、どれだけの間、耐え切ることができるだろうか。
肌から、呼吸から、体内の水気はとめどなく奪われる。
遺跡の中のことだ。いざとなれば、外に戻ることもでき、命に問題はないとはいえ……。
ここを抜けられないのでは、先へと進むこともできない。
そう、考えつつも、恭平はすでに砂の中へと踏み込んでいた。
避けては通れない道なら、時間を無為に使うよりは進みつつ考えた方が効率もいい。
なによりも、ここでは立っているだけで体力を奪われる。
「……。」
踏みしめた砂はもろく崩れ去り、ともすれば恭平の身体を呑みこもうとする。
砂浜を歩いたことのある者ならば想像もできようが、やわらかな砂の上は実際歩きづらいものだ。
堅い地面を歩く数倍もの力が必要とされる。
編みこみのブーツの隙間からパラパラと小さな砂が入り込み、それが不快だった。
ほんの少しでも体力の消耗を抑えようと、口を一文字に噤み恭平は砂漠を進む。
空を見上げればそこには照りつける太陽が映っているが、その実、透き通った空の先には壁がある。
以前、平原の境に見つけた壁を登り、その空の上を確認したのだから間違いはない。
その、空の向こうにある、味気のない石壁。
そこから降りしきる砂の雨が、ときおり恭平を打った。
風や砂の流れによって押しやられた砂が、どこからか壁の内側を通り抜け循環しているのだろう。
ひょっとすると、竜巻が舞い上げた砂が重力を取り戻し、墜ちてきているだけかも知れないが。
なんにせよ、その砂の雨や、強い日差しのため、
ジャケットで身体を覆い隠しながら、熱に耐えて進まなければならなかった。
ほんの暑さであれば、上着は脱いだ方が快適だ。
しかし、このような場所で肌を露出させることは、命取りである。
偽りの島に日は高く上り、昼を迎えてますます太陽はその力を増しつつあった。
遥か遠方には山が見える。平原が見る。湖が、無機質な人工の石壁が、男が、女が、少年が、町が見える。
それは蜃気楼が見せる幻。どこかの風景か、どこにもない風景かもしれない。
それとも、そこには真実、それらが存在するのであろうか。
砂の海を渡るとき、熱の壁に映し出された風景に希望を抱き、そして、打ち砕かれて倒れるものは多い。
その足が真実の大地を踏みしめるその時まで、気を抜くことは許されない。
全身から噴出する汗に、体力がじりじりと奪われる。
夜になれば、極寒の世界となる砂漠だが、昼はまさに灼熱の地獄だ。
熱に強いはずの生き物たちも、この時刻は砂の中に隠れて動かない。
そんな生命の許されない土地を、恭平は一歩二歩と踏みしめるように歩く。
ごくごく稀に、根付くサボテンを見つけてはその果肉を切り裂き、蓄えられた水の恩恵にあずかっていた。
朦朧とする意識を、強固な意志で押さえつけ、ただ前を見て歩く。
その進む先が正しいのかどうか、景色に変化の見られない土地では自身の感覚だけが頼りだ。
それが正しかったのかどうか、恭平の足が硬い何かを踏んだ。
-1-
恭平が踏みしめたもの、それは巨大な蟹の甲殻だった。
おそらくは、先に此処を通過した冒険者が倒したものだろう。砂漠には虹色の貝や、巨大な蟹が生息していると聞いている。
前に荒野で戦った巨大なラクダも、砂漠に生息する生き物であるらしい。
なるほど、あのコブには様々なものが蓄えられていそうであった。
蟹の甲羅は貴重な素材となるのだが、残念なことに激しい戦いのためか深く傷ついていて使い物になりそうにない。
この殻の持ち主を屠った者たちも、その為に捨て置いたのだろう。
それとも、荷物に余裕でもなかったのか……。
巨大、と名うたれているだけに、その殻は分厚く、大きく、運ぶにも手こずりそうなほどだった。
その中でも特別に硬い部分が、防具や装飾、武器として好まれるというが、
その部位がどこであるのか、まだ直接に関わったことのない恭平には判断がつかない。
余裕があれば検分していきたいところだが、そうもいかないようだ。
少しばかり、この甲羅の上に立ち止まっていただけだが、周囲の景色が変化している。
それは砂山の位置が微妙に異なる、といったような些細なことだったが。
その微細な変化を恭平は見逃していなかった。
「……ち。」
周囲の光景が変化しているのではない。
恭平の位置が徐々に動いていっているのだ。
砂が胎動している。甲殻の上に立っていたため、そのことに気付くのが遅れてしまった。
流砂だ――。
小さく軽い砂がどこへともなく流れている。
気付けば甲殻という船にのって、恭平は砂の川の真っ只中にとり置かれていた。
砂の柔らかさは、先ほどまで歩いていた砂地の比ではない。
一歩、甲殻から踏み出した途端、恭平の身体は砂に呑まれ沈みこんでしまうだろう。
一度、沈んでしまうと、脱出は容易ではない。
いや、脱出など絶望的だと考えた方がいいだろう。
ロープを短剣に結わえて即席の道を作ろうにも、それを引っ掛ける木も岩もここにはない。
どうにかしなくては……。
運がいいことに、甲殻は砂に飲まれることもなく、砂上をたゆたっている。
どこからどこまでが流砂なのか、砂の動きを眼で追う事は難しく判然としない。
たいした距離でなければ、跳躍によって抜け出すこともできるかもしれないのだが、
判断がつかないのではそのような博打にうってでることもできない。
じっと、熱による消耗を抑えながら、冷静な眼で恭平は周囲を見渡した。
どこかに、何かがあるはずだ。
それは一瞬のことかもしれない、活路を見落とすわけにはいかない。
ゆっくりと、だが、確実に、砂は恭平と甲殻を運んでいる。
段々とその速度は速まっているようだ。
既に、ずいぶんと運ばれてしまったように思える。
「……くそ。」
恭平の目が、何かを見つけた。
だが、それは喜ばしいことではないようだ。ジャケットを手放し、恭平は短剣を引き抜き身構える。
砂を押しのけて、それは川の中から姿を現しつつあった――。
日は高く、まだ沈む気配をみせない。